29
綾乃とハルは、滞りなく結婚式を終え、おおよそひと月経った、秋晴れの気持ちのいい日。二人は旅立って行った。
――空港のロビー。
ハルと綾乃が幸せを抱え、旅立っていった。
「終わったな」
呟く僕を一瞥した美憂が、大きく伸びをする。
「お騒がせな二人だったわよね。雅久、これからどうするの?」
飛行機の離着陸を眺めたまま、僕は黙りつづけた。
「あのさ、言っとくけど、綾乃が言ったこと、気にしなくていいわよ。安っぽい恋愛ドラマみたいなこと、絶対ありえないっていうの。全くあの子ったら、相変わらずというか、呆れると言うか、本当に天然だよね」
僕は大きく息を吐き出す。
「またそんなため息をついて。失恋のショックは分かるけど、またうじうじと部屋に閉じこもらないでよ。なんなんらこれからお付き合いして差し上げましょうか? 飲みにでも行く?」
真顔で見つめる僕を見て、美憂が不思議そうに首を傾げる。
「歌でも良いけど? 何とか言いなさいよ」
「……終わったから」
「だからさっきもそれ、聞いた。まぁいろいろあったけど、雅久には悪いけど、私はこれで良かったと思う。雅久もさ、早く立ち直りなさいよ。さぁどうする? どこ行こうか? そう言えば、すっごくお洒落なバー見つけたんだ。そこ行ってから、カラオケに流れるってどう?」
歩き出した美憂は、僕に腕を掴まれ、驚きの眼で振り返る。
「もうそういうの、いいから」
目を大きく見開いた美優が、フッと口元を緩ます。
「……そっか。そうよね。当分は綾乃も連絡してこないだろうし、お互いの接点はなくなったわけだしね」
「だからそういうことじゃなくって」
「何よ、ムキになっちゃって、あなたらしくもない」
「僕らしくって何だよ」
「はいはい分かりました。雅久、私のこと、嫌っていたものね。おとなしく退散します。ではごきげんよう」
「待ってって」
「もうさっきから何? はっきりしない男ね。そんなんだから綾乃に」
僕は美憂を、無造作に抱きしめる。
「何? どうしたの? 雅久、とうとう気でも狂った?」
「煩い。少しは黙れ」
「雅久、言っておくけど、私そんな軽い女じゃないから。綾乃の隙間を埋めるようなことは」
「だから、それは終わった。って言っただろ」
「全然意味が分からない。お願い放して。人が見ているわ」
「そんなのどうでも良い」
「……雅久……」
「痛っ」
足を踏んで、離れて行こうとする美憂の腕を、僕は必死で捕まえ引き戻す。
こんなの笑っちゃうくらい、僕らしくない。
「放して。今日の雅久、少し変だよ。綾乃が行っちゃって悲しいのは分かる。でもこんなやり方をする人じゃないって、私信じていたのに」
手を振り払われ、僕は焦って追いかける。
柄でもないことをするから、こうなるのかな?
後悔が頭をかすめて行く。
それでも、僕は頭の中のものを振り払って、美憂を後ろから抱きしめる。
僕は決めたんだ。弱気な自分から卒業するって。
悔しいけど、憎まれ口を利く女も悪くない。って、僕はいつの間にか思い始めていた。
「雅久、本当に良くないよ。私、そういうのじゃないから。お願いもうこれ以上、困らせないで」
「ずっとずっと謝りたかった。お前、何か良い奴だよな」
「今頃気づいたの? 分かったから雅久、放して」
いつだってそうやって子供扱いするけど、僕にだって譲れないことがある。
美憂を、僕の方へ振り向かせる。
こんなこと、絶対にありえない。
だけど……。
「本当にもう大丈夫だから。仕事もまじめに行っているし、引きこもってもいない」
「そうみたいね。偉い偉い。いい子だから、この手を放してちょうだい」
どうしてかな?
「嫌だ」
「嫌じゃないでしょ。ほら、通って行く人がおかしく思っているわ。話があるなら、どこか別の場所で」
こういうのは得意じゃないから。
「これ、貰って欲しい」
ポケットから出したものを見て、美憂が目を瞠る。
「何、考えているの?」
ぽかんとした顔で美憂が僕を見てくる。
「良いからほら」
半ば強引に僕は美憂の手を取り、指輪を左薬指に嵌める。
みるみる美憂の瞳から、大粒の涙が零れ落ちて行く。
「バカ雅久、付き合ってもいないのに、何しているのよ。さっきも言ったでしょ、私は綾乃の代わりにはならない」
僕は美憂を抱きしめる。
「ならなくていい。そのままのお前でいろ」
「命令するなバカ雅久」
「お前な、一世一代の僕の勇気に、難癖をつけるなよ」
「私、いらない。無理」
「マジ?」
予想もしなかった美憂の言葉に、僕は呆然となる。
「だってお前」
「気があると思っていた? 冗談じゃない。かわいそうな男子を救済する、私は愛のナイチンゲールになっていただけよ」
固まる僕を見て、鼻を啜りあげた美憂が胸を張って見せる。
「だからあなたはダメなのよ。巡礼の旅に出なさい。恋の成就のお祈りして来るといいわ。じゃあね」
だから何だと、僕は思う。
僕らしくなくたって、それが恋の魔法ってやつだろ?
だいぶ遠回りしてしまった僕の恋。だから分かることもある。
「おまえさ、いい加減、素直になれよ」
あっさり僕の腕をすり抜けた美憂が振り返り、イーをしてくる。
順序は違うけど、僕らならきっと大丈夫。
歩いてきた道、見慣れた景色に美憂がいる。そして暖かい日が差し込む。そんな場面が想像できる。いつでも一緒に歩いて行ける、お互いの無様さも、笑い飛ばせる。どんな長い距離でも、痛んだ足庇いあいながら、歩いて行ける。きっと美憂、君となら。
絶対、諦めてなんかやらない。
「待たせて悪かった。謝る。この通りだ。もう大丈夫だから」
「だから、私は好きじゃないって」
出会った頃の僕は、こんな展開が待ち構えていることを、想像もできずにいた。
「これって」
ヘタレの僕は捨てることが出来ず、売って、この指輪を買った。きっと美憂はそれを見破ることも分かっていた。だけど、美憂ならきっと笑い飛ばしてくれる。君はそんな女だから。
頭を掻く僕を見て、美憂が噴き出す。
僕の人生、いつも後悔してばかりで何一つ、良いことがなかった。
初めて好きになった女性は親友が好きで、それでも諦め切れず、物わかりの良いふりをしては傷つき、人気がない公園で、一人、黄昏ていた日々。そんな僕が今、ここでちゃんと立っていられるのは、そんな僕を見捨てずにいてくれた人がいたから。気づかないふりをしても、拒んでも、ずかずかと土足で僕の心に遠慮なく入ってくる愛。
僕は沢山の僕でできている。そのそばにはいつでも美憂がいて、笑ったり怒ったりしていたことを知っている。そうなんだ。飾ることのない自分でいられるのは、美憂の隣にいる時だけ。もうとっくに気が付いていた。意地なんて張るものじゃない。そのバカらしさを教えてくれたのも美憂、君だった。だから僕は精いっぱいの愛を、美憂、君へ捧ぐ。
「美憂、愛しています。僕と結婚してください」
僕は美憂に手を差し伸べる。
「だから言っているじゃない。私は」
僕は美憂の口を塞ぐ。
「バカ雅久。私にキスするなんて、100億万年早いっていうの」
「愛している」
「私はあなたのことなんて」
「寂しい思いせさせて、ごめん」
「バカ雅久。そんなこと言うな。あんたのことなんか」
「美優」
「好きじゃない。好きなんかじゃない」
「分かった。分かったから」
僕は美優を強く抱きしめる。
すべてが愛おしい。
「好きじゃないって」
美優の悪たれが、嗚咽に代わる。
何を言われても仕方がない、僕はどうしようもなく情けない男だから。でも、これだけは誓って言う。
「美憂、愛している」
「雅久の嘘つき。私はずっと雅久のこと、大嫌いだったんだから」
「嫌いで良いよ美優。好きになってくれるまで、僕は全力で愛するから。こう見えても待つのは得意なんだ僕。だからずっと一緒に居よう」
「もうずっと待っていたんだから。ずっと怖かったんだから。雅久のことなんて、好きなんかじゃないって……」
「月明かりの真ん中でお茶を飲もう。時間を忘れて、馬鹿げた話で盛り上がって。ケンカした日は、口を利くのも嫌だろうけど、それもいつか、思い出の一つになる。そんな二人の家庭を作って行こう。変だよな。美憂とならそんなことが想像できちゃうんだもんな」
「ちょっと、今どんな小説読んでいるのよ?」
「ばれた」
「もう」
美憂が僕の胸に顔を沈めてくる。
愚かな僕はいつだって大事なものを見逃してばかりで、手放してしまってから後悔の連続だった。
綾乃、もし君が泣きながら電話を掛けてきたのなら、お人よしの僕はきっと会いに行ってしまうだろう。でも、それは良き友としてだ。その隣には美優も一緒が良い。一人で解決するにはしんどい。
僕はそっと美優に唇を重ねる。
「私で本当に良いの?」
「美優がいい。こんな僕でも幸せにしてくれるのは美優、君だけだ」
金色な自分でなくても、この公園で溜息を吐いては空見上げたあの日々も、
「パパ、ママ」
得意げに手を振るわが子に、僕らは手を振り返す。
すべてはこの日に繋ぐためのものだった気がする。
「さぁそろそろ行くわよ」
「嫌だ。もうちょっと遊ぶ」
「ジージーとバーバーが待っているから」
「あと一回」
憎々し気な笑みを浮かべた美憂が、僕の顔を見る。
「あらあの子、本当にあなたの子かしら?」
こんなやり取りが、幸せを感じられるようになるとは、あの頃の僕は思いもしなかった。
「間違いないだろ。あの往生際の悪さは」
「言われてみれば、あらそうね」
僕らは顔を見合わせて、笑い合う。
大切な物さえ、見失わなければ、何度だってやり直せる。
美憂、それを教えてくれたのも君だったね。
オレンジの灯が灯る公園を、僕らは手をつなぎ後にする。
新しい未来に向かって歩き出そう。この手を放さずに。
(おしまい)
なんだかんだ、そのままの自分でいられる相手が一番と、心からそう思った雅久でした。
この話はこれでおしまいです。
拙い物語に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
また、呟きたくなったら書き出そうと思います。
その時はまたお付き合いいただければ、幸いです。
ではm(__)m




