19
嵐の中、綾乃を見つけ出した雅久は、自分の気持ちを抑えきれずにいた。
裏切られても、まだハルが好きとなく綾乃を、雅久は力づくで抱いてしまうのだった。
そして二人は婚約をすることになる。
僕の人生、後悔の連続だった。だから今度こそは上手くいく、そう信じたかった……。
綾乃を家まで送って来た僕は、動くもの影を見て愕然とする。
酔いつぶれたハルが、座り込み壁に凭れ掛かっていた。
「……ハル?」
酔いつぶれているハルの足元には、空き缶が転がっていた。
「ハル? ハル、しっかりしろ」
「おっ雅久、久しぶり。聖悠人、無事生還いたしました」
敬礼してみせるハルに、僕は無性に腹が立った。
「ふざけるなハル。今、何時だと思っているんだ?」
「日本時間だと、夜の10時くらいいすっかね」
「ハル、僕が送ってやるから帰るぞ」
「雅久、ちょっと待って、俺、綾乃を待ってんだ」
青ざめた綾乃が、微動だもできずにいた。
「待つって、今更、会う理由なんてないだろ? 大体今まで、どこで何をしていたんだよ。そんな勝手が許されると思っているわけ?」
「良いから放って置いて」
話にならなかった。
「ハルいい加減にしろよ。手を貸してやるから」
僕の手を振り払ったハルが、綾乃を見つけ立ち上がって近づいて行くのを、何とか阻止しようと必死になる。
「綾乃ちゃん見っけ。ただいま」
二人の間に僕割り込む。
「雅久、どいて。俺ら二人っきりにしてくれ。綾乃に大事な話があるんだわ。綾乃、すまなかった。少し話さないか」
「ハル、いい加減にしろよ」
突き飛ばされてもハルは、へらへらと笑うばかりで、それが腹が立って、許せなくって、気が付くと僕はハルの胸ぐらを掴みかかって行っていた。
「ハル、自分が何をしたのか、分っているのか? 綾乃を散々傷つけて、良くおめおめとその面、出せたな。僕と綾乃は結婚する。もうこれ以上、綾乃を傷つけることは、僕が許さない」
「はぁ? 何、人の女にちょっかい出してんの? 綾乃は俺にべた惚れなんだよ。なぁそうだよな綾乃」
「何、勝手なこと言ってんだよ」
「その手、放せよ。綾乃は俺と離れてて、ちょっと寂しくなっただけなんだよな。俺はそんなこと、気にしないから。だからもう一度」
「ふざけんな。二度と僕と綾乃の前に現れるな」
予感はあった。
ずっと僕の中にそれは潜んでいて、だから急いでいたのかもしれない。
「綾乃、こんな奴、放って行こう」
「綾乃、もう一度、俺とやり直さないか。俺、お前じゃないとダメなんだ」
咄嗟的だった。
僕に殴られたハルがよろめく。
「いってぇ」
「どうしてなんだよ。どうして?」
気が付くと、僕は力任せにハルを殴り続けていた。
「綾乃を愛している。雅久、頼む。綾乃を、俺に返してくれ」
「何を言ってんだよ今更。僕と綾乃はこれから結婚して、どんどん家族を作って、僕だって……僕だって」
「雅久君、もう止めて」
愕然とする僕の前に、綾乃が立ちはだかっていた。
「綾乃、ごめんな。俺、凄く反省している。もう一度俺と」
「勘違いしないで聖さん。雅久君を止めたのは、犯罪者にしたくなかっただけだから。私はもうあなたのことなんて、忘れました。お願いです。もう私の前には、二度と現れないでください。私たち、婚約したんです」
「綾乃、そんなことを言わずにオレの話を聞いてくれ。この通りだ。本当に悪かったと、反省をしている」
頭を下げるハルを、綾乃は一度も見ようとしなかった。
「雅久君、行きましょ」
毅然とした態度を振る舞う綾乃手が、小刻みに震えていたことを、僕は気が付いてしまっていた。
何事もなかったように、穏やかな日々が二人を幸せへの道を辿らせていた。
あれから綾乃は、一言もハルのことを触れてこない。
二人の婚約を僕ら以上に喜んだ兄貴と里中さんが、着々と結婚式の準備を進めて行っていた。
式場の打ち合わせの帰り、僕は寄り道をしようと綾乃を誘う。
二人でよく待ち合わせたカフェでお茶を飲み、街路樹が立ち並ぶ道を二人で歩く。公園を見つけた僕らは、ベンチに腰を下ろし空を眺める。
晴れ渡った空が気持ち良かった。
「かわいい」
綾乃が、遊具で遊ぶ子供に目を細める。
綾乃を胸に引き寄せる。
こんなことも僕は普通にできるようになっていた。
綾乃に出会って、僕の人生は大きく変わって行った。
髪を撫で、僕はゆっくり息を吐き出す。
「綾乃ちゃん、今までありがとうな」
「今更、なに?」
「一度、礼を言っておこうと思ってな」
「変な人」
僕は綾乃の手を持ち上げる。
「好きだったなこの指の形」
僕はさりげなく綾乃の指から指輪を抜き取った。
「雅久君?」
驚いた眼で見る綾乃に、僕は目を細める。
自分でも愚かだと思う。
「綾乃、僕たち別れよう」
「雅久君、もしかして」
言いかける綾乃の口を、僕は指で塞ぐ。
「良いから僕の話を聞いて。僕と綾乃では釣り合わない」
「そんなこと」
「住む世界が違い過ぎる。綾乃のご両親だってそう思っているはずだよ。やっぱ派遣社員っていうのは、ないなって自分でも思うし」
「そんなの関係ないわ。私は平気よ」
「無理しないで良いって」
「雅久君、私本当に聖さんのことは、もう何とも思っていないし。父や母がどう思うと、私全然平気よ」
「綾乃が平気でも僕がダメなんだ。一回くらい僕の言うことを聞いてよ。綾乃にふさわしいのはハルだと思う。あいつは凄い。あいつとならきっと綾乃は幸せになれる」
「どうしてそんなことを言うの?」
「見ていればそんなこと、分る。まだ、ハルが好きなんだろ?」
綾乃は頻りに首を振る。
ずっと綾乃を見てきた僕だから分かる。綾乃は無理をしている。この先ずっと……、大事だからそんなことはさせられない。
とっくに出ていた答えだった。
綾乃の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「僕じゃダメなんだ。綾乃のことを心から笑わせられるのは、ハルしかいないんだ」
「雅久君、それは違う。私はもう聖さんのことは」
「いい。もうこの話は止そう。また前の僕らに戻ればいい。ハルの愚痴ならいくらでも聞いてやるから、行ってやれよ。あいつ、かなりへこんでいるみたいだから」
「でも」
「良いから早く行けって言ってんだろ。僕の気が変わらないうちに、行けって」
僕は戸惑う綾乃の背を押した。
間抜けな道化役が、僕には似合う。
後ろ髪を引かれながら、綾乃はハルの元へ去って行った。
――そして僕は抜け殻になった。
やっと手に入れたはずの人は、どこか寂し気でそれが悲しかった雅久の選ぶ道は一つだけ。
憎らしいほどの晴天のもと、悪になりきれなかった雅久は別れを切り出す。そしてそれぞれの季節が始まろうとしていた。




