10.世界を壊す者 ~男はやっぱり物理攻撃~
頭が飛んだ。
それがどんな意味でなのかすらもわからない。それだけのショックをこうして捉えている時点で、俺はまだ死んでいないということになる。
うなされたように気がつくと、そこは俺の知っているような世界ではなかった。
「……参ったな、記憶が曖昧だ」
どこからが壁でどこからが地面、そしてどこからが天井か。距離感覚すらつかめないとなれば、空間把握もできない。俺は今、地面に足がついているのか? それすらの感覚もないというより、忘れたような気持ちの悪い異質な感触。
視界一杯に広がる、無数の見知らぬ7色と白黒の記号はおそらく術式文字。時には歯車のように規則的に、時には血流のように乱れて流れ、時には煙のように個々が蠢く。目が疲れる景色だ。
それが一面だけでなく複層として重なっているので、本当の背景がどれかわからない。いや、僅かに白い背景が見えるが、それは遥か遠く先だろう。
寒くも暑くもない。ただ全身がやけに痛い。激痛が走っている。ひとつひとつの神経細胞が一斉に潰されているような痛みだ。皮膚感覚はもはや痛覚しか感じない。
俺は焼かれているのか、溶かされているのか、それとも……しかし両手を見ても何も変化はない。いつもの人の手だ。
「ああ……これが封印術式ってやつか」
滲む痛みに伴い、おぼろげだった記憶が滲み出てくる。
インセル収容所に連行されて、地下の大広間で……床に描かれてた魔法陣……そこの中心に大の字で寝かされて、あと四肢と首を鎖に繋がれて……ああ、それで俺は封印されたってわけか。
「にしては、普通に動けるな」
着ている服や胸の感電傷があるので、肉体ごとここに閉じ込められたようだ。
人工的な閉鎖的異空間に閉じ込められて、何層もの文字の壁で囲まれたような。見れば見る程、気持ち悪くなるし訳が分からなくなってくる。ひとまず目を閉じていよう。
それから何分か経った。
「……暇だ」
音も何にもない。寝たいところだが、眠たくないというか、細胞に直接刺してくるような痛みで起こされる。『起死回生』と『半永久模擬的不老不死』の肉体があるからこそ耐えられるが、これらのスキルがなかったらたぶん、もう今頃骨片しか残ってない気がする。再生力がないと生命維持すらできないのか。今も尚感じる痛みがそう物語っている。
「ああ……そういやあいつ、なんかいってたな」
連行中、飛竜に引導された飛空艇の内部での会話を思い出す。そのときの妙な浮遊感が気分を酔わせた中、シザー所長が訊いてきたんだっけ。
『貴様が魔界でも出来損ないと言われた理由は分かるか?』
『え……いろいろできなかったというか、術式使えなかったからとかですか?』
『言わずとも、この時代この世界に必要不可欠な術式が誰よりも使えなかったことが最も大きい。大した腕っ節もなかった以上、人間界でも出来損ないと広まったようだが、逆に言えばそれだけのことで過小評価されたに過ぎない』
『まぁ、逆に言えばそれだけですよね』
『だが、知に優れたヴェノスは術式を使わない異端の技術と未知の力を自力で手にした。それは功となる一方で罪にもなった』
『科学としてそれが普通だと思いますけど……つまり薬にも毒にもなったということですか』
『その通りだ。だが、ヴェノスは巨大な"薬"を得るために、大量の"毒"を造った。そして"薬"が造られなければ、ただの罪人に等しい。多少誰かを救えようとも、その罪をなかったことにはできない。まぁ、罪を犯した時点で貴様は悪人だ。賢い研究者ならば、犠牲や失敗などしない』
『……そういう意味でも、出来損ないだったってわけですか』
『その出来損ないが何故、ただの不正な悪人ではなく、世界的に名の知れた大罪人に成り下がったのか。簡単なことだ。"未来の希望"などという自我の欲のために世界中を駆け巡って人を巻き込んだからだよ』
『巻き込んだ……?』
『ヴェノスよ、いやメルストよ。各国の権力者や軍を殺したら、世間ではどう扱われると思う』
『それはつまり……』
『奴隷や貧民にとっては英雄だと称されるだろうが、誰もかれもがそうではない。単純に、敵に回した人間が多かった。強い者達を敵に回したのだよ、貴様の肉体の主はな』
「……」
シザーの言うこととエリシアさんの言うことを重ね合わせると、ふたりは対照的な立場だった。ヴェノスに対する視点が違っていたんだ。
なんにしろ、そのどちらでもない立場である俺にとってのヴェノスは、いろいろ救おうとして失敗したマッドサイエンティストにしか思えない。この身体の主は、どこで道を誤ったのか。
とにかく、これでヴェノスの復活劇は幕を閉じた。勇者側ではめでたしめでたし。魔族側では生き返った迷惑者がまた死んだに過ぎない。ルーアンの町は……時過ぎれば忘れ去るだろう。
いつもどおりの世界が訪れる。
「普通にバッドエンドじゃん」
俺はヴェノスじゃない。メルストだ。第二の人生を歩めるチャンスが来た以上、俺は俺としての異世界ライフを満喫したいんだ。いつまでもこいつの過去に縛られてたまるか。
「さすがにこのまま閉じ込められていいわけがない」
出よう。
不死も完全じゃないから、いつこの身体が死んで消滅してもおかしくない。あと暇すぎる。外の世界どうなってんだ。町は本当に無事なのか。
「……おい」
「え?」
どこからか声。まさか俺以外にもここに閉じ込められたやつがいるのか? というか封印ってシェアルーム制かよ。
「そこに誰かいんのか?」と返してみる。
「んー……声の波長的に、仲間じゃねぇな。人間……ああいや訂正、魔族か。けど匂いに鮮度が感じられない。なんだろうなぁこの腐っているようで発酵している、なんというかリサイクル感あふれる鉄っぽくない血の臭いは」
ぶつぶつと何か言っているが、距離感がわからない。文字だらけの世界じゃ歩いても進んでいるのかどうか。
「あ、駄目だな。僕の鼻もとうとう腐ったか」
そうか……ここにいるということは、俺以上の極悪人かつ不死身がいるんだったな。
少し勇気を出し、俺はその声に応えてみる。
「おまえ……吸血鬼か」
「そー……だな。僕は吸血鬼って呼ばれてたな。あんまり覚えてないけど今でも生きてるし、たぶん吸血鬼」
その呆けっぷりにわずかながらもホッとする。それにしても曖昧だな。それだけ永いことここにいるようだ。
「あ、駄目だな。僕の頭もそろそろ発酵食品になるときが来たか」
「いつからここに閉じ込められている」
虚空に向かって俺は話しかける。確かこっちから声が聞こえたはずだ。
「もーどーでもよくなるぐらいずっとここにいるな。はやく死んで楽になりたいよ」
軋む金属音に眉をひそめる。互いの姿は見えないままだ。
「そっちにいきたいんだけど、この先にいるのか?」
「ああ、そっちは来たばかりだからまだ動けるのか。僕はこれでも全身が痛すぎて身動きすら取れないんだよね。壊死と再生の繰り返しって感じで、立って歩きでもしたら再生するエネルギーがそっちに行っちゃって壊死する進行度が高まっちゃうらしい。ここにいた知的な仲間がそう分析して消えちゃったよ。さすが地獄という名前がつくだけのことはあるね」
常に刺激される痛みはもう慣れてしまったが、この感覚はおそらく最初だけなのだろう。あまり動かない方がいいのかもしれない。
「なんでそっちは普通に動ける。いや、答えなくていい。おまえ名前は?」
「……メルスト・ヘルメス」
途端、笑われる。声の響き的に何かを口に覆っているみたいだ。
「おまえ自身はそう思っていなくても、身体は嘘ついてるな。……おまえは誰だ」
普通に見抜かれている。会ってもないのに声だけで嘘かどうかわかるって……油断はできないな。
「話せばいろいろめんどくさいことになるけど、元々あった名前はヴェノス・メルクリウスっていう」
ああ、という思い出したような声に、こいつも知っているのかと息を吐く。本当に有名なんだな、この身体の前の持ち主は。
「魔王の息子か。おまえもとうとうこっちに来るぐらいのやらかしをしちゃったのか。まぁあっさり殺されるよりはマシか。じわじわ死ぬ間に懺悔くらいはできるだろうし、ここはまだやさしい」
死と苦痛の境界線上ってわけか。死にたいけど死ねない程度の苦痛を身が亡ぶまで延々と繰り返される……ふつうだったら耐え切れなくて自ら自殺に追い込むだろうな。
「けどお前、かなり昔に封印されたんだろ? なんで俺の名前知ってるんだよ」
「ここって、現実世界より何千倍……何万倍だったかな、まぁ何億倍でも別にいいとして、めっちゃ時間が進んでいるらしい。おまえが変な研究したと噂になっているあたりで僕は捕まったんだろうと思う。たぶん」
えらいいい加減だが、時間の進みで老朽させる処刑法も今現在稼働しているってわけか。そういや服の質感も変わってきたような。裸になるのも時間の問題だな。
ひとまず町は無事なのだろうか。シザーという男が罪人の約束を守ってくれるとは限らないし、心配だ。時間の流れが違っているとはいえ、悠長にはしていられない。
しかし、ここから出たところでどうする。戦力では俺一人でも問題ないが、そういう問題ではない。けど交渉できるだけの知恵もない。
文字の壁ごしの吸血鬼に声をかける。
「おまえ、ここから出てみたいって思わねぇか?」
「さすが。といいたいけど、そうやってきて何万年経ったと思う? 4体いた仲間もじわじわ死んで肉片すらこの閉鎖空間の空気の一部になっちゃったんだ。僕も動かないようにしないと再生できないぐらいまで弱ってきている」
「じゃあ俺だけで何とかする。おまえも連れていくし」
「はぁ、魔王の息子とはいえ、総合神力ないんだろ? 今はなにやら……噂とは大違いなぐらいまでに能力が上がっているようだけど」
ステータスの話か。ということは……。
「へぇ、おまえも『能力診断』できるんだな」
「目に直接べヘルムスの術式を刻んでいるからなー、マスク越しでも数値やオーラぐらいは目に映るみたい」
視界範囲内にはこいつがいるわけか。俺も角膜にその術式刻んでもらおうかな。痛いことは承知の上で。
「あそうだ、前に一度な、糞みたいな性格の神族がここに入獄されてな、そりゃあまぁうるさいのなんの。こんな場所で格付けなんて関係ないってのに」
「神様も封印されることあるんだな」
「そだね、魔王封印するときもこの術式使うよ。まぁそのウザったい神さんは総合体力と総合神力ともに8000以上はあったけど、脱獄は失敗。神ゆえに能力値の無効化は加護されてたけど、全然ダメだったね。力尽きてすぐにこの空間に散り散りにされたよ。偉そうだったから清々したけどな」
本来のカンスト値を超えた神でも収容所に入れられることあるんだ。堕天でもしたのだろうか。しかし神じゃないと大体の能力が封じられるのか。能力診断までは影響されないにしても封印術式なだけある。
「あれ、俺能力使えてるんだけど……」
無限エネルギーゆえの肉体スキルだからか。さすがの封印も力が無限となればいい勝負かもしれない。まだ詰んではいなさそうだ。
「ちなみにそれってふたつ合わせてどのくらいの力なんだ?」
「さぁな、星数個と太陽一個ぐらいはぶっ壊せるでしょ」
結構……すごいんだな。俺確か体力だけだとカンストだったよな。本気出せば星壊せるふらいの力があるってことか……やばい、踏んでる地面に対する目が変わった気がする。
「8000程度でびくともしないのか……。じゃあなおさらやりがいがあるってもんよ」
「え、逆境は望むどころだ思考タイプかおまえ。参ったな、せっかく話し相手が増えたのにまたいなくなるのか」
「悪いけど、俺は吸血鬼でも神でもないからな。無知で無謀な人間らしく、諦め悪くいかせてもらうぞ」
「能力すら使えない場所なのにどうやって」という声を聞き流す。
見上げる。周りを見渡す。
まずは『時空移動』。できる限り遠くへ飛ぼうとするも、変わらぬ景色。自分が記憶をもとに想像した景色を浮かべても、時空以上の隔たりがこの封印された空間にはあるようだ。
「よし、これは使える。けど時空移動がダメなら……」
手を握り、パキパキと指を鳴らす。
「全力をぶつけるまでだ」
外部影響が無限、つまり自分の内から湧き出る無限エネルギーを一斉にここに放てば、可能性はあるかもしれない。
星数個に太陽……つまり太陽系をまとめて消滅できる力でもだめなら、それ以上のエネルギーをぶつけるまで。次元レベルで時空を開くにはそれだけのエネルギーが必要というわけか。
「ま、どーぞご勝手に。自分は周りと違うんだ気取りで頑張ってー」
まぁ、いろいろ試して駄目だったんだろう。俺の行為がいかに馬鹿馬鹿しいかと思うのも仕方がないことだが、もう少し言い方ってものがあるだろうに。
「巻き込んだらごめんな」
そう言いつつ、俺はいつもどおりの感覚で能力――エネルギーを出力させた。
ドゥン、と空気が爆ぜたような音が無音の世界に響き渡る。一部が熱エネルギーへとかってに変換され、視界が歪む。激痛に加え、肉が張り裂けそうな衝撃を身体の内から直に感じている。
加減がわからないから、最悪この肉体ごと消し飛ぶかもしれない。イメージが漠然としているから、思った以上のエネルギーが出ないかもしれない。
けど、この異質な空間が肉体に与える痛みによって、出力時の重たさをなくし、潤滑さを良くさせる。想像以上の解放が可能になるだろう。この無間地獄の過酷な環境が仇となった。
"痛みもまた、進化の実感だ。死際こそが、その第一歩を飛躍させる。"
頭の中に勝手に出てきた言葉。ヴェノスの脳から出てきたものか。まぁ、一理あるかもな。
「……!? おまえ能力が――?」
右腕から目が眩むほどのプラズマを放出させる。だけど今は視界に頼る必要はない。壁でも地面でもなく、この世界そのものに一撃を捧げるのだから。
「ああ、使えるよ。けど、その神の二の舞には絶対にならねぇ。必ずここから出てみせる」
彩りある術式文字が無数に並べられた何層もの壁が乱れては崩れ、震えはじめる。やがて全身から大量に稲妻のようなプラズマが放出され、辺りを歪めていく。強大な重力がこの身体中心に発生している。身体が重い。そして熱い。目の前が真っ白だ。
耳を劈くほどの何かが裂ける音は不動の世界の蠢きか、俺の肉体の悲鳴か。それは誰にもわからないだろう。
一か八か。生か死か。
世界を壊す力を、ここで放つ。