ACT22 敵の正体
「なるほどねぇ」
サキの話を聞き終え、シェルフィンの表情が険しい。腕組みをしたまま、老虎の壁に背中をもたせかけているように立っている。
サキは、シェルフィンの静かな怒りに寒気を覚えた。こういう時のシェルフィンは、天狼の総帥としての容赦ない厳しさを見せる。
「お姫様とリュードを襲うってのは、明らかに天狼に対する挑戦だわねぇ」
人によって、その怒り方は違う。サキの怒りが炎なら、シェルフィンの怒りには、氷のような冷たさがある。
「あの辺りは、王家の直轄地だったわねぇ……そこに、何かが潜んでいる……それを、お姫様があぶり出しちゃったのかもね」
「ねぇ、シェル姐さん? この、マテオ・エクトールって魔道士を知ってるの?」
「マテオ・エクトール……二十数年前に王家のお家騒動に加担してたらしいけど、その悪行が露見して、王家の異端審問会に追い詰められて、捕まる直前に自死したはずだけど」
シェルフィンの表情が陰った。
「まぁ、王家の中の権力闘争だったので、天狼は直接関わらなかったんだけどねぇ」
「このマテオ・エクトールって魔道士は本物の魔力を持っていたの?」
サキの問いに、シェルフィンが小さくうなずいた。
「数少ない正当な魔道よ……北方のドライゼって魔道士の弟子だったはず……だけど、いつからか闇落ちしてその能力を己の欲望のために使ったって聞いてるわ」
霊力が皆無なサキには、マテオ・エクトールの術が理解できない。だが、墓場での憎悪に満ちた強烈な思念の声は、脳裏に焼き付いている。
「かなりの実力だったのは確かね……絵画、冶金、陶芸、建築、音曲、詩歌、何でも一流って多芸で有名だったわ」
リュードが、懐から手拭いに包んだ皿を取り出した。
注意深く、机上に皿を置いた。
真っ二つに割れているが、その皿に描かれた文様ははっきりと判別できる。
マテオ・エクトールの墓の中にあった割れた皿の文様と、スーが描いた先天祭の慈善競売会の目録の絵、つまりゼメキスが秘宝としている皿に描かれた文様と奇妙なまでに一致していた。
「おそらく、この皿もマテオ・エクトールが自ら焼いた物でしょうね。
マテオ・エクトールは、魔法陣を使った呪術はかなりの域に達していたって伝え聞くから……この魔法陣が描かれた皿を使って、何かをしでかそうとしているって考えた方が自然だわね」
シェルフィンが、考え深げな表情を浮かべた。
その端正な顔には、いつになく厳しい色が浮かんでいる。酒楼老虎の主人としてではなく、天狼の総帥としての顔だった。
「マテオ・エクトールが生きていて、二十年も前の事件の続きを目論んでいるのなら……この騒動には王家も関わってくるわね……王家の管理下にある監獄跡地で騒ぎを起こしたんだから、この一件に陰から糸を引いている奴が王族にいるわね」
シェルフィンが、リュードの方に視線を移した。
「リュード、あんたはどう見る?
シェルフィンの言葉に対し、リュードがうなり声を上げ自分の黒髪を引っかき回した。
「場所が悪いんだよなぁ」
「場所?」
「うん……マテオ・エクトールの奴、最初から意図的にここを狙って何かを仕掛けてきたような気がする。
あそこの辺りは、レオナ姫が敷いた結界の一番外周だからな」
リュードには、霊力が皆無なサキとは違うものが今回の事件の中に見えているのかも知れなかった。
「五路広場みたいな?」
サキは、ついこの間の”暗闇の聖者”が蘇ってきた騒動を思い出した。
「そうねぇ」
シェルフィンが微かに小首を傾げて思案顔になった。なんとサキに説明すれば良いのかを考えているような表情だった。
「”暗闇の聖者”は陰陽のうち陰の力……あの世の力を使おうとして身を滅ぼしたんだけどね。
監獄あたりは、ちょうど王都の西外れ、海に面した場所だから……海側からの霊的攻撃を防御するために 角笛の岬に神将像を置いたって、うちら天狼の間では言い伝えられてるわね」
その時、老虎の扉が外から叩かれた。
シェルフィンが返事をするより早く、扉が開いた。
「サキ姫はいるかい?」
ボルト師範の姿が、戸口に現れた。
武衛府から黒龍小路小路まで一気に駆けてきたのか、鍛え抜かれたボルト師範も軽く息を切らしている。
シェルフィンへの挨拶もそこそこに、ボルト師範が懐から書状を取り出した。
「ジェティからの急ぎの書状だ」
「デュラン候から?」
サキは、ボルトからデュラン候の書状を受け取った。
蜜蝋の封印を改めると、確かに護民官長のデュラン候の家紋が押捺されている。
「護民官に調査を頼んでおいた報告だわ」
書状を開いたサキが、デュラン候からの書状を改めた。サキが、調査を依頼したのは夜盗に襲われた全ての商家の敷地内で、何か石畳を掘り返して何かを埋めた痕跡の有無だった。
「全部、石畳に剥がされて埋め戻した痕跡があったわ。
しかも、同じような青銅の杭が大地深くに突き刺さって、抜こうにもしっかり刺さってて簡単には抜けないって」
「ふーん、やっぱりな……」
リュードが考え深げな表情を見せた。
「リュード、これはどうするんだい? そんな代物は素人でも簡単に抜けるのかい?」
シェルフィンの問いに、リュードが小さく首を横に振った。
「螺旋の溝を切った杭を、岩盤にねじ込んであったからな……そんなに簡単には抜けやしないし、抜くとややこしい騒ぎになりそうだな」
「ややこしい騒ぎって?」
「どんな呪術を使ったのかわからないが、その呪術はもう発動している危険があるからな……下手に杭を抜いたら、どんな騒ぎが起きるか読めない……」
不意に言葉を切ったリュードが、何かを思い付いたような表情を浮かべた。首を巡らしてシェルフィンの方を向いた。
「シェル姐さん、王都の地図貸してもらえないか? 方角と距離が精密な方だ」
「用意してあるよ」
シェルフィンも、リュードの意図を予想していたのか即座に答えが返ってきた。
シェルフィンが、王都の絵地図を差し出した。
リュードが、机上に地図を拡げる。
「外れて欲しいんだが……こういう時の悪い予感に限って、よく当たるんだよなぁ」
王都の街並みを設計したのは、高度な土木技術を持つ天狼の工匠達だった。
天狼が作成した絵地図は、極めて精密なものだった。
距離、方位が正確な縮尺で描かれている。王家にも、これだけ精密な王都の地図は存在していない。
リュードが、銅貨を絵地図の上に置き始めた。
「一軒目は……ここか」
夜盗が襲撃した商家のあたりに、銅貨が置かれてゆく。
銅貨が置かれる場所、置かれた順番を見てもサキには意味がわからない。
「こいつは……」
絵地図を眺めるリュードの眼光が鋭くなった。
サキには、意味をなさないような地図と銅貨の位置関係だが、リュードには何かが見えているらしい。
「九宮飛星陣の順番通りに、杭を打ち込んでったか……悪い予感に限って、当たりやがる」
「あたしにもわかるように、噛み砕いて説明してよ!」
「こうすりゃ、姫さんもわかるかな」
サキの文句に直接答えず、リュードがいくつかの銅貨を銀貨に置き換えた。
「あっ!」
サキは、小さく息を飲んだ。銅貨が方形に並び、角度を変えて銀貨が別の方形に並んでいる。銀貨の方形はまだ一カ所が欠けている。
「こいつが最後の場所か……」
リュードが、銀貨が形作りかけている方形の残された一点を示した。
「幸い、この魔法陣はあと一本の杭がまだ打ち込まれていない……恐らくは、ここの辺りに杭を打ち込む予定のはずだ」
リュードが、地図の一角を指し示した。銀貨を置くと、その魔法陣の方形が絵地図の上に完成した。
港湾地区にほど近い倉庫の並ぶ一角だった。マテオ・エクトールが残した偽物の”傾国の水盤”の文様通りに杭を打ち込んで魔法陣を構築しているのであれば、最後の一本がどこに打ち込まれるのか予想することはたやすい。
「こいつが完成したら、もう手に負えない……そして、今夜”蛍火”が打ち込む予定だろうな……だから、今日明日だけでも邪魔されないように俺達を足止めしようとしたんだろう」
サキは、地図上に銅貨と銀貨で描かれた魔法陣を見つめた。
リュードが、銅貨と銀貨が置かれた順番に指を動かした。
「九宮飛星の魔法陣なら……ここに、マテオ・エクトールが潜んでいるはずだ」
魔法陣の中心点に、リュードが懐から出した金貨を置いた。
「!」
サキは、金貨を置かれた絵地図の場所を見て、息を呑んだ。
そこは、” 海賊島” だった。
そして……絵地図に置かれた九枚の硬貨は、割れた皿の文様と同じ文様を描いていた。
「九宮飛星陣か……こいつは、強力な呪術だぞ」
リュードが、奇妙な言葉を呟いた。
「九宮飛星陣って?」
「グルジェフが使った八陣図も厄介だが、九宮飛星陣は結界を破る大穴を開けるための魔法陣だ……異界と現世をつなぐ門を開くって言われている」
「でも、九宮飛星陣って、相当な呪力がなけりゃ発動できないって聞いてるけど」
シェルフィンが小首を傾げた。
この場にいる中で、リュードの語る言葉の意味が理解できるのは、シェルフィンだけだった。
「うん……マテオ・エクトールだって無理だ……こいつを発動させるだけならともかく、魔法陣を駆動させる熱量をどこから持ち出してきてるんだか……」
うなり声を上げたリュードが、懐を探り銅貨をつかみ出した。
「しゃあない……占ってみるか」
机上で回転していた六枚の銅貨が音を立てて倒れた。
静寂が老虎の店内を支配していた。
「……」
誰もが無言だった。
それに加え、占った本人のリュードが何も言わない。
それぞれがバラバラに表裏を見せて机上に並ぶ六枚の銅貨を、静かに眺めていた。
「リュード?」
沈黙に耐えかねたサキが声を掛けるまで、リュードは身動きひとつしなかった。
「まずいな……」
やっと呟いた言葉が、何やら不穏な予感を漂わせている。
「皿の果物に蟲が湧く……放置すると、内部から大いなる騒動が待ち受ける、か」
リュードが、顔をしかめた。
「何言ってるか、全然わかんないわよ!」
サキの抗議を無視して、リュードが割れた皿を眺めた。
「マテオ・エクトール……ゼメキスの欲を利用したか……」
「欲を利用?」
リュードが、小さくうなずいた。
「人の思う力って、存外強いものでな……特に、欲望ってのは人が前に進む原動力になるだけに、ゼメキスの欲が九宮飛星陣を駆動しているとしたら厄介だぞ。
強欲のゼメキスのことだからなぁ……皿に向けて、もっと金運に恵まれますようにって祈ってるうちに、その思いが増幅されちまったんじゃないか?」
「じゃあ、ゼメキスさんがその皿を入手したのは……いえ、マテオ・エクトールの意図通りに入手させられた?」
「そうなるかな」
「放っておくと、どうなるの?」
「ゼメキスの欲望の力を全て吸収すれば、王都の結界を破ることは可能だろう……だけど、その引き換えにゼメキスの欲望が尽きるまで、皿の魔法陣に絞り尽くされる」
「えっ……じゃあ、ゼメキスさんは?」
「まぁ、生気を絞り取られて干からびて死ぬな……それと当時に、王都に妖魔が跳梁する」
恐ろしいことを、リュードが口にした。
やっと、全貌がサキにも見えてきた。
襲われた商家の位置が、謎を解く鍵だった。金品を奪ったのは真の目的を隠す偽装に過ぎない。マテオ・エクトールの真の目的は、夜盗の襲撃に見せかけて、街に呪封陣を描くことだった。
青銅の杭は、レオナ姫が設計した霊的防御に穴を開けるためのものだった。
これは、明らかにヴァンダール王家に対する挑戦だった。
「だとすると……」
「こいつが発動すると、異界から変な妖魔がレグノリアに侵入しちまうんだ……いくら、霊的防御を固めたレグノリアとはいえ、防御の魔法陣の中に穴を開けられたら防御が意味をなさなくなる」
「じゃあ……そのまま、放置したら?」
「” 海賊島” が異形のモノに占拠されるな」
あっさりと言い切った後で、リュードが小さく首を振った。
「……いや、もう” 海賊島” までは出てきちまってるか……問題は、そこから王都に乗り出してくると厄介だ。
出てくる魔物は、どっちかっていうと人にとって都合の悪い妖魔ばかりだろうからなぁ」
机上の銅貨を眺めながら、リュードが呟いた。
「あんまりうれしくない神託だぜ」
「それって……ちょっと! 魔物が王都に侵入してくるってことじゃない!」
重大なことに思い至り、サキの顔色が変わった。
「ゼメキスさんどころか、街が危ないわ!」
早く皿を何とかしないと、とんでもない騒ぎが待っている。
「でも、どうすれば……杭は抜けないんでしょ?
魔法陣が完成する前に、手を打てるの?」
不安げな、サキの言葉にリュードが小さくうなずいた。
「呪術を仕掛けてる奴を直接止めるか、ゼメキスが持ってる皿を叩き割るしかないなぁ」
リュードがつぶやいた。
「今の今まで、天狼は関わらないつもりだったけど、レグノリアの霊的防御を破られる危険が出てきたなら話は別だねぇ……杭を抜くのは、約定に従って、うちら天狼がやるよ」
シェルフィンが、宣言した。ヴァンダール王家と天狼の約定を発動するという事態の重さに、サキは一瞬姿勢を正した。
「でも、シェル姐さん? 杭を抜くって……そんなに簡単に、できるの?」
サキの言葉に、シェルフィンが小さく首を横へ振った。
「呪術が発動しちゃってるみたいだから、素人には危なくて杭は触れないわねぇ……でも、杭がねじ込まれている岩盤を打ち砕くことは出来るわ」
「しゃあねぇな……」
リュードが、あきらめたように立ち上がった。
「結界の張り直しなんて、久し振りだ……あんまり自信がないが、まぁ放っておけんし」
首に二重に巻いた宝珠を摘まみあげ、リュードが小さく嘆息した。
リュードの格好で一番目立つのは、首からぶら下げた方術士の宝珠と腰に下げた護符らしき装飾品だった。それが無ければ、街の若者と大して変わらない。
サキには、その宝珠の価値はわからない。
赤や青、緑、黄色、透明の大小様々な宝玉に穴が開けられ、細い糸でつなげられている。とぼけたリュードのことだから、その辺の安物の宝玉をぶら下げてるだけとか言い出しかねない。
「放置すりゃ厄介……手を出すのも厄介……さて、どーしたもんかね」
「……」
適当な言葉が見つからず、サキは沈黙した。
「問題は、もうひとつある……夜盗の連中だ」
今まで、黙ってサキとリュードのやりとりを聞いていたボルト師範が、口を挟んだ。
「夜盗……いや、”蛍火”の連中が動くとしたら、今夜なんだろ?
最後の一つの杭が打ち込まれたら、もう俺達にも手に負えないぞ。
だから、今夜”蛍火”の連中を捕まえなきゃならん……だが、護民官を総動員しても、人が足りなくなる。霊障が起きるのであれば、神殿警護官も、神殿の護りを固めなきゃならないだろうし、王家の騎士団も王城を護らなきゃならない」
こういう攻撃に対して、護らなければならない場所が多すぎる。どう考えても、人手不足だった。
サキ一人では、同時に複数の場所を制圧することは出来ない。
だが、王家の騎士団というリュードの言葉で、サキの脳裏で何かが閃光を発した。
「!」
突然、サキの脳裏にベリア達講武堂の若者達の姿が思い起こされた。
「そうだ! ボルト師範、講武堂の若い子達を貸して!」
サキが思った時には、言葉が出ていた。
「講武堂の連中? 悪ガキどもは、さっき倒した連中の生き残りを牢屋に放り込んでる最中だが……」
「”蛍火”を制圧するのに講武堂の若い子達を投入すれば、押さえ込めるかもしれないわ」
最後の杭を打ち込もうとしている”蛍火”を食い止めるには、人手が足りない。講武堂の王侯貴族の子弟達は百人以上いるはずだった。彼らが使えれば、町の治安維持の助けになる。
「連中はひょっこだ……殺しは無理だぞ」
「殺させちゃ困るわ! 不殺で封じ込めたいの!」
「策を聞こうか」
ボルトが興味を示した。
サキは、自分の見立てを手短に説明した。
どうやら、”蛍火”が隠れているのは、海賊島だろう。夜中にどうやってか”海賊島”を抜けだし、監獄跡地のある 角笛の岬の一角に上陸後に王都の商家を襲撃すること。
そして、”蛍火”を操り、夜盗の真似事と一緒に九宮飛星陣を構築した何者かが裏に存在していること。おそらく、それがマテオ・エクトールなのだろう。
「わかった……国王陛下に進言しよう。
ついでに、神官長と護民官長にも今夜が山場だということを伝えて、総動員を頼んでおく」
「お願いします……本当なら、王家の騎士団を借り受けたいけど、王城を護ってもらわないとならないでしょ? だから、ベリア達に頼むしか思い付かないわ」
「サキ姫は?」
「あたしは、”海賊島”に乗り込んで、災厄の源を断ち切るわ」
サキが、断言した。
「また、剛胆な真似をするなぁ」
「他に方法が思い付かないもの……」
両親の依頼、とはさすがに言えない。
「急いで、神殿警護官と護民官に動員をお願いしなきゃ!」
サキは、神殿警護官長の叔父カロンと、護民官長のデュラン候に急ぎの書状をしたためた。文面は簡潔だった。『今夜、大規模な霊障が起こる危険あり、神殿並びに王都の護りを固めたし。霊障の震源は”海賊島”。”海賊島”の怪異は約定に従い天狼と始末を付ける』、この短い文面だけでカロンもデュラン候もわかるはずだった。サキは、二通の書状をボルト師範に託す。サキには、神殿に戻る余裕がなさそうだった。
書状を懐に入れたボルト師範が、小さくうなずいた。
「神殿と護民官と講武堂への連絡は任せておけ……”蛍火”捕縛の指揮はどうする?」
「本当は、あたしが率いたいけど……ジェムとベリアに任せようかと思うわ」
「あいつらを信じる?」
「ボルト師範が、あの悪ガキどもを信じて更正させようとしたんだから……あたしも、連中を信じるわ」
「わかった、そっちはまかせておけ」
ボルトが立ち上がった。傍らに置いてあった、サキの大刀に匹敵する長さの大剣を静かに背負う。




