10
日曜日のスクランブル交差点。
人の多さに目を細めている僕に、着飾った綾乃が手を振る。
それだけで僕の心は弾んだ。
「どうも」
不愛想に言う美優に、一瞬間をあけて、オウム返しをする僕を見て、綾乃が弾けんばかりの笑顔で言う。
「2対2の方が自然かなって思って、勝手に美憂を連れてきたけど、大丈夫だったかしら?」
余程この日を、待ち侘びてきたのだろう。
屈託のない笑顔に、頷くしかなかった。
悔しいほどに、今日の綾乃は綺麗だ。
それなのにハルは……。
改札口。
発着が数度繰り返され、ハルは一向に姿を見せようとしなかった。
僕は焦る気持ちを抑えながら、携帯を鳴らし続ける。
「ねぇ、本当に来るって言っていたの?」
美憂の冷ややかな目から逃れるように背を向けた僕は、携帯を握る手に力が籠る。
「綾乃、聖って人、諦めた方が良いと思う。きっとあなたに相応しくない」
「でも」
「こんな約束一つ、守れない男よ。きっとだらしない性格なのよ」
電話を切った僕は、気が付くと美憂に言い返していた。
庇う気などなかった。寧ろ、腸が煮えくり返って、ハルのこと、殴ってやりたい。と思っていたくらいだ。
「ハルは一風変わっている奴だけど、連絡なしに約束をすっぽかすような奴ではない」
そう言い張る僕に、美憂は口を尖らし責め立てる。
「だったらなぜ来ないのよ」
「まさか、事故に巻き込まれたってことはないですよね」
目を潤ませる綾乃に見詰められ、僕は携帯を握り直す。
無性に腹が立った。
「もう47分28秒も過ぎましたけど」
ムッとした僕の目の端に、青ざめた綾乃が映る。
居たたまれなかった。
ハルなんか、止めちまえよ。そう言ってやりたいのは、誰でもない、この僕だ。
怒りの矛先が違うのも、綾乃が困るのも、僕は、僕は……。
「ほら綾乃、行こう」
美憂に手を取られた綾乃が、救いを求めて僕を見る。
そんな目で見ないでくれ。
心が叫ぶ。
「止めよ。綾乃さん、嫌がっているじゃん。帰るなら、自分一人で帰りなよ」
「何? 意味不明なんですけど。こうなったのって、私のせいなわけ?」
「僕ではないことは確かだ」
「は? 責任逃れですか?」
「事実を言ったまでだけど」
「でも、あなたのお友達でしょ。あなたにも責任あるわよね」
「とんだ言いがかりだ」
こんなにムキになったのは、何年ぶりだろ?
どこからこの憤りが湧いてくるのか、体中が熱帯びて行く。
「二人とも、お願いもう止めて」
戸惑いを見せる綾乃に、僕は目を奪われる。
「待っていたって、聖ってやつ絶対に、来ないよ。綾乃、帰ろう」
「もう少し、待とう。もしかしたら寝坊しちゃったのかもしれないし、時間、勘違いしているかもだし」
必死の抵抗をする綾乃の言葉一つ一つが、僕の心に突き刺さる。
どうして……どうして……どうしてなんだ。
二人に背中を向け、再び僕は電話を握りしめる。
「綾乃、悪いことは言わない。もう無理だって。脈、ないよ。諦めた方が良いって」
「そうかな」
「その聖って男、絶対クズだよ」
さすがに聞き捨てならない美憂の発言に、僕は電話を切り、言い返してやろうと振り返る。
その時だった
「雅久君。あれ」
遠くを眺めていた綾乃が指さし、嬉しそうに僕たちを顧みる。
ハルは悪びれる様子もなく、こちらに向かって横断道を渡っているところだった。
「マジ、ムカつく」
美憂の呟きに、僕も同感だった。
「どうしてこっちから来た?」
怒りを押さえて聞く僕に、ハルは大きな欠伸をしながら答える。
「久々に、安さんに呼び出された」
「安?」
安と言うのは、水泳部のコーチで、ハルが最も嫌っている人物だった。
絶句する僕を見て、ハルが薄く笑う。
「ハル、嘘を吐くな。本当のこと、話せよ。大体遅れてきて、その態度、ないでしょ?」
僕はハルの胸倉を掴んでいた。
「聖さん、今日来てくれて、どうもありがとうございます」
ん? とした顔でハルが僕を見る。
そんなのはもうどうでも良かった。
さっきまでの不安気だった綾乃が、弾けんばかりの笑顔でハルを見ている。
鼻を鳴らしたハルが、綾乃を見て目を細める。
予想外の行動に、僕は唖然としたまま、忘却者とかしていた。
「おい、放せよ雅久。レディの前だぞ」
僕の手を払ったハルが、この上ない笑顔で綾乃に微笑みかけている。
「何かあったのかと、心配しちゃいました」
綾乃の頬が、ほんのり赤くなっている。
言葉がなかった。
「ごめんねぇ。雅久からこんなかわいいゲストさんが来ていること、知らされていなかったから。知っていたらもっとおめかしして、待っていたんだけどね」
軽佻な口を叩くハルに、綾乃は口に手を当て、本当に幸せそうに笑っている。
完敗だ。
そう思った僕は、笑顔を作り会話に加わって行く。
「わりぃ。驚かせようと思って。で、何で遅れた?」
「急の呼び出しで、久々だったし、ついつい深酒になっちまった。目、覚めてビビったわ。安さんのすね毛だらけの足が腹の上に乗っていて、頭はいてぇし、携帯は電源切れだし、これでも頑張って来たのよ俺」
こんな優し眼差しをするハルを、僕は初めて見た気がする。
「そうだったんですね。お酒、お強いですか?」
「お強いってか?」
何がおかしいのか、笑い出したハルに、美憂がムッとした声で突っかかって行く。
「ちょっとあなた、散々人を待たせておきながら、その態度、おかしいでしょ」
「はん。誰?」
「聖さん、紹介します。私の友達の、遠野美憂さんです」
「ふーん」
興味なさそうに返事をするハルに、勝ち気の美優には許しがたいものがあったのだろう。
「人として、どうなの? 詫びもなく。ああ許せない」
食って掛かる美優を横目に、僕の心は凍り付いてしまっていた。
「あの人、何か怒っているみたいだけど、えっと、ごめん、名前、何だっけ?」
「四十万綾乃です」
「綾乃ちゃん、可愛い名前だね。綾乃ちゃんも、怒っている?」
「私は、大丈夫です」
目を伏せて、答える綾乃の肩をハルは抱き寄せる。
「外野、煩いから二人でどこか、行こう」
耳打ちをされた綾乃の目を大きくして、ハルを見返す。
お似合の二人。
そんな言葉が僕の頭に渦巻く。
微笑み返す綾乃が、眩しかった。
興味がないと言っていたのに……。
「綾乃、走れ」
何も分からないまま、ハルに手を引っ張られ、綾乃が僕から離れて行く。
その顔は、見ていられないほど幸せそうで、僕は泣きそうになる。
「あんたも、あの男もクズだね」
すっかり美憂の存在を、僕は忘れてしまっていた。
数秒、間を置いた僕が言い返す。
「うるせえ」
「感じ悪っ」
どうしてこんなに、腹が立っているのに、涙が出るのか分からなかった。
「ハルが罵られるのは、僕にも理解できる。今日のあいつは最低だ。だけど、なぜ僕までがそんな言われ方をされなければならない?」
喚き散らす僕に、美憂も負けていなかった。
「クズをクズと言って何が悪いの? 涙が出るほど、綾乃が好きなくせして、何をしているの?」
「そんなこと」
「あるよね。嘘つき。だったらなぜ、綾乃があの男の話をしている時、苦しそうな顔をするのよ」
「してない」
「しているよ。今だってそう。そんな泣きだしそうな顔してさ、良い人ぶっちゃって。そんなに好きなのに、恋の手伝いなんかするかな? バカじゃないの?」
僕は返す言葉がなかった。
「私、帰るわ。あんたはどうする?」
僕の手には、クチャクチャになったチケットが握りしめられていた。
「これ、勿体ないから行く? 付き合ってあげても良くってよ」
僕の手からチケットをひったくった美優が、ため息交じりで言うのを、遠くに見ていた。
それからのことは、あまり覚えていない。
二人で美術展を一回りして、イタリアンレストランで食事を摂った。
美憂は相変わらず棘がある口調で、僕のダメ出しをして、それでも僕はうわの空で、二人で消えて行った姿が頭からはなれずにいた。
「つまらない一日だった」
不満を顕にする美憂に、僕は苦笑して別れる。
これで僕の役目は終わった。
そう思った瞬間、温かいものが頬を伝う。
初めて味わう痛みに、その温かいものはしばらく止まることはなかった。




