4.オーランド農場 ~農家は気の長さが大事です~
しかし不思議なものだ。
この間までは町にすら入れない……というより俺が入りたくなかっただけだが、今となっては特に嫌な視線を感じることなく歩くことができる。
嫌いから、気にしない程度の普通というレベルまで上がったということか。そう例えてしまうと無関心という意味になるが、さすがにそれはないだろう。
やはり盗賊団から町一番の看板娘を救ったことと、世界的殺戮者を討ち取ったことが大きい。それ以前に、エリシアさんの町への説得も十分に効果があった。
あの酒場の酔っ払い野郎共もなんやかんや分かってくれてたようだし、なによりだ。
だけどこんなんで大罪人の俺を野放しにしていいのかと思ってしまうが、法の中心ともいえる町長の許しがあればなんでもいいのだろう。中身が安全という信憑性も広まったし、段々馴染めている気がしないでもない。あくまでエリシアさんの話を元に考えた個人的な話だが。
そんなことを頭の片隅で考えながら、町中をエリシアさんについていく形で同行する。少し距離があるとはいえ、そこまで広くはないので、10分足らずで農場に着いた。
オーランド農場は町と隣接しているも、その大体は町の外にあるようなものだ。
「思ったより広くないな」
最初に出た言葉がそれだった。しかし、それは畑に限った話であり、その奥に見える一面の燃える緑の丘は放牧地帯か。遠くだから牛か羊かわからないが、何かの群が点在していた。そのさらに奥に残雪が覆い被った山脈が顔を出している。
「まぁ、環境上場所は限られているからな」
そりゃあそうか、田んぼじゃないんだし、人口100程度じゃそれ相応だろう。
畑の敷地によって、育てられている作物が異なる。数本の樹に実る鮮やかな果実から、土から生えた緑の数々。見たことのある食物もあれば、そうでないものもあった。水を張った水路の水車からカタカタと音を鳴らしている。
若干茂っているよな。手入れ大丈夫か?
「そうですよね。にしてもパッと見、人がいなさそうですね。静かですし――」
と言って農場に入ったときだった。
グルル……と唸る声。獣とはまた違った、けど人ではない呻きに思わず横を見た。
「うおっ、竜だ……!」
新緑の草むらには不釣り合いな黒い鱗の竜。立派な翼を生やした3mほどの大きさに、ぎょっとした。逆に何で視界に入っていなかったと自分の視野の狭さにもぎょっとする。
一歩引き下がったとき、黒竜が鋭めの頭部、いや鼻を俺の頭へつついてはスンスンと匂いを嗅ぐ。
そうか、俺ここに来るの初めてだから、誰なのか認識しようとしているのか。でも丸かじりされそうで怖いな……まぁべったり舐めてくるよねぇ、べたべたじゃなくてざらざらだったのが救いか。
「どうしたハールス。なんか珍しいもんでもあったか?」
竜の背後から覗くように出てきた壮年男性。長身でオールバックだが左目の刺青みたいな傷が不気味なおじさまだこと。痛って、甘噛みし始めたよこのドラゴンさん。
「オーランド、また寝ていたのか?」とエリシアさんは半ばあきれてる。
しかし、その会話に応えることなく、今気づいたかのような様子で、
「ん……ああ、エリシア先生。なんだか久し振りに拝めたような。本当に"愛の女神イシュリア"にそっくりだな。なぁハールス」
と、黒竜の頭を撫でる。やっと甘噛みやめてくれた……ハゲてないよね? よかった、ちょっと頭蓋骨がミシミシ音を立てた程度で。
「おまえまでそんなこと言うか……まぁいい。ちょっとここに用があって来たんだ。こいつとな」
「そうだな、こいつよく見りゃ……見ねぇ顔だな。……先生、こいつ誰だっけ」
農業やってるとみんなこんなのんびりとしたようになるのかな。やっと俺のことに気がついた感じだし。
「メルスト・ヘルメス。最近この町に住み始めたんだ」
自分で命名しただけあって、自慢げに言うよな、と思ったりする。名乗ろうとした俺より早く紹介したもん。
「へぇ、まぁ誰でもいいよ。俺はオーランド・ノット。同じ魔族同士、よろしくな」
オールバックの褐色ブロンズ髪をかいた手でぬっと手を差し出す。「あ、どうも」と握手を交わした。
もとがヴェノスだってこと知らないんじゃないかと思ってたが、それよりも驚くべきことがあった。
「え、オストロノムスってことは……魔族!?」
「ルーアンは魔族や亜人族、精霊族が平等に住む合併された町だとこの間言っただろう」
横からエリシアさんが教えてくれたが……あれ、そうだったっけ。もう忘れてたよ。
そうか、魔族だからって悪い奴ばっかりじゃなかったな。出遭ってきた悪人がたまたま魔族が多いってだけで。
「だけど、どうして俺が魔族だって……? 見た目そんな人間と区別つかないと思いますけど」
同時に、オーランドも人間と変わりない。少し日焼け肌だとしても、褐色肌でも灰色肌でもない。
「種族を区別する判断基準がずれてんだ。外見がすべてじゃないさ」
「といっても、そう簡単に判別できるわけじゃないから、わからなくても大丈夫だ」
「へ、へぇ……」
とりあえず農場の中へ入った俺ら3人と竜一匹。土と草の臭いが強いな。野菜のいい香りもするが、青臭いと言ってもいい。
「はぁ~あ……で、用件って?」
ため息のようなあくびをし、がさつに頭を掻くオーランド。顔立ちも海外のロックミュージシャンか俳優に近いし、渋いオジサン特有のハードボイルドの雰囲気を漂わせるが、無気力さも同じぐらい強く感じる。それに農家っておまえ。
「ここのところ、作物の生産量が減少しているだろう。食卓にも影響を来し始めたし、不作になるのも時間の問題だろう」
少し考えた様子。数秒の間、上の空になり、そして答える。
「そうだな、去年より不作寄りだな。まだあったけぇが、これから寒期にも入るし、ちょっと参ったって感じだ」
「うーわっ」
思わず声に出てしまった俺の視線の先は、茎に張り付いた手のひら以上の大きさの蜘蛛。どうみても魔物だろこれと思った矢先、オーランドの黒竜がぬっと首を出しては、ぐじゅりと捕食した。
「……弱肉強食だ」
悟ったように、四字熟語を出してしまった。アイガモ農法ならぬドラゴン農法ですか。
「畑によく魔物とか害虫出るから、ここに何頭かしつけた小さな竜を放し飼いしている。中でもこいつは特別デカいから、捕食以外にもいろいろ手伝ってもらってるよ」
なんか、普通なんだろうけど優しい感じがするよこのおじさん。「やっぱり前より元気がないな」というエリシアさんの声。
しかし、狭くはないが広いとは言えないこの畑と奥の牧場をオーランドひとりでなんとかしているのか? さすがにそれはないよな。
「ん? 今日はティリは手伝ってないのか」とエリシアさん。
「ああ、親の方の手伝いしている。代わりにホルムとフレイが来たが……まぁ静かでやりやすいよ」
遠回しに皮肉なこと言ったな。気弱系男子と不思議生命体系男子じゃあ、農作業になるのだろうかという話だが。
あ、確かにいた。奥に行けば人いたのか。
「あ、先生ー! おはようございまーす!」
だけど健気だ。見るからにいい子だよねホルム君って。
フレイ君、君は作業に集中してくれ。なんであごをしゃくらせて嫌そうな顔したんだ。「出たヒモ男」ってやかましいわ。聞こえてるぞ。
「偉いぞおまえたち。いま何をしているんだ?」と気軽に先生は生徒ふたりの方へと向かったところで、俺は改めて作物を見る。
葉から茎、果実、根までじっくりみるが、農業はそこまで知らないからな。せいぜい高校の技術家庭科レベルしか覚えがない。
「あ、枯れてる」
不作にしては育ちがいいと思ったけど、やはりよくみればしおれかけた作物もちらちら見かける。素人の俺でもそのぐらいは分かる。
「……?」
ここの葉だけ色が違う。いや、全体的に何か違う。これはその中でも顕著に表れているような。深緑色の葉があるにもかかわらず、割合的に淡い黄緑色の葉の方が多いし……なんかしなっとしている。
それに地面を見れば、やけに葉が落ちている。生育が悪いといわれてもわかるかよそんなことと思っていたが、なんとなく具合悪そうなのは、よく見ればわかった。
なーんか、学校で習ったような。こういう葉の状態だと何かが足りないみたいな。
「不作ねぇ……オーランドさん、訊きたいことあるんですけど」
「んーなんだ……あー、メルス」
"ト"まで覚えてろよ四文字だぞ。まぁいいけど。
「植物が必要としている栄養とかってわかりますか?」
「……? いや、知らんな」
マジかよ、あれ、中世あたりってどういう栄養が植物には必要だって解明されてなかったっけ。記憶違いか? いや、ここ異世界だ。タイムスリップで来たわけじゃないからこういうことは抜けているのかもしれん。術式頼りな分、こういうところで偏りが見られるはずだ。
「そうですか……しばらく外部から肥料来ないんでしたよね」
「ああ……竜や家畜、あと町の人の糞を使っていたんだが、どうもそれだけじゃ足りねぇみたいでな」
「人も増えますしね」
俺とかね、うん。
「気候変動も痛いけど……どうもそれ以外にも原因あると思うんだよなぁ。ふぁあ……めんど」
おい食の大黒柱! 農家に面倒って言葉はご法度ですよ!
「ああ、そんな目をしなくても仕事はちゃんとやってるから大丈夫だ」
いま大丈夫じゃない事態に陥っているのですが。
しかし変な話だ。作物食べて、その糞を肥料に使っているならサイクルとして成り立つはず。畑の増築だけで栄養が足りないという話もおかしいし、気候変動以外の原因というオーランドの推測した言葉も引っかかる。そもそも植物の状態が病なのか栄養失調なのかわからないしな。
「調べるしかないか」
ちょっとどころかかなり不安だけど。こういうのは農業とかに詳しい人がやるもんでしょ。俺農業科じゃないから! ただの化学科だから! 高校普通科だし!
けど、やるしかない。栄養素のことすら知らない農家に頼るのも心配だしな。
確かエリシアさんの家に錬成所みたいな研究室あったな。
ちょっとエリシアさんにも相談してみようと、俺は歩きにくい土の上を踏みながら生徒と話をしている先生のもとへと向かった。
更新遅れてしまい、申し訳ありません。