言語の難易度
私はこれまで、言語の難易度というのは母語と学習言語の言語学的な距離が決定すると思ってきた。
例えば、「日本人にとって英語が難しいのは、日本語と英語が似ても似つかない言語だからである」という主張である。
確かにこれを裏付ける根拠を挙げるのは簡単だ。英語と日本語は文法、発音、語彙、文化、どれをとっても似ている部分が少ない。これに対し、フランス語と英語では似ている部分が多い。無論英語とフランス語は同じ言語ではないし、文法、発音ともに違う部分もある。しかしそれらは日本語との差異と比べれば小さい。日本人とフランス人が同時に英語を勉強しはじめた場合、フランス人の習得速度は日本人のそれをはるかに凌ぐだろう。
かくしてフランス人は一年勉強しただけで英語がペラペラになり、日本人はそうならないということがありえる。
こうした話を私は幾度となく耳にしたことがある。私自身もそう思ってきた。しかし一見もっともなこの主張にも穴があるように思い始めたのだ。
言語の難易度というのはもっと色々な要因が絡んでいて、個人差が大きいように感じる。他の要因を挙げてみたい。
①学習言語に触れる機会の多さ
何語だろうが、子供のときから勉強すればできるようになる。現代社会で英語と完全に触れないで生活することはありえないので、英語は一番触れる機会が多い言語である。その点で行くと、他の言語と比べても英語は圧倒的に習得がしやすい言語ということになりえる。
実際、ほとんどの先進国では自国語はあるにしろ小さい頃から英語環境で育つことは可能といえば可能である。
私が個人的に今まで出会ってきた外国人の中で、逆に「成人を過ぎてから英語を習得した」という人はほとんどいなかった。それほどまでに世界中の国々では英語は生活に浸透し、できることが当たり前になっている。
(一方、日本ではいまだ英語というのは完全な「外国語」であり、授業以外の場で使う・触れる機会は少ない。親の方針で英語を使う家庭に生まれたり、インターナショナルスクールに通ったりしない限りは英語を完全に使わないまま成人になることが多い)
しかし、例えば日本人にとっての中国語ならどうだろう。中国語に触れる機会はほぼないに等しい。中国の芸能関係の情報やらニュースやらが入ってくることはなく、日本人にとって中国語はかなり触れることの少ない言語である。
よって、そういう点だとたとえ同じ漢字を使っていてどんなに単語が覚えやすくても、中国語の習得は難しくなる。
②学習意欲の問題
英語を習得することによる利益は大きい。英語ができれば世界中のたくさんの情報にアクセスすることが可能になる。娯楽だけでなく、学術論文や国際会議での共通語など、英語の果たす役割は増すばかりである。
ここから考えて「英語を習得したい」と強く思う人間が多いのはある意味で当たり前である。やる気があれば、つらくても勉強するだろう。
しかしこれに対し、日本語の場合は日本でしか使われておらず、日本周辺国以外の人間にとって日本語の習得による経済的、社会的メリットは少ない。エンタメや文化的なコンテンツにのみ頼っているため、ある意味での「必死さ」は生まれにくい。日本大大好き日本万歳の一部の変な外国人を除いて、死にものぐるいで日本語を習得したい、と思わせることは難しい。
③『習得が難しい点』の個人差
これが最近の私の悩みどころである。何語にも難しいところというのはある。日本語なら文字体系、英語ならスペリングや冠詞、中国語なら声調や漢字、アラビア語なら動詞の活用といった具合に。
しかしこれらは果たして、本当に難しいのだろうか?
というのも、こうした要素に難しさを感じるかどうかは極めて個人差が大きいように思い始めたのだ。
もちろん母語の特定の要素のおかげで学習が楽になるということはあるが(例えばもともと漢字を使う中国人にとって、日本語の文字体系は言うほど難しくはなくなる)、それだけでなくてそもそも学習者の適性のような問題があるように思うのだ。
例を挙げよう。
ある二人の日本語学習者がいた。二人は欧米の言語を母語とし、同じように日本語を勉強していた。しかし一人は日本語の学習に成功し、もう一人はあまりできるようにならず失敗した。その原因は「日本語の語順に難しさを感じたかどうか」であった。
一人は日本語の文法は何も難しくないと感じ、日本語の文法は簡単という結論に達していた。しかしもう一人は日本語の語順に強い抵抗感を覚え、できるようにならなかった。
二人はいわゆるマルチリンガルで、外国語の習得に対する根本的なやり方は知っていたしやる気もあったと思うのだが、このような大きな差が出た。私はこれに彼らの頭の良し悪しは関係ないのではないかと思っていて、単に「学習対象に対する適性」であったり「何を難しいと感じたか」のような問題のほうが重要なのではと思い始めた。
つまり「XXが難しい」というのはその人個人の感想であって、それを全員に当てはめて考えてしまうのもよくないのではないだろうか。