7.今宵之月、漆に謡て染まりゆく ~上位互換出ました~
やはり深夜の山岳は暗くてほとんど何も見えない。しかし町へと続く道に誰かがいることはわかった。いや、わからされた、の表現が正しいかもしれない。それだけの強い存在感が、十数メートル先に小さくいた。
その存在感に、俺は見覚えがあった。時間帯も、今と同じ深夜。
「おまえ……っ?」
「メル、知ってるのか?」
「いや……でも、この町で何度か見かけたことはあります。けど、町の誰でもない」
数歩進み、俺は問うた。
「あの夜もこそこそしていたな、おまえ。……誰だよ」
暗くて、せいぜい人の形しかわからない。だが、その形が変わり始めている。抽象的な影からじっくりと形作られていく。
それは精巧な装飾と模様が刻まれた、威風堂々とした騎士の姿。全身を光沢ある鎧で覆い、頭部も堅剛なそれに包まれて素顔がわからない。腰に提げた大きな剣。背は高めだが、怪物のように人間を逸脱した大きさではない。
月明かりに照らされた黒煌の騎士。飲み込まれそうな闇の色に目がいくが、気になったのは胴体に刻まれた金色の――
「龍の紋様……?」
シュウ、と一瞬だけ発した蒸気の噴出音を合図に、俺の眼前に奴の鎧覆う足が――いや、既に腹部をそれが埋めていた。
痛み、衝撃などの認識はなんと遅いことか。それだけの速度で吹き飛び、手足がもげんばかりに丘を激しく転がった後に、やっとやってきた。
「――ッ、早い」
「なんだ今のは……!?」
彼女らの声が聞こえる位置――奴のいる目の前へと空間を裂き、転移する。殴った左腕からエネルギー爆発を起こしてはエリシアさんたちから距離を遠ざけた。
かなり硬い。組成鑑定で見ても、表面は複雑であり、炭素ぐらいしか鑑定できなかった。あの鎧、有機物か。今ので壊れなかったのが不思議なくらいだ。
「痛っつ……ひさしぶりに堪えた」
かつて、ベネススという魔族に殴られたことを思い出す。あれよりも遥かに、力の伝わり方が桁違いだ。
軋む音。電子音に似た重低音。蒸気機関で動いているのか? いや、機械にしては動きが生物的だ。しかしそれとは矛盾して――無機的だ。
先手を打つ――それよりも先に、奴のひざが視界を塞いだ。意地でも、と足首を掴み、構わず物質分解を施す。
数種類の合金は瞬く間に空気中の分子へと霧散していく。脚の髄からは血肉――術式で動く人形かと思ったが、中身は人間。しかし、苦悶の声すら聞こえない。
「っ!」
一瞬だけためらってしまったところを突かれる。空中で俺から僅かに離れ、再び噴出音を生じさせては接近――もう片方の足の連撃を受ける。フェミルの槍捌きを連想した。全身をカーボナードの鎧で固めても、衝撃は伝わってくる。
「――"噴華"!」
奴の真下からエリシアさんの特殊術式"蒼炎"が噴き上がる。直に受けたが――伝わったのは衝撃だけ。浄化されないということは、魔族でも亡霊の類でもない。失った足は、鎧ごと修復、いや、再生していった。
「ありがとうございます……はぁ……」
「メル! あいつ、ただの人間じゃないぞ!」
「それ以前に人間かどうかも分かんないっすけどね!」
風術式を展開したフェミルと共に駆け、距離を瞬く間に消す。奴はまだ、鞘に納めている剣すら抜いていない。
彼女の手に持つ槍は視認できない。旋回する疾風を手に、相手を押していった。が、それもすぐに終わり、槍の先端を掴まれてしまう。
その一瞬。転移した俺は相手の顔面を蹴り、自分の靴ごと物質分解を施す。殺すまでとはいかない。せめて、素顔を見ようとした。
だが、空いた右手から何かが光る。無数に散る光の粒子が視界を覆い、それにとどまらず体に穿たれるなり熱が真皮を爛れさせる。それは機関銃の如く。響く音もそれに等しい。
吐血し、咄嗟に再生を試みる。振り払われたフェミルを一瞥し、奴の素顔を再び見ようとした。
「――!?」
あの再生の仕方……まさか。
自身の纏うプラズマと相手の顔面から発しているプラズマを見比べる。徐々に奴の顔面は鎧に包まれ、時間が戻ったように修復されていく。両腕の鎧の形状も変わり、より発達した剛腕へと構築された。
「あいつ、俺と同じ能力を……!?」
身体に馴染むほど聞いたことのある放爆音。それは、奴の脚から発された。それも、何発もだ。
「やっべ、全く見えねぇ」
多段加速、とでも言うべきか、軌道変換ごとに格段と速度を上げている。なんとも変速的で、とらえられない。後方へ下がろうとも距離を詰め、嘔吐を催す程の衝撃を何連発も同時に与えられた。反撃しようとも、既にそこは虚空。当たることはおろか、掠ることもままならない。
いくつも展開される大賢者の魔法陣も、ハイエルフ騎士の疾風迅雷をもってしても、捉えることは困難だった。
「ふたりとも伏せろ!」
エリシアさんが叫ぶ。転ぶように咄嗟に倒れた瞬間、地上40センチの高さに巨大な魔法陣が一面に広がる。
「"大噴華"」
なにもかも焼き尽くす青い炎の柱が、俺の頭上の魔法陣から星空へと噴き上がった。
「フェミル!」
炎の流動抵抗。それを察知したエリシアさんは名を叫ぶ。返事の代わりにフェミルは虚空に6つの光槍を展開――射出した。
四肢と胸部に刺さり、丘に突き出た山の斜面――岩壁に固定される。
今だ……!
地を踏み込み、距離の概念が存在しない別空間を駆ける。その一歩を全力に、今度こそ物質の一片も残さない意思で、拳を振るった。
昇華。莫大な分解熱は奴の肉体と金属を蒸気へと変え、後ろの岩壁ごと消し飛ばし――いや、結果として消し飛んだのは、後ろの山のみ。気相から固相への再昇華。奴の身体は、何事もなくもとに戻った。
「あそこまでされても――!?」
「俺以上だな、こりゃ……っ、ちょ!?」
柄に手を置いた。それだけの相手の動作で、どうしてここまで死を匂わすのか。
反射的にだったのだろう、いつの間にか身体は動いており、視界は一気に広がる――相手の距離を大幅に取った。
――はずだった。ぐにゃりと歪んだ視界が波紋を引き起こし、海から上がるように奴の姿が眼前に現れた。抜いた剣を薙ぎながら。
一瞬だけ後方に見えた、エリシアさんとフェミルの怯み、屈した姿。
まさか……この一瞬で片を付けたのか?
月光色を帯びる剣が首元に当たる――突如、奴の姿がぶれては消えた。その後に来る轟音と突風。風術式をまとわせた剣圧によるものだと数瞬遅れて察する。
「ロダン団長!」
「無事そうで何よりだ。早く片付けるぞ」
剣を降ろすことなく、団長は相手一点から目をそらさない。当然、飛ぶ斬撃で倒れるはずのない敵は、鎧や関節の隙間から蒸気を噴き出す音のみを唸らす。
「……」
反撃してこない? それどころか、剣を鞘に収めた。
不利だと思っているのか? いや、俺ら3人でも奴は優勢だったんだ。たぶん戦力の問題じゃない。時間が経ち過ぎたのか、それとも一定以上の人に知られたからか。あるいはロダン団長個人を知っている可能性も考えられる。
しかしなんであれ――。
「逃がすか!」
同時に駆け、それぞれの打撃と斬撃を撃ち込んだ。手ごたえはあった。鎧も壊れた。だが、錆びた歯車を無理に動かすように身体を軋ませながら修復されていく。
「何しても……同じってか」
再び放出し始めたプラズマ。その規模は大きく、宙に極彩色の揺れるオーロラが発生しはじめる。
草原をかき乱し、放電と熱風と共にその姿は忽然と消える。いつもの静かな夜は再び訪れた。
「くそ、逃げられた……」
しかし、ハッとした俺はすぐさま彼女らの元へ駆ける。
「エリシアさん、フェミル! 無事か!」
「だ……大丈夫。呪縛術式がかけられていた上に、峰打ちで動けなかったのは情けないことだ」
「うん……なんとか」
起き上がった二人。見たところ、大きな怪我は無いようだ。
「なんだったんだ、あれは……?」
団長は、戦闘の残骸を見る。落ち着いてみると、随分荒らされたというか、荒らしてしまったというか。地面がところどころ抉れ、何より傍の山岳の一角が跡形もなく粉砕している。
確かに、何だったのかは俺も知りたい。突然襲い掛かってきた理由すらわからない。正体も分からず仕舞いだ。
「わかりませんが、前々からこの町の様子を見に来ていました。いずれも、深夜に一度」
「……魔族、かな」とフェミル
「かもしれないな。視察も考えられるが、何のために……?」
結果として戦った場所が、徐々に町から少し離れていったのが幸いだった。しかし、今頃は町の住民のほとんどが目を覚まし、異常に気が付いたことだろう。
「メル、どう思う。私としては、アコードでもオストロノームでもないようにみえる。あの能力に独特な戦闘スタイルは……軍のそれとは違う。人間の様で、人間じゃない。そんな気がした」
「……国は分かりませんが、確かに普通じゃなかったです。国とかの問題じゃなくて、世界が違ったかのような……」
今、これ以上話しても埒が明かない。そう思ったのが伝わったのか、団長は「とりあえずだ」と切り出してきた。
「メルストの話が本当なら、もう現れることはない。今日は体を休めていなさい。明日の夜、また現れることを考えて、昼にでもまた話し合おう」
この事件はすぐに騎士団に伝えられ、町全体が警戒態勢となった。信じがたい話だっただろうが、団長と大賢者の目撃証言の説得力が強かったのだろう。対策も作戦も会議で編み出し、気がつけば日は沈んでいた。
しかし、この夜の一件以来、奴が姿を現すことはなかった。
明日、更新予定です。