4.魔王の息子と勇者の娘 ~世の中そう甘くなかったです~
「なんか泥棒になった気分だな」
そう呟き、苦笑する。ほぼ木材でできた廊下をそろりそろりと盗賊気分で歩み寄る。
少しだが、聞こえてきた。半ばごにょりと聞こえるが、聞き逃さないように集中する。
「……」
僅かに聞こえるも、あまりいやらし……いや、楽しげではない声にも感じ取れる。もう一歩だけ近づいては、部屋の入り口に近づいては壁に耳を添える。
表情は見えないが、声は大体は聞き取れる。
「――そんな……っ、そんなはずは……!」
「……?」
エリシアさんは何に絶句しているのか。凶報でも聞いたような、そんな声だった。
「ああ、似ていると思ったんだが、確かにあいつだ! ほら、これを見ろ!」
パラリとカサリが混じったような紙の音。「そんな」といわんばかりのエリシアの言葉の詰まる声。
気になって覗きたくなる一心だったが、ここは堪えた。
「っ! 一緒……!」
「そう、顔も目も、全部当てはまっているんだ。何かの間違いでも何でもない。あいつは錬金術師の父――いや、悪魔の所業を犯した大罪人の"ヴェノス・メルクリウス"だ!」
ジェイクはなるべく抑えた声で、叫ぶようにそう言った。
「ヴェノス……?」
聞いたことのない名前だ。
いままで学校などで覚えてきた偉人の名を思い返してみるが、錬金術――化学関連の人物の中で、それに近い名前は浮かんでこなかった。
……いや、それよりも大罪人って言ったよな。ただの罪人ってわけじゃなさそうだ。
「だ、だけど、13年も前に捕まって処刑されたんじゃ……」
「でも現にああやって生きている!」
嘘だろ、と声が出そうになった。既に死んでいる存在、それとも死んだことにされていたか。そう冷静に考えてしまうも、どこか焦燥感を抱いてしまうのは何故なのか。
そもそも、なんで13年も前のことをあの男は覚えているんだよ。なにか関わりでもあったのか?
「でも……話した限りはとても……いや、そもそも種族特有の魂の色が違った。それに、以前の記憶もないって――」
「何を言ってんだ! 記憶がなかろうと禁忌を犯した錬金術師であることに変わりはない! それに見た目は俺達と変わりねぇが、ヴェノスは魔族……それもあの魔王の眷属だッ!」
「……っ!? マジで魔族いるのかよ」
息を殺しながら、思わず口にしてしまう。
声色を窺う限り、ジェイクの形相は相当なものになっているだろう。
禁忌を犯したということも十分にマズいが、それよりも魔王の身内ってどんだけヤバいんだよ。というか典型的に魔族というものがいるのか。
しかし、そんな誰かすらわからない他人事であるにもかかわらず、悪寒が走るばかりだった。信じたくないも、信じざるを得ない状況の面々に、もはや疑う余地などどこにもなかった。
「嘘だよな……」
今の話を聞くからに、もしかしたらと、嫌な想定を考える。
「――確か町の近くの『ハーバル河』で『あの男』を拾ったと言っていたな。あの河の上流付近の国境山脈にはヴェノスが処刑された『インセル収容所』……それと『死体遺棄場』があったはずだ。距離はかなりあるが、十分に可能性はあるだろう、エリシア」
「俺のこと……だよな」
そう察した瞬間、反射的に俺の身体は行動していた。
ここにいてはまずい。どこかに逃げなければ。その一心で古い床を蹴った。
「――っ!?」
「まさか聞かれたか」
ギシッ、と床が軋んだのだろう、その音がふたりの耳に入り、勘付かれる。
「っ! 逃がすか!」
バッと振り返ると、部屋から直ちに出てきたジェイクとちょうど目が合った。それを一瞬に、部屋に駆け足で入ったが、2秒足らずでこの部屋に入ってくることは確定的だった。
「ヤベェヤベェヤベェって!」
冗談じゃない。なんにも心当たりないのにもかかわらず、冤罪で捕まって処刑されるなんて納得のいかない終わり方はしたくない。
ここに来ても理不尽極まりない状況に陥るのかよ。学生生活の方がまだ理にかなっていた。
しかし、どう説得しても問答無用な気がした俺は、それこそ罪を認めるような、逃げる以外の選択肢が思いつかなかった。
「窓から無様に逃げ出すとは、しょせん魔王家の錬金術師も、どこぞの盗賊と変わらないな」
「いや知るかよ」と言ってやりたかったが、生憎そのような余裕などなく。
男のそんな嫌味も無視し、窓に足をかけようとしたときだった。
「――"悪しき澱心、その欲罪を粛清の鉛と化せ。In-libert-conpount"……」
……は?
現代の学校で唱えれば、一生黒歴史として扱われそうな痛い言葉が背後から聞こえてきた。
「何言ってんだアイツ! アタマ大丈夫か!」
思わずツッコんでしまった。余裕なかったはずなのに口にして言ってしまった。いや大の大人が真面目な顔で言うもんじゃないだろう。耳にしたこっちが恥ずかしくなる。
自分でいうのも何だが、俺は羽ばたく鳥のように窓から身を投げる。ふわりと浮いたような錯覚がした。
そのとき、俺はここが2階であることに気がついた。喉から絶叫が響く時、
「――"|石縛《Cautiverion》"!」
背中に感じた瞬時の痛み。素肌に風船を押し付けて割ったような刺激。それか数十個の輪ゴムで同時に背中にバチンと当てたような。
出せるはずの声が出ず、身体が金縛りのように硬直する。視界がぼやけてピントが定まらず、堪らないほどまでに落下する恐怖を覚える。
「……っ!」
そうだった、ここは「魔術」やらなんやらが当たり前に使える場所なんだったっけ。
動かない身体で着地体勢を取ることすらできず、背中から強い衝撃が全身を巡る。
この固くてごつごつした感触は、平らなアスファルトというより煉瓦製の石畳か。しかし激痛はなく、ガンと衝撃が伝わっただけ。漫画で読んだような、内臓が揺らぎ、全細胞が悲鳴を上げるようなことはなかった。
それでも「痛ってぇー畜生!」と声に出してしまう。
同時、何故か金縛りが解ける。強制ギプスを付けられているような、関節の動かしにくさはあったが、動かせない訳ではない。
「くっそ、とにかくどっかに――」
雑草が隙間から生えてきている石畳に手とひざを突いては起き上がる。
「っ、ンなんだここ……」
中世北欧……いや、北米だろうか。欧米を彷彿させるその中世的異文化の町が広がっていた。
さまざまな時代様式の良質な古典建築。奥に見える緑豊かな木々や丘に、歴史を感じさせる石造りやレンガ造りの町々。都市というよりは田舎町に近いも、人々の賑やかさはあった。
どこかで見たことあるような、古めかしい衣装だが、ルネサンスとは一風違った服飾。近世的、ファストファッションにも見える。
髪の色、肌の色、背丈の差。さまざまな人種が跋扈している。
比較的大きな建造物の煙突からは蒸気が噴いている。奥に見える教会からは鐘の音が聞こえてきた。
空を見れば、飛空艇が街の上空を横切っている。
中世のようで、全然違う。異文化が入り混じっているような――。
「……っけね、景色に見とれてる場合じゃねぇ!」
2階から落ちてきた俺に視線が集まっているが、それに構わず、人の間を駆け抜ける。混んではないが、閑散というほど空いてはいない。
「そいつを捕まえてくれ! 大罪人だ!」
それを聞いた途端、人々は騒めき始める。悲鳴を上げるものや逃げ出す者もいたが、捕まえようとこちらに立ち向かう人も少ないわけではなかった。
途端、横から飛びかかってきた筋肉質な男性に掴まり、それを合図にしたかのように他二人の職人面した壮年男性とバンダナを頭に巻いた巨漢に抑えられる。再び固い地面に背と頭をぶつけた。
「――うぉ!」
よく見ると人間じゃねぇ! 亜人……ドワーフじゃねぇか。
「――!? おいちょっと離せって!」
「離すもんかよ! テメェが誰で何をしでかしたのかは知らねぇが、こちとら盗賊捕まえんのが十八番なもんでな」
どれだけチームワークがいいんだこの町の人々は。前の住んでいたところじゃ見て見ぬふりが常識だったというのに。
「誰か縄を持ってきてくれ! こいつを縛り付ける」
このままいけば、どんな目に遭うのか。ただでさえ宗教観念が強そうなこの中世風の町だと、最悪魔女狩りのような仕打ちに遭うかもしれない。何にしろ、俺が処刑された罪人らしい人物である以上、死は避けられないだろう。
もう一度死ぬのは、流石に嫌だ。
「……勘弁してくれよマジで」
これだけの筋肉自慢の男たちに手足を抑えられれば、普通の人間ならば身動きができないだろう。
だが、魔族の身体ならどうだろうか。なんとなくだが、少なくとも人間よりは優れているはずだ。
まだ希望はある。
「この……離せっつってんだろーがッ!」
力の限り、腕を振るった。
「なっ!?」
「っ!? うぉああっ!」
腕を始め、肩や上半身を押えていた、がたいのいい男とドワーフの巨漢が宙を舞った。数メートルほどまで投げ飛ばされてはレンガ詰めの地面を強くバウンドしながら転がった。
「あの体勢から投げ飛ばしやがった……!」
「冗談だろ!? なんだこのガキは!」
冗談だろと言いたいのは俺の方だ。魔族の身体能力を期待していたとはいえ、大の大人をまるで大きな空の段ボール箱でも投げ飛ばすようにできたことには流石に驚いた。
投げた反動を生かして起き上がる。今の光景を見て、周りも少し怯んでいる。
ここから抜け出すには、今しかチャンスはない。
「よし、このまま逃げ――」
「――髄摘術式"Macht-Verfall Fesseln"!」
凛とした声が張るように響き、思わず振り返った途端、強い衝撃に見舞われる。まるで全力で硬くて大きいボールをぶつけられたときに似た強い痛みと、その数十倍はあるんじゃないかというぐらいの衝撃。大きな波に押し出されるような力の大きさ。
生じた爆風は軽く自身の身体を浮かした。同時に全身の力が失われ、手足を動かす力すら出せなくなる。
脱力した身体は風に委ねられる木の葉のように地面を転がった。
「ぅが……は……っ」
呼吸する力さえあまり出ない。眩暈が起き、ぼんやりする頭に、ひとつ歩み寄ってくる足音が響く。
動かない眼球に映り込んだ一人の女性と、手に持っている木の杖。その先端には色鮮やかな鉱石が散布している。
「命を助けておいて言うのも何だが、何者かわかった以上……ここから逃がすわけにはいかない」
助けてくれた恩人のエリシアさんだった。
とても若々しい20代女性からは感じられないような、何かの覇気が漂っているようにみえた。神々しいとまで言えるその凛としたオーラは、直感的に焼き付けられる。
「なんだよおまえ……! ただの先生じゃなかったのかよ」
「黙れ、錬金術師の恥めが」
横から入ったジェイクは、ドスの利いた声でそう吐き捨てた。
ちょ、なんだよ、おまえの魔法じゃ俺を捕えられなかったくせしてよくそんな偉そうな顔できるな。
それに続き、ほかの男がまるで自分のことであるように誇らしく口を開いた。
「おまえの言う通り、ただの先生ではない。この方はかの『6大英雄』の一人であられる『蒼炎の大賢者』にして、『ヘルゼウス魔王』を討ち取った『勇者ラザード』様の実の娘『エリシア・オル・ヴァレンティス・クレマチス』様だぞ!」
「……」
そんなことを言われても、元々この世界の出ではないから、それがどのくらいすごいのかはすべて理解できるはずもない。
しかし、「大賢者」と「勇者の娘」という単語を聞く限り、少なくとも凄まじく偉い人だというのは分かった。
「あまりそのことを言うんじゃない。私はただの町の一教師だし、そんな大袈裟に言う必要もないだろう」
「ああいや、お気を悪くしたのなら申し訳ありません」
周りの静けさも伺うが、どうやら彼女がこの町一番の実力者のようだ。
その可能性が高いが、それよりも自身の安否がどうなるのかを知りたい一心だった。折角二度目の人生を歩めるかと思ったのに、このまま呆気なく死ぬのは御免だ。
「畜生……俺なんにもやってねぇのに……!」
その声を聞き取ったのか、エリシアは一瞥する。
何かを考えているような眼だが、すぐにジェイクの怒号で意識は切り替わった。彼の腕から魔法の光がまとっている。
「おまえのせいで……おまえのせいで!」
腹を思い切り蹴られる。血は出なかったが、胃液が混じった唾液が出てきた。
「ジェイク! こいつはもう無抵抗だ、それ以上は――」
「だからこそだよ! こいつを気の済むまでぶん殴ってやりてぇぐらいだ」
もう一度蹴られる。今日食べたものが胃から出てきそうだ。
「馬鹿! 私はおまえの怒りをぶつけさせるためにこうしたわけではないんだぞ!」
「先生……これは俺の問題だ。俺の手でこいつを――!」
意識が薄れていく中、湧き上がったのは怒りではなく、憐れみ。こいつはそうとう恨みを抱いてきたんだなと、なにかの過去に囚われてしまった男なんだなと、そいつの必死そうな形相を見ては感じ取った。
腕の魔法の展開が整ったのだろうか、その眩い光を最後に、俺の意識は遠のいた。