魔神
魔神となったウィズ。
それは、俺が元いた世界でも、今いる世界の住人でもない。
俺の遠い先祖であるウィズと加藤一が出会わなかった世界。
そして、魔力を得た世界。
そんな世界の、唯一の住人。
「あなたは……」
この世界のウィズが、一歩前に出る。
600年も前は同一人物だった。だが、同一人物だったにしては、あまりにも顔が違い過ぎていた。
世の憎しみを全て背負ったような顔。
前に立つだけで、重圧に押しつぶされそうになる。
「久しぶり、と言うのが正解かしら?」
「あなたは、私……? ウィズ、なの……?」
しかしながら、魔神が一歩近づくと、魔人のウィズは一歩後退した。
始まりの魔女と呼ばれ、魔人の中でも随一の戦闘力を誇るウィズさえ、魔神と化したウィズには圧倒されている。
「ウィズ……ね。ふふ、その名を聞くのは、何百年ぶりかしら。いや、物心がついてから、他人にそう呼ばれた事なんてなかったわ。あなたと違ってね」
……見えなかった。
魔神が手を振り上げたかと思うと、魔人のウィズの右腕が消し飛んでいた。
「ぐっ……!」
普通の魔人であれば、傷の治りが早いとはいえ腕は再生しない。しかしそこは始まりの魔女だからなのか、すこしずつ腕が再生していく。
不老不死、とはよく言ったものだ。
だが、魔神と正面からぶつかれば必ず死ぬ。
「ふふふ。神とやらに話は聞いたわ。加藤一と言う人間が、昔にいたそうね」
魔神の形相が、いっそう険しくなる。
「私は生まれてから友達もいなければ、当然恋をしたこともなかった。どうしてあなただけ、幸せなのかしら。600年前まで、同一人物だったはずなのに」
魔人のウィズは、それを聞いて唇を噛んだ。
想像に難くない。自分が加藤一に出会わなければ、どんな人生を歩んでいたのか。
しかもそれを体現した存在が、目の前にいる。
人としての感情が、消え去ってしまったかのような顔つきで。
「羨ましい、妬ましい、憎い。この感情を発散するために人を殺してきたことだけが、私の唯一の楽しみだった。人を殺すことへの渇望は時を経るごとに増して言ったけれど……。ようやく潤うかもしれない、この世界を、壊してしまえば」
……違った。
源泉は魔力と同じ、憎悪なのだろう。
しかしそれは、人である限り辿り着けない境地であった。
600年、暗黒を圧縮に圧縮を重ねたそれは、ブラックホールが如く、全てを飲み込んでいく。光さえも逃さない、深遠も見えぬほどの闇。
束になっても、裏をかこうとも、一縷の望みさえ見いだせない戦力差が、魔神との間には合った。
それこそ、本物の太陽やブラックホールが間近にあったとしても、魔神には何ら影響もないだろう。
「簡単には殺さないわ」
突如、体全体に激痛が走った。
その場にいる全員が、苦痛に顔を歪める。
一人、また一人と、地面へ倒れ込んでいく。
その時だった。
魔神の顔に、少し寂しげな表情が映ったのは。
憎んでいると言いながら、まるで何かを俺たちに期待しているような、そんな表情に見えた。
それを見てしまっては、俺は、倒れる訳にはいかなかった。
どんなに苦痛が続こうとも、倒れてはいけない。
俺が子供の頃に憧れた、そしてベレッタも憧れた、ヒーローになるチャンスが、ここにある。
「……これで、満足か」
俺が口を開くと、魔神は怪訝な顔をしてこちらを向いた。
「誰かしら、あなたは」
「あんたの、子孫さ」
因果関係はなくとも、俺は確かに、この魔神の末裔だ。
「アンタに比べれば、僅かなもんだが、俺だって辛い思いはしてきたから断言できる。こんなことをしても、アンタの気は晴れない」
「あなたに、私の何が分かる!」
苦痛が増す。
逃げ出したいほどの痛みが、体全体を覆っている。
それでも、それでも。
乗り越えた先に、希望があるのなら。
屈するわけには、いかない。
「俺はな、仲間が好きだ。他愛もない話が、一緒に呑む酒が、美味い料理が好きだ。下らない日常が、好きなんだ。それを守るために、天使やらなんやらと戦ってきた。……ウィズ、おれはアンタに、それを体験してほしいんだ」
「何を……」
ふと、苦痛が和らいだ気がした。
魔神の気持ちが揺れているのか、それとも俺が苦痛になれたのかは定かではない。
「俺はその日常が楽しかった。生きていてよかったと実感させられた。それは、アンタがいたからだ。たとえ世界が分岐したとはいえ、アンタがいてくれたから、俺は生を受けたんだ。ここにいるベレッタも、カトラスも、コルトも、みんな、アンタが居たからこの世に生まれてきたんだ。返せるのなら、この恩を、返したいんだ」
「……そんなもの、いらない! 私には、この憎悪だけがあればいい!」
揺らいでいた。
言葉は強くても、どこか迷いが聞いて取れる。
魔神とは言え、元は、同じ人間だったのだ。
今にも消えそうだった蝋燭の火が、微かに盛り返す。
欠片ほどにに残った人としての感情が、少しだけ前面に出る。
「ウィズ、俺はアンタを救いたい。救わなくちゃいけないんだ。例えここを生き延びたとしても、ここで救わなければ、明日飲む酒も、料理も、美味く感じられないんだ。楽しいと思えないんだ。ウィズが、楽しいと思える世界が、俺が望む世界だから」
魔神は、口を瞑んだ。
真っ直ぐに俺を見た後に、下を向く。
天に向かって、魔力の爆発が起きた。
決して魔力を火や電気などに変えたわけではない。
自然現象にはほとんど影響を与えないはずの、魔力のみで天が割れる。
しかし。
……ふと、魔神の身体から無限に湧き出していた魔力の、供給が途絶えた。
体の力が抜けたように、魔神は俯きながら呟いた。
「……どうして? どうして今なの? どうして600年前じゃないの? どうして私は、あなたみたいな人を600年も待ち続けなければならなかったの?」
面を上げた魔神の瞳から、黒い液体が流れていた。
600年前、加藤一に出会えなかった自分の運命を呪いながら、それを涙と共に流し続ける。
いつの間にか、漆黒に満ちていた瞳から、赤の色素が戻りつつあった。
今にも倒れそうな魔神に、足を引きずりながら近寄っていく。
「私は……、私は……」
そして最後の力が抜けたのか、魔神は、いや、ウィズは胸の中に納まった。
いつの間にか、日は暮れかけ、満月が顔を覗かせていた。
涙を流しながらも、ウィズの紅い瞳には、確かにくっきりと、その満月が映っていた。
次回は10/20くらいに更新します。




