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失恋バスター  作者: kikuna
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里中が旅立ち、兄である一尊に汚職の疑いが掛けられてしまう。しかしそれは、綾乃との関係を修復をもたらすものだった。

 「雅久、一緒に飲もうや」

 兄貴がフラリと僕の部屋にやって来たのは、釈放されて十日目のことだった。

 無言で水割を作る兄貴の手を眺めながら、僕は今まで聞きたかったことを言葉にしてみた。

 「な、兄貴はどうして、僕にいろいろなものを贈ってくれていたわけ?」

 「あれか」

 眼鏡を外した兄貴が、ニッと歯を見せて笑う。

 「何だよ、その薄気味が悪い笑い」

 「失礼な。俺は雅久とだけは、子供の頃のように、こんな風に笑っていたかっただけだ」

 「は?」

 「子供の頃、よく二人で行った公園、覚えているか?」

 僕は兄貴をじっと見つめながら頷く。

 「お前ってさ、昔から物欲がなくてさ、俺に何でも譲るじゃん。ブランコの順番も滑り台の順番もさ。それがごく自然で、だけどそれは無闇やたらそうしているわけではなかったんだよな。いじわるで順番抜かしをする奴には、お前、敵いもしない相手でも、絶対怯まなかったし、立ち向かって行ってたよな。俺、それ見てさ、こいつスゲーなって、自分の弟ながら思ったんだ。だけど、それはお前の虚勢で、そんなことをした後は、必ず熱を出していた。だからさ、確かめていたかったんだ。雅久が雅久のままでいられるのか。俺はそうじゃなかったから」

 言い終わった兄貴が、笑いながら酒を口へ運ぶ。

 僕は、全然覚えていなかった。

 グラスの中で、氷が鳴る。

 「お前さ、水泳、続ければ良かったのに」

 グラスを見詰め言う兄貴に、僕は首を傾げる。

 「兄貴こそ」

 「俺か、俺はダメだろ」

 「何を言っているんだか」

 「俺はお前に追い抜かれるのが怖くて、必死で泳いでいただけ。でも、お前は違っていたよな。すべての物に自分があって、いつでもお前が闘っていたのは、自分自身、だったんだろ?」

 そんなカッコいいものじゃない。

 僕は苦笑いを浮かべ、グラスを空にする。

 こういう時の酒は、酔えない。

 僕は喉で突っかかっている言葉を吐き出す、タイミングを計る。

 あくびをする兄貴に、僕はそれとなくその言葉を吐き出す。

 「な、どうしてみどりさんとダメだった」

 兄貴がレンズを拭き、メガネを掛ける。

 「失恋した者同士、話してもいいか。雅久には苦い思いまでして、俺を救ってもらった借りもあるしな」

 兄貴が釈放された日、綾乃も一緒だった。

 「今まで通り、と言うわけにはいかないわよね」

 そう言う綾乃の頭に、僕は手を乗せた。

 「良いんじゃないの、今まで通りの、ハルの親友。綾乃ちゃんの良き相談相手。ハルは一筋縄ではいかないから、そういう存在、必要でしょ?」

 「ありがとう」

 俯く綾乃の目に光るものがあった。

 「また泣く」

 エへっと笑った綾乃に、僕は精一杯の笑顔を向ける。

 兄貴を待つ間の会話だった。

 自分でも驚くくらい、自然にそんな会話が出来ていた。


 酒を煽り、頭を掻いた兄貴がポツリポツリ言葉を紡ぐ。

 僕はじっと耳を傾ける。

 二人が出会ったのは中学生時代。

 塾の勉強合宿先、近くにみどりの祖父母所有の別荘があった。と話す兄貴の顔を、僕はまじまじと見る。

 里中から聞かされていたものと、少し違っていた。 

 僕が三歳で兄貴が六歳。

 祖母が夢中になっていた宗教があった。

 躰の弱い僕を治したかった一心だったと、母から聞かされている。

 その祖母も亡くなり、一切その宗教とは関わってはいないのだが……。

 反対する母を押しのけ、祖母は僕たちを何度がその集まりに連れて行った。

 同じように里中の母親も信者の一人で、父親に内緒で連れて行かれていたそうだ。結局それが原因で、母親は家を出された。と補足を交えて里中が教えてくれた話だ。

 そこの託児室で、僕らは意気投合して、ずっと一緒に積み木をして遊んでいたらしい。だから兄貴を清瀬で見かけた瞬間、里中はとっくに運命を感じていた。と言っていた。

 何だかおかしくなった僕は、咳払いを一つして、気を落ち着かせる。

 兄貴はそんな僕の様子に、まるで気が付いていなかった。

 勉強合宿と言っても、中身は中学三年生。

 夜、合宿所を抜け出し、肝試しや花火をする兄貴たちに話しかけたのは、里中の方からだった。それが作為的だったことを、兄貴は知らない。気持ちを伝えるきっかけが掴めず、その場は終わってしまった二人を再び引き合わせたのは、高校生になったばかりの夏。弁論大会の会場だった。偶然再会した二人だったが、兄貴は全然気が付かなかったらしい。その頃の兄貴には恋人がいて、隣から離れようとしなかった。それを見て、里中は諦めようと決心したのだと言う。しかし、里中の中からどうしても兄貴の存在が消えてくれなかったそうだ。社会人になった里中は、思い切って兄貴に告白をした。

 実は兄貴も、里中のことは気になっていたらしい。

 それなのに、と思う僕の意図を組んだかのように、兄貴は言い繋ぐ。

 「けどあいつんち財閥でスゲー金持ちでさ。俺じゃ無理だって思っちゃったわけですよ」

 「でも付き合ってたんだよね?」

 「付き合うっていうか、取引先のお嬢様だったし、成績も欲しかったしな」

 嘯く兄貴に、僕はそれ以上何も聞けなくなる。

 里中は、兄貴と付き合えることになって、心から喜んだと思う。そんな打算、知っててもだ。

 一気に話し終えた兄貴が、僕を見て、寂しそうに笑う。

 兄貴の髪は、やたら白いものが目立っていた。

 「そう言っても、少なからず愛情、湧かなかった?」

 そんな悲しい結末は、里中がかわいそうすぎると、僕は思った。

 「愛してたよ。だけどあいつを思えば思うほど、一緒にいられないって実感させられた。あいつと俺では釣り合わない。無理して一緒にいても、お互いダメになる。あいつは口癖で、幸せは後からついて来るって良く言ってたけどな。苦労をさせても我慢だけはさせたくなかったんだ」

 兄貴らしいと思った。

 「雅久、お前は?」

 「僕はやせ我慢して、後悔して、今も少し引きずっているかな」

 自分で驚いてしまうほど、素直な気持ちが口を衝いて出ていた。

 兄貴が意味もなく、僕の頭を撫でる。


 そして数日後、兄貴は誰にも行先を告げず家を出て行った。


完璧だと思っていた兄、一尊のもろさに触れ、雅久の中で燻っていたものが、消えて行くのだった。

新たな自分を開拓するため、雅久は一歩前に踏み出して行く。

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