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10.魔王と魔王

 何故か、俺の口から笑みがこぼれた。震えそうになる声。嬉しさか、戦慄か、それとも憎悪か。

 応えるように、彼女もクスリと嗤う。鈴を転がしたような綺麗な声だった。


「来ることは分かっていたわ。……兄様。いえ、メルスト・ヘルメスと呼ばれているのだっけ」

 この身体――ヴェノスが処刑された時は、老人の姿だったにもかかわらず、その容姿は妖艶で瑞々しい。エリシアさんと引けを取らない美貌だが、凍てつくような冷たさが露呈している。

「それにしても、随分と派手にしてくれたわね。言ってくれればちゃんともてなしたのに」

「そうだな、そっちから変な真似しなけりゃ、俺だってこんなことはしなかったさ」

「身勝手ね。そういうとこも兄様らしいわ」


 瞬時、反射的に手を眼前へと打ち払う。手の甲に当たった、何かの熱の塊。それを弾き返し、右側の金属壁が爆轟を上げる。

 無色透明の魔弾を無詠唱無挙動で放ったのだろう。


「……話し合いは要らねぇってか?」

「だって、もう兄様は――この国の人じゃないもの。国を捨てた裏切者だってこと、都合よく忘れているのかしら」

 小馬鹿にしたように、嘲笑を繰り返す。

「俺は俺だ。ヴェノスがなにしたかなんて、知るはずもねえだろ」

 ふと、周りの静けさに気が付く。ここにいるのは、俺と彼女だけか。

「……おまえしかいないのか」

「ええ。軍以外、逃げるように命じたの。最悪、ここが消えかねないから」

 それなりに部下や民のことは考えていたようだ。現に、ここに来るまでに出会った魔族は軍しかいなかった。

「そうか……それで、俺がいたから町を襲ったのか」

「いいえ、アコードの血筋がその町にあったからよ」

「……? 大賢者のことか?」

「察しが良いわね。エリシアという勇者の娘、そして、その兄の現勇者リゼル。アコードという国と継承された血筋がある限り、この世界に救いはない」

「世界だなんて大袈裟だな。そっちの国がヤバいってだけだろ」

「……ふふふ、さっきの言葉、撤回するわ。やっぱり兄様は察しが悪い」


 重力を感じさせないように、ふわりとアルステラは立ち上がる。その振舞さえ魅せられるものがあるが、口から出てくる言葉の真意がわからない。疑うことも信じることもできない。ただ、不条理にも言葉を拒絶したがっている。

「アコードも、その国を変えて新しいアコードへ変える人たちも、その一団に加担するあなたも、危険極まりないわ。仮に手を貸してほしい――といったところで、裏切者のあなたは身体から拒否するでしょうね」


 暗色の彩りが放電の形で彼女から飛び交う。波打ち、揺らぐ硬い床。靡く服は意志を持ったようにゆらりゆらりと漂う。

「決めつけはよくねぇよ。一応俺も魔王やってたんだから、こっちの話も聞いてほしいね」

「今は私が王よ。出来損ないだった兄様どころか、誰にも私に逆らえない」

「統率者としては根本的に努力し直さないといけなさそうだな、アルステラ女王陛下。国の不満は耳に届いているか?」


 力がぶつかり合う。天井付近からガラスの砕け散る音が狂騒を上げる。多数に渡る衝撃波が部屋に波紋を引き起こす。

 融け出した床を踏み込み、前へ。俺ごと呑み込み、ホール中を包む閃光――焦土術式を物質創成能力で薙ぎ払い、衝撃諸共、周辺へ吹き飛ばす。爆発に等しい風圧は、威力さえ分からなくとも、このホールの壁すべてを粉砕するだけの力はあったはずだ。 


「……っ、障壁バリア張ってるのか」

「あちこち壊されちゃ困るもの。私の世界で眠ってもらうわ」

 はたと感じた閉鎖感――気流の遮断を察知し、障壁術式の圧迫で身体が潰されてしまう前に転移――アルステラに殴打を仕掛ける。

 さすがは魔王と痛めた拳を引き戻す。彼女の周囲には加護ともいえる防護壁が展開されており、しかし彼女以外のすべては蒸発しきった。ホールを覆ったバリア諸共だ。


「……ひどいことするわ」

 冷めた目でアルステラは俺に目もくれず振り返る。玉座も壁も、その先の景色も、地平線まで無の道へと昇華し、不毛地帯と化してしまった魔王本拠地。ここで恐ろしいと思ったのは、無意識的に自分が容赦をしていなかったこと以上に、彼女に傷1つつけられないと考えたことだ。

 ほんのお返し、と言う代わりに、俺に向けて差された指。――すると、体のあちこちに矢が突き刺さったかのような鋭い痛みが生じる。くいっ、と引っ掛けるような指の動作――それを視認したと同時に視界が暗転する。締め付けられる。息苦しい。動かない。それで初めて、何かに閉じ込められて、固められたと知る。

 材質はただの不純物が混じった鉄。すぐに物質構築能力で分解――剣として腕にまとわせる。未だ慣れない剣術を披露する前に、豪雨を彷彿とさせる溶鉄の雫が弾丸の速さで全身を襲う。剣からすぐに盾へと構築し直すも、すぐに貫通――体中に穴が穿たれる。まるで溶岩の雨だ。


「熱っつ……!」

 止む気配は感じられない。ここは突っ走り、右腕に摂氏数千万度の光熱とプラズマを滾らせた。

 だが、魔王の前では近づくことも許されない。空間が捻じれ、彼女との距離が遠ざかり、上下左右から光線が噴射し、格子構造を作る。それでも降り続ける、焦熱紅蓮の雨。

 まだ、こいつはわかってないな。

 赤い雨に打たれるほど、力が湧き上がり、走力も格段に上がる。眼前へ迫りくると錯覚してしまうほどのスピードで格子を縦横無尽に切り抜け、次々と突き出てくる錘状の岩槍に触れては腕にまとう。

 錬成――鋼鉄にも劣らぬ堅甲な防護腕へと装い、再び彼女の元へ。瞬時に展開された六の剣。内四本が浮遊し、生き物のように俺に襲い掛かる。


「兄様は覚えているかしら。剣に優れなかった私に、この術を教えてくれたのは兄様だって」

 延々と続く刃の猛攻。浴び続ける風の様で、石をも押し流す河のように重い。そして、肌を痛めつけ、凍てつかせる吹雪のように、鋭い。二本の腕ではさばききれず、次々と四肢、胴がすっぱりと斬られてしまう。再生する集中力も続かない。だが、意識は逆に鮮明になっていった。


「――!?」

 彼女の持っていた剣を裏拳で叩き折り、首元へ蹴りを入れる。傷一つつかない鉄壁ともいえた防護術式も、ここまで痛めつけられた俺の前では、革鎧と変わりない。苦い顔をした彼女は後退し、一瞬だけ瞳孔が乱れたのを目にする。


「くっ――!」

 睨まれた途端、床や天井から高密度の光熱エネルギーがいくつも穿たれる。その間を飛び、縫うように迫りくるアルステラ。羽衣のように服をはためかせ、かつ光のように一貫として空を渡る様は一瞬だが美しいとさえ思った。

 だが、一発でも当たればどうなることか。術式を展開しながら誘導弾のように接近する彼女に対して、時空転移で応戦する。体の一部がぶつかる度に飛び散る紅の煌めき。それすらも錬成しては相手を傷つけ、自分を守る武器へと変える。


「なるほど……痛みを与えるほど、強くなるシステムね。兄様も興味深いことをするわ」

「まぁ、余裕でいられるのも今の内ってことだ」

 とはいうものの、ここまで効いていないのは想定外だった。魔王というものはここまで強いものなのか。

 瞬時に相手の懐へ。術式で構成されたシールドを決壊させ、右腕で一閃を薙ぐ。


「――ッ」

 唯一の足場だった床さえも、龍が喰らったかのように円型の奈落と化す。崩れゆく城の一部。ひとまず外部の空へと転移し、嘔吐感を堪えながらも、屋上の広場へと足を付ける。

 結晶で造形された、屋外ダンスホールのような景色。重力によって引き込まれる雪は相変わらず静かに降り注ぎ、惑星型の城から見える空には、竜の骸が積み上げられたような成層火山。冷えつつもひび割れた隙間から赤い熱を帯びている。

 アルステラは変わらず余裕の表情。しかし、けほっ、と吐血したのを見かけた。効いてはいる。取り繕っているだけかもしれない。


「その創造神と破壊神を宿らせた腕……頼っていた力を失ったとき、兄様はどんな顔をするのか。興味があるわ」

 不審な笑みに、背筋が凍る。


 おい、まさかこいつ――。

 渇いた指鳴りが空に響く。

 一瞬、自分の身に何が起きたかわからなかった。

 花火のように激しく散った瑞赤玉。興奮するように全身が熱い。自分の中から何かが抜け落ちていくような、脱力感。ふと、両腕の感覚がないことに気が付く。

 知らなかったのではない。気づかなかったふりをして、肉体を喪失した事実を否定したかった――と、把握した時。


「――ッ!!」

 声が出ない。何も考えられない。なにもなにもなにもなにも……痛い。痛い。痛い。

 痛みだけで全部が塗りつぶされそうだ。

「ぁ……あぁ……ぁ……っ」

 両腕を吹き飛ばしただけじゃない。……こいつは何を仕込んだ。

「ふふ、ふふふふ……兄様らしい滑稽な姿ですわ」

 ぽろぽろと綺麗な嘲笑が零れ落ちる。捻じれ、潰れた声を聴いて、妹は愉悦に浸っている。


「兄様。これでも……私は昔の貴方が好きだった」

 もう、貴方は死んでしまったの。淡白に言った彼女の表情は、どこか悲しげだった。

 燃えるほどまでに熱かったはずの体が、すぅ、と急に冷え込んだ。

 あれ、また熱くなった。火傷するような熱さ。けど、冬の冷え込むようなそれも熱さの中に混じり込んでくる。同時、何かが抜けていくような。息もできない。虚無感。すごく寂しい気持ち。

 心臓が胸部の肉ごと、骨ごと、肺ごと。背骨ごと消し飛んでいるのは分かってはいた。だけど、ここまでぽっかりと、魂が、零れる涙のように流れて、染み出ていく……そんなことがあっただろうか。


「……嗚呼」

 嗚呼……流石にこれはちょっと厳しいかな。死と生の狭間を彷徨っているこの感覚。何も感じない。けど、景色は鮮明だ。ヘンというか、嫌だな。

 感じない。肌寒さも、痛み故の熱さも、何も。

 それなのに、身体が動いているような気がする。自分の意志とは相反して、勝手に身体が動き始めている。


 ……え?

 なんで?


 その疑問の声さえも、いわせてくれなかった。

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