伝説は突然に
普通に歩けば、昼飯を挟んでも一時間で越えられるはずの山を、なぜか二時間もかかってしまった。
「ふ、普通、おんぶしてくれたり、するのではないんですの……?」
「なんで?」
「少しくらい、胸を当ててあげたかもしれませんのに」
…………。
俺の心の中で天秤が揺れ動いた。
「……いややっぱり、なんで?」
「酷すぎますわ」
だってタオル一枚ならともかく、普通の服を着てたらあんま感触ないもの、その胸じゃあ。
落ち込んでいるコルトを無視して草木の茂みから、牛の群れが生息するという草原を覗き込む。
予想通り、目の前には牛の群れがいる。ほんの50mも離れていない。
「確かに牛……だけども」
日本に生まれて18年も生活していたせいで、牛といえば白黒の毛皮でモーモーと鳴く、穏やかな動物だと思っていた。ちなみに、牛の乳を搾ったことさえある。
だが、目の前にいる牛は皮膚の色、筋肉の付き方、角の大きさまで、全てが違う。もはや別の動物と言ってもいい。
スペインの競技だったか、赤い布を持った闘牛士がテレビで……。
ん? 赤い布? そういえば、俺の身に付けている服は何色だ?
「……おいコルト。少しこっち向け」
「ひ、ひゅー、ひゅー」
「下手な口笛を止めてこっちを向け」
俺が低いトーンで脅すと、コルトは怯えながらも笑顔で対応する。
「な、なんですの? 普通の牛は、色を判別することなんてできませんわよー?」
「普通のってどういう意味だ」
「いやですわ。魔力を得た生物は、赤色を見ると興奮して獰猛に……。ってあら? わたくし今、墓穴を掘りまして?」
安心しろ。俺がちゃんと埋めといてやるから。
「い、言いがかりですわ! わたくしはただ、お揃いの色で貴方とおでかけしたかっただけですのに……」
そう言って、コルトは袖で涙を拭う素振りを見せた。
だが自分では気づかないのだろうか。作り笑いもそうだが、泣き真似も下手くそだという事に。
「よしわかった。この服はお前に譲ることとしよう」
「きゃー! 脱がないでくださいまし、この変態!」
「どんだけ棒読みの『きゃー!』なんだよ! いいから囮はお前がやれ! あとお前に変態とか言われたくない」
ぎゃーぎゃーと、つい調子に乗って俺たちは騒ぎ立ててしまった。
目前に、獰猛な闘牛がいることさえ忘れて。
「ぶおおおおおおおおお!」
近くの闘牛が雄叫びをあげる。
その一声を皮切りに、群れの仲間たちも俺たちに気付いたようだ。
「なんだあれ! 法螺貝みたいな鳴き声なんだけど! 開戦の合図なんだけど!」
「法螺貝ってなんですの⁉ それより空、空に逃げますわよ!」
自動車並みの速度で突進してきた闘牛をすんでのところで躱し、空へと回避する。
闘牛士顔負けの回避だったと自負できるが、今はそんなことはどうでもいい。
問題は、俺が必殺技(笑)で倒した木よりも一回り太い大木が、いとも簡単に倒れる程の破壊力だ。
「おい、今死ぬとこだったぞ! どうしてくれるんだお前!」
「連・帯・責・任、というやつですわ! 貴方だって騒ぎ立てていたではありませんの!」
「そもそもお前が赤い服なんて着せるからだろうが!」
下にいる闘牛の鳴き声のせいで、近くにいても大声で話さなければ聞こえない。
なんだか、餌にされている気分だ。
「あ、ストップですわ。大声を出し過ぎて魔力がなくなってきましたの。もう落ちそうですわー……」
「馬鹿、しっかりしろ! とりあえず山だ、山までいけば追ってはこない!」
落ちそうになったコルトを抱きかかえ、なんとか空中に留まる。
だが、何時までもここに留まっていては、いつか闘牛の養分になるのは目に見えている。魔力が尽きる前に、一刻も早くこの場を脱さなければならない。
「それは魔物の獰猛さを舐めすぎですわ。向こうは嗅覚や聴覚も発達していますの。しかしこちらの頼りはほぼ視覚のみ。なら視界の悪いところは悪手ですわ」
「じゃあどうするんだ?」
「湖ですの。東側の湖は横幅が広く、かつ水底も深いですわ。越えれば物理的に追ってこれなくてよ」
「よし分かった」
飛行能力と言っても、速度で言えば走るのに毛が生えた程度である。
当然、闘牛が追ってくる方が早い。
「まあ、迂回して追ってくることはないだろ。しかし、ベレッタに何て言い訳すればいいか……」
こうなっては、牛肉を手に入れるというミッションの達成は難しい。どう挽回すればよいか思案していたところ。
「……あら、夜ですの?」
辺りが突然暗くなった。
と言っても暗闇というほどではなく、急に日影が出来ただけだ。
しかし、空には薄い雲がかかっていた程度だったはずだが……。
俺とコルトは同時に空を見上げる。
「飛行機? いや……」
そんなものがこの世界にあるはずもない。
だが、俺の真上にはもっと信じられない存在がある。
概念自体は知っている。
元の世界でも、今いる世界でも、伝説としてはあまりにも有名な存在。
だがそれは、あくまで物語の中だけの存在だったはずだ。
「……竜、だと?」
途端に、耳を劈く咆哮が鳴り響き、竜の鋭い眼光が俺たち二人を刺し貫いた。
「……まじですの?」
「……日本に帰りたい」




