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クロスゲーム  作者: 神谷アユム
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沈黙の向こう側

裏切られたと思っていた。でも――


この小説のメインバッテリーの出会い物語です。

 がしゃん、と金網の鳴る音。音の原因は自分だったが、それをわかっていながら、桜井雪俊(さくらいゆきとし)は憎しみを募らせる。落ちた硬球を拾ってもう一度、金網に叩きつける。マックススピード百三十二キロの速球は、また耳障りな音と共に金網を揺らした。高校で鍛えられれば、百五十キロを超えてくるだろうと言われた球。それを受けてやると約束していたあいつ。最高のバッテリーだと思っていた。そしてこれからも、そうだと思っていたのに。これは、裏切りだ。

「荒れてんな、一年」

 声をかけられ、振り返ると、底意地の悪そうな目つきをした眼鏡の男が、こちらを見て笑っていた。

「んだよ、何か用か?」

「つれないねぇ。ッつーかお前、それ先輩に対する言葉遣いじゃなくね?」

「今更先輩ヅラしてんじゃねーよ、総兄のくせに」

 武市総二朗(たけいちそうじろう)。彼は雪俊にとって、野球部における一つ年上の先輩だ。ただ、彼は近所に住んでおり、昔からずっと仲がいい――というよりは、総二朗が一方的に雪俊を気に入っていた。

「しっかし、まだこだわってんのな、あの、笠間ってキャッチャーのこと」

「優一の話はすんなって言ったよな?」

 笠間優一(かさまゆういち)。中学硬式野球で名を馳せたピッチャーだった雪俊の球を、三年間ずっと受け続けたキャッチャーの名。彼は雪俊のクラスメイトであり、チームメイトであり、親友であり、唯一無二の、女房役だったはずだった。

「雪俊、俺……慶徳第二、推薦で決まった」

 一緒の高校で、また一緒に野球をしようと約束したはずだ。雪俊はもっと速い球を投げる。優一はそれを全部受け止める。約束した。なのに、優一はあっさりと裏切ったのだ。悔しさをかみしめながら、雪俊は一人で、ここ、鷹城学園高校に入学した。そこでキャッチャーをしていたのが、幼馴染みの総二朗だった。

「ユキ、お前もしかしていっぱしに裏切られたとか思ってるわけ?」

「優一の話はやめろっつってんだろ、馬鹿総!」

 雪俊が怒鳴りつけたが、総二朗はまあ聞けや、と言って笑っただけだった。

「お前、KKコンビは知ってるよな?」

 突然なんだ、と思ったが雪俊はうなずいた。KKコンビ。清原と桑田。PL学園の黄金時代を支えた二人。そこで雪俊ははたと気付いた。質やレベルは全く違えど、確かにこの二人のその後は――清原は巨人入りを熱望していたが、巨人が一位指名したのは、早稲田大学進学を表明していた桑田だった――今の雪俊と優一に似ていなくもない。

「あれ、それこそ桑田が、清原出し抜いて密約したみたいに言われてさ。清原の悔し涙があったから余計に、桑田が責められる形になったわけだけど。でもさ、桑田が悩まなかったと思うか?」

 雪俊は首を横に振った。清原はずっと、巨人に入りたいと言い続けていた。尊敬する王監督のもとで野球がしたいと。それを、チームメイトとして、クラスメイトとして、友達として聞いていた桑田が、巨人からの打診に対し、悩まなかったはずがない。悩んで悩んで、彼は巨人入りを決めたのだろう。

「一緒だよ、ユキ。笠間だって悩んだはずだ。慶徳第二は確かに野球でも名門だけど、進学校でもある。多分、親や教師からもプレッシャーがあったはずだ。はっきり言って鷹城って、こっちの方は慶徳に比べてパーだからな」

 そう言って総二朗は自分の頭を指さす。言われてみればその通りで、慶徳第二に比べれば、鷹城の進学成績はいいとは言えない。

「慶徳決まったってお前に言ったとき、笠間はどんな顔してたよ、ユキ」

 そう言われて、雪俊は優一の顔を思い出す。いつもはクールでほとんど表情が変わらず、相手選手からも、何をするか全く読めないと言われていたその顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。

「多分、泣きてえのは笠間も一緒だったと思うぜ。言い訳も、出来るもんなら目一杯したかったと思う。一年の頃からずっと一緒で、しかも最高のバッテリーが組めてたピッチャーと別れんだからよ。でも笠間は多分、我慢してたんだ。自分が泣くのも、言い訳するのもずるい、『裏切られた』お前に失礼だからってよ。泣かせんじゃねーか。たまにいるんだよな、こういう、素直じゃないキャッチャー。笠間は多分……今世界で誰よりも、お前のこと愛してるよ」

 優一は言い訳しなかった。謝ることすらしなかった。雪俊が怒りにまかせて襟首を掴みあげ、詰め寄ったときも何も言わなかった。涙さえ我慢していたのだ。優一も――自分と一緒に野球がしたかった?

 雪俊を混乱が襲った。優一のことを憎らしく思っていた。でもそれは、自分が優一を心から信頼していたからだ。それを裏切られたと思ったからこそ、雪俊は優一を憎んだ。

「だからさ、お前がそうやって笠間を憎んで、笠間を悪者にすればするほど、笠間は悲しい納得を深めていくんだ。心ン中で泣きながら、お前の憎しみってボールを、今度は背中で受け止めてく。お前がそれで前に進んでくれるように。どこまで行っても、キャッチャーはキャッチャーやっちまうもんなんだな、多分」

 だから、と総二朗はそう言って、雪俊を見た。いつもは大抵不敵に笑うか、さもなくばへらへらしているその顔が、一瞬優しげにゆるんだように、雪俊には見えた。

「見失うな、ユキ。確かにお前と笠間はバッテリーじゃなくなった。でも、心まで離れたわけじゃないんだ。憎しみに逃げんな。誰のせいにもすんな。お前はここで、エース目指しゃいい。それでこそ、笠間の、笠間なりの『誠意』に報えるってもんだ」

「……わかってるよ。偉そうにすんな、馬鹿総」

 いつもは不愉快な総二朗の笑みが、不思議と快く思えた。雪俊の心の中で、憎しみが溶けていく。笠間は自分を捨てたわけではない。おそらく、裏切ったわけでは――なかったのだ。

「お、いい顔になったじゃん、新人ピッチャー君。それでこそ、俺の相方ってカンジだな」

「は?」

「うわあ、つれないねぇ。さらっと口説こうとしてる男心がどうしてわかんねーかな……もしかして、もっとストレートな告白がお好み?」

 雪俊は眉根を寄せ、不審そうな目をして総二朗を見た。総二朗は吹き出し、楽しそうに笑ったあと、急に真面目な顔になった。

「お前の球、俺が全部受けてやるって言ってんの。言っとくけど、笠間の代わりになる気はねぇ。俺なりに、俺として、お前の球、受けさせてもらう。その代わり……絶対お前を、誰にも負けないエースにしてやる」

 近所の総兄だった頃には見たことのない表情だった。一人のキャッチャーである、武市総二朗がそこには、いた。

「……上等じゃん。言っとくけど、俺ワガママだから、その辺覚悟しといてよ……武市、先輩」

 それは、近所の悪ガキが、一人のピッチャーになった日――幼馴染みの二人が、バッテリーになった日だった。


クロスゲームシリーズは、こんな感じの「野球しない野球小説」です。

基本的に野球してないことの方が多いので、野球してる野球小説をお求めの方はすみませんでした(遠い目

話が決まれば、クロスゲームシリーズで本作ってイベント委託させていただく予定です。

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