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ACT20 出神の術

「!」

 サキの額に、ポツリと雨粒が落ちてきた。

 何かの前触れなのか、空気が急に冷たくなってきた。

 どこからか、遠雷が轟いた。

 途端に、雨脚が強くなってきた。

 急な驟雨に、雑木林の木々が雨粒を受ける音を立てる。

(まずいわね)

 闘いながら、サキは微かに眉根を寄せた。

 雨の中では、足元が滑りやすくなるし、大刀を持った手も滑らないようにしなければならない。

 突然の雷雨に、敵の攻撃も少し鈍くなった。先程と違い、軽々しく攻撃を仕掛けてこなくなった。

 サキの出方をうかがうように、少し距離を取って対峙している。

 だが、敵は前後からサキとリュードを挟撃している。

 背中合わせに立ったリュードの側は、魔道の攻撃にさらされている。

 時折、背後で火花が散ったのが視界の隅に映る。

《今度は、こちらから行くぞ!》

 思念の声が、サキの脳裏に響いた。

 リュードが対峙している巡礼者の魔道の攻撃が始まった。

 雨の中でも消えぬ火球が、リュードとサキをめがけて襲いかかる。

 不意に周囲が真昼のように一瞬明るくなり、すぐに雷鳴が轟いた。

 火球が軌道を変え、リュードめがけて飛んできた。

「おっと、危ないなぁ」

 リュードが、再び呪符を空中に投げた。

 呪符が青白い火球と変じ、リュードに襲いかかってきた赤い火球と衝突した。激しい火花が散り、火球が消滅する。

 火球対火球の戦いになっている。

 リュードは、防御に徹していた。

 リュードだけであれば、恐らくリュードも反撃に転じていただろう。だが、背後にサキがいる。霊力が皆無なサキでは、魔道の攻撃には耐えられない。

《臆したか!》

 思念の声が、リュードを挑発する。

 だが、リュードは何かを待っているかのように反撃をしない。

 ただ、淡々と方術で火球の攻撃を防いでいる。火球が襲ってくるのに合わせて、リュードが全く同じように火球を生じさせて対抗させている。

 敵の狙いは、リュードとサキを引き離すことだった。

 リュードが火球をかわそうと動けば、無防備なサキの背中が火球に襲われる。

《これなら、防御できまい!》

 十数個もの火球が、空中に浮かび上がった。

「おっと……そいつは危ないなぁ」

 リュードが、ちょっと驚いたような声を出した。だが、その声の響きには状況を楽しんでいるような色がある。

「火遊びしてると、逆に大やけどを負うぜ」

《黙れ! 遊びは終わりだ!》

 リュードの軽口に、思念の声に怒りが込められた。

 火球が踊り、リュードを包み込むように飛翔した。

 金気を帯びた風が吹き、雨に濡れた髪の毛までが逆立った。

「しめた!」

 リュードの声が弾んだ。

 リュードの首に二重に巻いて掛けられた宝珠が、不意に閃光を放った。

《なにぃ?》

 リュードを焼き尽くそうと襲いかかってきた火球が、粉々に砕け散り、火の粉を散らして消失した。

 刹那、周囲が真っ白に輝き、はらわたを揺さぶるような落雷の轟音が響き渡る。

「えっ? 何?」

 サキは、自分の声もかき消されるような轟音に、思わず振り向いた。

 サキと背中合わせに立ったリュードの肩越しを通して、昼間のように明るくなった墓地の広場が垣間見えた。

 稲妻の刃によって、雑木林の立木の一本が大刀で断ち割られたかのように真っ二つに裂け、焦げ臭い匂いを発している。石畳が大きく砕かれ、落雷の中心地から周囲へと墓石が倒れている。

《馬鹿なっ!》

 思念に、動揺が走った。

 墓地の一角が、落雷の衝撃で激しく吹き飛ばされている。

 雑木林の十数本の木々が、大きくなぎ倒されているのを見れば、落雷の激しさがわかる。

《必ず戻ってくるぞ、また会おう!》

 暗闇の一角に、赤い閃光が走った。

 同時に、周囲が明るくなった。

 先ほどまで薄暮のように薄暗かった雑木林の中に、強い木漏れ日が差し込んできた。

 いつの間にか、雨がやんでいた。

 頭上を覆っていた厚い黒雲が、一瞬の間に消えている。

 同時に、サキの周囲でも異変が起きた。

「?」

 突然、波状攻撃していた敵の突撃が緩んだ。

 敵の攻撃に、明らかに動揺が見られる。

 サキを攻撃する連中の背後から、絶叫が響き渡った。

「!」

 敵の攻撃が緩んだ理由を、サキは瞬時に悟った。

 薄暗い中ではよく見えなかったが、サキに襲いかかってきた連中の背後で激しい剣戟の音と共に、男達の恐慌が巻き起こっている。

「ヴァンダール王国武衛府、剣術師範のカイ・ボルト参る!」

 大気を切り裂くような大声が響き渡るのと同時に、血煙を上げて一人の男が切り伏せられた。

「えっ? ボルト師範?」

「サキ姫! 無事か?」

 ボルトの攻撃は、峻烈を極めた。

 抜いた大剣を槍のように構えて、一気に突っ込む。

 突然の背後からの攻撃に、男達も弱かった。振り向く余裕を与えずに、ボルトが二人を突き倒した。

 雑木林を盾に側方に回ろうとした男達の腹に、木の幹の陰から、(ほうき)の柄が突き込まれた。呼吸が止まった男がうずくまるところに、(ほうき)の柄が頭上から降ってきた。(ほうき)の長柄の棒は、赤樫の頑丈なものだった。

 木とはいえ強く打たれれば、骨も簡単に砕ける。

「やった!」

「ジェム、左だ!」

 ベリアの鋭い警告の声に反応して、ジェムが(ほうき)を左へと振った。

 短剣が弾き飛ばされ、背後に逃げようとした男の脚をレビンの(ほうき)の柄が払った。

 戦いは、あっけなかった。

 十五人が戦闘不能になり、その場に倒れていた。

 サキを追い込んだ狭い道が、今度はボルト達の挟撃を受けた男達に災いした。

 いったん挟撃されると、逃げ場がない。

「ボルト師範、ありがとうございました。

 ベリア、ジェム、キーラ、レビン……助けてくれてありがとう」

 サキは、五人に頭を下げた。

「ディンゴって兄さんが、ずぶ濡れで泳いできて……姐さんの危機を教えてくれたんだ」

「そう……そう言えば、ディンゴは?」

「俺が、武衛府に走らせた……今、講武堂の悪ガキどもが駆けつけてくる頃だろう」

 サキは、感慨深げにベリア達を見た。

 かつて刃を交えた四人に、今度は助けられた。

「あっ、一人逃げる!」

 物陰に隠れていた一人の男が、わずかな隙を突いて駆け出した。

「ちっ、一人討ちもらしたか……」

 だが、港へと抜ける道も一本道だった。

 講武堂の若者達が、隊伍を組んで走ってきた。ボルト師範の次男のジン・ボルトが、先頭を走っている姿が見える。

「!」

 一瞬、ジン達と鉢合わせになった男の走りに乱れが生じた。だが逡巡したのも束の間、男は短剣を構えてジンに向けて突っ込んだ。

「逃がすか!」

 駆けながら、ジンの腰間の剣が鞘走り、発剣され刃が光った。

 逃げようとした男と、ジンが交錯した。

 一瞬で切り倒された男が血煙を上げて倒れるのが、遠くに見える。

 ディンゴが、駆け寄ってきた。

 運河に放り込まれた姿のままだった。

「姐さん、ご無事で……」

 サキの無事な姿を見て、ずぶ濡れのままのディンゴが、泣き笑いのような表情を浮かべた。

 サキが、微笑んだ。

「ディンゴ、あんたに助けられるとはね……本当に改心したってのを、信用してあげるわ」

 講武堂の若者達は、統率が取れていた。ボルト師範の次男のジン・ボルトの合図で、倒した連中を縛ったり負傷している連中の応急手当をしている。

「ジン! こいつらは、いったん武衛府に運べ! 尋問には、護民官も立ち会わせろ」


       ◆


「我が術が破られるとは……」

 喉の奥から絞り出された呟きには、無念の響きがあった。

 その頃、墓地から忽然と姿を消したマテオ・エクトールは、最初から別の場所にいた。

 巡礼者姿のまま、ずっと薄暗い屋内にあった。

 落雷の衝撃は、離れた場所から術を施していたマテオ・エクトールの身体奥にまで響いていた。もしも生身の姿であの場で闘っていれば、稲妻に打たれて死んでいる。

「あの方術士……邪魔だな」

 荒い息をついて、石造りの祭壇の前からマテオ・エクトールが立ち上がった。

 立ち上がる時に、一瞬ふらついた。

 体力をかなり消耗していた。

 傍らの水瓶から、水を飲む。

 一刻以上もの間、マテオ・エクトールは祭壇の前でひざまずき祈り続けていた。

 悪夢にうなされていたかのように、全身が脂汗で濡れている。

「これは、急がねば……」

 マテオ・エクトールは、祭壇に視線を移す。

 祭壇には、一枚の皿があった。アウラ・ゼメキスの宝物庫にある皿と寸分違わぬ文様の皿だった。

 傍らの木の椅子に、崩れるように座り込む。

 マテオ・エクトールは、疲れたように目を閉じた。

「全ては、今夜だ……」

 しばらく、呆然とその場にたたずんでいたマテオ・エクトールは、ゆっくりと立ち上がった。

 大きな扉を押し開き、ゆっくりと外へと出る。マテオ・エクトールが潜んでいたのは、無人の礼拝堂だった。

 礼拝堂から戸外に出ると、頭上には石組みの塔がそびえている。物見の塔の螺旋階段をゆっくりと登ると、物見の塔の見張り台へとつながっていた。

 見張り台から、外をそっと覗く。陽光を反射して、運河の水面が輝いている。

 運河の対岸へと顔を向けると、明るい陽光の中に緑色の雑木林が見える。マテオ・エクトールが隠れ潜んでいたのは、” 海賊島” の砦だった。

「出神の術を破られたのは、初めてだ」

 苦々しげに、マテオ・エクトールが呟いた。

 別の場所に居ながらにして、遠くの場所に姿を現す出神の術を使うには、かなりの魔力を必要とする。そう立て続けに何度も使える術ではない。希代の魔道士とまで呼ばれたマテオ・エクトールとは言え、自分の寿命を削りかねない禁忌に触れる術だった。

 マテオ・エクトールは、自らが焼いた皿に描かれた魔法陣を介して呪術を使う。だが、術を破られた今のマテオ・エクトールには、方術士への反撃の方法が残っていない。

「奴は、何者だ……」

 マテオ・エクトールの脳裏には、リュードの方術が鮮やかに残っている。

「鏡打ちを使ってくるとは……こしゃくな奴だ」

 マテオ・エクトールが火球の攻撃を行えば、方術士も同様の火球を使ってきた。『鏡打ち』と呼ばれる、相手と同じ技を瞬時に繰り出せる術者は、マテオ・エクトールが知っている魔道士の中でもそう多くはない。

 しかも、マテオ・エクトールの術を逆手に取って反撃するとは、予想もしていなかった。

 天候を操るのは、並大抵の魔道ではない。そのマテオ・エクトールの術を破ることは、並の霊力では不可能なはずだった。

 だがリュードは、陽射しをさえぎった厚い雨雲を逆に利用し、稲妻を走らせた。稲妻は、マテオ・エクトールが仕掛けを施した墓石を撃ち、落雷の衝撃がマテオ・エクトールの出神の術を破った。

 それだけの術者であれば、マテオ・エクトールが知っているはずだった。だが、その方術士の顔に見覚えもない。

「奴等は、必ずここへ来る……」

 マテオ・エクトールは忌々しげにつぶやいた。

 マテオ・エクトールがここに隠れていたのには、深い理由がある。王家の探索が及ばぬ数少ない場所だった。王家の刑部府がここを訪れるのは、半年に一度。それまでなら、誰もが無人と信じ込んでいる。

 まして、夜盗が” 海賊島” の直ぐ裏に潜んでいるとは誰も想像しない。

 だが、それ以外にも、マテオ・エクトールの拠点がここでなければならない事情があった。

 そのために、アウラ・ゼメキスの手に皿が渡るように仕向けた。アウラ・ゼメキスが持つ皿と、今ここにある皿は表裏一体の関係にある。

 距離が離れすぎるとその皿の共鳴が起きない。皿を介して、マテオ・エクトールは、アウラ・ゼメキスの欲望という力を利用してその魔力を使う。

 しかも、この礼拝堂こそがマテオ・エクトールが仕掛けた呪術の要となる場所だった。方形を重ねた魔法陣の隅に打ち込まれる予定の呪術の杭があと一本、そして最後の九本目の杭が、ここに穿たれれば全ては完成する。

 その仕掛けに気が付いた者は、いまだかつていないはずだった。

 だが、じわじわと方術士の追跡が迫ってきている。素人ならばわからないはずだが、魔道士や、それに類する方術士ならばマテオ・エクトールの行動の目的を見抜くことはたやすい。王都レグノリアには魔道士がほとんどいない事に、マテオ・エクトールは油断があった。方術士が神殿警護官と行動を共にしているとは予想外だった。

 呪術の杭を発見された以上、相手が魔道士や方術士であれば、その意味することも見抜かれた危険性がある。ここに潜んでいることを突き止められるには、それほど時間が掛からないはずだった。

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