天使ミカエル
始まりの魔女、ウィズに招き入れられ、小屋へ入る。
先ほどまで心臓を握りつぶそうかと思う程の魔力も、ウィズを目の前にすると嘘と思える程に軽くなった。
しかし、急いでいるので長居は出来ない。
だが、ウィズの誘いを無下にも出来ないし、ウィズという人物にも、大きな興味がある。
「おじゃまします」
俺とユキが一声挨拶したのに対して、ルシフェルは無遠慮にずかずかと進んでいく。
しかし、ウィズはそんな光景をただ微笑んで見ていた。
「それで、カトラスのお友達と言っていたけれど、どういう間柄なの?」
ウィズは優しく問いかける。
見た目は幼いが、一挙一動にからは母親のような慈愛が感じられる。まあ、カトラスの母親という事なら年齢は600を超えているはずなのだが。
「ええと、知り合ったのは偶然みたいなものですけど、一緒に魔王軍の幹部みたいな感じで、これから天使を倒しに行きます」
こんな辺鄙な土地で、世間から隔離したような生活をしているウィズにどんな話をすれば伝わるのか。
言葉にしては見たが、自分でも胡散臭いような話だというのは理解している。
しかし、ウィズは全てを察したように、こくりと頷いた。
「そう。じゃあ人間界へ行くのね。……なんだか、懐かしい感じがする。わたしの夫に、似ているから」
ウィズの夫、というと、航海日誌を執筆した、自分の先祖でもある加藤一のことだろう。
「別世界ではありますけど、一応血は繋がってますからね。ウィズさんとも、ですけど」
俺がそう言うと、ウィズは初めて驚いたような顔を見せる。
「別世界の話は聞いたことがあるけど、まさか、私の子孫が来るなんて驚いたわ。運命みたいなのを、信じてしまいそう。余計に、あの人にまた会いたくなってしまったわ」
あの人、とは加藤一のことだろう。ウィズは魔人になったことによって寿命が半無限となったが、加藤一は人間のまま。
つまり、もう何百年も前に死んでいるのだ。
「そういえば、カトラスは連邦国の人間や天使を倒すことに情熱を注いでましたけど、ウィズさんはそういうの、無いんですか?」
「……」
ウィズは、黙り込んだ。長い沈黙の後、真っ直ぐな目で俺を見返す。赤と黒が混じりながらも、輝きに満ちた瞳で。
「前は、そうだった。人間が心底憎いと思ったし、その背後にいる神や天使も。でもね、後になって考えてみると、私の人生は、谷も深かったけれど山もしっかりと在ったんだって、分かったわ。あの人にも出会えたし、息子や娘にも恵まれた。そして、別世界とは言え、こうして何世代も後の子孫と話すことができる。何かに憎しみを抱くほど、悪い人生だとは思わない。……でも」
言い淀んだ後に、ウィズは悲しげな表情で続けた。
「それでも、あの人にもう一度会いたいという欲求は変わらない。気持ち悪いと思われるかもしれないけど、最後に、見せてあげる」
部屋を出て、ウィズの後に3人が付いて行く。
着いた部屋は、毛色が違った。
ユキも、きっと思い出しただろう。
この世界の物ではない。
俺達が元いた世界のような、現代技術がふんだんに用いられた、病院のような一室。
中央には、一つのベッドが安置されており、上には一人の男が横たわっている。
……絵本とは、だいぶ違う。でも、感覚ですぐに分かった。
これは、加藤一だ。
「……死者蘇生でもするつもりかい、始まりの魔女」
そこで、ルシフェルが初めて口を開いた。
口調こそおちゃらけていたが、視線は真っ直ぐに、ウィズを刺す。
「流石は元天使、ね。そんな目で見ないで。わたしだって、分かってるのだから」
「ルーク、そしてそっちの女の子はユキ、だったかな。君たちは別に、死んだ後にこの世界にやって来たわけじゃない。死ぬ寸前に、天使に助けられてこの世界へ飛ばされたのさ。もし死んでしまえば、例え天使だろうが神だろうが、それを覆すことは叶わない。魔力は神の理とは違うけれど、死人に魔力はないしね」
俺は、加藤一の顔を覗き込む。
死人の顔をここまでまじまじと見たのは、祖父の葬式の時くらいだろうか。
だが、その時と比べても、この加藤一の顔は、血色が良い。
呼吸こそしていないが、寝ているだけといわれても驚かない様な姿。
「わたしは、死ねないから。これくらい、夢見たっていいじゃない?」
「それは悪かったね。まあ、いまのその魔力じゃあ無理だけど、更に上を目指せばあるいは……。ってことで、一緒に天使を倒しに行かない? 始まりの魔女がいれば、天使だけじゃなく神さえ倒すことだって不可能じゃない」
「噂に違わない性格をしているわね、ルシフェル。悪いけど、その戦いに興味がないの」
「そりゃあ残念だ。噂については聞かなかった事にしよう」
俺とユキは、ルシフェルとウィズの話に耳を傾けながらも、時間の許す限り加藤一の顔を見ていた。
きっと、ウィズは魔力だけではなく、長い年月をかけて科学に傾倒もしたのだろう。この世界では誰も知らないであろう技術が、ここにはある。
それでも、命は還らない。科学と魔力が交わっても、その理は覆らない。
俺は頭では理解できたけれど、本当にそうなのか、心のどこかでは、期待に満ちた疑惑が浮かんでいた。
「残念ね。もう行ってしまうなんて」
「また来ますよ」
後ろ髪を引かれそうな思いだったが、急ぎでもあるので早々に出発することとした。
部屋に来た入口とは別の出口から、俺たちは人間界へ向かう。
空へ飛びたった瞬間、ウィズは俺たちの背中に向けて言葉を投げかけた。
「憎しみも、制御しなければ魔獣と同じになってしまうわ。気を付けてね」
振り返った俺に、ウィズは笑顔を向ける。
だが、俺はこの言葉を頭の中で咀嚼は出来なかった。
距離は長いが、険路ではない。一晩野宿するだけで、辿り着いた。
俺が、一年間住んだ街。
数少ない友人も、憎しみを抱く相手も混在する、人間の街。
しかし、俺はその街を懐かしむことは出来なかった。
風景が、前と大きく異なる。
正確に言えば街の中ではなく、壁の外ではあるのだが、地形が変わっている。
そして、土煙が立ち込める地面の上には、人が、たくさん横たわっていた。
憲兵隊やら前衛隊やらの制服を着た、人間側の武装集団という事は分かる。
呻き声を上げる者もいれば、ピクリとも動かない者もいる。
その中に、唯一立っている者がいた。
魔力とも、今まで感じた魔法力とも違う。
天使だけが持ち得る力。
「あらあらあら。懐かしい顔が揃っていますね」
振り返って見えたその顔は、俺が前の世界で死にかけた時、確かに見た女天使の顔だった。
だが、それよりも。
ミカエルが振り返って、手に持っていたのは。
「……ベレッタ……?」
ドサリ、と。
意識がないのか、ベレッタは他の人間たちと同様に地面へ横たわった。
次回は7/25くらいに更新します




