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クロスゲーム  作者: 神谷アユム
4/13

最高のバッテリー

誰かの代わりになんて、しないし、ならない。


バッテリー話第二弾。

「沈黙の向こう側」「セピアの空」読了後の閲覧をお勧めします。

 雪俊は久しぶりに、他人に対して腹を立てていた。その他人とは、近所のお兄さんで、部活の先輩で、そして女房役である総二朗だった。

 そもそも、雪俊の怒りは、昼休み、野球部の先輩が雪俊の教室を訪ねてきたことに端を発する。

「こんにちは。あの、ここに桜井雪俊君っています?」

 城田蓮。年は雪俊の一つ上で、あだ名はイケメン先輩。そのあだ名通り、整った顔をした男だ。彼は茶色がかった髪を長く伸ばし、後ろで一つに束ねている。この髪型は、生半可な容姿の男がやると、不気味になるかうさんくさくなるか二つに一つなのだが、蓮のそれは彼に似合っていて、女性ファンを増やすきっかけになっている。

「……何の用すか、イケメン先輩」

「ユッキー、何つーか俺、そのあだ名あんま好きくないから、普通に呼んでくれると嬉しいな」

「謙遜っすか? まあいいですけど……で、何の用ですか、蓮先輩」

 昼ご飯でも一緒にどうかと思って、と、蓮はまるで女の子でも誘うような口調でそう言った。クラスの大半の女子が、城田先輩よ、とざわつき、一部の女子は、城田先輩が桜井君を誘ったわよ、と色めき立っている。そんな背後の様子にうんざりしながら、雪俊はわかりました、と返事をした。

 そして、雪俊は蓮と昼食を共にすることになった。たくさんの生徒でにぎわう食堂で、目立つ蓮と――女子がみんなこっちを見ている気がする――食事をするのは、なんだか少し気まずい、と、雪俊は周りを見渡しながら思った。

「で、なんで昼飯なんですか、蓮先輩。後輩は俺だけじゃないでしょ?」

 さすが、ソウジの後輩は鋭いね、と、蓮はそう言って笑った。この男は人をあだ名で呼ぶのが好きで、総二朗の事もソウジと呼ぶ。これは彼なりに、総二朗を新撰組の沖田総司にかけての事らしい。

「うーん、先輩としてね、君に一言聞いておきたいことがあって」

 オムライスにスプーンを入れながら、蓮はニコニコしてそう言った。

「あの、何すかそれ。蓮先輩ってショートっすよね? ピッチャーとは質が違……」

「君、ソウジからトーマの事……うちの背番号二十八番が、永久欠番になってる理由、聞いてるかな?」

 トーマ、誰だそれは、と雪俊は目で問い返した。二十八番が永久欠番? 確かに二十八番をつけている選手はグラウンドで見たことがないが、それは単に、レギュラーナンバーでないからだと思っていた。

 その顔は聞いてないね、と蓮に言われ、雪俊は頷いた。

「ソウジね、アホなのよ。関西で言うところの。あいつ、なんでもかんでも人に言わないで自分で納得しちゃうところがあってね。特に、自分の事だとホントに誰にも言わないのよ。こっちとしてはアレ、結構たまんないんだけどね。あんな世界の終わりみたいな顔して、俺は大丈夫だからって言われても、心配で仕方ないわけでさ。でもソウジは、悲しいとかつらいとか、自分がどう思ってるかとか、絶対言わないから……ユッキーが来て、ソウジが前みたく笑うようになって、俺は安心してるんだよね」

「……あの、話全然見えないんですけど」

 ああごめん、トーマの話だったね、と蓮が言い、そして――雪俊は全てを知った。


 屋上までの階段を、怒りにまかせて駆け上がる。雪俊は総二朗が許せなかった。隠していた事ではない。あんな偉そうな事を言って、それでなお――一人で勝手に納得されてしまったことが許せなかった。自分の存在が一体なんなのか、わからなくなる。

「総兄!」

 蹴破るようにして開けた扉の向こう、総二朗はいつもと変わらない顔で空を見ていた。雪俊の心の中で、怒りが赤く色づいてはじける。気がつくと彼は、総二朗の胸ぐらを掴み、襟をねじり上げていた。

「ち、ちょ、どうしたよユキ、突然こんな……」

「どこ見てんだよ、てめえは!」

 その空の向こうに、誰を見ている? 抑えきれない怒りがあとからあとから、涙の代わりにあふれ出す。許せない。どうして勝手に、一人で決めた?

「俺にはあんな偉そうな事言っといて、自分は俺を代わりにすんのかよ、馬鹿総!」

 総二朗の目がきゅうっと細まった。彼はその表情のまま、抑えた声で、誰に聞いた、と尋ねた。雪俊は、それを無視した。

「俺は冬馬って先輩の代わりかよ! 勝手に決めんな! なんで黙ってたんだよ、畜生! 一人で……一人で勝手に納得してんじゃねえ!」

 総二朗が雪俊の腕を掴んだ。そして、静かにそれを退ける。その顔には有無を言わせないすごみがあり、それに気圧されて、雪俊は手を離した。

 次の瞬間だった。世界が回り、雪俊は後ろに吹っ飛ばされていた。総二朗が、雪俊を殴ったのだ。

「お前の方こそ、俺から聞きもしねえでキレてんじゃねえ、ボケ! 誰がお前の事代わりだっつったよ? 冬馬は冬馬だし、お前はお前だ。誰も……誰も誰かの代わりなんかできねえんだよ! んなこともわかんねえのか、お前は!」

 総二朗とは長い付き合いだった。しかし、ここまで怒りをあらわにしている彼を、雪俊は見たことがなかった。

「確かに、お前と冬馬は似てるよ。それは否定しない。冬馬のこと、話さなかったことも……謝る。確かに俺は、全部一人で納得して、お前に何にも説明しなかったかもしれない。でも、今のは許さねぇ。今ので、お前は冬馬も、俺も……お前自身も侮辱したんだ」

 その表情から、雪俊には、総二朗の中で、怒りが急速に冷えはじめているのがわかった。総二朗は雪俊の傍らにしゃがみ込み、その肩に額をつけた。

「頼むよ、ユキ……頼むから……そんな寂しいこと、言わないでくれよ……つらくなんじゃねーかよ……」

 総二朗の声が震えていて、そこではじめて、雪俊は総二朗が泣いていることに気付いた。傷つけた、その事実が雪俊の心を今頃刺した。

 知っている。失ったからこそ、総二朗は知っているのだ。誰も、誰かの代わりにはなれない。それを認めることが、彼にとって最大限、死者に対する誠意なのだ。しかしそれは同時に、冬馬が二度と、どうやっても帰らないことを認めることだった。それなのに、その気持ちも汲まないで、雪俊は自分の怒りを、ただ総二朗にぶつけてしまった。

「総兄……ごめん、俺……」

 総二朗がぱっと顔をあげた。涙の跡は残っていない。多分、うまくぬぐったのだろう。そして彼は――笑って見せた。

「そーいうこった。誰も、誰かの代わりになんかなんねぇんだ。お前はお前。冬馬じゃなくお前と、俺はバッテリーを組んでるんだ。今は誰でもない、お前と一緒に、グラウンドに立ちたい。それ伝えたかっただけなんだけど……ごめんな、殴っちまって」

 年上失格だなぁ、と笑う彼を、悲壮な気持ちで雪俊は見つめる。この男は悲しいと言わない。つらいとも言わない。ただ黙って、飲み込み続ける。人はそんなに、強くも賢くもない生き物なのに。

 一瞬だけ見せた涙。この男が唯一、自分に許した弱み。それが多分、この男なりの、信用の証だったのだろう。素直じゃない、と雪俊は思った。さっきまでの不信感は、綺麗に消えていた。多分、武市総二朗という男は、城田蓮が思うほど複雑な人間ではない。ただ、表現がへたくそなだけだ。

「不器用なヤツ」

「ん? 何か言ったか?」

「なんでもねーよ、馬鹿総」

 もっと信じさせてやる、と、雪俊は思った。そしていつか、最高のバッテリーとして、二人でグラウンドに立ってやる、と。

「さっきの言葉、忘れんなよ、総兄。俺を口説いた代償はでけーぞ」

「覚悟してるよ、最初っからな」

 二人の笑い声は、梅雨時の曇り空を吹き飛ばすように、明るく響くのだった。

ひとまずこの二人が落ち着くところに落ち着きました。

某文芸誌には、この次までがひとまとまりで掲載されていました。

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