魔人の第一歩
雨が上がり、陽が顔を出す頃には激痛や苦しみはなくなっていた。
仰向けになりながら、俺は魔力を得た実感を噛みしめている。
雷が落ちてきた直後は体の至るところに火傷を負っていたはずだが、今はその跡すら無い。
ようやく得た。人間たちに復讐するための力を。
この魔力を行使して、取りあえずはあの三人にごめんなさいと言わせてやろう。
と、思うのだが。
……分からない、魔力の使い方が。自発的に使用出来ないのだ。
このままでは宝の持ち腐れでしかない。
「魔人になれたみたいね。おめでとう」
洞窟から出てきたベレッタは、慈愛を感じさせる笑顔で挨拶をする。
その表情はまるで、澄み渡った今日の天気のようだ。
……こいつ、記憶障害でもあるのか?
「とりあえずお前、正座しろ」
「何よ、人がせっかく褒めてあげたのに。凄いことなのよ、魔人の血を引かないものが、魔人になるということは」
「……凄いって、なれなかった奴もいるのか?」
「ええ。精神が耐えられなければ、魔力が霧散して終了。二度と魔人になれるチャンスはないし、最悪は精神を病むかもね」
「それ結構、分の悪い賭けだったんじゃ……」
「だから、おめでとう。まあ、見込んだ私が凄かった、ってことでもあるけどね」
なんでお前の手柄になってんだよ。ベレッタは自慢げに微笑む。
くすくすと笑みを浮かべながらも、ベレッタは不意に真剣な口調になった。
「ルーク、あなたは人間に復讐したいと言っていたわよね?」
「まあ、人間なら誰でもって訳じゃないけど、取り敢えず冤罪吹っかけてきた奴にはな」
「それでいいわ、その憎しみを忘れないというのなら。私が魔王になった暁には、あなたを魔王軍幹部として待遇し、必ず復讐を果たさせることを誓うわ」
俺は泥水と血に塗れていたが、ベレッタは臆することなく、小指を立てた右手を近づけてきた。
「指切りげんまん、って知ってるかしら?」
「知ってる、けど」
それは、日本の風習じゃなかったか?
しかし、この世界ではどうやら違うらしい。
「魔人の風習が人間たちにも浸透してるなんて、複雑ね」
溜め息を吐きながらも、ベレッタは俺と小指を結ぶ。
その瞬間、ベレッタと目が合った。
気恥ずかしいのか、顔を赤らめている。それなら、形式上の事なんて別にやる必要もないのに。
「ゆ、ゆびきりげんまん、嘘ついたら、針千本のーます。ゆーび切った」
ぎこちないリズムで、手を上下に振る。
それでも言い終わった後は、満足げな笑顔に変わった。
「……何よ」
「いや、ベレッタにも子供っぽい一面があるんだなって」
「こ、子供っぽいわけじゃないわよ! とにかく、契約したからにはこれから私の下で馬車馬の如く働いてもらうから。覚悟しときなさい」
「……そんなの聞いてないんだけど。新手の詐欺じゃないのか」
「私は本気よ。まあ、せめて顔くらい洗ってきなさい」
ベレッタはそそくさと洞穴の中に戻っていった。
ワニの血だの、泥水だのを落とすために、近くの泉へと向かうと、先客のコルトがいた。
顔を洗った直後だと流石に目が見開かれるのか、猫みたいな表情を浮かべている。
いつもそれなら、もっと可愛いと思うんだけど。
「あら、魔人になったんですのね。取りあえず、おめでとうと言っておきますわ」
「どーいたしまして。だけど、魔人になったっていうのは、魔力でも感じるからなのか?」
「それもありますけど、魔人の特徴と言えば瞳の色ですわ」
コルトに促されるように水面を覗くと、確かに瞳の色が変わっていた。
それはやはり、例えるなら血の色のような。
しかし変わっていたのは瞳の色だけではない。
「髪の色まで変わっている。銀髪って、瞳の色も合わさってなんかカッコいいな」
「そうですの? 似合ってはいますけど、白髪ってあまり良いイメージないですわね。貴方って実年齢はいくつなんですの?」
「白髪じゃねえ、銀髪だ。あと歳は18」
「わたくしと3つしか違わないんですのね。なら、ストレス耐性が低すぎるのではなくて?」
「だから白髪じゃないって言ってるだろ! あとそれだけはニートに言われたくない」
コルトの質問を返すと同時に、体と服を洗う。
さすがに下半身は脱がなかったが、上裸になった瞬間、強い視線を感じた。
「あんま見るなよ、恥ずかしい」
「わたくし、他人の身体を観察するのが趣味ですの。それより、わたくしに呪術を教えて下さらない?」
「どちらも悪趣味な奴だな。まあ俺に呪術が使えたら、少なくともお前ら三人揃って腹くらい下していてもおかしくないんだけど」
「使えませんのね」
さっき顔を洗ったばかりのはずのコルトは、すでに眠たそうな半目に戻っている。
ムカつく表情だな、と思う。さっきまでの可愛い表情は何処へ行ったのか。
洞穴に戻ると、カトラスが作った朝食がテーブルに並べられていた。
びしょびしょの服のまま食卓に着くと、椅子が汚れるから、とカトラスが魔力で俺の服を乾かしてくれる。
椅子といってもベレッタのやつ以外はただの岩なのに、優しい奴なのかそうでないのかよく分からない。
朝ごはんはパンと昨日のワニの残りのスープで、食器がなくとも食える。
いただきますとごちそうさまは欠かさずに、食後のティータイムを楽しんでいる、その最中。
「じゃあルーク、魔力の練習がてら、今日から一仕事してもらおうかしら。丁度ここには暇を持て余したニートがいるから、魔力の講師役をやってもらえるものね」
ベレッタはコルトの方に視線を向けたが、コルトは、誰なんですの? とでも言いたげに後ろを振り返る。
が、カトラスが頬を引っ張ってコルトの視線がベレッタの方に戻ってきた。
「痛いですわ。乙女の顔を引っ張るなんて、マナー違反ではなくて?」
「何を貴様、労働の義務も果たさん奴がマナーを語るな」
ベレッタとカトラスに睨まれてなお、コルトは観念する様子を見せない。
「嫌ですわ、働きたくありませんわ。ルークならきっと、一人でもやっていける強い子ですわ」
俺も進んで働く気にはならないが、コルトと同様の扱いは受けたくない。
しかし、自発的に魔力を発動できないとあっては、魔王軍になっても窓際族にしかならない。
「コルト、観念しろ。たまには働くのだって悪くないだろ」
俺がそう言うと、コルトは頬を膨らませてこちらを見た。
そんなことをしても可愛くないぞ。ガキだと思われるだけだぞ。
「なあ、お願いだって、コルト先生」
仕方が無いから、俺が大人になって折れてやる。
先生と呼ばれたコルトは自信を取り戻したのか、少しだけやる気を見せた。
「ま、まあ、そこまで言うのなら仕方ありませんわ。わたくしが、講師を務めてあげますの。しっかり感謝するんですのよ」
ちょろいな、と思うけど。
コルトの顔は引き攣っており、今にも卒倒しそうなほど顔を青ざめている。
コーヒーがばちゃばちゃと音を立てて零れている。
本当にこいつが講師役で、大丈夫なのだろうか。
次回は1/21、11時頃更新予定