ACT23 空中を歩く亡霊
陽が沈み、周囲が暗闇に包まれた。
監獄跡地の広大な敷地の一角に、サキとリュードは身を潜めていた。
サキとリュードが監獄跡地に接近することを頑なに拒み、刺客まで雇った以上、マテオ・エクトールの秘密がここにあるはずだった。
処刑場も兼ねていた監獄は、背の高い塀が四周をぐるりと取り囲んだ広い施設だった。今でこそ、監獄として使われていない廃墟だが、かつては重罪人を処刑するまで収容していた場所だった。
逃亡を警戒する背の高い尖塔の物見台からは、監獄跡地の敷地内全域が見下ろせる。
監獄の敷地内の処刑場だった広場は、長らく無人となり手入れもされていないせいか、割れた石畳の隙間から芽を出した雑草が生い茂っている。
月が、雲間から覗いた。
不意にリュードが、傍らのサキの袖を引いて注意を促した。
「姫さん、来たぞ」
サキが、夜空を見上げた。
猫族のような目を細め、雲間から浮かび上がった影を見つめる。
「やっぱり……」
夜空を背景に、人の姿が浮かび上がった。
夜空に浮かぶ長衣をまとった姿は、間違いなく数日前にサキが目撃した亡霊だった。亡霊が空を滑るように、そのおぼろげな人影が雑木林の上を越えて、静かに接近してくる。
サキが頭上を見上げると、尖塔の物見台に人影が舞い降りてくるのが視界に映った。
「まだ来るぞ……」
リュードの言葉に、サキは再び夜空を見上げた。少し間隔を置いて、次の人影が夜空を滑るように姿を現した。
その数は、十人を超える。二十人近くの人影が、空を舞い監獄跡地の尖塔の物見台へと姿を消した。
「あいつら……」
サキは、怒りを押し殺した声を出した。
これは、断じて亡霊などではない。
空を舞って姿を現したのは、明らかに生身の人間だった。サキは、亡霊に驚かされたことが馬鹿馬鹿しくなるのと同時に、激しい怒りが湧いてくる。
「姫さん、まだ俺達が動く時じゃない……奴等が尖塔から降りてくるまで待つんだ」
サキとリュードの分担は、” 海賊島” への侵入だった。
監獄跡地の敷地のどこかに潜んでいるはずの、講武堂の若者達がサキは心配だった。時間さえ許されれば、サキが飛び出して騒動に決着を付けたい。
(信じるしか……)
だが、サキとリュードには残された時間が少ない。
『全てを一人でやっちゃおうとするのがサキの悪いところよ。
人様を信じて任せるのも必要だわ』
母親マオの言葉が脳裏に響いた。
(頼むわよ……ジェム・ベリア・キーラ・レビン)
◆
空中から舞い降りてきた人影が、音もなく物見の塔の螺旋階段を降りてきた。物見の塔へとつながる階段の扉に、内側から閂を掛かっていた理由がわかる。人影は、空から監獄の物見の塔から王都へと出入りしていたのだった。
朽ち果てた監獄の建物の玄関扉を開け姿を見せた男達が、城壁のような背の高い石塀にある正門へと、ひっそりと動き出す。
いつの間にか、夜霧が流れてきた。運河にほど近いこのあたりは、この季節には夜半から明け方まで乳白色の夜霧で覆われる。姿を見せずに夜盗が跳梁するには、うってつけの場所だった。
正門を抜ければ、墓地のある雑木林を通り、王都の中にたどり着くのに半刻もあれば充分だった。
今回の仕事は、これで終わりだった。
最後の杭を打ち込み、このまま王都から姿をくらましてマーレ王国へと帰還すれば済む。無理難題を押しつける不愉快な雇い主と決別できることへの安堵が、彼らにとってわずかばかりの油断となった。
本来であれば、すぐにでも気が付かなければならなかった。
周囲に、常とは異なる気配があった。
「?」
異変を察知したのか、人影の一つが突然動きを止めた。背丈ほどの杭を背負った男だった。
手を振って、仲間に合図する。
石化したように、全ての人影が突然動きを止めた。月が再び雲間に隠れ、霧が濃くなった周囲は再び暗闇に包まれる。暗い長衣をまとった人影も暗闇に溶け込み、その輪郭が判然としなくなる。
刹那、暗闇に火花が散った。
「!」
突然、暗闇の中に火線が走り、それと同時に刑場の各所にまばゆいが灯った。
事前に準備された松明だった。天狼が作った導火線でつながった松明が、一斉に点火された。
「しまった!」
一瞬で点火された篝火が、周囲を煌々と照らし出す。
石化して周囲に溶け込んでいた人影が、灯りに浮かび上がった。
待ち伏せだった。
「ちっ!」
微かな舌打ちと共に、男達が一斉に動いた。
一斉に、四方八方に跳躍して明るい場所から暗がりに逃げ込もうとする。
「掛かれ!」
突如、松明の方から大声が響き渡った。
刑場の雑木林の木々や岩塊に擬態していた男達が、大声を上げて一斉に動いた。
待ち伏せを掛けていたのは、ベリア達講武堂の若者だった。
事前の打ち合わせ通り、隊伍を組んで集団で男達に飛び掛かる。出没する場所がわかってさえいれば、包囲網を敷くのもたやすい。
あちこちで、戦闘が始まった。
骨を砕き、肉を打つ鈍い物音が響いた。
数人が、棍棒で打ち倒される。
だが、”蛍火”の連中も、体術では負けていない。虚を突かれた驚愕からすぐに立ち直り、素早く反撃に出る。
猿を思わせるような軽い身のこなしで跳躍したり、千鳥に走って逃げ回る。
松明で照らされたところは真昼のように明るい。だが、光があれば影が生じる。影の暗闇を巧みに利用して、包囲の裏をかく。
監獄の正門に向けて、”蛍火”の一団が走る。
門を突破されたら、その先には深い雑木林が拡がっている。夜間に雑木林に潜まれたら、捕まえることは不可能に近い。
「ちぃ! 突破されるぞ!」
左右に分かれたキーラとレビンが、無言の合図で動いた。石畳の上に置いていた竿を持ち上げる。
駆けてきた男が、脚をすくわれて転倒する。だが、素早く受け身を採って転がった男が、素早く起き上がり再び走る。
その時、”蛍火”の頭上から何かが降ってきた。
漁師の投網だった。
頭から被せられた投網に、”蛍火”の連携していた動きに混乱が生じた。
「兄さん達、こっちだ!」
ジェム達の小隊に、誰かが物陰から声を掛けた。
「誰だ? なんだ、ディンゴか」
ディンゴも、講武堂の若者に混じって戦っていた。格闘の戦力に数えるにはディンゴの力量はほど遠いが、ディンゴが投げた投網は正確に男達の動きを封じている。
「よし、俺達も手伝おう!」
ディンゴの傍らに積まれた投網を、ジェムが持ち上げた。
「キーラ、レビン! 竿で奴等を打ち据え! 逃げ足を止めろ!」
戦闘は、監獄の全域に渡っていた。
いくら講武堂の若者が百人以上居るとはいえ、広い敷地に散らばった”蛍火”を包囲するには人手が足りない。監獄から外へと通じる門を固める若者達も、徐々に包囲を破られそうになっている。
突然、太鼓の音が周囲に轟いた。
同時に、監獄の正門の扉が外部から轟音と共に打ち開けられた。
騎馬の男達が、次々に突入してくる。
「ありゃ、何だ?」
ディンゴが声を上げた。絶望が頭をよぎる。
「まだいるのか?」
「いや、援軍だ」
ベリアの顔が輝いた。
腹に響く太鼓の音に反射的に反応している。彼ら講武堂の若者達が散々訓練した陣形変化の合図だった。
「あの盾と甲冑の紋章は、王家の騎士団だ」
王家の騎士団を手配したのは、師範のカイ・ボルトか次男のジン・ボルトだろう。王家を動かすには、時間が掛かる。王城を護るべき騎士団を割いて、こちらに回すのがぎりぎり間に合ったようだった。
「俺達だって、役に立てるんだ!」
「よーし、一気に行くぞ!」
ベリア達が、残った”蛍火”の一群に向けて、飛び掛かった。
◆
「さて、こっちも急ごう……霧が濃くなってきた」
リュードの囁きに、サキは小さくうなずいた。
強ばった身体を伸ばすリュードの姿を見て、サキは眉をひそめた。いつもと同じ、辻占いをする方術士の出で立ちだが、珍しいことにリュードの背には一振りの剣が背負われている。
黒と白の装飾の剣だった。
黒い鞘に骸骨をかたどった白石が埋め込まれている。
それは”骨喰”と呼ばれる魔剣だった。『魔物以外に剣は不要』とうそぶくリュードが剣を持ち出してきたと言うことは、敵はサキの大嫌いな魔物だということになる。
乱闘に背を向けて、サキとリュードは監獄の尖塔の螺旋階段を上っていた。
空中に浮かんで移動していた人影の謎は、あっさりと解けた。
”海賊島”と監獄は雑木林にさえぎられているだけで、それほどの距離があるわけではない。
それは、空中に張られた伝令索だった。
尖塔の最上層の物見台に、監獄跡地から” 海賊島” へと至る伝令索が張られていた。
「こういう仕掛けになってたのね」
サキは、滑車を利用した仕掛けを拾い上げて顔をしかめた。
滑車を伝令索に掛け、その下にある金属の鐙状の台を手で支える。
老虎でのリュードが占った神託を、サキは不意に思い出した。
『睫毛のように目の前にあるのに見えぬのが真実なり、闇雲に猪突猛進して突っ走るは凶、冷静に耳目を澄ませば吉』
確かに、ずっと目の前に存在していたのに、全く気が付かなかった。
洗濯用の紐など、街の至る所に張られている。当たり前すぎて、その存在と空を舞う亡霊がつながらなかったことに、サキは遅ればせながら気が付いた。
この伝令索のようにしっかりと張られた強靱な綱ならば、数人の体重を支えるのは容易だった。
「” 海賊島” 行きの伝令索は、こっちか」
物見台の高さの違う位置に、二本の伝令索が張られている。やや高い位置に張られた伝令索は、” 海賊島” に向けてなだらかな下降を見せて張られている。
「こいつは高低差を利用してる……だから、ぶら下がるだけで勝手に” 海賊島” にたどり着ける仕掛けなんだ。
連中が降りてきた方の伝令索は” 海賊島” の方が少し高い位置から張られてるから、” 海賊島” 側から滑車にぶら下がれば、ここまで滑り落ちてくるって仕掛けだな」
サキの片足が、滑車から下げられた鐙状の踏み台に掛かった。両手で滑車と鐙を支える金具に両手を掛ける。
「行くわよ!」
サキは、反対側の足で見張り台の床を蹴った。
強く張られた太さ一寸ばかりの伝令索は、サキの体重ではほとんどたわまない。
サキの身体が、空中に踊り出た。
軽やかな振動で滑車が回り、サキの身体が雑木林を越え運河の上空に達した。
風がサキの頬を撫でる。
かなりの速度だった。暗闇の中、夜目の利くサキの視界の中に、夜霧を通して” 海賊島” の物見台が迫ってきた。
サキの片足が、物見台の床に触れた。
革の履き物の底が、床板で摩擦の音を立てた。
「うわっとぉ!」
見張り台に足を強く着いて、滑車の行き足を止める。
足で速度を緩め、サキが物見台に着地した。
すぐに、背後からサキを追っていたリュードが、伝令索を滑り降りてきた。髪の毛ほど細い銅線を束ねて撚った伝令索はかなり重い。伝令索を垂れ下がらないように強く張るには、それなりの技術が要る。
複数の滑車と石の重りを利用して、伝令索がたるまないように張っている仕掛けをリュードが興味深そうに眺めた。
「こいつを造ったのは、間違いなく天狼の工匠だな……この伝令索の張り方は、かなりの技術だぞ」
「わかってたんだったら、早く教えて頂戴!」
「まさか、こんな使い方をするとは思ってなかったな……山岳地帯で、篭に人を乗せて綱で崖の反対側に渡すってのはあるんだが、滑車にぶら下がって滑り降りるってのは初めて見たなぁ」
「妙なことに感心してないで、早く行くわよ!」
伝令索を伝って運河の上空を渡り終えたところは、”海賊島”の砦に建てられた尖塔だった。
”海賊島”の表玄関は、運河下流に面した浮き桟橋の波止場だった。サキとリュードが上陸した上流側は船が接岸できる桟橋がない。
まさか、空に裏玄関があるとは誰も気が付かない。
サキは、物見の塔から夜空に浮き上がる漆黒の”海賊島”を見下ろした。呼吸を殺し周囲の気配を探るが、人が潜んでいる気配は感じられない。だが、サキの感覚を逆なでするような不快な瘴気が感じられる。霊力が皆無のサキにさえわかるほど強い不気味な波動だった。
「さて、全員出払っているか、留守番がいるか……全員が出払っていてくれりゃありがたいが、そう簡単にはいかんかな」
リュードが小声で呟き、尖塔の螺旋階段をそっと降りる。
◆
暗闇の中、燭台がマテオ・エクトールを取り囲んでいる。
急造の祭壇に跪き、祈りを捧げるマテオ・エクトールの前には怪しい振動を発する一枚の皿があった。
瞑想状態にあるマテオ・エクトールの意識の片隅で、微かな異常を感知した。
(むむっ……まずいな)
祭壇に跪き、祈りを捧げるマテオ・エクトールの意識が反応した。だが、マテオ・エクトールの口から流れる呪文の詠唱は止まらない。
(侵入者……やはり、あの二人か)
侵入者の気配が、かなり近くに感じられる。
だが、呪術の最中では、マテオ・エクトールの肉体は動けない。
王都レグノリアの霊的防御に穴を開ける九宮飛星の呪術を使う時の、唯一の弱点がマテオの肉体だった。
物理的に無防備な状態では、マテオ・エクトールは子供にでも簡単に倒されてしまう。
(呼び出した妖魔に任せるか)
わずかだが、結界に穴が開き始めている。最後の一本の杭が打ち込まれてしまえば王都内に妖魔が一気に飛び出せる。だが、まだ九宮飛星の魔法陣は完成し切っていない。
マテオ・エクトールが召還した妖魔は、” 海賊島” の礼拝堂周辺にとどまっている。
マテオ・エクトールは、王都に散らすために結界の小さな穴から呼び出した妖魔を、侵入者に振り向ける道を選択した。
《我が忠実な妖魔達よ……この礼拝堂を護れ!
どんな手段を使ってでも、侵入者を屠れ!》
マテオ・エクトールが、結界の穴から姿を現しかけている妖しい気配に対して命令を発した。
再び、マテオ・エクトールの意識が九宮飛星陣を使った呪術に振り向けられた。
◆
周囲に、何かの気配があった。
霊力が皆無に等しいサキにでも、その妖しい気配の存在はわかる。
「”骨喰”を使わないで済むことを祈ってるよ」
「なんで?」
「”骨喰”を下手に抜くと、血を吸うまで大人しくならない……魔物を斬ると、しばらくは大人しくなるんだけどな」
ぞっとするようなことを、リュードが平然と呟いた。
尖塔の狭い螺旋階段を降りると、いきなり視界が開けた。
城壁並みの石垣の中には、木組みにレンガを積んだ兵舎が雑然と並んでいる。先程の監獄跡地と似た構造をしている。恐らくは、監獄と” 海賊島” の砦は表裏一体として建てられている。
「本来、ここは砦として使うために用意されてるからな……奴等は、ここに潜んでいたのか」
リュードが、小声でサキに囁いた。
「いくら護民官が王都の全域を探索しても、発見できないはずだわ……まさか、王家の管理しているはずの区域に潜んでいたなんてね」
確かに、石組みの竈には新しい灰の跡が残り、人がごく最近住み暮らしていた痕跡があちこちに残っている。マーレの”蛍火”は、昼間ここに隠れ潜み、深夜に王都で夜盗を繰り返していたのだろう。
「全員出払っているとは思えないわ……昼間、あたし達を襲撃してきた連中の生き残りだっているはずよ」
だが、依然として人の姿を見掛けない。
星明かりの中、その兵舎の集落の中央にある通りをサキとリュードが注意深く歩く。
高い城壁で囲まれていても、その内部はちょっとした村を思わせる規模がある。
無人の空間に漂う妖気に、サキは総毛立った。
「ううっ、こういう雰囲気って嫌だわ」
サキが、小声でリュードにささやいた。
サキ一人だと、こういう気配には弱い。
リュードが隣にいるだけましだった。一人だったら、とても耐えられる気配ではない。
「まぁ、悪さしなけりゃ別に放っておいてもいいんだけどな」
「また、そういうことを……」
サキは、リュードのとぼけた答えに眉根を寄せた。お化け嫌いのサキと違いリュードは、亡霊だろうが妖魔だろうが隣にいても気にしない性格だった。
「だが、人様に迷惑を掛けている以上、放っておけんからなぁ」
懐から、一枚の護符を出し傍らの石壁に貼り付ける。
「何よ、それ?」
リュードが歩くたびにあちこちに護符を貼り付けていることに、サキは気が付いた。
「ああ、これか?」
リュードが、一枚の護符を今度は足下の石畳に貼り付けた。
「こいつは、厄除けのおまじないさ……ちょいとは、姫さんの気休めにゃなるだろ」
リュードが、暗闇の一角を見据えて呟いた。
不意に、周囲に冷たい風が吹いた。
「おっ? 何かが来るぞ」
リュードの声に反応するまでもない。
暗闇の奥から、鈍いサキでさえわかるほど妖しい気配が漂っている。
サキが全身で気配を探る。
人とは思えない妖しい気配が、遠巻きにサキとリュードを取り囲んでいる。人の気配と言うよりは、森の中の獣の気配に近い。
(どう、仕掛けてくる?)
だが、その妖しい気配はサキとリュードの近くにいるだけで、何も仕掛けてこない。姿も見せないし、何か仕掛けてくるでもなく、ただサキとリュードをひっそりと取り囲んでいるだけだった。
「監視されてるみたいだわ」
気配を探りながら、サキが小声でささやいた。




