ACT19 包囲戦
「”蛍火”ねぇ」
運河沿いの石畳の道を歩きながら、リュードが小首を傾げた。
これから危険に自ら飛び込むというのに、どこか散策を楽しんでいるようなのんびりとした風情だった。
「リュードは、知ってるの?」
「遭遇したことはないがな……噂は聞いてる」
「何者なの? 天狼みたいな漂泊民?」
サキの問いに、リュードが首を横に振った。
「まぁ、俺達天狼と似たような異能者集団だが……三十年近く前に滅んだアストレア王国の残党だって噂だよ」
「!」
サキは、聞き覚えのある単語に反応して、思わずリュードを見つめた。ここ最近、『アストレア王国』に関わった話を耳にする機会が多い。
「滅びた時に、生き残った軍勢が何派かに別れたって聞いてるが……幼い王女を護って市井に紛れた連中とか、あくまでも滅ぼしたノール王国への徹底抗戦を誓って別行動を取った連中もいるって話だな」
レグノリアに戻ってくるまで数年ばかり諸国を流浪していたリュードは、あちこちの国の情勢に詳しい。
(確か、ゼメキスさんも、ライリーさんもアストレア王国の残党って言ってたわよね……ゼメキスさんがおかしくなった”傾国の水盤”って皿もアストレア王国のもの……)
何か、滅亡したアストレア王国と深い関わりがある事件のような気がしてきた。
「国を失ったら、家来も食えなくなるからな……あちこちの国に金で傭われて戦う傭兵の中には、アストレアの残党が多いって聞くけどな」
◆
「あれ?」
サキの足が止まった。
気のせいか、微かに足下が揺れている。
「やっぱり地震?」
「ゼメキスのお祈りの時間ってことかな」
立ち止まったリュードが、考え深げな表情を見せた。
歩いていてもわかるほどの揺れが、しばらく続いている。船に乗っている時のように、足元がゆっくりと揺れている。
右手の運河と左手の雑木林の間の小径が、かなり大きく揺れている。
雑木林の木々が揺れ、紅葉の枯れ葉が舞い散った。
小径を曲がったところで、雑木林の影からいきなり神将像が姿を現した。
「やっぱり、神将像が動いてるわよ……西向いてるはずなのに、東北を向いてるわ」
「本当だ……さっきの地震のせいかな?」
リュードが、興味深く神将像を見上げた。こういう人智を越えた奇妙な現象になると、リュードは面白がる。
「まるで、何かを指し示してくれてるようじゃないか」
「ちょっとぉ、薄気味悪いこと言わないでよぉ」
サキは、リュードをにらんだ。だが、確かに神将像が指し示す先は、サキとリュードを待ち構える刺客の居るはずの監獄跡地の方角だった。
『昔っから、ここらあたりの船乗りには、角笛の岬に立つ神将像が動くと不吉な騒ぎが起きる予兆って言い伝えがあってね……大昔から、夜中に神将像が歩き回って魔物を退治してくれてるんだってさ』
不意に、サキは港湾地区でのエリカ小母さんの言葉を思い出した。
(まさか、この神将像……あたし達に、危険を教えてくれていた?)
霊力が皆無なサキは、神秘現象は信じていない。
だが、王都レグノリアを守護する神将像が悪さをするとは思えない。王都の安寧を記念して建立された神将像は、何らかの霊的防御の仕掛けなのかも知れない。
ヴァンダール王国の千年の安寧を願い、この王都を設計したレオナ姫のことだから、そのくらいの霊的な仕掛けを残しかねなかった。
◆
サキは、微かな異変に気が付いた。
通る人などほとんど居ないはずの雑木林の中から、枯れ枝を踏みしめたような微かな音が聞こえた。
事前に待ち伏せの件をディンゴから聞いていなければ、気にも留めなかったような微かな音だった。
「ディンゴ、下がってて」
表情を引き締めたサキが、ディンゴを 角笛の岬の先端に押しやった。運河の水面を背にして、サキが気配を探る。
神将像が置かれた 角笛の岬の広場から左へつながる雑木林の小径から、何かの気配が近寄ってくる。森の動物などではなく、明らかに人の気配だった。それも、かなりの殺気をまとわせた気配だった。
「リュード!」
サキの声に、わずかな緊張感が混ざった。
「姫さんも、気が付いたか」
「こんなに殺気があったら、誰だって気が付くわよ」
「包囲されてるなぁ」
包囲されているにもかかわらず、リュードは落ち着いている。
サキは、横目でリュードをにらんだ。
「他人事じゃないんだからね」
「わかってるさ」
リュードが、周囲の気配を探った。
雑木林の下草にさえぎられ、見通しが悪い。
「十人以上はいるぞ……下手すると二十人を超えてるか。
最初から、ここを見張っていたのかね」
ひたひたと、殺気が迫っている。
姿こそ見せないが、明らかにその殺気はサキとリュードの方へ向けられている。
「こいつらは、夜盗とは別口かね……すさまじい殺気が漂ってるぞ」
そう言っている割には、リュードの声がのんびりしている。無腰のリュードは、刃を持った刺客に対して闘う術がないというのに、落ち着いたものだった。
「”蛍火”じゃないの?」
「殺気に血なまぐささがあるから、違うんじゃないかな。
こりゃ、ディンゴが言っていた、金で集められた連中だな」
あまりの緊張感のなさに、サキは顔をしかめた。
だが、リュードの興味は別にあった。
「そして……もうひとつ、何か妖気をまとったややこしいのがその殺気のさらに奥に隠れてるぞ」
「ややこしいの? この瘴気のこと?」
霊力が皆無に等しいサキにも、これだけ強い瘴気を漂わせた妖しい気配はわかる。
生暖かく湿った不快な風が吹き、雑木林の木々の葉が揺れる。
不意に、周囲が薄暮のように陰った。頭上を振り仰ぐと、雑木林の木々の間から見える空がいつの間にか黒雲で覆われている。先程までは、空にいくつか白い雲が浮いていただけだった。
真夏の夕方ならともかく、この季節にこんな天候に急変するのは極めてまれな現象だった。
「ちっ、天候を操るなんざ、こいつは相当な魔力を持った魔道士が相手だぞ」
リュードが、舌打ちをした。
「こりゃ、” 骨喰”を持ってくりゃよかったかな?」
「だからぁ、さっきそう言ったじゃないの」
サキが、傍らのリュードをにらんだ。
うごめく影や気配が、周囲に近寄ってきている。
「自分の身ぐらい自分で護ってよね」
「そいつは道理だ」
危機感を感じさせないリュードののんきな返事に、サキは微かに顔をしかめた。
木陰のあちこちに隠れた敵と遭遇するまで、それほど時間はなさそうだった。物音を殺し、ひっそりと接近してきている。包囲が完成した途端、一気に襲いかかってくる。
雑木林の木々の影から、人影がちらりと見えた。褐色の上着や、灰色の上着を着た男達が潜んでいる。
サキは、素早く視線を左右に巡らせる。
だが、港へとつながる小径も、運河沿いの王都の旧市街区へと通じる道も塞がれている。
(完全に、逃げ道は塞がれちゃったわね)
今来た道を塞いでいる一群を張り倒して強行突破、という手段がサキの脳裏をよぎった。
だが、一瞬考えてサキはその手段を放棄した。
それだと、前後を挟まれ挟撃される。
しかも、その道は幅が中途半端に広い。一対一なら何とかなるが、前後を数人掛かりで攻められたら、サキでも厳しい。逆にもっと道が広ければ、サキが得意な縦横無尽に動き回る遊撃戦に持ち込める。だが、サキが充分に動き回るには狭すぎる。
(リュードは放っておいても大丈夫だろうけど、ディンゴは?)
神殿の参道で乱暴狼藉を働いていたディンゴを、サキは運河に放り込んだことがある。戦うことに関してはディンゴは全く役に立たないどころか、足手まといになる。
サキは自分一人の身は守れる。だが、ディンゴをかばいながら戦うのは、サキの腕前では不可能だった。
「ディンゴ、あんた泳げる?」
サキのささやき声が、切迫した響きを持っている。
「そりゃ、港育ちなんで」
「わかったわ……泳いで、向こう岸に逃げて!」
「ちょっ! 逃げるなんて、とんでもない」
ディンゴが、慌てて首を振った。
「馬鹿! あんたがいると、戦うのに足手まといなんだよ」
サキが、ディンゴの尻を思いっきり蹴った。
「!」
声にならない悲鳴と共に、ディンゴが運河に身を躍らせた。
激しい水音が響いたのが、きっかけになった。
「来たぞ」
リュードの声に、サキは振り向いた。
雑木林の奥から、複数の人影が姿を現した。
運河を背にして、サキが雑木林の中から姿を現した敵に向き直った。
男達が、雑木林から小径に足を踏み出した。
(こいつら……本気ね)
サキ達に対して、誰何もしない。問答無用で、侵入者を排除する強い意志が感じられる。
全員が布で顔を隠している。覆面から、殺気のある双眼だけが禍々しく輝いている。
最初から、殺気を隠そうともしていない。
「さぁ、とことんやろうじゃない」
サキの大刀が、鞘走った。
男達も、無言で短刀を抜いた。
一人の男の足が、大地を蹴った。素早い動きで、サキをめがけて走り出した。
威嚇の声もなく、無言で斬りかかってくるのは、かなりの場数を踏んでいる証拠だった。
突き込まれてきた短刀をサキの大刀が弾き、剣戟が始まった。
サキが、左足を引いて半身になりながら、大刀を跳ね上げる。飛燕のように空中で刃が旋回し、二撃目をサキに送ろうとした男に襲いかかる。
素早く後方に大きくとんぼを切って、男がサキの刃から逃れる。
「!」
リュードに向けて、別の一人の敵が刃を構えて突進したのが、サキの視界の片隅に映った。
” 骨喰”リュードとまで唄われたリュードのことは、サキは心配していなかった。
かつて、サキはリュードが何故剣を持ち歩かないのか、理由を聞いたことがある。『剣は重いから』というリュードのとぼけた答えが返ってきただけだった。
だが、剣を捨てた剣士とは言え、並の相手では素手のリュードには太刀打ちが出来ない。
だが、リュードがいつものようによけるだけでは、いつかは刺されてしまう。
リュードが、刃を突き込んできた敵と交錯した。
何をどうやったのか、リュードがすれ違った途端、男が空中を舞っていた。一瞬で相手を大地に叩きつけて、リュードがサキの横に立った。
「囲まれたらさすがに面倒だ……姫さん、墓地につながる小径に潜り込むぞ」
リュードが囁いた。
「えっ?」
サキは、驚いた。
敵が密集して待ち構えている方に逃げるという発想は、サキにはなかった。
「俺達に来て欲しくない場所が、奴等の弱点になる」
リュードが、突っ込んできた二人目とすれ違いざまに横へ突き飛ばした。無造作に腕を伸ばしたような動きだったが、激しく吹き飛ばされた男が、雑木林の草むらに待ち構えた数人の男達の前に転がった。
足元に転がった男の身体が邪魔になり、さらに飛び掛かろうとしていた男達の動きが一瞬止まる。
その隙を衝いて、リュードとサキが小径に飛び込んだ。
それを追って、男達が小径に次々に足を踏み入れてきた。
戦場は、墓地へと続く小径へと移っていた。逃げるのではなく、妖気の漂う方向へとリュードが進んでゆく。リュードと背中合わせに立ったサキも、後ろ向きのままそちらへと進んでゆくしかない。
(あっ、リュードの狙いはこういうことね)
サキは、リュードの意図を悟った。
サキとリュードを追って、小径に姿を現した男達が、一列になっている。
雑木林の深い木々に囲まれた狭い小径は、常に一対一の戦いに持ち込める。
多数の敵を相手にするには、一対一に持ち込む方が有利だった。
左右は足元に灌木が生い茂った雑木林なので、敵も得物を大きく振り回せない。
相手が攻めてくるにも、前後しかない。サキとリュードが背中合わせで前後を護れば、人数差は解消される。
だがが、サキ得意の駆け回って四方八方を切り伏せる技も、大刀が長すぎて使えない。
サキが夢の影法師から学んだ大刀術は、乱戦の中で単騎で血路を開くのに適している。
敵の攻撃は、己の命を無視した捨て身のものだった。
一人が倒れても、その倒れた仲間を踏み越えて二人目が飛び掛かってくる。
だが、サキの方はリュードから離れるわけにも行かず、防戦一方だった。
◆
「あれ?」
周囲を警戒していたキーラが、声をあげた。
傍らの海岸に、泳いでいる人影が見えた。
「海に落ちた? おーい! 大丈夫かぁ? 今助けるぞ!」
キーラの声に反応して、弟のレビンが海岸へと駆け下りた。
消波のために海岸に置かれた岩塊の間を走り、レビンが海に飛び込んだ。素早く抜き手を切って、泳いでいる人影へと接近する。
ずぶ濡れのままのディンゴは、海岸に引き揚げられた。
「また、兄さんか? って、サキ姐さん達は?」
ディンゴを助け起こしたジェムは、何かの異変を感じとった。
ディンゴ一人が海に落ちただけではない。明らかに、何か騒動が起きている気配だった。
荒い息をついてやっとしゃべれるようになったディンゴが、あえぎあえぎ声を出した。
「 角笛の岬の神将像のところで……正体不明の連中に囲まれたんだ……あれは、暗黒街で雇われた……殺しを請け負う連中だ。
姐さんと辻占の旦那を狙っているって話を聞きつけて、サキ姐さんに伝えたら、直接乗り込むって話になって……俺も役に立ちたくて付いていったんだが……そいつらに囲まれそうになって……サキ姐さんが足手まといになりそうな俺を、運河に突き落として逃がしたんだ」
ジェムの表情が険しくなった。急を聞いて、近くから駆けつけてきたボルト師範を振り仰ぐ。
「姐さんたちが危ない!」
ボルトの決断は早かった。
「お前達、行くぞ! 相手は、刃を持った連中だ! 覚悟して掛かれ! ディンゴ! お前は、そのまま武衛府まで突っ走れ! 武衛府に、俺の息子のジン・ボルトって若いのがいる! 今の話をジンにして、講武堂の若い連中を総動員しろって伝えてくれ!」
◆
サキとリュードの戦いは続いていた。
サキは、今まで不殺を貫いていた。元々、サキの大刀は刃をつぶした不殺の得物だった。敵の戦闘力を削ぐのにとどめ、大刀で相手の脚を払ったり、短剣を持った腕を打ち据えている。
だが、それにも限界がある。
(出来れば、殺めたくないんだけど……)
このままでは、対応を一つ誤ればやられてしまう。
左右を障害物に囲まれ、しかも敵が至近距離だと、サキの得意な大刀の水平斬りが封じられる。
しかも、最初の遭遇で何人かを戦闘不能にされたのを見て、敵はいきなり突っ込んでくるのをやめ、じわじわとサキの戦闘力を削ぐような戦法を採ってきた。
サキが、反撃するとすかさず後方に跳躍して、間合いを開く。サキが前に踏み込めば、背中合わせに立ったリュードとサキが分断されるのを狙っている。
さすがに、手加減している余裕がなくなってきた。
(いや……まだ、手段はあるわ)
至近距離でも刀は使える。片刃の大刀の峰に左手を添え、サキはとっさに刃を返した。
下から垂直に刃を切りあげる。
不殺の大刀が相手の刃を弾き、のけぞった相手をサキが右足で蹴り倒した。だが、その上を次の敵が倒れた相手を踏み台にして跳躍して飛び掛かってきた。サキは、大刀の刃を水平にして下から跳ね上げる。
打ち合った短剣の刃と大刀の刃が、激しい火花を散らした。
「きりがないわね」
だが、その歩みは微々たるものだが、薄暮のように薄暗くなった雑木林の小径を、サキとリュードが背中合わせのまま確実に一歩一歩と小径の奥へと進んでいた。
異変が起きたのは、小径を抜けて墓地へとさしかかった辺りだった。雑木林の小径の両脇に、墓石が並んでいる。
「来た!」
先を行くリュードが、警告の声を発した。
リュードの向いた方角から敵が襲ってこなかったのは、この罠に追い込むためたっだ。
突然、空間に浮かび上がった火球が踊った。
リュードとサキめがけて、火球が飛んでくる。
魔道の攻撃だとしたら、昼間からこんな攻撃が来るのは珍しい。
とっさに、リュードの左手が振られた。青白い閃光と共に、リュードに迫ってきた火球が火花を散らして消えた。
「こいつは、相当な術者だぞ」
リュードが、懐から一枚の呪符を取り出した。サキの知らない異国の文字と、奇妙な文様が描かれている。
隠れていた敵の周辺に、リュードが丸めた呪符を放り投げた。丸めた紙片とは思えぬ勢いで空中を飛んだ呪符が、突然黄色い閃光を発した。火花を散らすように黄色の光が周囲に散り、薄暮のように薄暗くなった周囲を照らす。
立て続けに破裂音が響き、周囲に硫黄臭のある白煙が立ちこめる。
どんな仕掛けなのか、サキには見当も付かないが、リュードの操る方術の反撃だった。
《!》
声にならない苦悶の思念が、サキとリュードの脳裏で響いた。
雑木林の奥まった暗がりに、何かの姿が浮かび上がった。
《愚か者どもが!》
鋭い思念の声が、サキの脳裏に響き渡った。
サキも、敵の攻撃を防ぐのに精一杯の状況だった。とても、リュードが立つ自分の背後をじっくりと振り向く余裕もない。
だが、気配から明瞭な敵の存在が知覚できる。
襲いかかってくる相手の攻撃を大刀で弾き、敵がとんぼを切って背後に逃げたわずかな隙を見て、サキはちらりと肩越しに背後に視線を走らせた。
(やっぱり! あいつ!)
リュードの前に姿を現したのは、灰色の巡礼者姿の敵だった。
「こっちの攻撃は、魔道か何かだ……俺の持ち分はこいつだ……姫さんは、後ろから来る連中を頼む」
リュードが、囁いた。
「しょうがないわね……そっちの魔法使いの相手は任したからね」
サキは、リュードと対峙する灰色の巡礼者の存在を頭の中から追い出した。
とてもではないが、刃を防ぐのに精一杯で、そっちの面倒まで見る余裕はない。ましてや、霊力が皆無に等しいサキには、魔道を相手にする能力など望めない。そういった奇妙な技を持つ相手なら、方術士のリュードの方が向いている。
「!」
隙を衝いて、再び刃がサキの目前に突き出されてきた。
反射的に、サキの大刀が刃を弾き、鋼の噛み合った火花を散らす。
リュードと背中合わせに立ったサキは、リュードの方術の腕前を信頼して、背後から襲いかかってくる連中に一人で対応することに専念した。




