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それが兄貴の計らいだと言うのは、薄々勘付いていた雅久。
自分の殻を破りたいと、心のどこかで思っていた雅久は、騙された振りをして、兄貴に指定された場所へと向かったのだった。
待ち合わせ場所まで来ておきながら、僕はすっかり怖気付いていた。
理解不能の自分に、腹さえ立っていた僕は、あたりをキョロキョロする。
あまりにもベター過ぎませんか兄貴。
むしろなぜ宝くじ売り場の横などと、お選びになった?
兄貴は頭が良い。美青年とまで行かないが、まぁまぁ見れる顔をしている。それなりのノウハウもあるはず。なのになぜだ?
すぐに断って帰るつもりだった。
おぼつかない兄貴情報を屈指し、僕は相手の女性を探した。
髪が長く、赤いバッグ。行けば分かるって、雑すぎではありませんか兄貴殿。
兄貴が言う通りだった。
一際目立つ女性が、一人。
ふとこちらを見た彼女の目と合ってしまい、思わず僕は下を向く。
「もしかして、カズ君の弟さんですか?」
向こうから声を掛けられ、僕はホッとしつつ、目を上げる。
想像以上にきれいな人で、返事をする声が上ずる僕。
嬉しそうに笑って言い繋ぐ彼女と、僕はまともに目を合わせることが出来ずにいた。
「はい。輪錦雅久と言います」
「へぇ、雅久君って言うの。字はどう書くの?」
「雅に久しいって書きます」
「一尊に雅久って、一つを尊んで雅ひさしく。貴方のご両親は、壮大な考えの持ち主なのね。そうかそうか。雅久君ね。私、里中みどりって言います。よろしくね」
目の前に手を差し出され、僕はとりあえず笑ってその場を凌いだ。
「じゃあ行きましょうか。ガッちゃん」
……ガッちゃん?
ニコニコしながらそう呼ばれ、僕は気が遠くになりそうになる。
「どうしたの? 早く行きましょ」
振り返る里中に、僕は意を決する。
「あの、すいません。兄貴、仕事が立て込んでいるみたいで」
「そうみたいね」
あっさりと返してきた里中の顔を、僕はまじまじと見る。
「あの、日を改めた方が」
「良いから良いから。行きましょうか」
良くない、でしょ? デートの代行を頼む方もアホだけど、それを良しとする方も、どうなの?
すっかり目が三角になっている僕の腕を、里中はお構いなしに、引いて行く。
「こんなの、やっぱ良くないと思うんです」
「そうよね。ガッちゃんも若人の身、こんな所、彼女にでも見られたら大変」
手をかざし、遠くを見やるその大袈裟な仕草をされ、僕は苦く笑う。
「そういうことではなくて」
「あっそっか。まずは彼女がいるのかってこと、聞いておくべきだったわよね」
「だからそうではなくて」
「いるの? いないの?」
里中の強い口調に僕はつい、口を滑らす。
「いませんけど。それが何か?」
ムッとする僕を見て、里中が肩を震わせる。
久しぶりに躰の芯が熱くなってきた僕は、ムキになっていた。
「普通、しませんよね、デートの代行なんて」
「ノープロブレム。気にしないで、私なら大丈夫。ほらぐずぐずしないで」
「気にしてくださいよ」
目を瞬かせる里中に、腹が立って仕方がなかった。
「問題、ありありでしょ。僕から兄貴にはしっかり言っておきますから。あなたも、マジ簡単にこんなこと、許すなよ」
僕に手を振り解かれた里中は、一瞬目を丸くしたものの、すぐに笑いに代わる。
「ガッちゃん、ムキになって可愛い」
僕は耳の裏まで赤くして、俯く。
「カズ君が言う通り、まじめちゃんね。気にすることないわ。ガッちゃんが来てくれて、私としては大感謝しているのよ。さぁ早くいきましょう。予約時間に遅れるわ」
「予約時間って?」
先に歩き出した里中を小走りで追いかけ、僕は尋ねた。
「予約、今日を逃すと、今度いつ取れるか分からないから。キャンセルするのも癪だし、そうかと言って、一人で行くのもね。淋しすぎるかなって、だからガッちゃん、全然気にすることはありません。胸を張ってついて来るのであります」
敬礼をして見せる里中に、僕は返す言葉が見つからなかった。
そう言うことだったのか、と僕は思った。
あの唐突な質問は、ここへ繋がっていたのだ。
柔らかい笑みの里中と目が合い、僕は慌てて目を反らす。
少しだけ、兄貴がいる世界を知りたい、そう思った雅久の巻でした。