原液
「ベレッタ……」
ミカエルはゴミでも捨てるかのように、ベレッタを突き放す。
そしてその傍らには、カトラスが横たわっていた。
……ここまで、地形を変える程の戦闘を、ただ人間相手にしたとは考えにくい。
なれば、これはミカエルとの戦いの痕跡だろう。
それでも、ミカエルは傷一つ負っていない。
ミカエルはこちらを向いている。
俺が異世界へ渡った時と同じように、まるで接客でもしているかのように、ミカエルは造られた笑顔を浮かべている。
俺にはそれが、非常に不気味に思えた。
「ルーク、ユキ。目を閉じろ」
ルシフェルが、小さく、だが強く囁いた。
その瞬間、ルシフェルからは強烈な光が放たれる。
目を開けると、カトラスが血まみれになりながらベレッタを抱きかかえて俺たちの前にいた。
血を吹きながら、膝を震わせながら、それでもベレッタを優しく降ろす。
そして力尽きたかのように、カトラスはうつ伏せに倒れ込んだ。
「さすがは7人の英雄。ぼろ雑巾になってもお姫様を助け出しすなんて。でも、死んではないようだけど、これじゃあ戦闘力には数えられないね」
「カトラス……」
ミカエルは目をごしごしと擦った後に、再びこちらを見る。
先ほどの笑みを、絶やさないまま。
動かなかったのか、動けなかったのか。
俺は足に根が張っているかのように、ミカエルを見返すことしかできなかった。
そんな折に、足元に横たわっていた人間が、もぞもぞと動き出した。
かろうじて頭を上げる。そいつは、昨日まで一緒に魔界にいた、憲兵隊の隊長だった。
「……化け物だ。あれでは天使か、悪魔か、私には、分からん……」
意識が朦朧としているのか、その言葉は俺に投げかけたものではないように感じた。
自分自身に問いかけるように、ミカエルの存在は、それほどに脅威だと。
「誰から話しかけるべきか、迷っちゃいますね。でもまずは、ルシフェルかしら。どうかしら? 下界の生活は」
「悪くないよミカエル。まあ、良いと言い切るためには、君を殺さなきゃいけないんだけどね」
ミカエルもそうだが、ルシフェルもまるで日常会話でもしているような、呑気な口調だった。
「あらあら、面白いことを言いますね。神に最も近い天使と呼ばれたルシフェルさんが、まさかここまで堕ちるとはね、ふふっ。おかげさまで、私は位が一つ上がったのだけれど」
「別に、僕は位とかそういうのはどうでもいいからね。まあ、出世が好きならそういう人生も悪くないんじゃない?」
「『人生』なんて、本当に下界に染まりましたね、ルシフェル。それもあろうことか魔人なんて」
「そういう君こそ、仕事をミスったからここに居るんじゃないの? 始まりの魔女の子孫を、別世界からわざわざ救い出して魔人に仕立て上げ、その後に殺しに来るなんて喜劇、仕組むセンスを僕は分からないよ」
「……」
初めて、ミカエルは少量の怒気を表情に含めた。
「……ルーク?」
ルシフェルとミカエルが話している間に、虚ろではあるがベレッタが目を覚ます。
「大丈夫か、ベレッタ」
体の至る所から血が滲み、痣のような痕も無数にある。
あのベレッタが、ここまで一方的にやられる姿など、想像がつかない。
「……ごめんね、勝てなかった。約束、破っちゃった。復讐するって、言ったのに」
ベレッタの口調は、いつになく弱気だった。
「あなただけでも、逃げて」
「……ベレッタ、お前は魔王だろ? 臣下が王を見捨てて逃げるのか?」
「魔王とか、関係ないわ。魔王になる前から、ずっと……」
「……なんてね。俺はミカエルが憎いから殺す。それだけだよ」
「……やめて」
ベレッタは、涙ながらに訴える。
ベレッタは何も解ってない。そういうことを言われれば余計に、俺はミカエルを倒したくなってくる。
「ユキ、頼む」
俺の足を掴もうとしたベレッタを、ユキに制止させる。
一歩、一歩と、ミカエルに近づいていく。
ルシフェルと並んで、歩みを止めた。
「久しぶりですね。ここでは、ルークという名だったかしら。悪いけれど、今度は本当に死んでもらいますね。構わないですよね、どうせあの時散ったはずの命ですもの」
「いや、せっかく助けてもらった命だからな、大事にするよ」
「ふふっ。大事にって、ここに来てる時点で矛盾してますよ? 下界に来るのは面倒ですけど、こういう所だけは面白いわ、馬鹿ばっかりで。後ろの二人も、魔王だ、復讐だって、笑いを堪えるのが大変でしたよ。王様気取りで天使に楯突くなんて、可笑しいですよね?」
「……」
「ああ、あとここに横たわっている人間たちも、別に私が戦えと命じたわけじゃないですから。ただ、私が戦うと言ったら勝手に付いて来て、勝手に盾になって、くたばっただけです。ふふっ、盾って。空気抵抗と大差なかったですけどね」
「……」
魔力の源は、怒りや、憎しみといった負の感情だ。今までもそうだった。
黒い、粘度の高い液体が心に充満してきて、それを吐き出すように魔力を行使する。
だけど、今まで気付かなかったけれど、その黒い液体は、希釈されていたものだった。
今、初めて、原液が流れ込んできた。
負の、極限にまで達した漆黒の液体が、心を満たしていく。
「それから、ユキもですね。せっかく魔法を与えてあげたのに……」
「もういい、喋るな」
俺は刀を抜いた。
刀が、やけに軽く感じる。
「あら? 凄い魔力ですね。でも、ルシフェルから聞いてないんですか? あなたが怒れば怒るほど、私も強くなるんですよ?」
「知っている。全力のお前を殺してこそ心が晴れる」
全身に電気を纏わせて、俺はミカエルへ突撃する。
ミカエルもそれに応戦する構えを取ったが。
合わせたかのように、ルシフェルの光線がミカエルの眼に突き刺さる。
動きを封じたミカエルのどてっ腹に、雷を纏わせた刀で横一線に薙ぎ払った。
斬れた、という手ごたえはなかったが、それでもミカエルは時速100㎞/hを優に超える速度で街の外壁に突っ込み、衝撃で崩れた瓦礫が頭上から襲う。
……しかし。
「私ったら、本当にドジですね、ルシフェルの存在が頭からすっぽり抜け落ちてました。あらあら、傷を負ったのなんて、何百年ぶりかしら」
ミカエルは、少しの傷しか負っていない。
簡単に死んでもらっては困ると、手加減はしたが、あまり効いてないのはショックではある。
「でも、ルシフェルがコンビネーションを取るとなると、流石に分が悪いかしら」
ミカエルは、翼を広げ、空を舞う。
ルシフェルとは違う、純白の翼。光がキラキラと、周囲に広がっていく。
すると、それに呼応したかのように、街の内部からもう一つの天使が現れた。
「……あら? バラキエル、あなただけですか? ガブリエルはどうしたのです」
「ガブリエル様は、前線へと向かいました」
「なら仕方ないですね。ウリエルも先代魔王とやらに殺されたみたいですし、これ以上恥を晒すわけにはいきません。バラキエル、あなたはルシフェルをやりなさい」
「ルシフェル様を、ですか?」
「様を付ける必要はありません。堕天したルシフェルに、以前の力はないですから、能力さえ知っていれば十分に勝てる相手ですよ」
新たに現れた天使は、ミカエルよりも位が低いのか、下手に出ている。
バラキエルと呼ばれた天使に対して、ルシフェルは意地の悪そうな笑顔を向けた。
「ルーク、僕の相手は残念だけどバラキエルみたいだね。まあ君に慈悲があるなら、僕の戦闘が終わるまでミカエルを生かしておいて欲しいけど」
「残念だがそれはない」
「それは頼りになるね、ルーク」
俺は、再びミカエルを見返す。
両の瞳に映るミカエルの姿に反応するかのように、魔力の原液が溢れ出る。
……ああ、早く、ミカエルを殺さなくては。
心が、漆黒の原液に押しつぶされそうだ。
次回は8/1くらいに更新します




