2.異世界転生 ~スタート地点から修羅場です~
「――っ!」
夢から覚めたように、ぱっちりと目を開ける。全身に電気が駆け巡ったように、身体をビクンとして起き上がった。
「……?」
何か変な夢でも見たような。いつもは夢でも覚えているはずだが、どうもつっかかるように思い出せないのがもどかしかった。
それにしても……。
見る限り、真っ暗な景色が視界を覆う。
辛うじて見える景色の地形。しかし、わかるのはシルエットのみで、それが地面なのか何なのかまでは判別できなかった。
しかし、平衡感覚も皮膚感覚も異常はない。横たわっていない。椅子に座ってるのか。
体重を少し前に傾けると、今にも崩れそうなばかりに軋む音を響かせた。なんとも不安を煽らせる音だった。
「……」
夢だったのか……それともこれが夢なのか。
そもそも今までのが全部夢だったのかなどと哲学的なことを抜かす。
普段ならば酒飲み仲間と一緒にバカやってたが、生活の大半が一人ぼっちでアニメやゲーム、ネットに浸かっていたな。思い返せばやる気がない生活だった。いや、ここは前向きにやる気を起こすきっかけがない生活だった、とでも言っておこう。しかし、就活生真っ只中だったのになんにも手を付けてなかったのはマズかったか。何やってんだ俺。
……考えたって仕方がない。
なんてこともない日常が何故か思い返されたが、すぐに気持ちを切り替え、椅子から立ちあがろうとする。
「――っ!!!」
なんだこれ……!?
全身を駆けめぐる痛みと、麻痺している感覚。
目眩が生じ、筋肉痛以上の痛みは骨にまで通じている。
脳と全神経がむず痒い。
内臓にただならぬ異物感。
グワングワンと酔ったように頭がふらつく。
痛い……っ、気持ちわりぃ……!
「うぅ……うぉえ……っ」
このまま死ぬんじゃないかという思いを前に、俺はうずくまるしかなかった。言葉すら出ないほどの痛み。息苦しさ。発作のようにせき込み、その反動でさらに痛みが増す。
椅子から落ちた感覚。
固い床に肩から強く当たる。何とも言えない、気持ちの悪い異臭がより気分を悪化させる。
「げほっ、うぅ……」
思い出した。
ほんの少しだけ、一瞬だけの光景がフラッシュバックされる。
夢じゃない……あのとき感電したんだ。
研究室で……高電圧を取り扱う実験装置に感電したんだ。
リアルすぎる痛みに、無意識的に痛みの原因を勝手ながら決めつけた。
身体が硬直し、そのまま意識を手放しそうにさえなった。しかし完全に気を失うその直前にまで陥る。
苦しい……誰でもいいから助けてくれ……!
そう願うも、応えてくれる声は何一つなかった。
「はぁ……はぁ……」
意識が遠のきつつも痛みが治まるまで数分、いや、一時間以上も要したかもしれない。治まるというよりは痛みに慣れて、痛覚が麻痺してきた感じだ。なんとか冷静になるも、ある矛盾を見出す。
感電したということが本当だとしたら、どうして自分は生きているのか。普通は即死。そうでなくても病院にいたっておかしくない。
自分は呼吸し、ちゃんと生きている。その事実を確認した上で、つぶやいた。
「どこなんだここ……?」
辺りを見回す。平らではない。ゴミ置き場だろうか。地面も壁も石造り。鉄筋コンクリートではなさそうだ。
俺がさっきまで座っていたらしい木製の大きめの椅子を見ては、もう一度ゆっくりと腰を降ろす。ギシギシと軋み、今にも骨組みが折れそうな音を上げた。
よくみると黒焦げになっている。まるで木炭でできた椅子だ。手に炭がついたような気がし、パンパンと手を払う。
「……?」
喉元をさする。「あ、あー」と声を出すが、どうも違和感がある。
感電したからなのか、微妙に声の質感が違った。
いや、違う。感電で喉の調子が狂うって話は聞いたことがない。
それに表情筋も麻痺しているのか、妙に動かしづらい。腫れているわけではなさそうだが、まるで何年も無表情でいたために表情を形作る筋肉が衰えたような。
そう不快感と違和感を覚えつつ、椅子の手すりを撫でるように触れる。妙にしっくりくる感じ。以前まで触っていたような記憶。
不思議というより不気味に感じた俺は座っていた椅子から離れ、もう一度よく見る。
「なんだこれ」
ただの木の椅子ではない。何かの装置が設置されていたようだ。しかし所々溶けて固まったようになっており、装置としては使えそうにない。金属や電線のようなものがある。
見たことのない機械のゴミ。いくらなんでも俺ごと粗大ごみ扱いされるというのは相当酷いだろう。
声を再び出し、やはり自分の声にしては変だと感じた。椅子から立ち上がり、数歩前へ進んでみる。二日酔いのように顔をしかめてしまうほど頭が痛く、ふらふらする。空腹と腹痛が混じったような違和感がくる。
「おぅえ……クッサ……」
鼻についたのは、これまで生きてきた中で嗅いだこともない臭い。血生臭さと焦げ付いた臭い。そして、腐敗臭。吐き気を催すも、何とかこらえる。
なんなんだよここは……。
自分の着ているはずの服の袖を嗅いでみる。染み付いているのか、同じ腐敗臭と焦げ臭さがし、吐き気が生じる。暗くてわからないが、いつも着ている私服じゃない気がする。それに感触が布にしてはごわごわしていて気持ちが悪かった。
目が暗闇に慣れる。だんだんと見えてくる「何か」。ゴミ山らしきものに手をつく。布の感触に、冷たいけれども触れたことのある柔らかさと固さがある、不思議な肌触り。
「……」
薄々嫌な予感はしていた。そうじゃないものだと思いこんでは、精神を保とうとしていた。
しかし、最悪の予想は的中する。
「うわぁあああっ!」
暗さに慣れた目が捉えた、人の顔。悲痛に歪んではおらず、眠っているようなそれだったが、息はしていない。そんな状態の人間がモノのように山積みにされていた。
後ろに下がった俺はなにかに躓き、尻餅をつく。つまづいたものも、布を纏った人間だった。
「マジかよ……なんで死体があんだよ!」
初めて死体を見た俺にとってその光景は酷だった。精神がどうにかなりそうだといわんばかりに固まった顔を僅かに歪めたところで、ハッと気づく。
まさか、俺……死んだって扱いにされて、死体安置所に……? いやおかしいだろ! 今の時代の死体保管はこんな……モノみたいに扱うはずが……。
そのとき、背中から妙な熱を感じる。発熱だろうかと思ったが、ぼんやり部屋が明るくなっているので、この熱は自分からではなく、背後からだと判断し、後ろを振り返る。
「……は?」
目に映った物は真っ赤な炎。1カ所だけではない。全体的に広まっている。
「燃えてる……っ? どっから火種が来たんだよ……!」
そうか、やっと理解した。
ここは焼却場。それも、おそらく火葬場の内部。しかし俺の知る焼却場はこのような、人を廃棄物のように処理するものではなかった。
瞬く間に目が焼けるほど明るくなった部屋の中。一気に上昇する温度。膨大な熱気が肌を殴りつける。そして自分の着ている物は真っ黒な一枚服。他の死体も同様だった。
見かけない服装に当然心当たりはないが、もしかすると死体焼却するとき、このような服になるのかと考えるも、すぐに捨て、助けを求めるために叫んだ。
「おい嘘だろ……! ちょっと待ってくれ! 俺は生きてるんだ! こっから出してくれ! なぁおい……! 気づいてくれよ! おい!!!」
喉が張り裂けんばかりに助けを乞う。しかし、どこにも人の気配はない。みるみるうちに機械的に内部は炎に包まれてゆく。
「くそっ、どうすりゃいいん――げふぁっ、ごふぉ、かは……っ」
死体に燃え移り、嗅いだこともないような異臭の煙が鼻腔を侵す。煙草よりも強い煙。むせ返るような咳が出る。
やべぇ、これマジでやべぇって……本気で死ぬじゃんこれ……。
「ゼぇ……はぁ……」
ふらりとよろめき、熱い石壁に背を預ける。
せめて野外の火葬だったら……この壁があるせいで逃げれない。
そう考えていくうち、俺は絶望よりも怒りが込み上がり、やけくそになっては声を荒げる。
「畜生ォ! なんとか出れねぇのかよ!」
ドン、と熱い石壁を殴る。
「くそぉ……クソォ!」
殴る。
叫ぶ。
殴る。
叫ぶ。
殴る。
吸った熱気が肺を焼き付けるようで、息苦しい。
子供のころ、親と喧嘩して家から追い出され、泣きじゃくりながら玄関の扉を叩き続けた記憶が、どうしてか出てきた。その頃と同じ動作をしている。
「……っ、……っ」
熱い。一瞬だけ振り返った景色。自分以外が燃えている状況。燃え移る前に、ここから出なければ。
炎は足元までに来ている。燃え移っていないのが奇跡に近い。他の死体は着火剤のように瞬く間に燃え移ったのにも関わらず、未だに俺の身は無事だった。
「――なんでもいいからよ……こっから出しやがれェ!」
そのとき、目に映った――否、頭の中に何か焼き付けられたような異常事態が発生する。あまりにも一瞬の出来事だったため、それが何だったのか、わからなかった。
数多くの何かの文字列が線で結ばれ、構築されたような光景が目の前に浮かんだ気がした。
なんだ今の……化学式?
一瞬だけ停止した思考と動作。目を凝らしても、炎で熱された石壁があるだけだった。
途端、必死に殴り続けていた石壁に罅が入る。バギバギバギィ! と壁一面に網目状の深い罅が生じたのだ。
「ヒビ?」
おいまさか今の壁ドンで――。
思考を断ち切るように、罅割れた壁はガラガラと礫岩へと砕け散り、地に着く前に砂へと自ら粉砕していった。
「は!?」と驚愕の形相を浮かべたのもつかの間、その壁に体重のほとんどをかけていたため、前へ倒れる形になった。
「――うぉあっ!」
ずしゃあっ、と砂と共に無様に転んでしまう。誰も見ていないのにもかかわらず、何故か恥じらいを感じてしまうのはお年頃だからか。
「痛ってぇ畜生、なんで突然……」
日々鍛え上げていた壁ドンの成果がここで発揮されるとは……。
いやそんなことはどうでもいい。とにかくここから逃げよう。
仰向けになり、上体だけ起こしては振り返ると、変わらず業火が滾っているが、外までには漏れてこないようだ。
そして思った通り、そこには大きな建造物が建っていた。あまりみない石造建築物。様式も古そうに見えることから、年季の入った、歴史ある火葬場なのだろうと思った反面、「絶対訴えてやる」と憤りを含めた声でつぶやく。
「というか真夜中かよ今……」
よく見えないし、まだ息苦しい。酸素が足りないのか。
「はぁ……はぁ……」
何はともあれ、燃えることなく無事に至った。不本意ながらも火葬施設の正面入り口に行こうと外柵を掴んでは立ち上がる。
半ば麻痺している手に通じ感触と冷たさから、それは鉄製だと無意識に理解する。いや、思い込むと言った方が正しい表現か。
とりあえず、受付に行って事情を説明すれば、なんとかなり――。
キギギキギィ……と嫌に甲高い音が手の方から聞こえてくる。まさか俺の腹の音じゃないよな、と思った直後、頑丈だったはずの鉄柵が錆びついたようにボロボロになっていた。
サビ!? さっきまでなんともなかったじゃねぇか!
いとも簡単に粉砕し、また体重をかけていた俺は、鉄柵の外へ倒れる他なかった。他の鉄柵の内の一本を掴んだが、錆びてしまい、ぐしゃりと瞬く間に粉砕する。まったくあてにならなかった。
「は? ちょっ、ふざけん――」
また来るであろう鈍痛を覚悟したが、横に倒れるどころか、その身体は逆さまになる。
ビュオッ、と感じた風。内臓の気持ちが悪いまでの浮遊感。全身に感じる強い風と重力。
柵の外は、絶壁だった。
「――ぅわああああああああああ!!!」
本日2度目の命の危機。反射的に叫んでしまった俺は、風圧の強さで苦しく感じながらも、失神することはなく、「あ、もうこれは死んだな」と、意外と冷静な目で死を悟っていた。
これもまた夢であったらいいなと思いつつ、その落ちてゆく身体は闇の底へと吸い込まれていった。