【息子VS母】お母さん、課金がしたいのでお小遣いください(三十と一夜の短篇第52回)
しとしとと小さな雨が降っているある日の午後。息子は並々ならぬ熱意をいだき、鼻息あらくリビングにいる母のもとへ行った。脳内シミュレーションはばっちり。ぬかりはないはずだ。
息子、十三歳。絶賛中学生。緊張で手に汗を握っている。
「お母さん」
「んー?」
リビングにあるテーブルで本を読んでいた母は息子の声に反応した。しかし顔は上げず、いまだ本の文字を追っている。
息子はしまったと思った。母は一度本を読みはじめると、邪魔されるのをすごく嫌がる。食い下がろうものなら機嫌はみるみる低下するだろう。これはまずい、と顔をしかめた。出直した方がいいか。しかしこのタイミングを逃すと夕飯の準備だ片付けだと、また忙しそうにするだろう。どうしたらいいかとあれこれ考えていると、母はパタンと本を閉じた。どうやらタイミングがよかったようだ。話を聞いてもらえると期待に息子の鼻の穴がふくらむ。
「なあに」と母。息子はこぶしをぎゅっと握ると、できるだけはっきりと声に出した。
「おれ、課金してみたい」
「え」
突然の言葉に母はぱちぱちと瞬きをした。驚いているようだが、反射的に拒否するようなことはなかった。息子が思うに、この母は少しかわっている。頭ごなしに怒ることがほぼなく、突拍子のないことを言ったとしてもまずは話を聞いてくれる。しかしそれゆえに厄介だった。
「わけを聞こうか」
うたぐるような視線。柔和な母の顔がいっきに財政管理官のそれになった。
ちゃんと言えばわかってくれる。大事なのは自分のおもうところをきちんと説明すること。そしてそれを納得してもらうことだ。いちばん難しいのは納得だ。母は頭ごなしに怒らないが、淡々と痛いところをついてくるのだ。口のまわる母に勝てたことなどそうそうない。だけどこのために何回もシミュレーションをした。息子はからからに乾いたのどに無理やり唾液をおくる。
「夏のお得キャンペーン開催中。今なら通常価格で三十連ガチャ、レアキャラ三体確定」
「……いくらなの」
「千五百円」
「却下」
母はふと笑った。
「それって、課金しても手元に残るものなんてないんでしょう。ただいっときの快楽のためにお金を溶かすの?」
息子はごくりと唾をのむ。大丈夫、ここまでは想定内だ。そう自分に言い聞かせる。
「お母さん、逆に考えるんだ。ものが残らなくてラッキーだと」
ピクリと母が反応した。これは母が好きな漫画「徐々に奇妙になる冒険」の中でも有名なセリフだ。母とのちょっとしたやり取りの中でこういう小ネタをはさむと笑ってくれることを息子は知っている。正面と同時に横堀を攻める形になった。
「それは……」
「今は資源がどうのって大変じゃない。ものを買わずに楽しむって、今の時代にそった遊びかただと思うよ」
息子はそのまま語る。確かに「もの」と引き換えに「お金」を払うのは当然のことだけど、不必要になったとき処理に困るのもあるんじゃないかと。わざわざお金をだしてかって、お金をかけて捨てる。データなら捨てるのにお金がかからない。
「千五百円分のお菓子を買ったって、得られるものはいっときの快楽と過ぎたカロリーだよ。あとに残るのはゴミ」
もっと言えば消化・吸収されたカスが排泄物として出てくる。これも処理にお金が必要だ。そこまで言うと母はむむむと小さく声をもらす。
「ゲームの課金は後には残らないよ。でもそれにだってメリットがある」
「うーん……」
母はいったん息をはくと、いたって真面目な顔で息子を見る。思わず緊張した。こういう時、だいたい母親が正論を言うし、それをうまく返せないと話が終わってしまう。
「言わんとすることは分かるわ。確かに、新しい遊びかたなのかもね。課金するにあたってお母さんが不安なのは、どっぷりハマることなのよ。課金してレアアイテムを手に入れたら気持ちいいじゃない。誇らしい気持ちになるじゃない。それが暴走した時が怖いの」
母が言うには、ソーシャルゲームにのめり込んだ専業主婦が、生活費や貯金をくずして課金しまくった実例があるという。子どもが知らないうちに何十万円もの課金をしていたとも。
「課金し過ぎないようになにか策がある?」
息子はごくりと唾をのみこんだ。大丈夫。言える。ここは絶対に突っ込まれると思って一生懸命に考えたんだ。そう意気込んで、口を開く。
「……コンビニに、課金用のカードがあるんだ。額が決まってて、それを買えばゲームに課金できる。現金があるだけしか買えないから、やりすぎることはないと思う」
いっときの沈黙。疑うような母の視線は容赦なく息子を射抜き、ドキドキと高鳴る心臓を落ち着けようと息子はただただ冷静を演じた。
「ま、そこまで言うのなら、あなたのお小遣いの範囲でやったらいいわ。中学生だから節度ある使い方を覚えなきゃいけないしね」
「やった、ありがと!」
よっしゃあああっ、と息子は心の中で雄叫びをあげた。と思っただけで現実でも叫んでいた。喜びあふれるガッツポーズまで決めている。母はそれをあきれたように、でもお面白そうに眺めていた。なんだかんだでわが子はかわいい。お小遣いの範囲で遊ぶには構わないだろうと思う。
「じゃあ買いに行くのね」
「それがねお母さん。おれ、もうお小遣いは残ってないんだ」
瞬間、部屋の空気が一変する。息子は苦言を呈される前にと一気に畳みかけた。
「つきましては、お手伝いをする代わりに特別お小遣いを所望します!」
「却下!」
「そこをなんとかっ」
これこそ息子の最難所にしてゴールだった。課金はやりくりできる範囲でなら許可が出るだろうと思っていた。問題はその資金を母にいかにせびるかだ。お小遣いはちょうど使いきっていて、手元には小銭程度しか残っていない。しかしキャンペーン期間を考えると悠長なことは言っていられない。
「来月の支給日を待ちなさい。さっそく廃課金者の片鱗を見せてどうするの」
先ほどまでのほんわかしたムードは一転、母の冷たい眼差しが容赦なく息子に突きささる。しかしここで負けるわけにはいかなかった。まだ、勝機はある。
「聞いてよ、おれがやってるゲームね、今『徐々(ジョジョ)』とコラボ中なんだ。お母さんが好きなキャラいるよ」
「……なんですって」
息子はおもむろにスマホをとりだし、ゲームのアプリを開いた。画面に映し出されたのは、でかでかとしたキャンペーンの文字と「徐々に奇妙になる物語」のキャラクターたち。母の目が画面に吸い寄せられた。
「うそ、まだアニメ化していない六部のキャラもいる」
母は「徐々に奇妙になる物語」が好きで、単行本はもちろん原画展を見にいったりグッズを買ったりと趣味を謳歌している。徐々(ジョジョ)キャラが出る今のキャンペーンなら、もしかしたら少しお金を出してくれるかもしれない。息子はドキドキしながら母の横顔を見守った。感触は悪くない。あとは真摯におねがいするだけだ。
「三十連ガチャをやりたいんだ。お母さんもガチャしてみたくない? おねがい、ちゃんと手伝いするから! なにとぞ!」
こうして息子は千五百円の臨時収入を得た。内訳は母が特別に徐々(ジョジョ)費から出す五百円。あと五百円は来月分の前借り。残りは家事と買い物を手伝うことを条件に許可がおりたのだ。
「やったーー!」
なんとも平和な休日の午後であった。
なお、買い物に行き両手が悲鳴をあげそうなほどの荷物持ち、洗濯ものの取り込み、父シャツのアイロンがけ、夕食後の食器の片づけなど、散々手伝わされた息子はヘロヘロになった。しかしこれは母が普段やっていることなのだと思うと改めて感謝の念がわく。思っていても、口に出すのはなかなか恥ずかしい。
「お母さん、無料ガチャ、やってみる? お母さんなら徐々(ジョジョ)のキャラが出そうな気がする」
「ふふ、お母さんの信仰心が試されるときね。でもいいの?」
「いいよ」
いつもありがとう、大好きだよ。とは言えない息子である。そのかわりにへらっと笑って見せると、母も嬉しそうに顔をほころばせたのであった。