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クロスゲーム  作者: 神谷アユム
6/13

うつくしい子ども

他人に押し付けられる僕と、他人に期待しない彼と。


二年生の仲良しコンビの過去から現在に至るお話です。

完全に独立しています。

 目が誰も信じていない、と、初対面の時から前野隼(まえのはやて)はそう思っていた。当時彼は小学校五年生だったが、その頃からよく、お前は(さと)い子だねと言われていた。地域の少年野球チーム。昔から野球というスポーツにあこがれていた隼が、その練習初日、一番最初に出会ったのが城田蓮(しろたれん)だった。蓮はごく普通の様子で隼を見、よろしくね、と言って笑った。しかし、その目に関して隼が持った印象は先の通りである。

 蓮はうつくしい子どもだった。隼はそれ以外に彼を表現する方法を知らない。それは、お互いが高校二年生になった今もだ。しかし、隼は蓮が、見た目ほど柔和な内心の持ち主でないことを知っている。

 蓮はそのことを、表面には絶対に出さない。いつも穏やかに微笑んで、全てを見守るだけだ。誰のミスに怒ることもなく、むしろおおらかに許す。だから、彼を密かに「野球部の癒し」などと呼んでいる女子もいるが、実はそのおおらかさは、彼が他人に、さほどの期待をかけていないことによるものだ。それをきちんと理解しているのは、多分世界中で自分ぐらいではなかろうか、と隼は思っている。

 昔、蓮は今よりずっと、他人を信用していなかった。中学で学校が同じになり、同じチームで再びプレイしてみて、隼は幼い頃受けた印象を確信に変えた。その当時、蓮は今と違ってセンターを守備していたが、彼は滅多な事がない限り、バックホームでも中継を置かなかった。それだけ肩に自信がある、と考えていた人もいたようだが、隼にはそれがはっきりと、不信の印であることが解っていた。それは、セカンドである自分が中継に入った時、さも嫌そうな顔で――あくまで「さも」は隼の主観であり、他の選手は「嫌そう」な事にも気付いていなかった――蓮がボールを投げてきたので、すぐに解った。昔から、人の感情に関して、聡い子と言われ続けてきた隼が、唯一その才能を呪った瞬間がこれだった。

 また、いつだったか忘れてしまったが、蓮がぽつりとこぼしたつぶやきを、拾ってしまったこともある。彼自身、おそらく未だに誰にも聞かれていないと思っているだろう、本音のつぶやきだ。

 蓮はその時、一人で図書館の自習室を掃除していた。学校の図書館には自習室があり、そこの使用は、中学校の生徒のみ自由となっている。そして壁には、「使ったあとには掃除をしましょう」という張り紙がしてあった。自習室は軽い飲食程度なら許されており、食べかすがこぼれていたり、ひどいときにはお菓子のパックがそのまま置いてあったりする。張り紙も納得だ。みんな、誰かが片づけるだろうと思ってそのままにして帰ってしまう。

 その日隼は委員会があり、蓮は自習室で待っていると言って教室を出ていった――部活は休みだった――委員会が終わり、慌てて自習室へ行って見たのが、蓮のその姿だった。

 ゴミをちりとりに掃き取り、それをざらざらとゴミ箱へこぼしながら彼が漏らしたつぶやきを、隼は未だに、鮮明に覚えている。

「……どうしてみんな、そんなに他人に期待できるのかなぁ……」

 あとから聞いたところによると、蓮は幼い頃から、親に何でも「自分でしなさい」と言われて育ったらしい。かつ、両親が共働きで核家族である彼は、小中九年間、ずっと鍵っ子だった。そして、これからもそうだ。いやがおうにも自立心は育つ。

 そこへ来て、彼は世の中の現状を見てしまったのだ。自分は何でも自分でやるのに、他人はちっとも自分でやらない。誰かがやってくれると期待している。そして、裏切られると腹を立てたり文句を言ったりする。おそらく、それが彼にとっては信じられない行動だったのだろう。他人が思い通りに動くことは滅多になく、他人に過度の期待をかけることは驕りだ。だからこそ彼は全部自分でやってしまう。他人は、信用できないから。

 蓮の無茶なバックホームは監督に目をつけられるところとなり、結局、蓮はそこそこの実力を持ちながら、グラウンドに立てたのは三年生になってからだった。彼がグラウンドに立つまでの間、彼の容姿に目をつけた女の子がぎゃいぎゃいと騒いでいたのを、隼はなんだか釈然としない気持ちで思い出す。蓮が騒がれることにではない。蓮が騒がれる事を僻んでいた周りの人間に対してである。

「ちょっと顔がいいと、ヘボでも騒いでもらえるからいいよな」

 こんな暴言を、目をそらしたまま聞こえるように言い放ったのは、一つ年上の先輩だった。陰険すぎる、と隼は思った。

 隼は蓮が好きだった。蓮も隼も、人に頼まれると嫌と言えない性分だったが、その根は全く別の所にあった。隼は自分が求められていると思うと、断り切れずに行動してしまう。蓮は、他人に期待しても誰もやらないからやる。それでいて、蓮は他人を嫌っていなかった。むしろ、そんな風に、期待に応えてくれる事など無い他人を愛していた。その、一見矛盾している二つを、矛盾無く心の中に収められる蓮を、隼は尊敬していた。それは、自分に無理を押しつける他人を嫌いになりかけていた自分には、出来ない芸当だったから。

 だからこそ、隼は蓮にもっと信用されたかった。彼は自分と他人との間に一線を引き、決してその中に誰も入れようとしない。いや、入れようとしないのではなく、入られることを諦めている。それが隼を悲しくさせた。そんな風に他人を諦め続けて、寂しくないはずがない。

 隼がそんなことを考えていた中三の夏、蓮は無茶なバックホームが祟って、センターからショートへのコンバートを言い渡された。

 誰もが当たり前だという顔をして部室を去っていき、最後に蓮と隼だけが残された。いつもならふうわりと笑って、帰ろうか、と言う蓮が、その日に限って黙っていた。

「蓮ちゃん……あの……」

「俺は、そんなに悪いことをしてたかな?」

 その目は笑っていた。しかし、ひどく傷ついていた。そこで隼は理解する。人が信用できないことは彼の中で確かなことであったが、それと同時に、全てを自分で出来ることが、彼にとって一つの自信であったことを。本当はずっと、センターを守り続けていたかったことを。

「確かに、俺は無茶なバックホームばっかりしてたよ。でも、それでアウトを取れなかったことは数えるほどしか無かったと思う。俺はそんなに……悪いことをしたのかな?」

 確かに、彼のバックホームは、届かないことよりきちんとホームでアウトを取ることの方が多かった。でもそれは、結局の所チームメイトを驚かすプレイであり、誰も好まなかった。隼は加速しかける鼓動を抑えて、蓮の隣に腰掛けた。今なら――蓮が動揺している今なら、踏み込めるかも知れない。それは卑怯であり、少しばかり気が咎めたが、隼はしばし逡巡したあと、その考えを捨てた。卑怯であると足踏みをするよりも、踏み込みたかったのだ。蓮が一人きり、涙を流すこともなく諦めて、一人棲んでいる柵の向こうへ。

「蓮ちゃん……野球は、一人でやってるんじゃないんだよ」

 蓮の傷ついた目が、隼を見た。それは、本能の部分で他人を信用していない蓮が、頭では解っているけれども心では認められない事実。

「オレはね……知ってるよ。蓮ちゃんがあんまり、他人のこと……オレも含めて、信じてないってこと」

 蓮のうつくしい鳶色の目が、すう、と見開かれるのが解った。彼が誰も気付かないだろうと、そう思っていた「不信」に気づいた。そのことで、彼が他人に越えられるはずがないと諦めた一線に、少し近づいたのではないか、と隼は思った。

「普段はそれでも……平気かもしれない。でもね、蓮ちゃん……野球は、一人じゃできないんだ。チームを信じて、みんなでやらないと……いくら蓮ちゃんがいいプレーをしても、負けちゃうものなんだよ」

 うつくしい瞳が、まっすぐに隼を刺した。そんなことは今まで、一度もなかった。その目は、隼を信用するか否かで、ゆらいでいた。

 蓮も馬鹿ではない。隼が言ったことぐらい、既に気付いていたのだろう。ただ、彼は自分を捨てられなかった。誰も信じられない彼自身が、檻になって彼を閉じこめた。そして、誰一人として蓮に、言葉を使ってそれを伝えなかったことが、彼をもっと絶望させたのだろう。無言の期待と、沈黙のまま行われた否定。こうなる前に言えていたら、もしかして蓮は、こうならずに済んだのかも知れない、という考えが浮かんで、隼の胸はちくりと痛んだ。その痛みを振り切って、続ける。ただ、繰り返さないために。

「だからね、蓮ちゃん……難しいことだとは思うけど……信じてみたらどうかなって、思う。せめてオレのことぐらい……信じて。少年野球からずっと一緒にやってるわけだし」

「隼……」

 下の名前を呼ばれたのは、このときが初めてだった。いつもほほえみを絶やさず、歪むことを知らない蓮の目が、静かに涙をためていた。

「止まり木程度でいいからさ。そのぐらいならオレだって、責任持って引き受けられるから。だからそれぐらいには……信じて欲しい」

 その日、隼は初めて、うつくしくない蓮の目から落ちる、うつくしい涙を見た。彼はすぐに自分の腕の中へ顔を隠してしまったから、それを見たのは一瞬だった。それからしばらくの間、子供のように嗚咽を繰り返し、悔しさを、悲しさを、寂しさを、はき出すように泣き続ける蓮を、隼は隣で静かに受け止めた。

 それから、蓮は徐々にであったが、無茶をすることをやめた。それと同時に、チームメイトとの関係も、前より良くなっていった。そして、蓮と隼は前より、色々な話をするようになった。

「それじゃあ、帰ろうか、隼」

「おっけ。今日はどこに寄り道していく?」

 そうやって二人連れだって帰るのは、高校二年生になった今も、続く習慣である。

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