11.ルーアンの意思 ~結論出すのはお早めに~
若干のグロテスク描写に注意
真っ白な意識から解放され、停止していた全機能が再起動されるような。感覚が戻るにつれて、視覚も聴覚も触覚も激しく刺激されていることに気づく。無音から騒音へ、闇から眩しさへ、無感から激痛へ。
俺は……生きているのか?
ちゃんと両の脚で立っている。けど、右腕に感覚がない。
「骨……?」
右腕だったものは今にも朽ちて砂になりそうなボロボロの骨のみ。そこに肉も血管もない。骨髄が見え隠れしている。
右胸も筋繊維や肋骨がむき出しになっているあたり、首も右顔も皮膚が破けているだろうな。右目が明るすぎて逆にみえない。というより右目から放電してないか?
左目で見える景色は、俺が見た最後の地下室の大部屋とは遥かに違っていた。床の陣は無数のヒビで崩れ、壁や天井は崩れ去っている。奥に見える牢、露わになった上の一階の窓から差し込む光。
この部屋で大量のダイナマイトを使ったような光景に、俺は再認識する。
「ああ……外に出れたんだな」
一応、成功したみたいだな。やっぱり、なるようになるもんだ。けど、いくらなんでも自分のチート能力を過信しすぎていたみたいだ。
「ハハッ、アッハハハハハ! おまえってやつは! おまえってやつは最高だ! 本当に封印ごとぶっ壊して脱獄しやがった!」
あの吸血鬼の声。その姿を目に入れたとき、俺はぎょっとした。
そこにいたのは想像していた吸血鬼とは異なり、頭部全体が金属板で覆われており、釘で固定されている。それを鳥籠のような檻で更に囲まれている。彼の表情は鉄一色でわからなかった。おそらく彼も視界が真っ暗なのだろうが、それ以外の感覚で周囲を把握しているのか。
服が風化し、はだけた肉体。だが、この世界にしかないなにかの金属でできた鎖や有刺鉄線が、身長3mある彼の痩せこけた肉体を半ば覆い、皮膚や肉を穿っている。心臓部や四肢に大きな釘が打ち込まれているので、封印される前に拷問ともいえる処刑が行われていたのかもしれない。それにしても体つきがただの人間じゃない。毛はなくとも骨格的に半分獣が混じっている。
思わず目を逸らし、俺はその吸血鬼につられるように笑う。
「はは……だろ? やるときはやる男だ俺は。お前も無事でよかったよ」
「いうねぇ。本気で最高だよおまえ。定義を――神を越えやがったぜこいつ……ハハハッ」
先程とは一変、荒々しく笑う彼の嬉しそうな声を聞き流し、慌ただしい足音が聞こえてくる。それに伴い、男たちの声も耳にする。
「なんだ今の音は!」
「お、おい! この有様は一体――っ!」
「あれは……!?」
「じょ、冗談だろ……? 嘘だと言ってくれ……!」
看視員が来たみたいだな……ふたりしてゾンビみたいな見た目をしているので、相手の恐怖も増す一方だろう。
しかし、来たのは看視員だけではない。
「ウォオオォオオオ!!!」
「やったぜ! シャバの空気を吸える!」
「拷問も労働も今日でおさらばだァ!」
「誰だか知らねぇが感謝するぜ! ヒャハハハハ!」
この収容所の囚人たちも檻から出てきてしまっていた。封印から出たときの衝撃で一部の牢獄が壊れたのか。
「ありゃまー……おまえやっちまったな。インセルの囚人共は他と違って人間的に腐ってる輩ばっかりだ。凶暴だぞ」
「こりゃあ、マズいことしたな」
地下にいるのでざっと30人ぐらいか。まさか封印から無理矢理出たら周りが衝撃で壊れるなんて思いもしなかった。
「なんだと……!? こんなことって……」
この声……あの男か。視線の先にはこの施設の最高責任者が苦虫を噛み潰したようにこちらを見ている様子が見られた。
「シザー所長! た、大変なことに――」
「ああ分かっている! インセル収容所史上最悪の事態だ。近くの執行人たちをここに召集させろ! カーター副所長も呼んで来るんだ! 今すぐ!」
「ハッ!」
時間が加速したように、辺りは喧騒に染まった。
「暴動が起きる前に鎮圧させろ!」
だが、今爆発するように動き出した多人数の囚人も、そして執行人も動きを止める。びくりと何かに反応したような。
そうか、砂埃に混じってコイツの姿が見えなかったのか。
「――ッ!? 待ってください所長! あれは……!」
「黒い血……まさか30年前に封印した黒吸血鬼……っ、なんということだ、吸血鬼まで……!」
「ん? こっちの世界じゃ30年しか経ってなかったのか。短いなぁ」と吸血鬼。
よく見ると、吸血鬼の傷だらけの身体が再生してきている。手足、胸の釘を抜き、空いた穴が瞬く間に塞がっていく。これが本物の不老不死との差か。俺の重障っぷりはいまだ再生の兆しが見えない。反動が強すぎる。
「まさかこれほどまでとは……この男は神をも封じる力を捻じ伏せるというのか……っ」
「どうだ、シザー・ベルト。ご自慢の封印術式は敗れたぞ」
苦し紛れに笑う。あの男の目には身体を欠損させても尚、嗤っている狂人の姿が映っていることだろう。あくまで俺の予想だが。
「クソ、このバケモノめ……! ヴェノス貴様ァ! どうやってこの封印を解いた! 内側からでは決して開かぬのだぞ!」
前までの威圧ある風貌は一変。焦りをみせ、怒鳴り散らす。それだけ、この術式は切り札だったのだろう。
「開かなかったら殴って壊すまでだ」
砂利を踏み、そう言い放つ。骨と化した右腕はピクリとも動かない。
「は、ははは……信じられん、代々の魔王でさえも敵わなかった術式を崩すなど……無間地獄を打ち破ることなど誰も為し得なかったことだぞ」
自分に言い聞かせるようにつぶやく初老。背後で囚人たちの怒号が聞こえてくる。おそらく駆けつけてきた執行人たちに抵抗しているのだろう。獣のような唸り声だけでなく、ただの殴り合いではとても聞こえないような破壊音も聞こえてくるが、おかまいなしに俺は目の前の相手を見つめる。
「なんでもかんでも前例に囚われてちゃ、切り拓けるものも拓けねぇだろ」
「――っ!」
「獣ですら踏み込んでない地に道を創ることが、錬金術師の役目だ。未知を拓いてこその先駆者だろ」
一瞬だけ自我が飛んだような。しかし気のせいだっただろう。俺はシザーの前へ歩み寄ったときだった。
「"心躁術式・パラサイトマインド"」
凛々しい男性の声が響き渡ったと同時、吸血鬼に頭部を掴まれ、ミシリと頭蓋骨が軋むほどまでにグッと握られる。
「痛って!」
なにすんだと怒鳴ろうとする前に、吸血鬼が言葉を割る。
「感謝しろよ、俺がその頭握ってなかったらお前はまた封印行きだったぞ」
「っ? どういう――」
辺りが静かなことに気がつく。なんだ、この違和感。
執行人だけではない、脱獄囚も全員、俺を狙うように身体をこっちに向けている。にじり寄ってくる様子に俺は退き、吸血鬼に一歩近づいた。
「操りの魔術だ。あの眼鏡に気を付けろ」
出現した魔法陣と共に眼鏡をかけた30代前半ほどの男性がシザーの側に現れる。
「カーター、来るのが遅いぞ」
「申し訳ありません。少々手こずっていまして」
軍服のコートを羽織っているサラリーマンのような容姿の眼鏡をかけた副所長。その後ろには巨大な獣が3頭が従うようについている。
「ありゃ魔獣種の囚人か……しかも3体」
魔獣種の肉体に憑依していた魔霊種の罪人フレイル・コーマを思い出す。あそこまでとはいかなくとも、一筋縄じゃいかない相手だと聞く。
「しかしこれは参りました。ヴェノスの思考や感情を操作して脱獄する気を起こさないように封印にまで持ってきていたところまではよかったですが……予想外の事態ですね。私も驚いています」
「しかも黒吸血鬼と手を組んでいる。あいつに操作術式も通じん。牙を封じていても油断はできないぞ」
聴こえてくる会話をもとに、俺は気づく。
「ああそういうことか。逃げるタイミングがないと思ったら、その気にさせないように操っていたんだな」
「そーいうことだ。あいつのマインドコントロールで囚人を支配している。んで今、味方になりかけた脱獄囚も敵になったわけよ」
最初から問答無用と分かっていたが、ここまで派手にやってしまったら……ここを囚人ごと壊滅させなければならない……いや、さすがにそんなリスクは――もう既にリスク背負ってるか。
「参ったな……」
誰にも届かない声でそう呟いた。牙を向け、迫ってきた者共に左拳を力なく握る。
爆轟。爆ぜ、轟いた衝撃は俺から発したものではない。地下の壁――右側の地盤ごと砕けては囚人たちや執行人たちが悲鳴を上げながら吹き飛んでいく。一階からガラスが降り注いできた。
「っ、くそ、今度は何が――!」
「うぉっとぉ……こりゃぶっとんだ乱入者が飛び込んできたな。あのバカはお前の友達か?」
「……え」
見覚えある姿。あのときはある意味で恐怖しかなかったが、今この瞬間ほど、頼もしいと思ったことはなかった。
そりゃあそうか……よく考えたらそりゃ来るよな、あいつのことだから。
「なんだあの女は!」
一階から飛び降りては着地する赤髪の女性――ゴットフリート家公爵令嬢のソフィアだった。差し込んだ光に砂埃で分散された景色を背に、神々しくも見える。
「ヴェノス! 助けに――きゃあっ!?」
案の定、俺の凄惨な姿を見て悲鳴を上げる。その悲鳴に俺は「うぉ」とびっくりした。
「大丈夫なの!? い、医者を呼ばなきゃ! いしゃーっ!」
そんな原始的な方法で医者が来るか。
「落ち着け、大丈夫だから。だけど治癒術式とか使えるなら今すぐ使ってくれお願いします」
「……ごめん、回復系は仕えないの」
この特攻タイプめ! ひとつくらいは覚えとくもんでしょ!
痛みやダメージを力の糧にするスキルがあっても、こればかりは上限越えたか。元死体の鈍い神経であれ、これは痛いもんではない。身体が動く気になれない。オーバーヒートだ。頭がボーっとする。
「そこの女、誰だか知らんがどういうつもりだ」
シザーが腹の底から滾るような声を出す。
「知らないなんて失敬な。私はかの有名なゴットフリート家の令嬢のソフィア・ゴットフリートよ。以後、お見知りおきを」
え、ちょ、なに言っちゃってんの君。個人情報ばらしてどうすんの。
「ゴットフリート……聞いたことはあるが、まさかヴェノスと関わりがあったとはな。今になっても尚、その罪を認めるばかりでなく我々――アコード帝国に刃向うというのか。敵に回すのなら、貴様も貴族であれ同罪とみなすぞ」
「敵に回す? アコードを? 上等よ、こっちは元から世界に抗っているんだから。誰が来ようと受けて立つわ。ね、ヴェノス」
「いや上等じゃねぇよ。なに宣戦布告しちゃってんの。俺どころかルーアンの町袋叩きにされるよマジで」
つい口にしたが、彼女の返答はなんとも清々しいことこの上ない。この陰惨な収容所に炎みたいな輝きをみせる。
「追い払えばいいことよ。なんなら私だけでも十分」
「ハハハ! おもしれぇ女だよ」と吸血鬼は身体を揺らして笑う。
「じゃあそうさせていただきます」
まぁ、本人がそう言うなら。
「そこは否定してよバカヴェノス。女の子盾にする気?」
「いや、そんなつもりは……」
「それに、これは私だけの意思じゃないから」
「……?」
その意味を汲み取ろうとしたとき、上から響かんばかりの咆哮が轟いてくる。ひとつだけじゃない。複数だ。
「今度は何だ」とシザー。聴こえてくるのは竜の鳴声だろうか。
地上の光を横切ったいくつかの大きな影。それらが過ぎ去った後、俺の前に数人の知る顔が降り立ってきた。
「ソフィア! 突っ走りすぎだ! さっきの話聞いていたのか!」
捕まってからまだ日は経ってないのに、すごく懐かしい感じ。そして、安心さがあった。
「エリシアさん……! フェミルに、ロダン町長まで……?」
「俺も忘れんな」と黒飛竜が上から風と砂埃を巻き起こしながら降りてくる。
「オーランドさん……? なんでみんな来てるんだよ」
「すまねぇな、あんときなにもできなくて。俺はその場にいなかったからなにも言えねぇけど」
気怠さがあるも、その言葉には申し訳なさがあった。目を逸らしつつ、オーランドは言う。
「よく生きてた、ヘルメスよ」
「町長、どうして今更……」
「訳は後で話す。だが、これだけは言っておく。これがルーアンの町の皆が出した答えだ」
町のみんなの答え……? その意味を訊こうとしたときには既にロダンは前に出ていた。
「オーランド! ゴットフリート! 残りの囚人と魔獣種の相手はできるか」
「了解、町長。なまった腕にちょうどいい」
「言われなくてもやるしかないでしょ?」
黒竜に乗る黒鎧姿のオーランドは背に担いだバトルアックスを手に掲げ、ソフィアは光と共に出現させた炎のように赤い手甲をまとう。黒竜の咆哮が心臓を押し潰さんばかりに轟いた。
「メル……辛い思いをさせたな。あのとき誰も何もできなかったなんて……情けない限りだ。なんて詫びればいいか……」
ためらっていたエリシアさんが申し訳なさそうに俺の前に来る。今にも涙を流しそうな表情に俺は言葉を失う。
いろいろ言わなきゃならないんだろうが、俺は息を一つ吐いた後、
「大丈夫ですよ。町長の考えがあっての行動でしょうし、自分を責めないでください」
「来てくれてありがとうございます」と言っては、側にいたフェミルにも顔を向ける。
「フェミルもありがとうな」
「私は……町長と先生に従っただけ。でも、死なれたら、私も……困る」
散々その槍でぶっ刺してる人が言う台詞ですか。あ、なるほど、鬱憤晴らす人がいなくなるから困るのか。仮にそれだとしても納得したくはないけど。
「あとは……私たちで、どうにか、する」
流し目でつぶやくように言っては聖槍を敵へと向ける。オーランド達へ加勢しに行った。
「所長、厄介な方々が出揃ってしまいましたが……いかがなさいますか」
「構わん! まとめて今すぐ処刑しろ! 俺はヴェノスを始末する! こいつが生きて良い理由など何もない!」
カーターの冷静な問いにシザーは叫ぶように指示する。しかし感情が混ざった命令だな。
「"粛清せよ――断罪の系譜"」
袖から飛び出てきた十数の術式が描かれた帯。それが絡み、重なり合っては長い双剣と成す。
「"悪の血流す心臓に鉄杭を。理に背く者に滅印を!"」
フッと消えたシザーの姿。ゾワリと嫌な気配を感じ、咄嗟に振り返ったとき――シザーのふたつの刃が眼前に映った。
だが、甲高い金属音が火花と共に散る。魔晄の波動が周囲へと拡散され、衝撃が風として降りかかる。
「……っ、どういうつもりだ。ハルディン・ロダン!」
双剣を受け止めたのは両手剣を片腕で扱っている壮年の男。剣を弾き、シザーを後方へ飛ばした町長は振りかざした剣を降ろす。
「この男には生きる価値がある。今の国を変える力がある。それだけのことだ」
「ぐっ、貴様までそう言うとは。この愚か者共が……!」
歯を食いしばり、睨む。それに対し一切表情を町長は変えることはなかった。
「愚かはどちらだろうな。町全体に術式をかけるとは、"たまたま尋ねにきた"割には用意周到じゃないか。こちらがあの場で反抗または術式を発動したが最後、設置された爆撃術式が作動する……恐ろしいことをするもんだ。今、ジェイク等に解除させてもらっている」
「っ、やはり勘付かれていたか」
「罪人に肩を貸すなら同罪……貴様の持論がいかなるものかがよくわかる」
「当然のことだ! あろうことか貴様らは取り返しのつかないことをしている! っくそ、やはり小さな悪の芽は早めに摘み取っておくべきだった……!」
「それも、取り返しのつかないことだ。お互い引けぬところまで来たわけだ。……ここなら、思い切り暴れられる。ヴェノスを封印する様を見にラザード王が来るのを予想したが、生憎外れたようだな」
「あの御方も忙しいんだ。残念だったな、"夜明けを拓く者"よ」
シザーの双剣からさらに術式陣が二重螺旋状に噴出するように出現する。
術式すら発動していない、ただの両手剣にしか視えない武器をロダンは軽々と扱い、それに対抗するべく脚を強く踏み込んだ。