8.家族の元へ ~今世紀最大の家族会議~
今は廃墟と化したインセル収容所。ここに来るのは久しぶりだ。
あいつは生きているのだろうか。
「おーやっときた。遅いよおまえ」
「悪いな、思ったより血液って作るの大変なんだよ」
普通にいた。廃墟の薄暗い影に同化していた希少種にして危険度が非常に高い、黒吸血鬼。名前は確か、ブラード・ヴルクだったはず。石畳みと雑草が混じる地面を踏み進める。
「あと、おまえのこと忘れてた」
「言わなきゃ済むことを正直に言うおまえはホントに馬鹿だな」
「馬鹿正直な賢者様に影響されたしな、悪く思うなよ」
「いいから、その血の入った袋みたいなものを寄越せ。ああ、その前にこのマスク取ってくれるんだろ?」
もちろん、という返事の代わりに頭部を囲う檻とその鉄マスクを触れ、鉄原子へと分解した。
露わになった白濁の顔に目も鼻もなく、ただ牙の生えた裂口しかない。思わず「うっ」と声を出してしまい、一歩引き下がってしまう。マスクがあった方がよかったかもしれない。
「あーらら、退化しちまってたか」
かくいう本人はまったく気にしている様子はないが。
「そんじゃ、これでも飲めよ」と俺ができるかぎり人の血液に近づけた液体入りの袋を差し出す。
「いやぁーそれよりもまずは、この腐り切った奴らの血が先だ。美味いものは最後にとっておきたいからね」
動かさなかったあまり、膜が張っていた口角がピリピリと破け、小さかった口が大きく裂けた。零れるように出てきた無数の牙を空気にさらし、山積みになった囚人の死体のひとつにかぶりつく。吸ってはいるようだが……長期間放置した死体に血なんか残っているのだろうか。固まっているかと思うが、溶血剤のような成分を含んだ毒を牙にでも仕込まれているのかと予想づける。
「嗚呼――死体の腐った血なんてマズくて仕方がねぇはずなのに、こんなに美味く感じる」
「じゃ、これ置いておくぞ」
やはり見ているだけでもどうにかなりそうだ。ブラードの大きな姿が見えない場所にでも行くとしよう。
案外、ここの収容所は広い。地下施設に特化している分、地上に突き出た施設面積はそれほどでもない。地上が剥がれたように、地下施設に天井はなく、日の光が差し込んでた。
本来あった、収容所の不気味なほどの静けさ。だが、囚人もそれを監視する看守もいない、空っぽの廃墟と化したそこは、安らぎを与えてくれるような静けさが陽光と共に照らしてくれる。自然に委ねられたからこそ、かもしれないな。
「あ……」
奥へ進む先に見つけた、見覚えのあるもの。ここはそこまで壊れていなかったか。
死体焼却室。炉ともいうべきか。半壊し黒炭色に染まっていたそこは、とうに死体の山はない。ブラードが回収したのだろう。しかし、ポツンと残された、ガラクタの椅子は依然としてそこにあった。
「これか……ヴェノスの処刑された椅子」
ひとりの禁忌の終点。
そして、革命の始まり。
俺が目覚めた場所だ。
「その椅子になんか思い入れでもあんのか?」
足音が聞こえてきたと思えば、のっそりとついてきていたようだ。首を顔の隣にまで近づけてきたブラードは企みなく尋ねる。
「いや、まぁ、あるっちゃあるな」
あるような、ないような。曖昧な返事に、クスリと笑うかのように牙だけを見せた。
「変な人だね」
「おまえには言われたくない……あ」
そんな他愛もない会話でふと思い出した。期待はしないように、世間話のつもりでひとつ訊いてみよう。
「そういやさ、この間の夜に妙な奴が現れてな」
ブラードに、この前の深夜に襲い掛かってきた、蒸気を吹き出す闇色の騎士についてを持ち出してみる。感覚が優れ、多くの情報を持っているこいつなら、とやっぱり期待してしまう俺もいた。
「……話を聞く限りじゃ、僕も聞いたことがないなぁ」
「そうか」
やっぱり駄目だったか、できるかぎりの特徴や戦闘スタイルは話したつもりだが、知らない者は仕方がない。そう話題を切ろうと思ったときだった。
「けど、その身体に刻まれてた竜っぽい紋様は……グランディウスのことかもしれないね」
「グランディウス? なんだそれ」
「魔国オストロノームの神話に出てくる3大神王の一柱だ。邪龍神として世界の柱を支えているんだとよ。反面、豊饒も天災も降り注がせる気まぐれ野郎だとも言われてたっけ」
「じゃあ、やっぱり魔族が……?」
「いやぁ、その紋様を実際に見ないとわからないし、なんともいえないけど。ただ君と同じ力を使えるということは、ただの軍隊の一人じゃないだろうね。なんかの試作品として君んとこの町を実験場としていたとかなんて、適当なことを言ってみたり」
「試作品っておまえ……そうだとしたら、ホムンクルス的なやつか?」
「ま、人間のような存在を作るって考えれば、その単語が繋がってくるだろうね。さすがの吸血鬼でも、君の能力の前じゃ無力に等しいのに。そんな君を凌駕する人なら、神様が宿った神体か、人に作られた怪物かのどちらかだろうなーつって」
「ま、一度接した程度じゃどうとでも考えられるから、気にするこたぁないぜ」とブラードは締めた。
「あんがとな、錬金術師……なんだよな」
「なんで訊いた? まぁいいけど」
「じゃ、また血を頼むね。マズかったけど、薬と考えればイケる口だったぜ」
「次は砂糖たっぷり入れてやるよ。あぁ、約束わかってるか?」
「ルーアンの町に協力、だろ? 君がいないと生きれない……わけでもないけど、一応恩は返すもの程度の常識はあるし、そうさせてもらうよ」
先程雲に隠れていた太陽が顔を出し、目の前に日差しが差し込む。自然な挙動でブラードは日陰へと後退した。
彼との契約に近い交渉――約束を結んだところで、俺は背を向けたのだった。
*
俺は町に帰ってきたんだよな?
違う場所とか、そんないい加減な思い違いなんかじゃないんだよな?
「なんだこれ……!?」
事は既に収束していた。手遅れだった、という言い方が、この光景に合っている。
平穏だったルーアンの町。それが変わり果て、ほとんどの民家が潰れ、道は抉れ、教会がなくなっている。炎や煙は立っていなかった。それだけ、時間が経っていたのか。
機能していない街を前に、足がすくむ。疑念と混乱と不安と恐怖と……さまざまな感情が入り混じり、訳がわからない。
日常が、常識だった景色が、一気に崩れ去るような。全部を失ったような気持ちが締め付ける。
「――っ」
瓦礫の角で見えた、人の動き。唖然としている場合ではない。震えた足を動かした。
「おい! みんな大丈夫か!!」
草の枯れた広場には、町の人々。エリシアさんやフェミルも、みんないる。……赤く染まった痛々しい怪我を除けば、俺は安心しただろう。
「メルスト……よかった、無事だったか」
それに反し、エリシアさんは安心した笑みを見せる。こんなときにもその顔を見せるなんて……落ち着かせるどころか、逆に苛立ってしまう。
「んなこと言ってる場合か! 何があった! 俺がいない間、何が起きたんだ!」
「魔族が……魔王軍が襲ってきたんだ!」
町の一人が叫ぶ。治療の施しはされているようだが、体の至る所に巻かれた包帯に目がいってしまう。
「突然大群で奇襲を仕掛けられて、なんとか追い出せたが……この有様さ」
俺がいない隙に、軍を送り付けたってことか……?
天災が通り過ぎたような、死んだ町の一帯。どれだけの激戦だったか、どれだけの血を流したか。わかってしまう。
まさかと思うが……いや、必然だったんだろう。やっぱり――。
「……ごめんな。俺がこの町にいるから……こんなことになってしまった」
「――っ、いや、メルは悪くない。襲撃などよくあることだし、幸い死人は出なかった。それだけでも――」
「でも、たくさん傷ついた。俺が悪くなかったらだれのせいでこんなことになってんだよ! そんな世辞はいらねぇよ!」
ハッとした時には、周りはただこちらを見るだけだった。責めてもいないが、俺の言ったことを否定する様子も見られない。慰めるのは俺の方なのに、俺を慰めてくれたエリシアさんも、何も言えずにいた。
頬を通して、顔面に強い衝撃。鈍い音が耳に響き、身体がふらつく。
「じゃあはっきり言ってやる。これ全部……テメェのせいだぞメルスト、いや……ヴェノス! どう責任を取ってくれるんだ! ああ!?」
胸ぐらを掴まれ、もう一発。今度こそ倒れた俺を、ジェイクは憎悪の顔で見下している。
まだ足りないと、一歩近づいてきたときに、エリシアさんの声が通る。
「ジェイク、もうやめろ!」
「あんたもあんただ! ここまでされてまだこいつは悪くねぇというか! いくらなんでもよ、偏見しすぎじゃねぇのか? いっつもこいつばっかりで、惚れたみてぇに周り見えなくなってよ。あのとき、俺の道標となったアンタの姿は情けねぇぐらいにすっかり見る影もなくなっちまった。こいつのせいでなァ!」
またも顔を蹴られる。こいつの力は、時折人間の桁から外れる。一瞬だけ身体が浮き、うつぶせに倒れる。けれど、反抗する気にもなれなかった。何も言えなかった。
こんな危険な爆弾を、この町は匿ってくれたようなもの。だからこそ、俺が護らなきゃいけないと思っていたのに……。
「要らねぇんだよ、テメェは。町を敵に回してでも見捨てないこのバカな大賢者がいるように、町に逆らってでも憎んでいる奴がいるってことをその腐った死人の頭で理解しておけ! テメェはやっぱり疫病神だ! 町のみんなの思いと……この賢者の想いに免じて……俺がこの手でテメェをぶっ殺す前に……出ていけ。さっさと出ていきやがれ!」
剣を眼前の地面に突き刺し、ジェイクは精一杯に怒鳴る。これでも、抑えている方だとすぐに分かる。彼なりの優しさなのだろうと汲み取った。
「わかった。……今は出ていく」
町に対して何もせずに出ていくのはあれだが、この状況で残ると言い張っても状況を悪化させるだけだ。今はここから離れていく他ない。
「メルストさん……」
「お、おい……本当に出ていくのかよ」
町の人々の声。引き止めることもあるが、それも弱弱しい。
ジェイクの言うことも一理あるし、騎士団の一員であるジェイクの権力や人望も強い。逆らうことができるのは同じ騎士団員のみだろう。しかし、俺もその団員だ。ロダン町長と目が合うも、首を横に振られる。否定というよりはどうしようもないという意味。人に決められて判断するものではなく、抗って残るのも、出ていくのも俺次第というわけだ。
彼がそう言うのなら、少々好きにさせてもらおう。俺は町の景色を背に歩を進めた。
「メル! どこへ行く!」
「ちょっと実家に挨拶しに行きます。永いこと顔すら合わせてなかったんですから」
これは俺の問題だ。自分のケツぐらい、自分で拭かねぇとな。
「まさか――」とフェミルの察した声が俺の耳に届いた。
「このバカ……っ、魔王と話を付ける気か! 自殺行為だぞ!」
「でも家族です。魔王のしつけぐらい、兄ができなくてどうします」
もう二度と、このようなことがないように。アコード王国のこともある。すぐに済ませよう。
今世紀最大の家族会議をしに、俺はひとりで魔族の国『帝國オストロノーム』へと、時空を裂いて向かった。