異世界に転生したと思い込んでいる精神異常町田市民が近所を散歩するだけの話 ~現実に戻ってこい? 今更言われてももう遅い~
ここは町田市にあるボロアパート。
僅か四畳半ほどの一室で、僕は天井を見つめていた。
僕の名前は岳野太郎。
流行りに乗ったシースルーバングと、ムッチムチのワガママボディが自慢の40歳だ。
皆からは「ダケたそ」の愛称で親しまれたかったが、そう呼ばれた事は一度もない。
何故か――と言われたら、僕には友達がいなかった。
僕は才能に恵まれていた。故に、嫉妬した凡人達から理解を得られなかった。
そんな僕は、恥ずかしながら定職にも就いていない。
フリーターとして、アルバイトを転々とする日々を過ごしている。
ついでに言うと、なけなしの給料で通っていたガールズバーは、三日ほど前に出禁になった。
現実の出来事だとは思えなかった。
才能に恵まれたこの僕が?
凡人共に理解されないまま?
未だにフリーター?
ははは、ありえないね。
そう、この現状はあまりにも現実的じゃなかった。
だから――僕は気付いてしまったのだ。
既に異世界に転生している、とね。
異世界ならば全て合点が行く。
最先端のシースルーバングが理解される訳がないし、レジ打ちで得られるステータスなど何も無い。
郷に入れば郷に従え。異世界の文化に習う事で全ての歯車が動きだし、僕はハーレムを築きあげるのだろう。
「……冒険に出ないと」
僕は重い腰を上げた。
岳野太郎40歳、ファンタジーの世界に参入させて頂きます。
※
居城を出た僕は、パンチパーマの中年女性と遭遇した。
「アンタ、家賃も払わずにどこ遊びに行くんだい?」
女性はそう言って睨んできた。
その姿と口振りは、何となく大家のババアを思い出す。
異世界転生と言えば、転生直後に神様的なのが現れて、主人公に能力を授けるのが恒例となっている。
つまり、その流れで行くのならば――この女性は女神だ。
言われてみれば、熟れて肉感を感じる二の腕や、皺や染みが目立ちながらも光沢のある肌は、小娘には無い大人の魅力を感じるような気がする。
「女神さま、僕に能力をくれ」
「はぁ? よくわかんないけど、アンタが家賃を払うのが先じゃないかい?」
女神さまは不機嫌そうに首をかしげた。
ふむ……流石に失礼すぎたかな?
そう思った次の瞬間、辺りが少しだけざわめいた。
「岳野さん……大家さんにあんな口の聞き方をするなんて……」
「とうとう可笑しくなっちゃったのかなぁ。ああならないように、今年こそ受からなくちゃ」
眼鏡を掛けた村人達がそんな会話をしていた。
異世界の主人公というのは、礼儀と常識に欠けながらも才能を発揮して、常に周りを驚かせるもの。
早くも僕は“高み“に来てしまったようだ。
「もしかして、また何かやっちゃいました?」
「何もやってないから家賃も払えないんだろ」
頭を掻いて笑う僕に、女神さまの鋭い視線が突き刺さる。
うーん……この女神さまは異世界の常識が通じないな。
普通は「命知らずなガキだな、気に入った」みたいになると思うんだけど。
そう言えば、さっきっから「ヤチン」という単語を繰り返している。
払う、払わない、と言ってるあたり、この世界の通貨なのだろうか。
「任せてくれ。ヤチンならこれから稼いでくる」
「ほう……アンタも言うようになったじゃないか」
女神さまはニヤリと微笑んだ。
よし、やっぱ通貨の事だな。この世界で能力を得るには、それなりの資金が必要という事なのだろう。
「じゃあ行ってくる。あ、せめて武器くらいは欲しいんだけど……」
「ったく、しょうがない子だねぇ。これ持ってきな」
女神さまはそう言って武器を授けた。
ふむ……ムチと魔術札か。王道なら剣だと思うんだけど、贅沢は言ってられないな。
僕は女神さまに別れを告げると、女神さまは親指を立てた。
▼「古びたネクタイ」を手に入れた!
▼「履歴書」を手に入れた!
※
居城を後にした僕は、手始めに栄えた街を目指した。
異世界というと、城下町や村に建物が密集していて、それ以外は自然に囲まれている印象がある。
ただ、この付近は何処を見ても建物に囲まれていて、道路も舗装されていた。
城の姿が見えないあたり、城下町という事はないだろう。
となると、この辺りは既に街だと察せる。すぐ横には電車のような乗り物が走っているので、かなり栄えた街だと断定するのは容易だった。
「チミ、この街の名前は?」
「え、えっと、鶴川です」
どうやら、この街はツルカワと呼ばれているようだ。
栄えている割りには、少し田舎臭い名前のような気がする。
これが所謂ワールドギャップというヤツだろうか。
「この辺でモンスターが出る場所は?」
「も、もんすたぁ? ま、まあ小野路のほうにいけば、シカくらいはいるんじゃないかな、なんて……はは……(コイツ頭おかしいな、適当に答えて逃げよう……)」
なるほど、オノジという場所に出ればモンスターと対峙できる訳か。
僕はオノジの方角も尋ねると、青年は早口で答えて逃げていった。
さて、オノジに向かう前に一つやる事がある。
僕は大きく息を吸うと、腹から声を出して、
「ステータスオープン!」
と叫んだ。
戦う前にステータスの確認。我ながらしっかり者だと感心する。
その瞬間、辺りの人間が一斉に此方を見たが、ステータス画面は現れなかった。
なるほどね。ただ叫ぶだけでは表示できないようだ。
僕は真っ暗な背景に白い文字をイメージして、ステータス画面の錬成を試みた。
右手を前に翳して【光属性】と【闇属性】の魔力を同時に解き放つ。そして――。
「ステータスオープン!!」
と叫んだが、またしても何も起こらなかった。
まだ異世界に体が慣れていないのだろうか。
「(アイツ……頭大丈夫か……?)」
「(あのおっさんマジウケる、インスタにあげよっと)」
相変わらず辺りの人間は僕に注目している。
やれやれ、物語の主人公というのも疲れるな。
さて、三度目の正直。
今度は【想像】と【妄想】を意識して、ステータス画面を具現化する。
「ステェエエエタスオォオオオオプンンンッ!!!」
僕は渾身の力で叫び散らした。
その瞬間、頭の中にステータス画面が表示された気がした。
【名前】岳野太郎
【Lv】40(歳)
【職業】自称フリーター
【状態】糖尿、水虫、薄毛
【知能】E
【体力】G
【腕力】F
【脚力】F
【スキル一覧】
レジ打ち(E) 現実逃避(S) レスバトル(C) 学歴バトル(A)
【装備品】
布の服 ネクタイ 履歴書 学生証(期限切れ)
ふむ、どうやら隠しスキルが多いみたいだ。
少し納得がいかないな。何かの間違いかもしれないし、もう一度やり直そう。
「ステータスオープン!」
【名前】ダケた†そ
【Lv】40(歳)
【職業】自称フリーター
【状態】糖尿、水虫、薄毛
【知能】E
【体力】G
【腕力】F
【脚力】F
【スキル一覧】
レジ打ち(E) 現実逃避(S) レスバトル(C) 学歴バトル(A)
【装備品】
布の服 ネクタイ 履歴書 学生証(期限切れ)
これでよしっと。
異世界で和名は変だからね。せっかくだし、30年間くらい暖めていたアダ名を付けてみた。
本当は能力値もオールAが欲しかったけど、AからZの26段階評価なら、まあ悪くない出だしだろう。
僕はステータス画面を閉じると、オノジに向かって歩き出した。
オノジへの道程は舗装されているものの、辺りは自然に囲まれていて、歩いている人も見かけない。
一方で、モンスターらしい生き物も見かけたが、戦闘には至らなかった。
猫のような魔獣も、車のような鉄のイノシシも、僕を見ると逃げ出してしまう。
「ふむ、どうやら僕は強すぎたようだな」
また"主人公らしさ"が出てしまったようだ。
ただ、僕にはヤチンを稼いで、能力を授かるという使命がある。
モンスターを狩って素材を剥がなければ、僕の異世界ハーレムは始まらない。
と、そんな事を思っていると、久しぶりに人を見かけた。
20代中盤くらいの若い青年で、なにやら坂の上にある建物に向かっている。
「チミ、この先には何があるのかね?」
「えっと……小野路球場っすね」
この坂の上には「オノジキュウ場」とよばれる施設があるようだ。
変わった名前だが、まさか……これは闘技場か?
いや間違いない。異世界で"場"と呼ばれる場所と言えば、せいぜい闘技場くらいだろう。
「なるほどな。青年、案内を頼む」
「え……? まあいいっすけど……」
僕は青年に案内されて、汗だくになりながら坂道を登った。
※
オノジキュウ場に辿り着くと、僕達は客席に腰を掛けた。
ちなみに、青年の名はリューヤというらしい。
「ちなみにアンタは?」
「ダケた†そ」
「(†の位置おかしいだろ……)」
リューヤはどこか呆れた表情を見せていた。
ちょっと珍しい名前だからな、まあ無理もないだろう。
僕はバトルフィールドに視線を向けてみた。
白と青の服を着た戦士達が、白と赤の服を着た戦士と対峙している。
なるほど、この異世界では機動性を重視して、鎧ではなく布服で戦うようだ。
軍によって色分けされているのは、誤って味方を攻撃しない為だろう。
青軍の戦士達は、一様に小盾のような物を装備していた。
対して、一人だけ場にいる赤軍の戦士は、棍棒のような武器を握りしめている。
その瞬間、青軍の中心にいた戦士が、白魔術の弾丸を放った。
赤軍の戦士は棍棒で迎え撃つ。しかし、白弾は棍棒をすり抜けると、重装備をしたパラディンが受け止めた。
その姿はまるで――。
「……まるで野球みたいだ」
「野球だからな??」
この異世界の戦闘は、少しばかり野球に似ている気がした。
「リューヤ、これはどっちが勝っているんだ?」
「江狛高校だな」
「色で言って」
「えっと、青い方が勝ってるよ」
ふむ、やはりそうか。
赤軍の戦士が一人だけなのを見ても、その状況を察するのは容易だった。
「赤軍に勝算はないのか?」
「前評判は同じくらいだったけど、江狛の……青い方の投手が良いし、これは厳しいかもな」
トーシュ……専門用語はまだ分からないな。
しかし、一つ気になる事がある。それは――赤軍の戦士は一人ずつ、入れ替りでバトルフィールドに出ているという事だった。
「ふむ、ならば一斉に攻めてみたらどうだろうか」
「いいわけねえだろ」
僕の名案を、リューヤは秒で否定した。
闘技場という事で、ルールに制限があるのだろうか。
よく見ると、顔面を隠したジャッジらしき人間と、その部下のような人間が3人ほど見受けられる。
彼らが目を光らせているからこそ、何でもありのガチンコバトルが出来ないのだろう。
「僕なら全部焼き払うね」
「やってみろや」
ま、やらないけどね。
郷に入れば郷に従え。この闘技場のルールに従おうじゃないか。
それから暫くは、青軍と赤軍のバトルを見届けた。
どうやらこの闘技場では、白い魔術を弾き返すとポイントが加算されるらしい。
ようやく決着が着くと、今度は黒軍と紫軍が入場した。
そろそろ観戦にも飽きてきた頃だ。僕の実力も見せてやりたい。
「リューヤ、僕達の出番はまだかい?」
「ねぇよ」
その瞬間、僕の体に電撃が走った。
では何のために僕はここまで来たのだろう。坂道を上がるのも大変だったのに。
「今から出場登録しても間に合わないのか?」
「ああ、俺で10年、アンタで「ダケた†そって呼んで」」
「……ダケた†そで20年くらい間に合ってないな」
なるほど、若者による晴れ舞台だった訳か。
それなら仕方がない。他を当たるとしよう。
ふとリューヤを見ると、どこか悲しそうな表情を見せていた。
もしかして、何か無神経な事を言ってしまったのだろうか。
「もしかして、またなんかやっちゃいました?」
「何もやってないからこんな時間にフラフラしてんだろ」
頭を掻く僕に、リューヤの鋭い視線が突き刺さる。
うーん、異世界ジョークのつもりだったんだけど、あまりウケなかったな。
「というか、チミだってフラフラしてるじゃないか」
「俺は代休。嫁に邪魔だから外にいろって言われて、暇だからここに来たんだよ」
そう語るリューヤの左薬指では、結婚指輪が鈍い輝きを見せていた。
相変わらず悲しげな瞳をしている。彼もまた、現実では悲惨な人生を歩んでいたのだろう。
そして――かつての僕と同じように、転生した事に気付いていない、と。
「リューヤ、僕と冒険に出よう。ハーレムが待ってるぞ」
「なに言ってんだお前」
「お前……?」
「ダケた†そ」
「うむ。だから異世界に転生したからには、冒険に出ようと言っているんだ」
「本当になに言ってんだお前……」
僕はリューヤを睨むと、彼は再び「ダケた†そ」と訂正した。
「転生か。ま、過去に戻る転生とかならしてみたいかな、なんて……はは……」
「リューヤ、現実を見ろよ」
「現実を見るのはお前だよ」
今度はリューヤの視線が突き刺さる。
やはりと言うべきか、彼は過去に未練があるのだろう。
その後、彼は現実世界で野球をやっていたが、怪我で辞めてしまったと語った。
これで合点がいった。彼はこの野球のような闘技に、野球をしていた自分の姿を重ねていたのだろう。
「リューヤ、同情はするけど過去には戻れない。それは割りきらなきゃいけないよ」
「……分かってるよ」
「そして異世界に転生したからには、もう現実には戻れないんだ」
「ごめんそれは分からない」
リューヤは冷たい視線を送ると「現実に戻ってこい」と続けた。
異世界では「もう遅い」という言葉が流行っていると聞いた。
この言葉を紐解いていくと、後悔先に立たず、ということわざに辿り着くのだろう。
パーティーを追放されて負った心の傷は、そう簡単に癒えるものではない。
そして、追放された時点では役立たずだったのなら、追放という結果も仕方がない事。
お互いに前を向いて、各々の道を歩むしかないのだ。
時間は巻き戻せない。
時計は常に回っていて、僕達もまた、前に歩き続けるしかない。
だから――僕はこう言葉を返した。
「無理だね。だって僕は――僕達は異世界に転生してしまったから。今更、現実に戻れと言われてももう遅い」
僕は異世界という現実と向き合っていく。
凡人共に理解されず、悲惨な人生を歩んだのも過去の話だ。
いまさら掘り返した所で「もう遅い」のは、僕だって気付いていた。
結局、リューヤとはここで別れる事となった。
仕方がない、出会いがあれば別れもある、それ
が冒険という物だ。
けど――もし、また出会う事があれば「もう遅い」とは言わず、暖かくパーティに迎え入れてあげよう。
「……さてと」
僕は思い腰を再びあげた。
男ダケた†そ40歳、ファンタジーの世界に参入させて頂きます。
現実に戻ってこいと言われても――もう遅い!
ぶっちゃけ出落ちというかタイトル落ちです。
それにも関わらず最後まで読んで頂きありがとうございました。
連載作品は真面目に書いてます……たぶん……!