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ACT24 待ち伏せ

「来た!」

 何かが、空気を切り裂いた。

「!」

 危険を察知したサキとリュードが、反射的に石畳に身を投げ出した。

 頭上を何かが飛翔し、暗闇の大気を切り裂いた。

 飛来した矢が、壁に突き刺さる。

(どこから?)

 反射的に、サキが気配を探る。

 だが、矢の飛来した方向の暗闇を透かし見ても、人の潜む気配はない。

 サキが、恐る恐る立ち上がった途端、再び何かの物音がした。

「またよ!」

 サキが、素早く位置を変える。

 別方向から飛んできた矢が、傍らの立木に刺さる。

 だが、やはり人の気配はない。あるのは、妖しい気配だけだった。

 ただ、弓矢の弦が鳴った音が聞こえただけだった。

「危ねぇ危ねぇ」

 壁に張り付くようにして、リュードが矢をよけた。

 姿を見せぬ敵に翻弄されている。

「どこから?」

 石畳に伏せたリュードが、暗闇を透かし見るような仕草を見せた。

「姫さん、ここから見るとわかる」

 暗闇の中では、下から見上げた方が陰影が見えやすい。わずかばかりの星明かりに照らされ、サキの目の前に何かが浮かび上がった。

「これって?」

 足元に、髪の毛ほど細い糸が張り巡らされているのが見えた。

「この糸を引っかけると、弩の矢が飛ぶ仕掛けだろ」

 リュードが、左手で背負っていた” 骨喰(ほねばみ)”の剣をそっと鞘ごと外した。黒い鞘に、白玉で骸骨を模した意匠の剣だった。

 鞘ごと手に持った” 骨喰(ほねばみ)”の剣を伸ばし、鞘の石突きで手近な糸にそっと触れた。

「おっと!」

 糸が切れた瞬間、空気を切り裂き頭上を矢が通過した。

「なんだぁ……人の仕業じゃないのさ」

 サキは、安心した声を出した。

 矢を射かけてくる妖魔などいない。明らかに、誰かが仕掛けた侵入者除けの罠だった。


       ◆


「九宮飛星陣を崩壊させるのと結界修復は、天狼側の仕事だ……姫さんは、ゼメキスと皿を引き剥がすことに専念してくれりゃいい」

 リュードが小声でささやいた。

「結界の修復なんて、リュードに出来るの?」

「小さな結界の張り直しなら、やったことはあるけどねぇ……こんだけ強烈な力を抑える結界の修復は初めてだ」

「なんか不安な話だわねぇ」

 サキは顔をしかめた。

 霊力が皆無なサキにとって、結界だの魔法陣というものは理解の範疇を超えている。ましてや、リュードもやったことがない真似をこれからやるという話を聞いて、落ち着くはずもない。

「他に、出来る奴が近場にいりゃ、そいつに頼んでるさ」

 サキは、そっと周囲を観察した。深夜の鍛錬のおかげで、サキは常人よりはるかに夜目がきく。

 砦の中とはいえ、そこは一つの村のような規模を持っている。

 兵隊が寝起きするための兵舎もあれば、畑や雑木林までがある。

「城塞都市の縮小版みたいな構造ね」

 王都レグノリアも、城壁に囲まれた城塞都市だった。中には、畑も森も、運河もある。だが、今サキとリュードが立つ砦の中も一つの世界になっている。

 居住区と思われる区域を抜け、その奥にある雑木林を抜けると、そこには道が左右に分かれている。左手の門の向こうには、鉄柵で囲まれた墓地があった。

 ゼメキスの屋敷の裏手にたどり着くには、この墓地を抜けた先にある城壁の跳ね橋を渡らなければならない。

「この墓地って……使われてない砦なのに、何故墓地が?」

「この島を埋め立ててこの砦の建築にたずさわった連中にとっては、命がけの仕事だったはずさ……運河の掘削、埋め立て、不幸な事故や、喧嘩、病気で死んだ連中を弔ってるのさ」

 異国の石造りの彫像が墓地のあちこちに建ち並んでいる。サキ達の信じる聖教とも違う、異教の神々が祀られているらしい。

「墓荒らしに来たみたいで、気分が悪いわ」

 サキは、胸元で小さく印を切った。

「全知全能のアグネアの神よ……この地に眠る死者達に、平穏を与えたまえ」

 サキの祈りが通じたのか、目の前の墓地で異変が起きた。

(えっ? うそぉ……)

 目の錯覚ではない、明らかに墓地のあちこちに立っている石像が微かに動いた。

「ちょっと……石像が動き出したわ」

 サキは、微かにおびえた声を出した。

 悲鳴を上げて座り込みたいが、すでにその状況を通り越している。声を出そうにも声が出ない。

「なるほど……紛れ込んでたのか」

「どういうこと?」

「彫像の中に、本物が紛れてる」

 リュードの言葉に、サキはがっかりした。

 石造りの彫像の中に、武装した護衛が紛れている。石像も、甲冑を着た護衛も暗闇の中では、同じに見える。

 妖魔か何かの攻撃だと思い込んで、怖がっていたのが馬鹿みたいだった。

 弓矢も、カラクリ仕掛けの罠だろう。

 仕掛けが施された敷石を不用意に踏むと、物陰に設置された弩の引き金が引かれ、矢が自動的に発射されているだけだった。

「間に合うか……」

 夜空を見上げ、リュードが微かに顔をしかめた。青灰色の瞳に、微かな焦燥が浮かんだ。

 夜霧が濃いのに、その夜霧が妙にほの白く輝いている。その白い雲のような夜霧の一角だけ、妙に黒々としている。まるで、ぽっかりと虚無へとつながる穴のようだった。

「予想していたよりも、結界の穴が大きいぞ」

「どっちから始末付けるの? マテオ・エクトール? ゼメキスさん?」

「姫さんは、ゼメキスを黙らせろ……奴の祈りが、皿に共鳴してマテオ・エクトールの呪術に熱量を供給してる」

「でも、どうやれば……」

「ゼメキスと皿を引き離すしかないだろうなぁ……無理だったら、皿を叩き割るしかない」

「リュードは?」

「マテオ・エクトールを黙らせる」

 難しいことを、あっさりとリュードが言い切った。

 『どこに?』という言葉を、サキは飲み込んだ。

 周囲に漂う妖気の強さは、霊力が皆無に等しいほど鈍いサキにでもわかるほどだった。

 右手の方に視線を向けると、いかめしい門扉の向こうに、礼拝堂らしき建物が暗闇の中に浮かび上がっている。

「聖教の礼拝堂で、呪術を仕掛けてる? 頭に来るわね!」

「こっちは、俺の持ち分だ……姫さんは、こっちを無視してゼメキスの屋敷に突っ込め! ゼメキスは、屋敷の宝物殿にいるはずだ」

 礼拝堂へとつながる鉄製の扉をリュードが開いた。重い金属の扉が、微かにきしんだ。

 この扉を抜け、右手に進めば、マテオ・エクトールが待ち構えている礼拝堂へつながっている。リュードは、一対一でマテオ・エクトールの呪術に対抗するつもりだった。

 リュードの方術がどれほどの技量があるのかは、サキにはわからない。ほとんどが、種も仕掛けもあるイカサマだが、時々説明が付かないような真似もする。

「姫さんは、そっちだ……左側の墓地を抜ければ、ゼメキスの屋敷の裏手にたどり着く。

 サキは、左手の小径に足を踏み入れかけ、急に不安に襲われて振り向いた。

「リュード! 気を付けて!」

「いいから、早く行け! こっち片付けたら、すぐに行くから!」

 苦笑したリュードが、強引にサキの背中を押した。

「わかったわよ! 行きゃいいんでしょ!」

 サキが、墓地へと続く道に足を踏み入れた。

 サキの背後で、扉が乱暴に閉められた。閂が掛けられる音が扉の向こうで響いた。

 扉の向こうのリュードの側の空間で、禍々しい妖気が強まった気配があった。

「リュード!」

 だが、返事はない。

 サキは、頭を強く振った。後頭部で束ねた金髪が大きく揺れる。

 ここは、リュードを信じるしかない。

(ええぃ! こうなったら、なるようにしかなんないわ!)

 サキは、一気にゼメキスの屋敷の方へ向けて走り出した。

「裏口側に侵入者除けの罠を仕掛けてるって、ヘルムートさんが言ってたけど……砦の中にも同じような仕掛けがあるのね」

 小径を抜けるにしても、真っ直ぐに走れば済むようなものではない。

 あちこちから、矢が飛んでくる。

 カラクリ仕掛けの弓矢とわかれば、その攻撃を読むことは造作もない。不規則に歩幅を変え、左に右に位置を変えながらサキは飛来する矢をかわした。

 踏み出した足が何か違和感を覚え、サキは慌てて足を引っ込めた。

「危ないわねぇ」

 足元の石畳の一つが、不意に消えた。

 落とし穴が目の前にある。

「こんな陰険なカラクリ……造った奴は誰だろ?」

 不意に、夜霧が一瞬途切れた。星明かりが、周囲を照らす。暗闇になれたサキの目には、わずかばかりの星明かりもまぶしいくらいだった。

 元々は畑として用意した土地だったのだろうか、墓地と言っても、雑草の生い茂った荒れ地だった。

 目の前に、等身大の異国の石像が林立していた。両目にはめ込まれた黒曜石が、わずかばかりの星明かりを反射して怪しく輝いた。


       ◆


 足元を風が舞った。

(来る!)

 サキは、微かに腰を落として身構えた。

 不意の強風に、土埃が舞った。

 生暖かい妖気を含んだ風が、サキの頬を撫でる。

 サキの意識が研ぎ澄まされてゆく。

 霧に包まれた夜で、近場が薄ぼんやりと見えるだけだった。

 もっとも、サキが相手を探るのは目だけではない。

 ”眼観四方、耳聴八方”

 いつか読んだ兵法書の一節が、サキの脳裏に甦ってきた。

 視覚だけに頼っていると後方は見えないが、耳は背後の物音まで聞き逃さない。

(どっちから来る?)

 気配を探るのは、視覚と聴覚だけではない。サキは、全身で敵の気配を探っている。

 右手は、左腰の愛刀の柄に触れている。

(来る!)

 頭で考えるよりも早く、サキの身体が反応していた。

 その場に倒れ込むように、大地に飛び込み前転した。

 背中を何かが掠めた。

 立ち上がったときには、すでに大刀が鞘走っていた。

 前転しながらの抜刀は、夢の中で影法師が見せた技の一つだった。これが自然に出来るまでに、サキは一年を要している。

「!」

 とっさに気配に向けて、愛刀が走った。

 空気を切り裂いた愛刀が、何かを斬った手応えがある。

 人影に見えたのは、石像ではなかった。

 霧の中、サキの目前に立つ相手は、甲冑を着た騎士の姿をしている。

『彫像の中に、本物が紛れてる』

 リュードの言葉が、サキの脳裏に響いた。

 リュードが見抜いた通り、石像の中に本物が紛れ込んでいた。

「こんの野郎ぉ!」

 サキに襲いかかってきた騎士を、大刀で張り倒した。

 生身の人間が石像に化けていただけなら、サキは怖がらない。

 次の甲冑が、サキに襲いかかった。

 とっさに、振り下ろされた大剣を、サキは愛刀で弾く。

 グルジェフの操ったカラクリ細工の甲冑戦士ではない。

 そのなめらかな動きは、明らかに生身の人間のものだった。

「ちっ! リュードが見抜いたとおり、本物が紛れてるのね」

 サキは、周囲に林立する甲冑をにらみつけた。

 奇妙な甲冑姿の石像達の中に、甲冑を身につけた本物の敵が紛れているとしか考えられなかった。

(昼間に、 角笛(つのぶえ)の岬で襲いかかってきた連中の生き残り?)

 サキの前に、剣を構えた甲冑が立ちふさがった。

 元は赤銅色に輝く甲冑だったのだろうが、風雪に打たれて緑青の吹いた甲冑だった。石像に紛れて息を潜めて静かに立っていれば、ただの彫像と誤認してもおかしくはない。

「こんの野郎ぉ……散々、脅かしてくれたじゃないのさ!」

 サキは、実体のある敵なら怖くない。リュードの方術と同じで、オバケに扮しているだけだった。

 彫像に扮した人間相手なら、サキで十分だった。

「もう、許さないわよ」

 サキのお化け嫌いは、筋金入りだった。

 石像が動き出して襲ってくるなどと想像しただけで、悲鳴を上げて座り込む。

 だが、生身の人間が石像に扮しているのであれば話は別だった。刃を持った暴漢に取り囲まれても、サキは動じない。

 相手が生身の人間とわかれば、何人に囲まれていても怖くもない。

(リュードのイカサマ方術と同じじゃない!)

 得体の知れないモノが相手と脅かされ、サキの想像力が幻影を作り出し、自分で勝手におびえていただけだった。

 暗闇から突然飛来してきた矢も、サキが踏んだ石畳に仕掛けがあっただけだった。からくり細工で手の込んだ仕掛けだが、猟場で熊や狼を仕留める罠と何も変わらない。

「散々……」

 サキが、刃をかいくぐる。

「脅かしてくれたじゃない!」

 サキの大刀が、暗闇を引き裂き旋転した。大刀の刀柄に埋め込まれた宝玉が真紅に輝き、大刀の刃が甲冑の脛をなぎ払い、転倒させる。

「殺しゃしないわよ」

 サキの愛刀は、宝物庫から持ち出した時から刃引きの状態だった。刃を潰してあるので、もとより人を斬る事は出来ない不殺の刀だった。だが、まともに打ち合えば大剣の刃を叩き折るだけの強靱さを秘めた大刀だった。当たり所が悪ければ、致命傷となる。

 頭を狙うのは極力避け、騎士の手足をなぎ払う。

 甲冑に身を固めていても、サキの大刀の斬撃の衝撃なら打撲では済まない。

 下手すれば、骨折している。

 サキの前に、最後の騎士が立ちふさがった。

 サキはためらわなかった。

 最後の一体が剣を横薙ぎに振ってくる。サキは身を沈めてその攻撃を避け、大刀を横へ寝かせた。

 大刀を旋転させ、甲冑をなぎ払った。

「邪魔!」

 その勢いを止めず、甲冑の脇を駆け抜ける。

 サキの大刀が、相手の胴をしたたかに打ち据えた手応えがあった。

 背後で、甲冑が倒れる音が響いた。


       ◆


 小半刻ばかりかけて、サキはやっとゼメキス屋敷の裏口に通じる跳ね橋にたどり着いた。

 砦の城壁の一角の出入り口とゼメキスのいる屋敷の側を、運河の水を引き込んだ水堀がさえぎっている。その跳ね橋を渡ってしまえば、ゼメキスの屋敷の裏口まですぐだった。

 サキは、一瞬背後に視線を送った。

 サキが駆け抜けた後には、何体もの甲冑が倒れている。

 だが、その背後、リュードがマテオ・エクトールとの戦闘を始めたのだろうか、礼拝堂の方から漂う妖気がさらに強くなっている。

(リュード! 死なないでよ!)

 サキの足が、跳ね橋に掛かった。

 迷っている暇はない。

 そのまま、一気に跳ね橋を駆け抜けた。


       ◆


 リュードは、閉じた鉄の扉に閂を落とし、素早く呪符を貼った。

 これで、しばらくサキへの霊障は避けられるはずだった。だが、その分だけ門内のリュードに霊障は集中する。

 サキがゼメキスの屋敷の方へと掛けてゆく気配を感じながら、リュードが扉を背にして立った。

 暗闇の中にうごめく気配が、ひたひたとリュードに迫ってくる。目に見えない何かとリュードは対峙していた。まるで、毒蛇に取り囲まれているような禍々しい気配だった。

 首に二重に巻いた赤、青、緑、黄色と様々な輝きを見せる小さな宝珠が、妖気に反応したのか淡い輝きを見せた。

「そろそろ、姿を現してもらおうじゃないか」

 リュードのつぶやきと同時だった。

 リュードに狙いを定めた妖気が、強くなってきた。

「こりゃぁ、本気で掛からないと大変なことになりそうだな」

 リュードの言葉を理解しているのか、妖気が強く反応を示した。

 不意に、周囲が明るくなり、暗闇の中にいくつもの鬼火が浮かびあがった。赤黒く燃える鬼火のひとつがリュード目掛けて飛来してきた。

「おっと」

 だが、リュードは少し頭を傾けるだけで鬼火をやり過ごした。

  角笛(つのぶえ)の岬の墓地で遭遇したのと同じ術だろう。

 違うのは、その早さだった。

 いくつもの赤い鬼火が、意思を持つかのようにリュードの周囲を舞い、隙あらばリュードに食らいつこうかという動きを見せる。

「じゃあ、こいつがお相手しよう」

 リュードは、懐から手を出した。その手には、折りたたまれた一枚の紙があった。

 リュードは、その紙をいくつかにちぎる。

 そのちぎった紙片を、リュードが空中に放り投げた。

 リュードの手の中から待った紙片が空中で燃え上がり、青白い火球が踊る。鬼火の仕掛けは、リュードが使う方術にもある。

「さすがに、何度も同じ手が使えるとは思えんがね」

 リュードの周囲で、赤黒く燃える鬼火が舞った。

「おっ!」

 鬼火が不意に軌道を変え、リュードに襲いかかる。

 リュードの操る青白い鬼火が、赤い鬼火に絡みついた。

 衝突した二つの鬼火から、閃光が走った。

 リュードを狙った鬼火が、火花を散らして消失した。

「さて、次はどんな奥の手を隠してるんだか、見せてもらおうじゃないか」

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