ACT18 運命の別れ道
「どうも、すっきりしないのよね」
サキのぼやきが止まらない。
早朝の老虎に客の姿はない。愚痴を聞かせる相手は、老虎の主人のシェルフィンとリュードだけだった。
酒楼老虎だけではない。黒龍小路は日没から夜明けまでの夜の街だった。昼間の黒龍小路は、不気味なほどに静まりかえっている。
昨日の出来事を整理しようと、サキは老虎にリュードを訪ねた。
「そんな呪いに使う杭が地下に埋め込まれてるなんて、聞いたことがないわよ」
「昔から埋め込まれていたものじゃないだろう……まだ黄金色に輝いて錆びてなかった」
リュードが、腕を組んで先ほどから考え込んでいる。
珍しく、リュードの前に酒杯がない。代わりに机上にあるのは、王都レグノリアの詳細な絵地図だった。
「そいつは怪しいわねぇ」
シェルフィンが、腕を組んだ。
表情が険しい。
その顔は、ヴァンダール王国に散らばる天狼と呼ばれる漂泊民の一団を束ねる総帥としての厳しいものだった。
「天狼の商家にそんな禍々しい代物を打ち込まれたんじゃあ、天狼の束ねとしても黙ってられないわね……」
シェルフィンが不意に顔を上げ、扉の方を見た。
「おや、こんな刻限にお客さんかしらね」
とたんに、扉が叩かれた。
「開いてるわよ」
シェルフィンの声に応じて、老虎の木の扉が開いた。
姿を現したのは、ディンゴだった。
「あら?……お店は日没からよ」
「いえ、本日は人探しで尋ねてまいりました……あっ、やっぱり辻占の旦那、ここにいやしたね」
ディンゴが、大きく安堵のため息をついた。
ディンゴのような遊び人には、黒龍小路は庭のようなものだった。サキが初めて黒龍小路を訪れた時と違い、ディンゴは迷わずに老虎にたどり着いた様子だった。
「ディンゴじゃないの? どうしたのさ?」
サキが驚いて顔を上げた。
姿を現したディンゴの表情が、妙にさえない。
「中央大橋の近くで辻占の旦那を訪ねたんですが、いつもの場所にいなかったので……たぶん、ここだろうと……って、なんでサキ姐さんがここに?」
「あなたが吊された事件とか、色々と厄介事を追っかけてんのよ」
サキが、ディンゴを招き入れた。
「なんだ、ディンゴか」
リュードは、あまり興味を示した様子もない。酒場や賭場で何度も遭遇している様子で、ディンゴとは顔見知りの様子だった。
「俺に用事? まぁ、話を聞こうか」
ディンゴが、リュードの向かいに腰を下ろした。いつになく深刻な面持ちで、ただならない様子が垣間見える。
「ちょっと、辻占の旦那に相談事がありやして」
「うん? 俺か?」
リュードは、机上に拡げられていた絵地図を畳んで隅に置いた。
「辻占の旦那ぁ……俺の運勢を占ってもらえやせんかね?」
そう言って、ディンゴが白銀に輝く銀貨六枚を机上に積んだ。
「うちの占いは、銅貨六枚のささやかな占いだぞ」
銀貨六枚で占ってくれとは、大盤振る舞いだった。普段のリュードの辻占いなら百回占える。
「どうやら、俺の運命の分かれ道みたいなんで……本気で占ってもらいたくて」
「金額の多寡で占いの卦は変わらんとは思うが……まぁ、それだけの大枚はたく覚悟があるなら、占ってみようか」
独楽のように回転する銀貨が、その机上を舞った。
リュードが、並んだ銀貨を見つめた。
「……」
「……どうでした?」
しばらく無言で銀貨の並びを無言で見つめるリュードに、ディンゴが恐る恐る声を掛けた。
「ディンゴ……高値でも神託を求めようっていう、お前の直感は正しかったようだぞ……」
「へ?」
ディンゴに向いたリュードの表情が、いつになく厳しい。
普段の占いの時のイタズラっぽい眼光など、どこにもない。
「いいか、腹を据えて神託を聞け。
ここが運命の分かれ道、道を踏み誤ったら元へは戻れぬなり、大凶。道を踏み誤っていなければ、少々の水難の卦は出ているものの小事で難を逃れるなり」
「……やっぱり……」
ディンゴが、うつむいてしばらく目を閉じていた。
「どうしたのさ、妙に神妙じゃない?」
サキの声にさえ、ディンゴが反応しない。
しばらく沈黙していたディンゴが目を開けて、サキを真っ正面から見つめた。
「……決心しました……正直にお話しします」
真剣なディンゴの表情に、サキは驚いた。こんなに真剣なディンゴの表情を見るのは初めての出来事だった。
「街で、殺しの出来る連中が、 角笛の岬の近くの監獄跡地に集められています。詳しい話は聞かなかったんですが……かなり高額な報酬です。
昨夜、下町で俺にも手伝わないかって声を掛けられました」
「!」
ディンゴの口から、恐ろしい内容が飛び出してきた。
「期間は、今日からわずか二日間だけ……それなのに報酬は、前金が金貨一枚、後金が金貨一枚という破格のものでして……金のためなら殺しもためらわない連中が、十人以上も集められています」
「穏やかな話じゃないわね……誰を狙ってるの?」
サキの問いに、ディンゴが複雑な表情を見せた。
「俺が吊されてた神将像の広場の、さらに奥……雑木林の奥にある監獄跡地と墓地周辺に神殿警護官と方術士が来たら、どんな手段を使ってでも始末しろ、との事でした……期限は、本日から明日の日没までの二日間って話です」
「!」
老虎の空気が凍り付いた。
「あたしらが殺しの対象?」
サキは、思わずリュードと顔を見合わせた。神殿警護官と方術士、という組み合わせなら、それはサキとリュード以外にいない。
ほとんど、名指しで何者かに狙われている。
「ディンゴ、お前も殺しの仕事に誘われたのか?」
リュードの言葉に、ディンゴが小さくうなずいた。
「はぁ……でも、俺は殺しなんか出来る度胸もなし、断ったらその話はこれっきりということになりましたが」
「集めてるのは、誰?」
「黒犬って呼ばれる蛟竜地区の顔役です」
ディンゴが語るには、レグノリアの暗黒街には何人かの顔役がいるという。決して、護民官が手を出せない暗黒街に顔が利く人間にしか、その名は知られていない。わかっているのは、その仇名だけだった。
「犯罪者には、犯罪者のギルドがあります。黒犬って呼ばれる顔役が、王都南部の貧民窟にいましてね……黒犬は、このギルドの顔役の一人です」
「へぇ……そんなギルドがあったなんて初耳だわ」
サキは、傍らのシェルフィンを見た。
シェルフィンが束ねる天狼が住み暮らす黒龍小路も、王家から見れば暗黒街の一つだった。
「存在秘って奴だよ……こいつらも、決して日の当たる世界には出てこない、暗闇の住人だわ……盗人が一回限りの仕事仲間を集めようとか、何か後ろ暗い仕事を頼む時には、犯罪者達は蛟竜地区に行くわ」
シェルフィンが呟いた。
「王都の護民官でも手が出せない暗黒街……そもそも、そこへ至る道を知っている奴等じゃなきゃ、近寄ることさえかなわないからね。
人口十万を超える王都は、平和ばかりじゃないわ……平穏無事に見える王都でも、人々が住み暮らす以上、その水面下ではドロドロとした欲望が渦巻いているもの。
これも……王都の抱える闇の一つ、だわねぇ」
「こりゃぁ……行ってみるしかないな……」
リュードが、両腕を天に向けて伸ばした。
「行くって? どこへ?」
「その殺しもためらわない連中が、俺達を待ち構えて集まっているところさ」
「はぁ? ちょっと、リュード! あなた、正気なの?」
サキが、リュードをにらんだ。
リュードの感性は、サキの想像を常に超えている。
「刃を持って待ち構えている奴らがいるなら、護民官の一団でも動員しなきゃ無事じゃ済まないわよ」
「そこまでして護りたい何かが、監獄跡地周辺にあるってことだろ? わざわざ、その場所を教えてくれてるようなものじゃねぇか」
リュードがあっさりと言う。
「あたしらを、事実上名指しで始末しようって連中が待ち構えてるのよ? ちょっと覗いて、帰ってくるってわけにはいかないわよ!」
「面白い騒ぎになってきたからな……連中の期待に応えて姿を現してやらなきゃ失礼に当たる」
「リュード! お姫様を危険に巻き込むんじゃないよ!」
シェルフィンが、リュードに釘を刺した。
リュードが危険に巻き込まれることに関しては、シェルフィンは露ほども心配している様子はない。だが、サキが危険に巻き込まれることだけはシェルフィンも気がかりな様子だった。
リュードが、小さく笑った。
「わかってるさ。
危険に姫さんを巻き込むわけにはいかないからなぁ……姫さんは、老虎で待っててくれればいいさ」
リュードの言葉に、サキはかちんときた。
そう言われて、大人しく引き下がるサキの性格ではない。そもそも、これはサキが巻き込まれた事件がきっかけだった。いくら相棒とは言え、リュード一人に任せて知らん顔などは出来ない。
「待ってろって? 冗談じゃないわよ! あたしも行くわよ!」
リュードが行くという以上、サキも行かざるを得ない。
「ちょっと、リュード……武器は?」
サキは、リュードの腰に剣がないことを非難した。
かつて” 骨喰リュード”とまで呼ばれた元剣士とはいえ、素手でそれだけの敵を相手にするのは難しい。
触れなくとも相手の骨を断つ、とまで噂された” 骨喰”と呼ばれる魔剣が、リュードの愛剣だった。だが、その剣を『魔物以外には剣は不要』と言い切って、剣を捨てて方術士に商売替えしてしまったのが、リュードだった。
「” 骨喰”は、幽霊屋敷に置きっぱなしだ」
予想通りのとぼけた答えが返ってきた。
「あなた、馬鹿じゃない?」
「なんで? 相手は人だろ?」
「相手は人でも、殺しを生業にするような連中よ」
「魔物以外にゃ剣は不要さ」
リュードが、微笑んでうそぶいた。
サキは、小さなため息をついた。こればっかりは、何を言っても無駄だった。
「自分の命は、自分で護ってよね」
「違いねぇな……シェル姐さん、夕刻には戻る」
「あんたは、しょうがないわね。お姫様をあんまり危険にさらすんじゃないよ」
シェルフィンの言葉も、いつもと変わらない穏やかなものだった。リュードとサキの腕前を信頼しているのか、リュードとサキが危険に向かうことを心配している様子もない。
リュードは、サキを促して老虎を出た。
黒龍小路は、その名の通り黒い通りだった。黒曜石の石畳が敷かれた曲がりくねった小径を、歩きながらふとサキは傍らを付き従って歩くディンゴを見た。
「でも、どうして急に改心しようとしたのさ? いくらあたしがやいやい説教しても、右耳から左耳に抜けてったのに」
サキは、ディンゴのしょげ方が気になった。
「実は、昨日の朝に神殿に担ぎ込まれて姐さんの尋問を受けた後、療養所に連れて行ってもらいましてね」
「うん、それはあたしがロムに頼んだんだもの、知ってるわよ」
「怪我の手当てをしてくれた綺麗な女性に、散々威かされまして……」
そう言って、ディンゴがその時のことを話し始めた。
ディンゴは、頭を殴られていただけではなく、縛られた時に付いた怪我などの手当が必要だった。ディンゴの怪我の手当てをしてくれた神官の手際は、手慣れた鮮やかなものだった。
青あざの出来た額に膏薬を張り、あちこちの傷跡に膏薬をすり込んでくれた。
「あなたは、そそっかしいとこあるから……」
そう言って、その女性がディンゴの目を静かに見つめた。その鋭い眼光に射すくめられ、ディンゴは声もなかった。いつもの調子で軽口を叩いて反論しようにも、その眼光には有無を言わせぬ迫力があった。
「でも、ね。ここがあなたの分岐点よ……欲の皮を突っ張らせて簀巻きにされて水に浮かぶか、まっとうな道を歩けるか……どちらを選ぶのも、あなた次第だわ」
そこから、真綿で首を絞めるような説教が半刻ばかりも続いた。
「真綿で首を絞めるような説教……それ以上言わなくても、誰だかわかったわ」
サキが、顔をしかめた。『でも、ね』という枕詞から真綿で首を絞めるような説教と言えば、サキにも数え切れないほど経験がある。
「あんまり神殿で見掛けない綺麗な女性でしたが……どちら様なんで?」
ディンゴの問いに、サキは長いため息をついた。
「……マオ・シェフィールド……あたしの母様」
小高い丘の中腹にある黒龍小路を抜け、西へと石段を下ると港湾地区へとつながっている。
肩をすくめたサキは、背後を歩くディンゴに視線を移した。
「ところでディンゴ? あんたは何でくっついてくるの?」
「俺は、堅気になるってマオ様に誓ったんです……せめて、何かの手助けになりたくて……」
サキは顔をしかめた。
こんな状況で、母親の姿がちらつくのは気分が悪い。
サキとリュードを誘き出す役割を頼まれたんじゃないかと、サキは一瞬ディンゴを疑ったが、ディンゴの言葉に嘘は感じられない。
基本的に、ディンゴは小心者だった。そういう大それた芝居が出来るほど器用でもない。
サキは、ディンゴを信じてみようという気になった。
「今回の件が片付いたら、あんたの身の振り方を母様に相談してみるけどね……でも、言っておくけど、うちの母様に借りを作ると、かなり高くつくわよ」
「マオ様は、そもそも何者なんで?」
「あたしの母親、って言ったでしょ!」
サキが、いらだった声をあげた。
「いえ、そうではなく……元々は、高名な武人の血筋では?
心の底から震え上がったのは、生まれて初めての経験で……あれは、ただ者の眼光じゃなかった」
「そう言えば……あたしも、母様の若い頃の話は聞いたことがないわね」
サキは、小首を傾げた。
確かに、サキはマオがどんな人生を送ってシェフィールド家に嫁いだのか聞いたことがない。物心が付いた頃から、サキの型破りな行状を叱る小うるさい母親としての姿しか知らないことに、今になって気が付いた。
元盗賊のライリーやゼメキスと知り合いだったり、ディンゴのような遊び人を簡単に改心させるなど、確かに謎ばかりだった。
それに、ゼメキスと皿を切り離せという不穏な話を父親のダンがサキに言い渡した時にも、顔色一つ変えなかった。
(母さん……言われてみれば、一体何者なんだろう?)
◆
「待て! 何者だっ!」
角笛の岬へと通じる海岸沿いの道へと足を踏み入れたとたん、物陰から鋭い誰何の声が掛かった。
サキが、反射的に気配との間合いを開いていた。
「どこから来て、どこへ行く! なんだ、サキ姐さん達かぁ」
「ジェムじゃないのさ」
既に刀柄に手を掛けていたサキが、警戒を緩めた。
箒を構えたジェムの姿を認め、サキは微笑んだ。
すっかり、武衛府の若手の物腰だった。五路広場で衝突した時の、世をすねて粋がっていた時のような崩れた姿と大違いだった。
周囲を見回すと、あちこちに見知った姿がある。
小柄なベリアの姿だけでなく、キーラとレビンの兄弟の大きな姿もある。
「おう、サキ姫か」
雑木林の中から姿を現した冒険者姿のボルト師範が、サキの姿を認め親しげに手を振った。
「ずいぶん、物々しいわね」
長柄の箒と麻の大袋を持った、いつものジェム達のゴミ拾い姿だったが、四人ともその表情に強い緊張感がある。
「こっちは、”蛍火”って仇名の一団探しだ」
ボルト師範が、声を潜めた。
「”蛍火”?」
「マーレから、”蛍火”って呼ばれる傭兵連中が何人も潜り込んでいる」
「マーレ? 親しい国じゃないけど、北のノールほどヴァンダール王国と敵対してない国よね」
「だが、虎視眈々とヴァンダール王国の所領を掠め取ろうとしているのは確かだ。ノールは力尽くで攻めてくるばかりだが、マーレは何かと謀略好みの国なんでな。
しかも、潜り込んできたのは、ただの連中じゃない……マーレが雇っている傭兵集団だが、夜行術・偸盗術・密偵というものに優れ、大金で仕事を請け負う連中だ」
「傭兵?」
「傭兵って言えば傭兵だがな……戦場で戦うというより、暗闇に紛れて敵陣に忍び込んで略奪や放火をして混乱を引き起こすのを得意としている」
「忍び込む?」
サキの脳裏で、何かが閃光を発した。
夜行術とは夜戦を意味する。そして、偸盗術とは盗みの技術だった。密偵は、諜報活動を主とする。そう言った類いを生業とする異国の異能者集団の存在は、確かにサキも耳にしたことがある。
戦場で夜陰に乗じて敵陣に忍び込み、糧秣を奪ったり敵陣に火を放って混乱させる戦術で有名だった。
「決して人を殺さないってのが、”蛍火”の連中の矜持でな」
サキの考えがまとまるよりも先に、ボルトが言葉を続けた。
「こいつらが、昨日の朝にここで神将像に吊された奴が殺されなかったことや、今回の夜盗騒ぎで誰一人死んでいないことから当たりを付けた」
「すみません、吊されてたのは……ええと、この俺です」
ディンゴが、気まずそうに首をすくめた。
「ほう、貴様が吊されたのか……運がいいな、”蛍火”じゃなきゃ口封じに殺されてたぞ」
「!」
ボルトの言葉に、サキの脳裏で何かが形を成してきた。
(そうか……夜盗がマーレに雇われた”蛍火”だとすると、つじつまが合うわね。
でも……そいつらが、何故呪術と関わる?)
問題は、呪術を仕掛けてくる存在と、夜盗の関わりだった。
「対マーレとなると、王家も関わってくる」
ボルトが、表情を引き締めた。
「あたし達は、 角笛の岬の神将像の方へ行ってみるわ……何か掴んだら、直ぐに知らせるから」
サキは、自分達が狙われていることをボルト師範には話さなかった。そんな物騒な話をしたら、ベリア達まで危険に巻き込んでしまいかねない。
「こっちも、何かを掴んだら知らせることにしよう。
おい、お前達は警戒に戻れ!」
ボルトが手を振り、ベリア達が再び周辺の警戒に戻った。
周辺を捜索している四人の背中を見送りながら、サキは小さく苦笑を浮かべた。サキと同世代の連中だった。たとえ、王都で騒ぎを起こした張本人とは言え、立ち直りの兆しが見えたのはうれしい。




