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渋々出向いたパーティ会場。迂闊にも、出会ったばかりの綾乃に、心を持って行かれてしまった雅久。一瞬でも、自分のコンプレックスから解き放たれた気がしたのだが、それも束の間だった。
「はい。ありがとうございます。私、四十万綾乃と言います」
番号交換を終えた綾乃に、無邪気な笑顔を見せられ、僕はどぎまぎさせられていた。
「どうも。僕は、輪錦雅久です」
ぎこちなく笑って見せる僕の背中を、里中が力強く叩いてくる。
「なんだ。私が出る幕ないわね。ああ折角、綾乃たちを紹介して、恩売っておこうと思ったのに」
ニヤつく里中を見て、僕は返す言葉もなく、下を向く。
「もう、また下を向く。ほら、男らしく胸を張る」
無理やり背筋を伸ばされた僕の顔を見た里中が、ニヤつく。
「ガッちゃん、かわいい」
かわいい言うな。
心の中で言う僕を見ながら、綾乃が小首を傾げ微笑む。
ノックアウトだった。
「ところで、美優は?」
「私、頑張って誘ったんですけど、どうしても外せない用事があるみたいで」
一瞬見せた里中の表情で、僕は何となく、その美優ていう子との関係が分かった気がした。
「そ。相変わらずなのね」
会話を始めた二人が、歩きはじめる。半歩遅れて僕はその後をついて行く。
二人の世界に浸ってしまっていたことに気が付いた里中が、ハッとして、僕を振り返り言う。
「この子、私の高校時代の後輩なの。これでも私、強かったのよ」
身振りをして見せる里中を見て、綾乃がクスッと笑う。
「私たち、バドミントン部だったの。輪錦さんは、何かされていましたか?」
「僕は」
答えるのに、僕は一瞬躊躇う。
隠す必要はない。そう思っていながら、どうしても僕は自分の口から、水泳をしていたことを、言う気になれなかった。
足のケガが原因だった。
しかしその以前から、僕は水泳から離れたいと思っていた。
努力は報われる。
そんな言葉、僕には無関係だった。伸びないタイム。水泳を始めてしまったことすら、僕を後悔させていた。
親が躰の弱い僕を心配して、兄貴と一緒に水泳を習わせた。
僕の人生にはいつも、前を走る兄の背中があった。
ただそれだけのこと。追いつきたくても、追いつけなかった。どんな言葉で繕っても、負け犬の遠吠えでしか過ぎない。
「……輪錦さん?」
小首をかしげている綾乃に、僕はぎこちなく笑ってみせた。
「えっと。見栄を張ろうとしたけど、辞めておきます。僕は帰宅部」
指でこめかみを掻きながら言う僕を、里中が何か言いたげに見てくる。
「輪錦さんって、面白い方。初めてです。部活を質問して、見栄を張ろうとする方」
「そうですか。サッカー部とか野球部とかにしておくと、女子受けが言って、悪友の薀蓄にあったけど」
「お友達って、さっきの方?」
「違います。ハルは女子受けとか、そういった類の話、あまり好きじゃないから」
「あの方、ハルさんっておっしゃるのですね」
「うん。聖悠斗。みんなは、ハルって呼んでいる」
「聖でも、響き、悪くないと思うけど」
目を輝かせて話す綾乃に、僕は全く気が付かずにいた。むしろスムーズに話せたことに、喜んでいる自分が居た。
「聖って苗字、あまり好きじゃないらしくって。ほら、ひじきに響きが似ているだろ? 小学生のころ、からかわれたとか言っていたかな」
「そうなんですね。でもどっちかというと、私は聖って呼びたいなかな」
そう言いながら微笑む綾乃を見た時、喩えようのない不安が僕の頭を過る。
「もしもし、私がいること、お忘れではありませんかお二人さん。たいへん盛り上がっているところ、お邪魔して申し訳ございませんが、私、そろそろ戻らないと」
頭を下げる里中を見て、僕と綾乃は顔を見合わせて吹き出す。
「冗談ぬきにして、二人とも遠慮なく、楽しんで行ってね、綾乃が好きなスイーツも取り揃えてあるわよ」
「ワァ楽しみ」
口の前で手を合わして、喜んでいる綾乃見て、僕は素直に可愛いと思った。
里中が振り返り、ニヤッとする。
照れ隠しに、僕はそんな里中から視線を外す。
「ガッちゃん、カズ君もそろそろ着くと思うわ」
「兄貴、来るの?」
僕はつい聞き返してしまっていた。
家を出る時、そんな素振りを一つも見せていなかった。むしろ自分には無関係だと言わんばかりに、為替レートを調べていた兄貴の姿が目に浮かぶ。
楽しげに会話をしながら歩く二人が、僕から遠ざかって行く。
そんな僕に気が付いた二人が振り返る。
「ガッちゃん」
「僕、やっぱハルが心配だから帰ります」
里中の大きな目が、ジッと僕を見つめる。
「その顔じゃ、引き留めても無理そうね」
僕は頭を下げ、踵を返す。
「あの、輪錦さん。彼、聖さんに伝えてください。必ずシャツはお返ししますからって」
その言葉は、僕の耳には入らなかった。
心に大きな傷を持つ雅久。自分の殻を破れるのかの巻でした。