13.青い世界の幸せ者
こいつの前に、勝負などなかった。猶予も容赦もない。
赤い。酷い。一気に変わった景色に映る、王の死に様。俺の手で、王を瞬く間に屠ってしまった。体の髄から爆散したような一瞬。だがすぐに、物質分解で大気に散る分子へと変わり果ててしまった。
「っ、そんな……!?」
嫌悪関係だったとはいえ、実の父を目の前で失った彼女の声が聞こえたが、俺は目も向けたくなかった。それなのに、この身体は言うことを聞いてくれない。見たくないという逃避でさえ、許してくれない。
目に映るエリシアさんに、こちらに対する殺気はなかった。呆然というか、なにかを失ったような喪失感のそれだ。
「ラザードの娘か……蒼炎の大賢者になったんだな。おめでとうと言いたいが……おまえも勇者の血を受け継いでいる以上、その命、絶たなければならない。世界を繰り返さないためにな」
手が伸ばされ、エリシアさんに触れようとしている。
「ヴェノス……お前は、未来の希望を叶えるんじゃなかったのか?」
「今、それを実行している。この世界のままじゃ……勇者と魔王が存続している限り、術式などが主流となっている限り、あてにもならない神が信仰されている限り、希望はない」
「……っ」
彼女には聞かせたくなかった、希望の真実。過去も尊敬もすべて壊された人の目が、俺の目を傷める。
「その発動し続けている術式……私には効かないと解っての行為か?」
おい……これ以上はやめろ。
やめてくれ……!
エリシアさんに手を出すんじゃねェ!
「う……っ!? なんだ、クソ……!」
動きは止めた。エリシアさんだけでも、生かさなきゃならねぇ。
畜生、俺の身体どころか、ふたつの国までも好き勝手にやりやがって……だったら俺も暴れてやるさ。
「あぁああ……ハァ、異物め……! きえ、ろ……この、野郎がァ……」
視界がふらつき、あちこちに何かぶつかるような鈍い痛み。頭を押さえ、俺もヴェノスも同じ痛みを共有している。
枯れた喉で息切れが起きる。せめてこの唸り、悲痛に叫ぶ口だけでも、ちゃんと動いてくれ……!
「エ゛……エリシア、さん……! 俺を――俺を殺してくれ! この身体がヴェノスそのものになる前に!」
「メル……? 今のは、メルなのか……?」
搾り取った声では答えることもできない。俺は頷いた。
「また戻ってきたか」とグランディウスの冷酷さが耳を掠める。だが、何かをされたわけでもない。代わりに、轟音がそこから聞こえてきた。
大賢者と同じ蒼い髪が視界に入ったことに、目を疑った。
「リゼル……!」
やっと来てくれた、といわんばかりの顔で、俺は理解した。リゼルの傷の大体が癒えているのを見、回復の術式をどこかで発動していたのか。
彼女の放っていたものは、敵に向けたものではなく、人を助けるためのもの。まぁ、そうだよなと、思えば納得する考え方だ。
「エリシア! そいつを討て! もうそいつはヴェノスだ! 躊躇うことはない!」
腹から叫び、リゼルはグランディウスに追撃する。それでも震えていた声に、彼は涙を流していると察した。
そうだ。俺の手で。俺のこの手でふたりの父親を殺したんだ。俺自身、関係ない話だと切り捨てればそれまでだが……それで悲劇が連鎖し続けるのなら、俺だって放っておけない。
「どういう経緯で救ってもらえたのか知ったことじゃねぇ……でも、ヴェノスがエリシアさんの恩人だとしてもっ、生かしちゃダメなんだよ! 少なくともこいつはエリシアさんの知ってるヴェノスじゃねぇ! ちょっとした記憶と、バカデケェ理想と真実だけで動いている機械にすぎねぇんだ!」
おぼつかない足を動かし、視界がぼやけ始める。唾液が溢れ、今にも吐き出しそうだ。
「い……いやだ! メルはメルだ! おまえが死ぬ必要はないんだ! ――待ってろ、今ヴェノスの魂の浄化を」
「それじゃあ意味ねぇんだよ! この身体が死なない限り! ヴェノスは何度も甦るんだぞ!」
もう仕方ないことなんだ。俺がこの身体に転生したばっかりに、こんなことになってしまった。
俺も、運が悪いな。
「エリシア! 早くしろ!」そう催促するリゼルも、余裕はない。互いの剣撃がいつまでもつか。「すべておまえにかかってるんだ! 大賢者としてやるべきことを考え――」
だが、それもすぐに終わる。彼の声が途絶えた。この視点からでは確認できないが、大きなものが倒れるような鈍い音に、液体と柔らかい何かがこぼれたような、不快な音。もう、兄が妹に伝えたいと思っていた言葉も、二度と届くことはない。
もう後がない。
俺は彼女の肩を強く掴む。潰れる肺を押し広げ、たった一言だけ、懇願した。
「エリシアさん……頼む」
得意の術式で、一思いにやってくれ。今の俺なら、簡単に死ねるから。
その代り、ぜんぶ受け止めてやっから。つらい思いも、さびしい思いも。その流れちゃってる涙も。そして、俺への想いもぜんぶ。この身体で受け止めるから。
彼女から離れる。畜生、もうちょっとだけ……傍にいたかった。
「メル――ごめんなさい……!」
大地すべてに巨大で緻密な法式陣が描かれる。この城のみならず、この魔国中枢という小さな星すべてが、芸術ともいえる、しかし花園のように魔法陣が咲き誇る。花火のように綺麗な彩を誇る青。その青が、土に染みわたる水のように、この身体にも刻まれている。
自分の思いに全力で応えてくれたことに、感謝したい。空に響くほどの叫びと共に、彼女の蒼炎術式が発動する。
世界は、あっという間に蒼に染まった。
……。
…………?
………………あれ。
「――ル……メル!」
感覚はある。熱い。いや、あったかい。何か聞こえる。でも、見えない。真っ暗だ。
「駄目だ、死ぬんじゃない! しっかりしろ! メルスト!」
……なんだよ、まだ生きてんのか、俺。案外、しぶといんだなぁ……。
というか……エリシアさんの声が近いな。上から聞こえる。頭の後ろの柔らかさは……はは、夢にも見てた膝枕か。そういや転生したのに、こういう場面はなかったなぁ……。
静かだな。彼女の声しか聞こえない。
「あの騎士も、メルが倒れたときに一緒に動かなくなったんだ。もう全部終わったんだ。だから、帰ろう。それで、また一からやりなおそう……なぁ……メル……っ」
そうか……この身体とホムンクルスは連動してたのか。じゃあ、もう心配する必要はないな。
「メル……聞こえてるか。なぁ……返事をしてくれ……おまえまで、私を置いていく気か……」
ごめんな。でも……町のみんながいる。これからがある。エリシアさんの望む形じゃなかったけど、これで世界はやり直せられるんだ。結果オーライ……というのは失礼か。
聞くことしかできないなんてなぁ……ダメだ、口の感覚がない。呼吸は……どうなんだろ、しているのかな。これじゃあ生き殺しだな。でも……辛いのはエリシアさんだ。今の涙ぐらい、生きている間だけでも、受け止めよう。
「そんな簡単に死ぬ男じゃないだろう! いつものお前はどうした! 目を……覚ましてくれ……メル……ッ!」
まだ起きているさ。でも、瞼を開く力すらない。好きな人の瞳すら見つめることができないなんて、さみしいよなぁ。だけど、彼女の泣く姿は、新鮮だけども心が苦しくなるだろう。
「こんなにも好きなのに……愛しているのに……なんでメルが死ななければならないの……」
でも、ここまで悲しんでくれる人がいるって、俺は幸せ者だ。
卑怯だよな、エリシアさんも。さりげなく告りやがって。俺だって、好きだって言いたかったさ。
嗚呼、あっけなかったなぁ。
異世界いったら必ずしも上手くいくとは限らない。こういう結末もあるんだな。
次、また転生できたらな……いや、さすがにあの世行か。でも、後悔はしていない。前世にはなかったものを味わって、前世で得られなかったものを存分に得ることができた。何より、ここまで人に好かれたことだなんて……嬉しすぎて目が痛くなってくるよ。
まぁ、満足と言えば……満足だ。
ありがとうな。
いつの間にかすすり泣きすら聞こえなくなった。もう、死ぬ間際か。この独り言も夢の一部になって、気がついたら死んじゃって、っていう感じになるのかな。あとは、上手くやってくれと願うばかりだ。
……なんか、今までが懐かしいな。
最初はいろいろ酷かったし、嫌われていたし、刺されていたしで散々だったこともあったけど、死ぬ前に――この魂に刻み込んでやる。
それでも俺は、幸せ者だったと。
明日の朝、更新します。