5.魔族来襲 ~お迎えが来たようです~
――っていう夢を見たのさ! と言いたかったが……。
「……夢だったらマジで早く覚めてくれ」
目を覚ました途端、銀の十字架に磔にされていた。手足や首、胴は鋼鉄の鎖でガチガチに固定されている。
頑丈な素材でできているのか、先程の脱力魔法も効果は継続されたままであるのか、いや、そのどちらともだろう。どう動いてもびくともしない。人並み以上の怪力も、ここでは無効だった。
おそらく、あのジェイクという男の仕業だろう。気絶させたのもあいつの魔法だし。
「はぁぁ……ついてねぇ」
まさか異世界トリップの初日に磔に遭うとは。某神話の神の子になった気分だ。ということはいずれ甦って裁きを下す立場になるということか。
……どっちにしろ死ぬけど。
これが本当に夢だったならば、馬鹿話の一つとして友人らに話しているだろうに。SNSの青い鳥の方で呟いているだろうに。そんな現実逃避を俺は考えている。
……いや、現実のこと考えて現実逃避ってのはおかしい話か。もうどっちが現実なのか。
眼下には町人が数十人ほど集っている。その中にエリシアやジェイクもいた。真下をみれば、大量の薪が積まれている。
こんなのどかな町の広場で魔女狩りのように火炙りにする気か。燃やされるというものがどのようなものか想像し難い。
だけど、怖いことに変わりはない。せめてパニックにならないように気を保つことぐらいしかできない。
説得でどうにかならないものだろうか。
「ジェイクのおかげで捕えることができたものの……どうする。奴は不老長寿、不死の肉体だと聞く。どう殺せばいい」
「永遠の苦しみを与え続ければ良いだけのこと。だが帝国からの情報だと、不死の肉体はデマ。死ににくいだけで不完全だったそうだ。だから処刑できたんだろう。呪術師や医者の目から見ても、事実として肉体は完全に停止して、魂は消え去ったらしい」
「じゃあ、目の前にいるこいつはどうして生きているのよ。生き返ったとでもいうの?」
「死者が生き返るなんて有り得ないしねぇ。『禁術』の『人体蘇生』でも成功例があったなんて聞いたことがないし」
「それだけは腑に落ちないとこだが、所詮は時代遅れの異端の科学者さ。見た目に反して少しばかり力はあったようだが、たかが知れているし、書もなければ杖も魔道具もない。それ以前に神素も人並みになければ術式すら使えない。磔にされてる限り、何もできやしないさ」
「……あのー、人違いという考えは――」
「その口を開くな錬金術師」
あ、ダメだこれ。もう問答無用だなこれ。話を聞かず、悪い意味で我を貫き通すタイプだ。アルバイト先にいた弁当屋のおばちゃんをこんな状況でなぜか思い出してしまう。
「いいか、記憶がないようだが、貴様はあの27代目魔王『ヘルゼウス・アルフォーナ・メルクリウス』の実の息子――つまりあの魔界の大帝國の次世代魔王候補だ」
「それだけじゃない。偉業を為した『錬金術師の父』であるにもかかわらず、それらを裏切るように数々の大罪や、『神を戮し、神を造る』という神の冒涜に等しい禁忌を犯した原罪者『ヴェノス・アルフォーナ・メルクリウス』だということを頭に叩き込んでおけ」
「……」
怒鳴りつけたい気持ちを、眉をひそめる程度で治める。
「ハイそうですか」と納得できるほど馬鹿ではない。外見が一緒だからといって決めつけられては困る。
それにゼルスなんとかってよくわからねぇし。とりあえずいろんな犯罪に手を染めて、挙句の果てになにかしらの方法で神様を冒涜したってことだろうか。
「先生。この男をいかがなさいますか。火炙りの準備は万全ですが、やはり断頭――いえ、八つ裂きや串刺しがよろしいでしょうか」
と、そばにいた金と緑髪が混じっている女性が言う。軽装的な鎧を身にまとい、兜で顔が見えなかったが、透き通るように綺麗な声のくせして恐ろしいこと言う。
「ふざけんな! 俺はそんなの――むぐッ!?」
口にチャックがついたかのように、唇が勝手に閉じる。縫われたように開かない。
「静かにしていろ」
このやろ、今の魔法はおまえかジェイク。
黙っていたエリシアはちらりと俺の目を見ては、その女性に返した。
「いくら罪人だからとはいえ、憎しみのままに残虐なことをするのは復讐と変わりない。ですよね、ロダン町長」
町長と呼ばれた男性に話を振る。
「それはそうだが、今回ばかりは流石に……」
まるで軍人のような筋肉質な体型に強面という厳格さ抜群の町長は、強く出た意外な言葉を前に判断を悩ませている。町の人たちも少しばかり動揺していた。
「ええ、今回ばかりは特例と言ってもいいほどの前代未聞の事態です。今は町長の命でこうして動きを封じ処刑の準備をさせましたが、私の目から見るに……やはり一度、話し合った方が賢明かと思われます」
「何言ってんだ先生、こいつはヴェノスだろ。記憶がどうとか関係ないとさっき言ったはずだ」
「ジェイク、おまえほどヴェノスに対する執着心を抱いている者がいないことは承知している。しかしだ、記憶がないというよりは、中身が違うと言った方がいい。その怒りをぶつける対象はもうこの肉体にはいないんじゃないか?」
「っ、けど俺は――」
「ほかの者も同じだ。まだ決断するには早い。彼も何が何だかわからない状態のはずだ。話し合ってから決めても遅くはないだろう」
「話し合いなんて必要ねぇだろ……なぁ先生、あんたもヴェノスという奴がこの世界にどれだけの被害をもたらしてきたか知っているだろ! こいつのあの穢れた手で何をしてきたか……! 大賢者のアンタならいちばんよくわかってるだろ!」
そうだと賛同する町民たち。完全にジェイクの流れになってきたが、それでもエリシアは動じない。
「ああ、分かっているさ。ヴェノスがこの世界をどのように変えようとして……どれだけの人々に影響を来すことをしてきたのか。みんな以上に、私は知っている」
「……随分と、ヴェノスに肩を持つんですね」とそばにいた鎧と兜を着けた緑髪の女性。物静かに言うも、言葉に残念さが含まれていた。
「肩を持つ、か……そうかもしれないな」
「――っ、エリシア、それはどういう――」
「ヴェノスを……この人を殺すことは私が許さない」
どよめきが走る。俺も驚いていた。
「先生、何を考えているんだ」
「それはこちらの台詞だ。罪人であれ命を奪って償いをしてもらうなど、私にとっては愚行に等しい。授かった命をわざわざ摘み取るなど……神への冒涜だ」
「その神の冒涜をこいつはやっているんだ! 先生、目を醒ましてくれ。あんたどうしたんだよ急に。こいつがヴェノスってわかった途端に様子がおかしくなってるぞ」
「目を醒ますのはそちらだ、ジェイク。ここにいるみんなは何も知らないにすぎない」
「知らないも何も、現に被害は出て――」
「私の意見に納得がいかない者がいるなら……私をここから追放しても構わない。この男と共にな」
さらにざわめき。いや、動揺と言うべきか。いつもどおりではないであろうエリシアの態度に、周囲は戸惑うばかりだが、俺もどういうことなのかと困惑するばかりだ。この身体の何を知っているんだ、この大賢者は。ジェイクとは別に、ヴェノスと関わりがあったのだろうか。
「だが、どうしてもこの男を殺すというのならば……私を敵として見ても一向に構わん」
そんな、という声が聞こえる辺り、この人たちはエリシアの世話になっているということか。恩人かどうかは分からないが、慕えている人を敵としてみるのはそう簡単じゃない。しかし、本当に賢者のくせして無茶苦茶なことを言う。俺……いや、死刑判決だった大罪人なんかの為にここまでするか普通。
「先生、どうしてそこまで……」
「それが嫌ならば、ヴェノスを開放し、話し合いをさせてほしい。分かってくれましたか……町長」
「……」
町長は黙ったままだった。町民も然り。迷っているのか。いや、戸惑っている。
裏切りか? いや、そうと決まったわけじゃない。ジェイクの歯を食い縛る様子に、思わず俺は目を逸らし、エリシアの方を見る。
本当に、ヴェノスとエリシアの間になにがあったのか気になるところだ。訊きたいところだが、ジェイクの口封じの魔法で小声ですら話しかけられない。
「……」
やっぱりこの町はある意味、エリシアが有力者としてトップクラスについているというわけか。あの町長も同じ立ち位置にいるようだが、実力はどうなのだろうか。町の判決はまだ、決まらない。
しかし、もう半分あきらめているのだろうか、焦りがあまり感じない……というのも怖いな。俺どうしたんだろ。怖くて焦っている反面、どこか落ち着きがあって周りが見えている不気味な感覚。
まるでこの身体の中にもうひとりの何かが俺の思考にとりついているような。
しかし、エリシアはわかっているようだ。この身体の中身がヴェノスじゃないことに気がついているようだし、ヴェノスという人物にも肩を持っているし……味方はひとりだけだが、まだチャンスはある。
「……?」
ふと視界に入った飛空艇。先程の輸送船のような巨大なものとは異なり、少しコンパクトのようにも見える。
蒸気機関らしきものやプロペラもついているので、現代には程遠いものの、それなりに技術は進んでいるらしい。ファンタジーらしい世界だけれど、どこかスチームパンクを彷彿とさせる。
なんだあれ……人?
飛空艇の気球部分。人影のような何か。小さくて見づらいが、なんとなくこちらを見ているような気がする。
……何かおかしい。というより、嫌な予感がする。
降下してないか?
突然、飛空艇が旋回し、こちらへと軌道を変えた。あまりにも静かに向かってくるのがおぞましく感じた。まだ誰も気づいていない。
想像以上にその速度は速かった。叫ぼうにも口が縫われたように開かないので、伝えることができない。
「――っ!? みんな伏せて!」
町長やジェイクとの論争の最中だったが、やっと気づいたエリシアは剣のように腰に提げていた大きな杖を抜き、飛空艇を斬るように横に薙いだ。
同時に起きた凄まじい轟音。一部の街の屋根が抉れ、その身を崩しながら飛空艇は広場に墜落する。エリシアが瞬時に張った結界らしきフィルターのおかげで破片や瓦礫がこちらの飛んでくることはなかった。
「飛空艇が墜落したぞ……!」
「なにがあった!」
「乗組員は無事なのか?」
次から次へとざわめきの声があふれ出す。
「……」
喋れない俺は黙ったままそれを見ることしかできなかった。
ほんの数人こちらを見たが、何か変な勘違いをしているんじゃないか。ヴェノスに魔力ないといったのはおまえらだろう。
高圧ガスが噴出し、湯気のように煙が立ち上る。引火や爆発がない辺り、石油類の燃料は使っていないようだ。
「おい、あれ……何だと思う」
誰かが震えるようにゆっくりと指さす。それを見た人々は一気に青ざめたような顔をした。まさしく絶望的だとでも言わんばかりに。
「……冗談だろ」
白煙の中から出てきた2つの黒い影。どちらもかなり背が高く、高位な貴族の衣装や装飾を着けており、少しばかりの鎧的装備に加え、全体的に黒を強調している。そして、腰には剣らしき鞘を収めている。
一人は人肌ではなく、澄んだ灰色に近い病的な色に染まっている。イケメンに見えるが、悠長な雰囲気がし、結った銀髪に朱色の瞳も含め、何か不気味な感じがする。
円筒形のシルクハットにルダンゴト、ベスト、クラバットなど、英国紳士――ダンディズムを彷彿させる衣装を着こなし、男にしてはかなりすらっとした体形だった。
もう一人は壮年の厳格な顔つきをした、白い髭を生やしたがたいのいい男であり、褐色肌に黒髪、金の瞳をしている。
金糸や銀糸が縫われた上衣やキュロットと、アンクロワイヤブルのファッションを連想させる服を着ている。
双方とも、俺の住んでいた世界のおおよそ19世紀あたりに生まれたファッションに近いが、スタイルや髪型が現代寄りに感じるだからだろうか、特別中世らしい古臭さが感じられない。悪く言えばダークチックなコスプレにも見える。
……どう見ても魔族以外想像できない。
何にしろ、ふたりの肌色を見れば異人だということは一発で分かった。
「あれは……フォングラード卿とベネスス卿……!」
二人の名前だろう、それなりに人々の間でも有名な方なのか。少なくとも、悪い意味での。
「もっと早く殺すべきだった……ヴェノスがここに来なけりゃ、こんな事態にはならなかったんだ!」
砂礫と化した煉瓦をザッと踏みつけ、シルクハットを取った青年は賞賛の唄でも奏でるように高らかに両手と声を上げた。
「嗚呼、なんという素晴らしき日であろうか! 我が一族の主アルダス・パラサティヌスの神よ! 我等が亡きヘルゼウス王よ! お隠れになったはずのヴェノス殿が貴方様よりも永く生きておりましたぞ!」
演技の一環であるかのような仕草で、紳士服を着た20代後半に見える青年魔族は語った。
つまり、彼らは俺を助けに来たという解釈でいいのだろうか。いまいち信用できないが。
「フォングラード卿……おまえまだ生きて――」
「おやおや、これはこれは蒼炎の大賢者こと王女エリシア様。こんな偏屈なところで何をなさっているのです。帝都の玉座でふんぞり返っている愚勇なラザード王と共に過ごしていれば何一つ不便がないというのに。もしかすると、家族喧嘩とやらで亡命でもなされたので?」
聞いているこちらも不快を覚える口調と、言葉を澄ました顔でつらつら言うフォングラード卿という二枚目な灰色肌の男。
「……っ?」
なんだろうか、ここで俺は助かったと安心するべきなのに、全身から鳥肌が立ち、嫌な汗が滲み出ている。今すぐあのふたりから逃げたい気持ちがどこかから湧いてくるような。
焦燥感が収まった俺自身の感情とは裏腹に、心の隅であんなに落ち着いていたもうひとつの感情がガクガクと震えるように脅え始めている。俺の意思じゃなくて……この身体が本能から脅えているのか?
「そっちに教えるつもりはない。こっちにも理由があるんだ」
流石のエリシアも警戒態勢。英雄の一人である大賢者でさえも苦戦する相手なのだろう。前に関わっていたような発言もしていたことだし。
……知ったことではないけれど。
「ふむ……ま、他所の内輪揉めはこちらには関係ありませんし、どうぞご勝手に」
そう軽くあしらっては、「さて、ヴェノス殿」とこちらへ腹の立つ顔を向ける。標高的にこちらの方が上なのにもかかわらず、見下されている気分だ。話を聞くに、身分上でも俺の方が上なはずだろう。トラウマに似た無意識的な震えは未だに治まらない。
「貴方様もお父様と揉め事なさって家出をした身でしたね。『理の科学の始まり』でしたかな、神さえ覆すことのできない森羅万象の理の真骨頂を手にし、真実を世界に伝えていくと。貴方様の仰る『未来の希望』とやらを人間界にまで伝染えると。なんともまぁ、とんだ寝言をおっしゃっていましたね」
「不老不死や永久物質創成術、蘇生術……だったか。ふん、馬鹿馬鹿しい」
腹の底から響いてくるような厳格な声で言ったのは、もう一人の壮年男性魔族だった。確かベネスス卿、だといったか。
というか余計なお世話だし、俺自身関係ないことだ。
そもそも科学法則無視している魔法を当たり前のように使っているおまえらに馬鹿馬鹿しいと否定られるのはおかしい話だろうよ。逆にそれら魔法でできないのか。
「流石にそれは本人の前では慎んだ方がいいと思いますよベネスス卿。そう露骨に言ってはヴェノス殿に失礼です……ふふ」
この身体――ヴェノスに言っているのであって俺自身に言っているわけではないのに妙に腹だたしい。磔にされているのをいいことに言いたい放題だ。
とはいえ、こちらの世界でもそのSFのようなことはできないのだろうか。なんだかんだで魔法も自然の摂理の下に成り立っているのだろうか。
「それにしてもまぁ随分と、人間族らしい、視野の狭い偏見的な目になってしまいましたね。まるで人が変わったよう」
実際に中身が別人だからな。そう見えても仕方ないだろ。
それにしても、周りから一切声が聞こえない。口を開いた瞬間殺される、といった感じなのだろうか。何か言いたげでも関わらず、エリシアでさえ口を開かない。
相当、このふたりに畏怖している。町の人も、俺の身体も。
「全く、王家の恥さらしの出来損ないが人間風情に毒されおって。どこまで墜ちるつもりだ、ヴェノス殿」
「まぁまぁベネスス卿、ここは堪えて堪えて。そういう照れ隠しはいいですから」
「いい加減なことを抜かすな」
「はいはい、お説教は連れ帰ってからでいいでしょう。これは陛下の命令なんですし」
「全く、陛下もどうかしている。一族の裏切り者を迎え入れるなど……生まれつきの出来損ないらしく、どこかで野垂れ死んでしまえばいいものを」
どうやら、俺は人間側だけでなく、同族の魔族からも嫌われているらしい。
現実世界でも家族に期待されずに邪魔者扱いされたのに、こちらの世界に行っても目の上の瘤扱いかよ。
「……」
しかし、あまりにも口を開かない俺に、「ふむ」と顎を弄ってはパチンと指を鳴らした。
すると、意地でやっても開かなかった口が、枷が外れたように自由になった。それだけでなく、全身の脱力感もさっぱりとなくなった。
自分の状態異常が瞬時に回復し、思わず「おぁ?」と不思議そうな、悪く言えば間抜けな声を出してしまい、後から少しだけ恥ずかしく感じたが、今はそれどころではない。
「さ、ヴェノス殿にかけられていた術はすべて解きました。今までどこに身を隠し……いえ、処刑されて生体活動を停止し、魂ごと消滅したにもかかわらずどのようしにてこの世界に戻ってきたのかを問い詰めたいところですが、貴方の妹様――現28代目オストロノームの王……女帝『アルステラ陛下』よりお言葉を授かりまして……」
「……いもうと?」
普通に考えれば当たり前のことだが、この世界だと魔王はポンポンと蘇らないのだろうか。人間同様、王位継承といった感じで、代があるらしい。
俺にも妹ではないが弟がいる。今はもう就職して立派に仕事しているが……いや、まさかこの世界でも兄が出来損ないで、妹が兄よりも優秀だという立ち位置になるとは、デジャヴを感じる。
「ええ、兄妹のよしみでありましょう、陛下に慕える身となれば、今まで送ってきたであろう貧相で過酷な日々よりも裕福安泰な生活を保証することができますよ。その絵空事――いえ、『未来の希望』とやらの研究も、そこでなら十分に捗りますし、我々は歓迎しますよ」
饒舌な口調で提案を持ち込むフォングラードに対し、ベネススは黙ったまま。ベネススの方がまだ素直だ。彼の感情が滲み出ている表情こそが、魔族の王家の本心だろう。
「何一つ不満の無い生活を再び提供しますよ。何、そちらにリスクやデメリットなどございません。陛下の許可の下、ちゃんと保証しま――」
「断る」
「……今、『断る』と仰いましたね。それでいいのですか? 断れば、この町の人々に処刑される運命は変わりませんよ?」
確かにその通りだ。
焼却場の施設は人間側か魔族側かはわからないとして、俺は人間に捕まり、こうやって殺されそうになっていることは事実。そりゃあ苛立つし、同時に怖い思いはした。
ここでこの二人についていけば、ひとまず助かるのは確実だろう。俺だって、ここで処刑されるぐらいなら不安だけど親族の魔族についていった方が良い気がするよ。
けど、それとは別にこの身体がそれを拒否してくる。このままだったら死ぬのに、それでいい、それが正しい選択だと言わんばかりに、俺の魂が棲みついた脳へと呼びかけてくる。
何より気持ちが悪いのは、俺の意思ではなく、この身体から"死"を求めていることだ。
言葉ではうまく説明できないような悍ましさを違和感としてとらえつつも、なんとなくだが……この場で受け負ったらマズい気がする。無意識的に嫌な気がしてならなかった。
「悪いけど、男に二言はない。けど、ちょっと言わせてほしい」
「何かご不満でも? 私が申すのもなんですが、十分な条件だと思いますよ」
「そんな虫のいい話があるわけないだろ」
都合のいい話だったならば、目覚めた場所が火葬場だったり、崖から落ちたり、こうやって磔にされているはずがない。
本当に歓迎されているなら、さっさとこの磔にされている状況を真っ先にどうにかするはずだ。
「そっちの事情は知らないけど、俺はお前らにとっては魔族の恥さらしで出来損ないで、何かの犯罪にまで手を染めているクズ野郎なんだろ? そんなどうせ死んだって困らないような邪魔者を優遇する貴族がどこにいる。王の兄弟だからって、そう甘くいくほど世の中優しくねーだろうよ」
「おやおや、少し見ないうちに随分と世の常を学ばれたようで。ですが、どんなに出来の悪い子だとしても、王族の子だというだけでVIP待遇されるのはどこの国にいても共通なので、そこまで疑う必要はありませんよ」
自然と出てくる言葉に対し、つらつらと対応するフォングラード。だが、俺の魂の意思と肉体の意思が繋がったような感覚と共に、思い切り言葉を吐き捨てる。
「要するに胡散臭いんだよ。何より……俺が兄妹の下につくのは絶対に御免だ」
やってしまった。いかにも強そうな魔族相手にはっきりと言ってしまった。それ以上の理由があるのに、かっこつけたようにそんな程度のくだらない理由を言い放った。
この身体があの魔族についていくことをを拒否する理由……死以上の恐怖があるのか? この身体にとって、都合の悪いことでもあるのか。
しかし、敵に回す必要ない相手を敵にしてしまった。ヴェノスの肉体の本能に流されるように従ってしまった俺も俺だが……。
フォングラード卿は小さくため息をついた。ベネススは「だから言っただろう」とでも言わんばかりの目を彼に向けていた。
「ということは、勧誘を拒否――この町と共に消える。そのおつもりでよろしいのですね? ……どこかの誰かさん?」
不敵な笑み。当然といえば当然か、既に肉体の中身がヴェノス本人ではないということがバレていたか。いや違うな……もう魔王の一族として見放されたんだ。
「そーいう結論に至ってしまうほど俺がどうでもいい存在なら、こっちから願い下げだ」
そもそも、どれもこれも俺の知ったことじゃない。全部、この肉体の前の持ち主だったヴェノスというろくでなしが悪いんだ。俺はただのとばっちりだ。
そうですか、と残念そうな顔で肩を落とすフォングラード。参ったなといわんばかりの振る舞いをする。
「神素が人間以下であれ、せっかく生き延びていたヘルゼウス王の息子をこの手で屠るのは、我々としても非常に残念な限りですが……仕方ありません。承知いたしました」
フォングラードは持っていたステッキの銀色に光る先端を、墜落した飛空艇の残骸に軽く当てる。
「"怠惰の晶よ残忍なる暴君の龍であれ。Faulpel-Esin-Grausam-Aufon……醒めよ"」