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何とか綾乃とハルを引き合わせることに成功した雅久だったが、心境は複雑だった。
戻ると、陽光に照らされるハルを、綾乃が眩しそうに見ていた。
それだけで充分じゃないか。
それなのに、その時の僕はどうかしていた。
気が付くと、歩幅が大きくなっていく自分が居た。
「何々?」
柄にもなく、陽気な声を張り上げ、何も気が付かないふりで、二人の会話に割り込む。
無理して笑っているせいで、頬骨が痛んだ。
それでも僕は辞めることが出来ずにいた。
ハルは不機嫌そうに煙草をふかし、そっぽを向いたままだった。
「何かさ、今日は天気が良くって、本当良かったよね」
当たり障りの会話を振ってみたものの、そのあとが続かない。
「雅久、俺、もう行ってもいいか?」
僕からコーヒーを受け取りながら、そんなことを言い出したハルに、綾乃の顔色が、見る見る変わっていった。
「そう言わず。折角だから、もう少しのんびりしようぜ」
綾乃も両手でカップを包み込みながら、それに同意する。
それからの僕は必死だった。
愛想笑いをしながら、綾乃が迷惑がっているのも、全身で感じていた。
つらつらと連ねる僕の言葉に、綾乃が言葉を割り込ませる。
「聖さんって、お付き合いしている方、いらっしゃいますか?」
一瞬、沈黙が出来る。
僕は次の言葉が出てこなかった。
僕はハルを見る。
まるで自分には関係ないと言う顔で、ハルは煙草をふかしていた。
無性に腹が立った。
救いを求めるように、綾乃が僕を見てくる。
そんな顔、しないでくれ。
心が叫ぶ。
それなのに僕は……。
「ハル」
思いがけず強い口調になった僕を、ハルが面白くなさそうに見る。
「四十万さんが困ってるじゃないか。ちゃんと答えてやれよ」
「何、ムキになっているの?」
ぶっきらぼうに言い返すハルを見て、綾乃はハラハラしたのだろう。二人の間を取り持つように、話題を僕に振ってきた。
目にうっすらと滲むものを見つけた僕は、ハッとする。
「そんなこと訊くだけ、野暮ですよね。輪錦さんはお会いしたことがありますか?」
ハルの仕草に一喜一憂する、綾乃を僕は見ているのが、辛かった。
我を取り戻した僕は、苦笑いで、そう精一杯の自分で、
「雅久で良いよ」
男友達に言うような口調で、だけど、綾乃をまっすぐ見ることが出来なかった。
「それでしたら、私のことも綾乃って呼んでください。聖さんも」
言いかけた綾乃が口を噤む。
ハルが立ち上がったからだ。
「ハル、待てよ」
「俺は、シャツを返してもらうだけって、聞かされて来た」
「確かに、そう言った。だからって、そんな態度、取らなくたっていいだろ? 綾乃ちゃんも気にしなくていいよ。こんな態度取ってばかりの奴、好きになる女性がいると思う?」
そう言いながら見た綾乃の顔が、ほんのり綻ぶ。
「俺はいつもこうだ。今更とやかく言われる筋合いはない。ていうか、さっきから何? やたらテンション高くねー? ひょっとして雅久お前、この女のこと」
「わわわわわわわ」
「アホらしい。俺、帰るわ」
「待てよ。ハル」
目の端に、戸惑う綾乃が映る。
「俺は暇じゃないんだ」
引き止める僕の手を振り払い、大股で闊歩して行くハルの前に、綾乃が飛び出して行く。
「すいません。お気を悪くさせたのなら私、謝ります。でも私、聖さんが、お付き合いされている方が
いらっしゃるのか、どうしても知りたくて」
「くだらねぇ。そんなことを聞いて、意味ある?」
冷めた言い方をするハルに、綾乃は真っ直ぐと見詰め返していた。
「意味はあります」
きっぱり言い切る綾乃に、ハルが意地悪く笑う。
「意味ねーだろ」
ハルのバカにする物言いに、綾乃はどこまでも真っ直ぐだった。
「あります」
「ないね」
僕の割り込む余地など、どこにもなかった。
「あの、私、立候補してもいいですか?」
一瞬、僕らの動きが止まる。
「俺、そういうの、興味ないから」
ハルに突っぱねられた綾乃は、今にも泣きそうな顔をしていた。
この時、恋は人を醜くすると、僕は初めて思い知った。
「じゃあな、雅久」
軽く手を上げたハルに、僕はぎこちなく頷く。
「待ってください。その答えでは、私、納得できません。私、聖さんのこと、もっと知りたいです。初めてなの、こんな気持ち。お願いです。お友達でも構わないです」
月並みの言葉に、ハルは冷ややかな笑みを浮かべる。
誰も受け付けない笑み。
張りつめる空気を、僕は心のどこかで喜んでいた。
「ハル」
振り返ろうともせずに、立ち去るハルを見て、綾乃の涙腺が一気に崩壊する。
どうしていいのか分からないまま、僕は呆然としていた。
「ちょっとあんた、この子に何をしたのよ」
突然聞こえてきた声に、僕の肩がビクッと動く。
「綾乃、この男に何をされたの?」
おもむろに顔を上げた綾乃が、目を大きくする。
「美憂?」
「ちょうど通りかかったら、あなたが見えて」
そう言いながら、じろっと僕は睨まれ、委縮する。
見るからに、性格がきつそうなのは分かった。
「すぐそこに、車を待たせてあるの。さぁ行きましょ」
有無なしだった。
綾乃は強引に手を引っ張られ、
「違うの、美憂。止めて」
「違うって、じゃあ何で、綾乃、あなたは泣いているわけ?」
「それは……」
再び綾乃は、テーブルに顔を伏せ泣き出してしまっていた。
居た堪れずに、僕は恐る恐る口を開く。
「あの、後のことはお友達に任すとして、僕はこの辺で」
「まさか、逃げる気?」
さっきと違うことを言う美優に、僕は目を丸くする。
それからは酷いものだった。
矢継ぎ早に質問攻めにされ、言葉に詰まる僕を、美優は容赦なく攻撃をしてきた。
何度か口を挟もうとする綾乃だったが、言葉にならないまま、鼻をグスグスさせていた。
「ああ埒が明かない」
そう言って、美優が席を立ちあがったのは、日が一つ傾いたころだった。
驚いた表情で見る綾乃に、美優は鼻を一つ鳴らす。
「うじうじ泣いてばかりいないの。これじゃなにがあったか、さっぱり分からないわ。場所を変えましょ。甘い物でも食べて、心落ち着かせて話しましょ」
ここまで言うと、美優がじろっと僕を見てきた。
「あなたにも、付き合ってもらいますからね」
なんで? と僕は思った。
確かに泣いている綾乃は心配だったけど、見ず知らずのこの女に命令される筋合いはない。
ムッとする僕を見て、美優が冷ややかな目を向けてくる。
「何、その目?」
「何が。私はもともとこういう目つきですけど悪い?」
「良く言うよ。言いたいことがあるなら言えばいいだろ」
ムキになって言い返す僕に、美優は余裕の笑みを浮かべる。
無性に腹が立った。
「二人ともやめて」
絞り出すように言う綾乃を、二人して見る。
恋は人を醜くするのを思い知った雅久の巻でした。