8
叶わない一方通行の恋。
このまま静かにフェイドアウトしたかった雅久だったが、鼻持ちならない美憂の出現で、思いがけない方向に話が進み、戸惑いと後悔と憤りと、今まで捨ててきた感情が、雅久の胸を締め付けるのだった。
「原因は分からないけど、あなたも絡んでいるのは間違いないわよね。きちんと説明してください。話によっては、承知しないから、覚悟しておきなさいよ」
「美憂、雅久君を責めないで。雅久君は悪くないの。私、私」
「綾乃、だって言っていたでしょ? 初めて好きになった人が出来たって。その人と会うって」
強い眼差しを向ける美憂に、僕は力なく笑う。
僕の想像にすぎないが、美憂は綾乃の話を聞いて、好奇心が煽られたのだろう。
恐らく一部始終を見ていた。
空々しい態度に、僕はムッとする。
「友達思いぶるの、止めない? 心が透け透け。ムカついて吐きそうだ」
「何よその言い方?」
「僕は関係ない。あとはお二人でどうぞ」
怒りに任せて、僕は立ち上がる。
涙ぐんだ綾乃が、僕を見る。
自分でもどうしてこんなに胸が苦しくなるのか、分らなかった。
ただこの場に居たくなかった。
僕だったら……、僕だったら、泣かせたりはしない。
何も知らない癖に。
僕は自分でも気が付かないうちに、拳を強く握りしめていた。
言い返す気にもならず、僕は二人に背を向ける。
「待ちなさいよ」「待って」
綾乃と美憂の声が重なる。
僕の人生、いつだって後悔ばかりだ。
そんな声、無視をするべきだった。
咄嗟に美憂が僕の手を掴み、僕は振り返る。
泣きはらした綾乃と目が合い、僕は息をのむ。
「雅久君、お願い帰らないで。私の話、もう少し聞いて欲しいの」
「そうだ。泣いている女性を見捨てるな。そんなの、男の風上にも置けない」
「美憂、止めて」
「これは失敬。邪魔者は消えます」
「美憂も一緒に私の話を聞いて」
女性の涙は武器になる。
どこかで聞いた言葉が頭を過り、僕の判断を鈍らせる。
横目でそんな僕の様子を伺った美憂が、フッと笑みを零す。
考えてみれば、これがすべての過ちだった。
美憂に促されるまま、僕らはファミレスに移り、ストロベリーパフェを前に、綾乃の話を聞き始めていた。
「雅久君、行き成り泣いたりして、ごめんなさい。美憂、こちら輪錦雅久君。雅久君、この子、私の親友で、遠野美憂って言います」
そこではじめて、僕らは紹介をされ、ぎこちない会釈を交わす。
鼻をまだぐずぐず言わせている綾乃を、細目に見た美憂が聞く。
「一体何があったの?」
呆れ顔で見る僕に、美憂は素っ気ない態度で、綾乃に視線を合わす。
「私、聖さんが好き」
「聖?」
まっすぐ向けられた綾乃の視線に、僕は苦笑いを浮かべる。
「私、諦めるなんてできない。彼のこと、もっと知りたい」
「今日と、この前の二日間しか、ハルとは会っていないのに、どうして?」
言っときながら、僕の胸は痛んだ。
人のことを言えた義理ではない。
「私、一目惚れしてしまって」
「一目惚れ、ですか」
頬杖をついた美憂が、僕を見てくる。
僕の心を見透かすような目で見る美憂から、僕は視線を外す。
「雅久君、私の力になってもらえませんか」
綾乃のひた向きな眼差しに晒され、僕はひきつり笑顔を作る。
「私からもお願いするわ。雅久君」
美憂の棘のある言い方に、僕はムッとなる。
「へぇ雅久君でも、そういう顔、するのね」
「僕は生まれつき、こういう顔ですけど」
「へぇ珍しいね、怒った顔をして生まれてくるなんて」
つい僕は美憂の挑発に、乗ってしまっていた。
「何か、遠野さんってさ」
「あら美憂でいいわよ、雅久君」
言ってやりたいことはたくさんある。言いかけた言葉を自分の中に押し戻した僕は、そっぽを向く。
「あれ、あれれ。雅久君、どうしちゃったのかしら?」
おちょくられ、僕は美憂を睨む。
「怖い。雅久君。綾乃、この人結構、野蛮人よ」
「美憂、止めて」
「どうして? 思ったことを私、口にしているだけよ。私は自分に正直なだけ。どこかの誰かさんみたいに、上面だけ良くしてなんてこと、していないだけよ」
荒っぽい口調の美憂に、綾乃はすっかり動揺しきっていた。
「なんてね。少し口が過ぎました。ごめんなさい」
さすがにそんな綾乃を見て、美憂も焦ったのだろう。
素直に頭を下げる美憂に、僕の反応は鈍かった。
何が面白くないのか、余程僕が嫌いらしい。
気を取り直した綾乃が、上目使いで僕を見る。
それを見た僕はずるいと思った。
こんな顔、されたら何も言えなくなってしまう。
「雅久、あんたね、見つめるばかりじゃなく、何か言いなさいよ」
呼び捨てですか。
ずけずけと踏み込んで来る美憂が、僕は苦手だった。
出来れば関わりたくない、とさえ思っていた。
聞こえないふりをする僕が、よほどお気に召さなかったようで、美憂はそれからも執拗に攻撃を止めようとはしなかった。
「何か、この人、睨んでくるんですけど」
「美憂、本当にどうしたの? 雅久君、気にしないで」
「だって綾乃、こいつ、使い物にならないのに、頼ろうとしているからさ」
「使い物にならないって……」
「だったら、その聖ってやつと綾乃が付き合えるように、どうにかしなさいよ。まぁあんたみたいなふぬけ野郎には、無理だろうけど」
聞き捨てならない言葉に、僕はつい口を滑らせる。
「ふぬけって、ほんと、初対面の人に失礼なやつだな」
「あらそう。これでも押さえてますけどね」
「いったい、僕が何をしたっていうわけ?」
「美憂、本当に止めて」
「嫌いなんだよね私、はっきりしない男。綾乃だって本当は心のどこかで思っているくせに。だからお友達の方を好きになったのよね」
許せなかった。
「それは……」
言い淀む綾乃を見て、美憂が勝ち誇った顔で僕を見てきた。
だから僕はつい、
「上手くいくかどうかわからないけど、僕が何とかしようじゃないか」
言ってしまって、僕は愕然とする。
「だってさ」
その言葉に大喜びをする綾乃に、僕はどんな顔をしていいのか分からなかった。
「で、策はあるのよね?」
どこまでも挑発をして来る美憂に、パーティ会場で綾乃が話してくれたことを、僕は思い出す。
みどりさんと美憂は似た者同士。お互いは認めたがらないけど、パーティ会場に姿を見せなかった友達のことを、綾乃はこう説明して、寂しそうに笑っていた。
勝気なところや、ずうずうしい辺りが似ているかも……。
僕はゆっくり思考を巡らせて行く。
「雅久君?」
ハルは今日、来ることを渋っていた。そんなところへ行くくらいなら、展覧会行くし、と言っていた。
乞うように見詰めている綾乃に、僕は笑みを作る。
「美術展なら、ハルを誘い出せるかも」
綾乃が目を輝かす。
その隣で、美憂がつまらなそうにパフェを崩しているのを、僕は横目で見ていた。
「でも、本当に来てくれるかしら?」
前のめりで聞いてくる綾乃に、僕は苦笑で答える。
「ハルが好きな、画家の個展が開かれているみたいだから」
その言葉に、美憂が鼻で笑う。
「本当。雅久君、お膳立てしてくださるの?」
「ああ、なんとか誘い出してみるよ」
「本当にありがとう。雅久君が、優しい人で良かった」
嬉しそうに話す綾乃に、僕の目が泳ぐ。
「本当、雅久君って優しい。私も感動」
大袈裟に、綾乃の口まねをする美憂を、僕は心から軽蔑をした。
「そういうの、好きじゃない」
「そうだよ、美憂。雅久君に失礼よ」
「ああそうですね。大変申し訳ございませんでした。では邪魔者は消えます」
店を出て行く美憂を追いかけ、綾乃も僕の前から走り去って行く。
がっくり僕は肩を落とす。
たとえようのない脱力感が、じわじわと僕を蝕む。
そして、僕は綾乃と出会ってしまったことを、後悔し始めていた。
涙は最大の武器。そう思い知らされた雅久の巻でした。