5.空中窒素固定 ~器材要らずの錬金術師~
誰しも小さい頃は好きな科目というものがあったはずだ。なかった人は後々好きになることもある。
俺の場合、小学校のころから理科は好きだったな。授業というよりは実験だ。どうおもしろいか訊かれても答えられないので、本当に好きなのか少しばかり疑ってしまうが、関心はあった。
なんだあれ、あれおもしろそう……そんな知的好奇心が昔にはたくさんあったのに、実験から授業や試験の形になってから急に興ざめしたことは覚えている。好きから、ほかよりは得意に変わってしまっていた。
しかし、そんな昔の好奇心がこうして蘇ってくるなんてな。
「まず、器材の使い方はわかるか? これとか」
「ああ、まぁ……使い方は習いましたので。名前全然思い出せないですけど」
一階のエリシアさんの研究室。小規模ながらも調合室や錬成室などを兼ね備えた、大賢者ならではの実験室だ。
ここでいろいろなことをやっているらしいが……術式専門なだけあるな、フラスコやピペット、並べられた試験管など、理科室にあるような実験器材から術式を使わないと発動しなさそうなものもある。
ただ、俺が研究室にいた時によく使っていた便利な機械が一切ないことに困惑した。検出器代わりに俺の『組成鑑定』の目を駆使することになりそうだな……これあれだろ、なんとか冷却器。こんな作りづらそうなもの作れるだけの精巧なガラス技術がこの異世界でもあるんだな。
「気になったんだけどよ、この採集した作物の一部をどうするんだ?」
一応関係しているということでオーランドにもついてきたもらった。やはりといえばそうなんだが、農業に携わる人は他にもいたようだ。その人たちに農地と牧場を任せている。
というか本当に俺のこと知らないのかよ。俺が処刑されそうになった時いなかったのか?
「どうするも、ちょっと分析……まぁどうしてこうなったかを診るためです。そして原因を探す。予想通りだと思うんですけど、万一の確認です」
「もうあては見つかっているのか? 道具すら使ってないが」
まぁ、俺の記憶が正しければ、の話だけど。
本来なら、分析実験をしたり検出とかするんだろうな。まだ研究者どころか工場とかの職にすらついてない、雑学ぐらいしか武器がない平均以下学生だったからそこまでわからないけど。
これ見て思いつく実験って精留か中和滴定ぐらいだよ。それ以外マニュアル通りに機械に頼ってたという現代っ子だったし。
「たぶん、俺の能力的に、あまり器材は使わないかと……」
健康な作物と病的な萎れた作物の葉、茎、根。それらを『組成鑑定』で成分の数値を見比べる。角膜に映り、視界一杯に表示された化学式と濃度数値と単位。
こんな能力が前世にあったらもうちょっといい成績というか、良い生活が送れていたかもな。俺みたいな出来損ない学生よりも研究者にうってつけな能力だ。
「……あー、やっぱり」
「やっぱりって、なにがだ?」
茎中心に顕著にみられた、ある栄養素の過不足がみられた。
含まれている窒素が比べて少ないな……ああ、思い出した、家庭科で教わった植物に必要な3大肥料。
「栄養不足ですよ。窒素という物質が作物に不足していたんです。これないと植物の茎や葉が育ちにくくなるというか、根から取り入れた養分が植物全体に行き渡らないっていえばいいですかね」
といっても、通じるかな。まぁそんなもんがあるんだと通じればいいよ。ただし大賢者、あなたは理解してくださいね。実際彼女の方が頭いいし、根本的に科学の理わかってるし。
「茎ってことは、成長に欠かせないやつなんだな、それ」
理解しなさそうなオーランドが把握してるようでよかった。
彼の言う通り、窒素は生体分子のほとんどに使われているし、タンパク質やDNAの構成分子の一種でもある。それが不足していれば、どうなるかということぐらい誰でもわかる。
「じゃあそれを肥料として畑にまけば……」
ところがどっこい大賢者さん、そう上手くいかないんすよ。
「その窒素は普通は気体で、この空気中のほとんどを占めているんですけど、それ以前に植物は窒素そのままじゃ吸収しないんですよ。栄養素として利用するには窒素の分子から『他の分子』に変えてやらなきゃならないんです」
当然、元素のままじゃ吸収させてくれないから俺の元素のみしか創れない物質創成もあんまし意味がない。なんとかならないものかと思ったが、わざわざ新しいこと考えなくても先人たちの知恵を貸せばいい。口では簡単だけど、行動するとなると難しいものだが。
「じゃあよ、どうすんだ」
「錬金術っすよ。植物が吸収しやすい『アンモニア』という肥料前段階の物質を作るために、『窒素』と『水素』を合成する錬金術をこの場でやってみようかと」
といえばいいだろうが……しかし俺の知る限り、残念ながらこの場の実験器具でできる話じゃない。それでも外でやるよりこの部屋でやった方がいいが。
左右の手からプラズマ光を発し、いつも通りの『物質創成』で水素と窒素を原子の状態で手のひらに並べる。
手を合わせ、その挟んだ内部に適度な高温高圧を加える。反応速度を上げる触媒すら要らないぐらいにエネルギーは無限に出力できるので、ただでさえ強引な反応をさらに無理矢理に反応させる。
漏れ出る刺激臭のあるアンモニアに、俺は顔をしかめつつ息を止める。エリシアさんもわずかに漂ってきた異臭に気がついたのか、少し離れた。
合わせた両手をゆっくりと離し、手の周りという狭い領域内で大量にアンモニアを作り上げる。
「へぇ、錬成か。道具もなしにすげぇなあんた――うぐぉっ、なんだこの臭い」
オーランドの目が覚めたような顔は今後拝めるのだろうかと思いつつ、俺は苦笑する。
「まぁ、これがアンモニアという窒素が含まれた気体の物質です。水にすごい溶けやすいですし、植物に吸収されやすくなってます」
とりあえず上方置換でビーカーに入れておいたが……ここから肥料の形にするには、俺のスキルだけじゃ難しすぎる。それにビーカー一個分だけじゃ足りなさすぎるし。
「えっとですね……えーと、このアンモニアという鼻の曲がるような気体をさらに酸化させて硝酸にした後、またアンモニアかカリウムという物質を加えたら、反応して窒素肥料ができるんですが……そのための複雑な技術が必要なんですよ」
「この場じゃできないのか?」
「んー、今のアンモニアの化合……まぁ錬成も含めて、町ひとつ分の食料を作るための肥料を製造するとなれば工場みたいな設備が必要ですね」
「工場か」とエリシアさんが唸った辺り、この世界にもそれなりの工場は存在するようだ。製糸場とかその程度だと思うけど。
「あんたのその術式でもなんとかなりそうだけどな」
「正確には術式じゃないんですけどねこれ」
オーランドの言う通りだが、だとしたら俺自身が工場化することになる。そんなこれ以上ないくらいまでのブラック企業化は勘弁だぞ。
水素と窒素の二種類なので、俺の2本の手でなら無限にアンモニアを創成することができる。
しかし、これでは意味がない。俺がいなくても人々が生きていける為の技術をここで継がなければならないんだ。今ので継げたとは到底思えないけど。
とはいえ、この工程500℃前後で数百から1000気圧という高温高圧に耐えれる器と鉄……触媒だったか、それがないと水素と窒素からアンモニアは作れないっていうし、かなりのエネルギーも要する。そこらへんなんとかなってくれれば楽なんだけど――。
「確か蒸気機関っぽい技術この町にもありましたよね」
「ああ、町の工房か。あそこは日々なにかすごいものを造り続けているし、人も機関も、技術の優秀さは他の国でもそう見られない」
つくづくこの町はただの田舎町じゃないと思わせる。大賢者もいるし王国騎兵もいるし魔族もいるし。
「じゃあそこの工房が頼りですね……あ、エリシアさん、俺の工房の件どうなってます?」
ふと思い出す。話を変えてしまうが、その件を言ってから一週間ぐらい経ったし、そろそろ決まってもいい頃でしょ。
「ん、町長には構わないと言われたが……問題は建築する人たちだ。資格どころか実績がない以上、そんな信頼できない人間のために工房を建てることはできないとな」
うぐ、ごもっともです。それじゃあ尚更、ここで問題解決して町に貢献しなければな。そしたら工房を建ててくれるだろう。
「私の頼みでも駄目だったよ。特にあの人は頑固だからなぁ」
「ハードックのことか」とオーランドが呟いたに対し、頷く。
「ああ……そういやあの人も、ヴェノスと関わりがあったな」
ソフィアに続きハードックという男もヴェノス関連か……顔が広いというか、世間が狭いというか。
「その人って建築士なんですか?」
「いや、正確に言えば技術者だ。その人の部下に大工がいるが、棟梁と呼ばれているな」
やっぱりそういう分野のトップにも承認してもらわないといけないってわけね。
でも元々この町の人だったら俺に会いに来てもおかしくはないのに。ソフィアだって国外からわざわざ来たわけだし……なーんか友好関係が良くなさそうな予感がするぞ。
「あと、その人が町の工房を取り仕切る人でもある。今の言ってくれたことを私たちではなくその人に詳しく話した方が良いだろう。支離滅裂ともいわれたヴェノスの研究の話に付き合い、理解していたらしいしな」
うん、ますます避けて通れない道だ。でも、同じ人なら手間が省ける。工業的にできないかの相談のついでに、俺の工房のことも交渉してみよう。ちょっと怖いし、門前払いでもされたらどうしようと思うばかりだけど。
「なんとか了承してもらえるといいな、錬金術師と技術師が組めば怖いもんないだろうに」
今の創成の瞬間を見てオーランドはそう思ったんだろうが、『能力診断』では無職認定されているんだよ。
「錬金術師……なのかな俺は」
いや待て……そろそろステータスとか変わっててもいいだろ。
「エリシアさん、ちょっと今『能力診断』できますか?」
いいぞ、とあっさり術式展開。懐かしきゲームのようなウィンドウを俺はじっくりと見た。後ろからオーランドも覗きこんでくる。見慣れているのだろうか、そのウィンドウ自体には特別反応はしなかった。
「へぇ、おまえ結構トンでもねぇ奴なのな」
無関心そうに、しかし半ば驚いた目でオーランドは直視する。
ヴェノス・アルフォーナ・メルクリウス(メルスト・ヘルメス)
Lv.4→Lv.5
クラス:執行人(上級)
生命維持稼働時間:17日
オストロノムス:ミル・ハロング
属性:無
総合体力 9999
総合神力 10
総合精神 8600
総合知能 2000
外部影響 ∞
代表能力
・組成鑑定
・半永久的不老不死
・無限エネルギー創造
「いつみても圧巻だよな」とエリシアさん。
安定のカンスト値999を突破。ちょっとばかり能力値上がってる気がする。総合体力がカンスト以上のカンストになってるし、皆無と言われた神力が倍になっているし。ただの肉体馬鹿じゃねぇか。
そして気になる役職……無職(中級)から上級の執行人。……なんで?
あー、なるほどね、そりゃあ悪人とはいえ何人もブッ飛ばしてきたからね、仕方ないか……納得するか! 無職より嫌な職に就いちゃったよ!
「メル……おまえ自分を更正する気あるのか」
「あるあるあるある! いや、これ不可抗力でしょ! 盗賊団の時とかエリシアさんから振ったことじゃないですか」
「なっ、私のせいにする気か!」
「まぁ落ち着けよ先生」
こりゃ、安定した職業に就くまで時間がかかりそうだ。
一部文章抜けていました。申し訳ありません。