4
気弱で自分に自信が持てずにいた雅久の生活にも、変化が。
お節介の兄貴が用意したデート代行は、思いがけない方向に発展していくことに。
「凄いな。俺たち、場違いじゃないか?」
会社のイベント企画で、気軽なパーティだという話だったが、すっかり浮き足立ってしまった僕らは、会場を目の前にして、固まってしまっていた。
そんな僕たちを見つけた里中が、嬉しそうに手を振り近付いて来る。
「あの、俺たち、場違いじゃありませんか?」
ハルと僕が違う部分。
ハルは思ったことを、すぐに言葉にする。決して自分の中に溜めない。人付き合いがうまくいかない理由の、一つでもある。
威嚇するハルに、里中は面を食らったものの、すぐに笑みを取り戻していた。
「えっとキミは……」
「ハル。聖悠斗。大学の時からの友達で、おいハル。挨拶くらいしろよ」
「どうも」
「聖君っていうんだ」
何か思案をするように、しばらくハルの顔を眺めていた里中が、笑みを零し言う。
「へぇキミ、きれいな顔をしているのね。もてるでしょ?」
きっと里中は、はにかむハルを想像したに違いない。
「そんなことないよな、な、ハル」
苦笑で言う僕を見て、ハルが半笑いをする。
「雅久、悪い。俺帰るわ」
「あらどうして? 折角来たのに。楽しんでいって。美味しいお酒とお料理、用意してあるのよ」
軽く腕に触れられたハルが、その手を振り払い、怒りに任せて踵を返えす。
予想していた通りの展開だった。
むしろありがたいとさえ、その時の僕は思っていた。
そもそも来るべき場所ではなかったのだ。兄貴に高そうな服を渡され、断るに断り切れず、来た節がある。もしかしたら、僕はこうなることを期待して、ハルを連れてきたのかもしれない。
だからこの時の僕は、次に待ち構えていた展開なんて、微塵にも思いもしていなかった。
「今日のところは」
小さな悲鳴が聞こえ、僕は反射的に振り返る。
一瞬、何が起きたのか、分らなかった。
「ああ失礼」
両手を上げたハルで、何も見えなかった僕は、躰をずらし、初めてそこに女性が立っていることに気が付く。
「私、ちゃんと前を見ていなくって、ごめんなさい」
「お怪我、ありませんでしたか?」
ハルの凄いところは、どんな状況でも、咄嗟に笑みを作れるところだ。
本人は無意識らしいのだが……。
大学の構内、ハルの名前を聞かなかった日はない。
女子たちのうわさの的になっていたハルは、紳士的で、王子様キャラを貫き通していた。決して、里中に見せたような、素振りなど、見せることなどなかった。
しかしある日、ハルは変わってしまった。
褒め称えるすべての言葉を嫌い、そんな人たちへ背を向けるようになった。
僕が水泳を辞めて、ひと月後の話だ。
構内をぶらつく僕に、ハルから声を掛けてきた。
何を話したのか覚えていないくらい、微々たる会話だったが、それから僕らの付き合いは続いている。
「ああどうしよう、口紅が」
女性に言われ、自分のシャツを見たハルが、柔らかい笑みを作る。
「大丈夫」
「どうしよう。弁償を」
「お気使いなく」
次の瞬間、女性が息を飲む。
一見穏やか笑みのハルが、脱いだシャツをゴミ箱へ投げ入れたのが、衝撃的だったらしい。
女性は呆然と立ち尽くしたまま、去って行くハルを見続けていた。
「ほう。見かけによらず」
感心する里中の声に、苦笑いを浮かべた僕は一礼する。
それで終わるはずだった。
ハルに倣ってその場を離れようとしていた僕はハッとなり、振り返る。
女性が、しっかり僕の腕を掴んでいた。
今にも泣きそうな女性に見詰められ、僕はすっかり動転しきっていた。
「綾乃、気にしない方が。ガッちゃんが困っている」
「ああごめんなさい」
里中に言われ、女性が慌てて手を放し頭を下げる。
「いいえ。じゃあ、僕、ハルが心配だから」
「そう」
残念そうに言う里中に頭を下げた僕は、そうその時の僕はどうかしていた。
「あの、気にしなくてもいいよ」
勝手に、口が動いてしまっていた。
「でも」
携帯を握りしめ、まっすぐ見返してくる女性は、目にいっぱいの涙をためていた。
所説によると、男は女性の涙に弱い。
僕もその例外ではなかった、ただそれだけのこと。
予測変換できないできごとに、僕の心が追い付けずにいた。
心臓が痛んだ。
吐きそうなのに、なぜか彼女から目が離すことが出来ずにいた。
「あいつ、今少し、気が立っているだけだから」
声が上ずる。
「私、クリーニングしてお返します。連絡先、教えてください」
「そんなことをしなくても」
「でも」
僕の横をすり抜けて行った女性が、ゴミ箱からハルの捨てたシャツを拾い上げ、振り返る。
「それでは、私の気が済みません」
「本当、気にしなくてもいいから」
「私、このままなんて、嫌です。有耶無耶にしたくはありません。連絡先を、教えてください。ちゃんとクリーニングしてお返ししますから」
ハルのシャツを大事そうに抱きしめながら言う女性に、僕はこれ以上、反論することが出来なかった。
この時初めて知ったんだ。
恋は落ちるものだって……。
想像もしていなかった感情に、戸惑う雅久の巻でした。