3.不作問題 ~好きなものもほどほどに~
今日もすずしくも温かい風が家の窓から流れ込み、爽快感ある空間で俺はソファの上にてごろごろしていた。
なんだろうなぁ、自分の部屋がないから、ここのダイニング含むリビングらしい大部屋が俺の部屋になってる。
しかもソファでくつろいでるって、なんか思い当たりあるんだよな。あ、猫もいっしょのことしてるわ。
「猫化しそうな勢いだな」
それがどういう勢いなのかは自分でもわからないので、ツッコまないでください。
「それってどういう勢いなんだ?」
心の中の懇願は思うように叶わないね。
そばの壁に隣接している、樹の太い幹で作られたダイニングテーブルで、エリシアさんが何か赤いスティック棒をポリポリ食べながら、コーヒーを飲みつつ数枚の資料に目を通している。
ここからでもコーヒーの芳醇な香りが漂ってくる。ちょっと濃いような気もするけど。
「いえ、勢いのままに言ってみただけです……流れです」
「というかおいしそうなの食べてますね」と立ち上がった俺は余った分であろうコーヒーを淹れ、エリシアさんと向き合う形で椅子に座る。
「ちょっと集中したい時によくつまんでるんだ。頭がはたらくし、おいしいぞ」
へぇ、覚醒作用があるのか。集中力上げるというバナナみたいな効力もついてるなんて、やっぱりこの賢者様は健康マニアかもしれない。
あと、エリシアさんのメガネ姿もなかなか……ごっつぁんです。
拝みつつ、エリシアさんがポリポリ食べてるものが入っているビンを見る。野菜スティックかな、と思ってぱくりと食べてみ――。
「辛っ! かっら! カラァ!!!」
というか痛ぇ! 舌抜かれたぐらい痛ぇ!
すかさずコーヒーを飲む。
「苦っがァ!」
コーヒーを真上へブばぁっ、と吐き出す。ナチュラルにエリシアさんは術式でガードし、飛び散った熱いコーヒーをすべて俺にはね返してきた。
「熱っつァ!」
「大丈夫かおまえ」
まさかの平熱対応に感無量すぎて感想すらいえませんよ。なにこの温度差。俺がバカみてぇじゃん。
「いや、それ俺の台詞です。あの、先生味覚大丈夫ですか! アフターティーに激辛激苦を同時に嗜む主婦なんてどこの世界にもいませんよ!」
「誰が主婦だ! 私は賢者だ!」
「怒るとこ違う!」
「それに甘いのも好きだぞ。バランスは良い方だ」
「絶対それ激甘ですよね」
それにどういう意味でバランスがいいのだろうか。
「普通だ」
「エリシアさんの普通は極み越えてます。バランスは良い方だろうと不健康であることに変わりありませんよ。大量の塩分とったから同じ量の糖分をとれば中和されるし大丈夫だと思ったら大間違いだバカ野郎ですからね。毎日飲んでいるそれがその苦さだったら、命に支障出ますよ本気で」
「……え?」と資料を読むのを止め、眼鏡を外す。思った以上にマジになってるので、少し対応に困った。だが顔には出さない。
「まずそのコーヒー。カフェインというコーヒーの苦みの役割を持ってる物質が入っているんですが、これ摂取しすぎると急性中毒で死に至ります」
「なっ!?」
「半数致死量という危険ラインを定める基準法みたいなのがありまして、それをもとに考えるとですね、俺の『組成鑑定』の目から見るにエリシアさんの体重はよんじゅう――すいませんなんでもないです」
物質の種類のみならず、質量などが数値としてわかる物質組成の目も、恐ろしいものだ。危うくエリシアさんを鬼にするところだった。あ、組成鑑定やっていればこんな辛苦い思いをしなくて済んだのに。
……やっぱりあの野菜スティック、唐辛子ではないようだけどカプサイシン入ってるのね……ちょ、あの、スコヴィル値が現実世界のレッド・サヴィーナこと暴君ハバネロ様を僅差で越えているのですが。スコヴィルこと辛さの値が53万ってどこの戦闘力――素手で触っちゃったけどかぶれてないのが逆に怖ぇ!
異世界の食物どうなってんのと思うけど、エリシアさんよく普通の顔してぽりぽり食べられるね。体内にコーティング剤でも塗ってあるの? と思いつつ、冷静に説明を続ける。
「仮に40kgと分かりやすくするとして、その場合カフェインの致死量は大体で8gですが、1時間以内に0.26g摂取すると急性症状の可能性があるんすよ。普通のコーヒー1杯分、150mlあたり60mg――まぁ0.06gですがそのコーヒーには573mgのカフェイン――ほぼ10倍っすよ10倍! バカじゃねぇの!? って量ですよ」
カカオ豆も果肉さらけ出して逃げ出すぐらいだよ。
「じゅ、十倍希釈じゃなくて……」
何言ってんだ大賢者。現実受け止めろ。
「10分の1じゃないです、10倍です。この時点で軽く0.26gの危険ラインはぶっちぎってます。これが3時間以内に2杯以上飲めば急性症状発症不可避ですよ。よく今まで無事でしたねと称賛したいぐらいですが、そんだけの苦いコーヒーどっから仕入れてるんですか。そもそもそんなコーヒー豆よく存在してましたね死にさらせ」
「苦すぎたあまりブラックになってるぞ!」
「そんな心の底からの暴言はいいとして、本気でその危険物に認定されそうな激辛野菜と激苦のコーヒーの産地どこですか。どこから湧き出やがったんですか」
根絶やしにしてやる。
「お、オーランドの農地から……」
そのあたりちゃんと答えるところがまじめで好きです。
しかし、どんな農地だそこ。土の種類テラローシャとかじゃないよね絶対。棲んでる微生物とかエイリアンだよね絶対。
異世界の土地と人体は俺のいた世界と基準が違うのかと思ったりするが、それでも身体によくないことに変わりはない。仮にエリシアさんが暴動鎮圧用の催涙スプレーに耐久できる体質だったとしても、半数致死量より何かを摂取しても死なない身体だったとしても、身体は日々無茶している。
毎日の積み重ねは恐ろしいのだよ、エリシア先生。継続は力なりという言葉は、教師やってるあなたが一番分かってるはずですよ。病も然りです。
「それって、ルーアンの町にある農場ですよね」
エリシアさんの生徒のティリちゃんがよく手伝いにいっているそうだが、あまり詳しい話は聞いていない。
「ああ」と反省したような顔かつ上目使いで答える大賢者。そんな顔したって駄目なもんは駄目だ。外見以上に内面がボロボロになる方が深刻なんだってこと分かってくれ。
そして俺はその農場から生み出される物言わぬ魔物共ごとその巣窟を消し飛ばす。焼き畑に変えてやんよ。
「そうですか……とりあえず、控えるようにお願いしますよ」
「だ、だけど……苦いの……好きなんだ」
誤解を招く言い方をするんじゃない。
「好きと摂りすぎは別です。あと辛いものの摂りすぎも危険です。辛さは痛覚を刺激しているので、自分の身体を傷つけているのとそう変わりないですよ。あまりに劇物的な辛いものを食べ過ぎて死亡したケースもあるんですから」
そんなバカな話が、といいたげな顔だが、これはマジだぞ大賢者。あとデスソースで病院行きになった俺の友達の友達もいい例だ。
「あ、でも、すっぱいのは苦手だ」
「えっ、やだそれちょっと意外かもー……そーいう問題じゃなくて! 苦手アピールしても駄目なもんは駄目ですって!」
「これがあるから研究も捗るようになったし、ずっと集中できるんだが……」
「身体を騙してるだけですし、それで体壊されたら元も子もないですよ。生徒たちのことどうするんですか」
「……そうだな」
お、生徒という言葉に反応したな。弱点発見。
「あと、身体もゆっくり休めてくださいよ。過労死だってあり得るんですからね、生真面目なエリシアさんの場合」
「私は12時までには寝るぞ」
そういえばそうでしたね。エリシアさんほど子どもよりしっかり睡眠摂る大人いませんでした。
「でも徹夜の日もあるじゃないですか。毎日じゃないですし、みんなに寝ろと言っておいてそれはずるいですよ」
口をつぐんだエリシアさん。まぁ、悪いこと言っているわけじゃないからね、反論しようがないと思う。
「わかった、気を付けるよ」
ふぅ、やっと納得してくれた。
「それにしても、それなんですか?」
彼女の読んでいた資料を視線で指す。
おそらくだが、俺にとって最初の授業を受けたときに、ジェイクから渡された封筒だろう。何がかかれているのだろうか。
「いや、この資料はこちらの話だし、気にすることはないよ」
そーいうと気になっちゃうんだって先生。わざと言ってる?
「そういえば農場の話を出したところで気になったことあったんですけど、やっぱりこの町って自給自足なんですか?」
「……この資料を見て言ってるだろ」
そんなはずない。たまたまだよ。
まあいいとエリシアさんは資料を置き、俺の方を見る。
「近くの町やマーセット国という小さな国からいろいろ輸入したりして供給してもらうこともあるが、大体は自給自足だ。燃料も食料も、町のみんなでなんとかしている」
「なんとかしているって……ちょっと厳しい感じですか?」
「んー、厳しくないといえば嘘になるな。今は食糧がちょっとな」
「不作とか、ですか?」
うなずく。どこの世界のどこの町も、やっぱりそういうのがあるんだな。
「ああ、今年はこの大陸中で気候変動が起きてな、作物が作りにくくなっている。肥料の糞や資材などを輸入するのはしばらくできなくなっている。みんな自分のところで精一杯なんだ」
「それは大変ですね……」
「人も増えてきているし、農地も増やしたいところだがな……土地的にここは山岳に近い。土壌も肥沃じゃないしな」
肥沃じゃなくてもあんだけの濃厚なカフェインやカプサイシンを作り出していることに謎なんだけどな。いや、土壌の問題じゃなくて、その作物の遺伝子と関与していそうだが、残念ながら遺伝子組み換えのスキルは俺にはない。
まぁ、ああいう無茶苦茶な食材の一つや二つあってもいいか。エリシアさんも好きなものだし。控えてほしいけど。
「あ、魔法でやるってのはどうなんすか」
「自然とあまり接していない都市人と同じこと言うんだな」
うぐ、きついこと言われた。これでも田舎育ちっすよ先生。
「術式は『世界脈』――つまり『六大元素』という世界の脈を媒介として『神髄心力』という人体中の脈をシンクロさせて発動させるものだ。自然の力を借りる以上、その自然――神様の摂理に従うことになる。科学技術の法を逸脱した術式にもそれなりに法則や限度はあるんだ」
なんでもありだとは思ったんだけどな。できることとできないことがあるのか。
クッソ苦いコーヒーを口につけるエリシアさん。さっきの話聞いてたのだろうか。いや、残すのもよくないし、別にいいか。その一杯限りにしてくれよ?
「とはいえ、できないこともないが、町の人全員分の規模とそれを持続させるにおいてを考えると、あまり賢くない方法だ。神素を使う分、土が枯渇しやすくなる。数回程度ならメリットの方が多いが、繰り返すうちにデメリットの方が次第に大きくなっていく。……町の最悪の想定に備えて、私も神素を溜めているからな、そう簡単に切り札を使うわけにもいかない」
「んー、術式だけで何とかなる話じゃないんですね」
事態が深刻なら、ちょっとこれは詳しく知る必要がある。他人事じゃないしな。
俺が少し考え込む様子を見て言ったのだろう、エリシアさんは眼鏡を外しては、
「一度農地に行ってみるか」
席を立ちあがる。あ、今から行くのね。
「そうですね。俺初めて行きますよそこ」
「たぶんだが、メルが思ってる以上にいろいろな作物が育ててある。もちろん、私が好む作物以外に、普通にみんなが食べるものもあるしな」
だろうね。毎日食べてる異世界の料理のメインがエリシアさんの嗜好物じゃなくて本気で助かったよ。やっぱりこの大賢者は周りと少し違うということを再認識させるな。
「あれ、フェミルって二階にいます?」
料理といえば、とふと思ったこと。そういえば今日見かけないな。
「ああ、クリスと『霊宝の森』の奥へ行ってるよ」
あの天使系魔女のロリババアとだと? そんなに仲良かったか?
「へぇ、何しにですか?」
「身体を清めに行ってる。ハイエルフだからな、妖精たちと関わったり聖域に行ったりして浄化されないと、いろいろ支障が出るんだ」
メンテナンス的なやつね。てっきりそこに温泉でもあるのかと思ったが、それとこれとは話が別のようだ。
「そうなんですか……フェミルと妖精って仲いいんですか」
「そこまではー……あの娘あまり自分のこと話さないから」
思春期かよ。
「まあ、プライベートには触れないのが一番ですね」
「そう。わかってるじゃないか。なのにどうしてお前は毎日毎度の如く致命的なほどまでに刺されるんだ。やめろとは言っているんだが、どうもあの娘は素直じゃない」
困った顔をしながら外出の準備をする。既に準備の出来ている俺はソファにバフッ、と再び座った。
なんでも言うことを聞く師のエリシアさんに唯一反抗している俺のぶっ刺し行為。嫌い以外の理由が他になかったら、そうとうキチガイだぞ。でもあの娘何も言わないし、反抗期の娘にお父さん心傷むばかりだよ。実際傷んでるの身体だけど。
「そんなの俺が訊きたいっすよ。生理的に嫌いにしても、遠回しな愛情表現にしても、限度がありますね。まぁあの痛みはクセになるし、刺してフェミルの気分が解消するなら別に構わないんですけど」
ダメージや痛覚の刺激で能力値が上がったり、バイオリズムが上限に達するという『起死回生』のスキル。
こんなドМなスキルあってたまるかと最初は思っていたが、これなかったら戦闘とかで有利になれない。ダメージ受けて回復・能力値上昇は本当に便利だと思っているし、大ダメージの激痛で怯んでトドメ刺されるなんて事態には至らないし、使い方次第で本当に役立つ体質だ。
あれだ、筋トレして筋肉損傷させて超回復して筋力を増幅させるサイクル。仕組みとしてはあれと同じだ。俺はそう受け入れている。
「薄々メルは……やさしいとこもあるが、そういうのが好きなんだなと思えてくる時がたびたびある。まだ更生の余地はあるが、その万人には受け入れられない新天地には踏み込むなよ?」
「あ、はい、気を付けます……いやそういう能力なんですって! ドン引きした顔にならないでくださいよ」
ただ、周囲には誤解されやすいだろうけど。
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