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ファーストキス

「……おい。おい!」


 肩を揺さぶられ、耳元で叫ばれたので目を覚ました。

 目を開けると、眼前にはカトラスが鬼の形相で立っていた。


「……なんだ?」

「ルシフェルから聞いたぞ貴様。見張りの番をすっぽかすだけでは飽き足らず、一体、魔王様に何をしたんだ」


 カトラスのこめかみは、血管が切れそうなほど浮き上がっている。

 段々と昨日の記憶が蘇ってくる。

 ……うん、確かに誤解されそうなシチュエーションではある。


「いや、見張りをさぼったのは謝るけど、別にやましい事とかしてないから」


 俺が弁明しても、カトラスの怒りは収まらない。

 それどころか、面倒くさいことにルシフェルさえも入ってくる。


「いやーこれでも、カトラスも僕も長年生きてるからね。そういうことには寛容なんだ。だから、本当のことを早くゲロっちゃったほうがいいよ?」

「おいお前、話をややこしくするんじゃねえ。なあ、ベレッタ、お前からも何か言ってくれよ」


 しかし、ベレッタは目を合わせた瞬間、顔を赤くするとそっぽを向いた。

 何だその反応は。信憑性が増すじゃねえか。 

 グルか? グルなのか?

 サイも本気で怒ってる様子だし、ユキは目を合わせてくれようとしないし、アマネはまだ目を覚まさない。


 出発にあたって、俺は一団の遥か後ろまで距離を取らされた。

 まあいい、ウィズの小屋に辿り着けばこんな雰囲気も少しはましになるだろう。



「お久しぶりです、母上」

「あら、お久しぶりね、カトラス」


 今回も長居は出来ない。

 だが、実の息子が来たからか、ウィズの顔は以前会った時よりも笑顔が多い。


「……あの人が、ウィズ」


 隣にいたベレッタが俺に向かって囁いた。

 ベレッタは実際に会うのが初めてだからか、少し驚きを見せている。


「ああ。顔つきはベレッタと似てるよな」

「……それは、褒め言葉として受け取っておくわ」


 早々にウィズの小屋を出発し、コルトが待つ街へと戻る。

 傷はまだ癒えないが、体力はそれなりに回復したことから、一段の進む速度は上がっている。

 この速度なら昼頃には着く。


 また近いうちに戦いに赴くだろうが、それでも平和な日常に戻れると俺は思っていた。

 しかし、それは見事に打ち砕かれた。


 街が、半壊している。


 火はもう消えているが、業火に包まれた後のように家が灰となっている。

 だがそれよりも目につくものが一つ。

 城壁よりも高い氷壁が、街の中に幾層も出来上がっている。


「これは一体……どういう事だ」


 カトラスが声を上げる。

 しかし、カトラスで分からないものが、他の人達に分かるはずもない。

 急いで街の城門に近づくと、一人の女が立っていた。


「……お姉さま?」


 傷だらけになりながらも目力だけは残していたマリー。

 俺が、街の護衛を頼むと言った相手だ。

 幹部である俺たちが人間界へ向かい、その残った魔王軍を纏めた、言いようによっては魔王代行。


 しかし、マリーもベレッタを目にした瞬間にふっと力が抜けた。


「……なにが、あったの?」

「人間と……天使が。もう、倒しましたけど」

「……馬鹿な!」


 天使、という単語が出てきた瞬間、カトラスが声を荒げた。


「母上が敷いている結界はあの森だけではない。魔界全体の境界に面として張られている。通過すれば、必ず母上が気付くはずだ」


 ……それでも来た、というのであれば、考えられる方法は一つしかない。


 長距離テレポート。


 あれは大量に人間を送り込むためではなく、本来はウィズの目をごまかして天使を送り込むためのものだったのかもしれない。


 だが、今はその方法なんてどうでもいい。

 俺は街に入り、最も損傷の激しいところを順に回る。


 そこは、アルトさんの屋敷だった。

 屋敷は崩れているが、火が回った痕跡はなく、巨大な氷壁がそれを防いでいた。

 周りに人はいない。死体が転がっているわけでもない。

 みんな逃げたのかと辺りを見渡してみると、一人、氷壁にもたれかかっているのを見つけた。


「……コルト」

「あら、ルーク。久しぶりですわね」


 見たところ、怪我はしていないようだ。

 だが、気丈に振舞っているように見えて、声も身体も、震えている。


「なにがあったんだ?」

「天使が、来たんですの。でももう、殺しましたわ」

「天使が……」


 倒したでもなく、やっつけたでもなく、殺した。

 俺も同じことをやっているはずなのに、コルトが言うと何故か悲しくなった。

 それに、コルトが天使に勝ったというのも疑問が残る。

 天使の中にも格付けがあるとはいえ、コルトが勝ったというのか。


「アルトさん達は無事なのか?」

「ええ、お母様とお父様は、無事に逃げましたわ」

「なら、良かった。とにかく、皆の所に行こう」


 差し出した手に、コルトの手が重なる。

 冷え切って、さらに震えがこちらにも伝わってきた。

 一瞬戸惑ったが、勢いよく持ち上げる。


 だが勢いが良すぎたのか、コルトは俺の胸の中にすっぽりと収まった。


「ああ、すまん。力加減を……」


 急いで離そうとしたが、コルトは腕を俺の背中で組んで、引っ張っても離れようとしなかった。


「……コルト?」

「……わたくし、怖いですわ」


 氷系統の能力を持っているとは言え、手だけでなく体全体が氷のように冷たい。

 そして、鼓動が異様に早く、体全体も震えている。

 そして、呼吸も早いように感じた。


「心の中に、黒い液体が流れ込んでくるんですの。それが一杯になって、わたくしが、わたくしでなくなってしまいそうなんですの」


 魔力の覚醒。

 それが俺だけでなく、コルトにも起こったという事だろう。


「大丈夫だ。俺も同じことになった。コルトはコルトで、変わらないよ」


 震えを止めるように、体を温めるように、俺はコルトの背中を擦った。

 それがようやく落ち着いてきた頃、再びコルトは顔を上げる。


「ねえ、ルーク」

「……なんだ?」


 体の震えは収まったものの、吐息はまだ粗く、心なしか頬が紅潮している。

 そして、コルトの瞳の奥が揺れている。

 その揺れがどんどんと大きくなって。

 いや、近づいてきて。


 そして。


「……んっ。……ちゅ……ん……」

「……? ……!」


 コルトの唇が、俺の唇と重なった。

 今まで触れたものの中で最も柔らかくて、最も甘い香りがした。

 ものの数秒だったのに、時が止まったように長く、永く感じる。

 離さなきゃと思うのに、離したくない。コルトを抱きしめていた腕に、意識しなくても力が入った。


「ん……んっ。……ぷはぁ」

「……コル、ト?」

「ファーストキス、ですわ」


 コルトはいつの間にか手を俺の背中ではなく後頭部に回していて、上目づかいで見つめてきた。

 コルトの吐息を感じるたびに、キスの瞬間が脳裏を過っていく。


「俺もファーストキ……じゃなくて! なんで、こんなことを……」

「あら、ベレッタとはまだでしたのね。それは嬉しいですわ。……ルークが悪いんですのよ。わたくしを、まるで妹を見るような目で見るから、わたくしも女だってことを、意識させてあげたんですの」

「それは、仕方ないだろ。この齢で、3つも離れてたら……」

「まあ、わたくしも同じですけど。ルークを見てると、死んだ兄を思い出しますの」

「死んだ……兄?」


 聞いたことがなかった。兄がいたことなんて、一言も。


「病弱体質でしたけれど、ずる賢くて、とても優しい、あなたみたいな兄でしたわ」


 妹、か。

 俺は兄弟なんていたことないけれど、確かに、妹みたいに思っていたのかもしれない。


「……もう、大丈夫なのか」


 震えが完全に止まったコルトに対して一声かけると、ようやく俺の身体を放した。


「顔を赤くして、可愛いですわね」

「……そりゃ、お互い様だ」


 赤くしているコルトの頬を見たが、余計に自分の顔が火照りそうで、目線を逸らした。


「もう……ずるい人。もう一度してもいいんですのよ?」

「ばか、言うな。みんながここまで来るぞ」


 多数の大きな魔力が近づいているのを感じる。だが、その前に。


 アルトさんの屋敷に、何かが降ってきた。


 隕石かと思うほどに、強い衝撃が周囲に波及する。

 朦々と立ち込める砂煙の中から、立ち上がる存在があった。


 金色の髪に、金色の瞳を持つ男。漂うオーラさえ光り輝いているのではないかと疑うほどに、眩しき存在。


 ただ見守るしかなかった俺とコルトに、皆が合流する。

 その中で、ルシフェルだけが、その降ってきた男を知っていた。


「まさか……セカンド?」

「まさかここで出会うとはね、ルシフェル」


 異質だった。

 魔人でもなければ、天使でもない。

 しかし桁違いの力が、そいつの中に内包されていた。


次回は8/23くらいに更新します。

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