1.神様の押しつけ ~世界救えと無理言われました~
「……なんだここ」
俺こと金子総悟は、どこにでもいるごく普通の大学生だった。
いや、普通というよりはそれ以下――中の下に位置する男――と表現した方がいい。
成績、運動神経、カラオケ採点、身長体重、顔面偏差値……何事においても平均値、偏差値50を上回ることなどなかったからだ。当然、やる気も生きる気力も偏差値50どころか40以下なので、もうただの駄目な男である。
いや、環境が悪かったんだ。小学校からみんなと何か違う、そんな違和感があった時点で、俺は既にこのグローバルなハード社会に適さない人材だと察していたのだ。
それでもこの世界で不自由なく過ごすために、ある程度は何とかしようと努力したことだってあった。しかし大抵は色々な理由で続かないことが多かったため、目標達成という言葉は夢のまま終わっている。ただ単に努力を継続させる能力がなかったともいえるが。
……とりあえず、俺自身のことは思い出せるな、うん……悲しいぐらいに。
パッとした記憶はちゃんと残っているので、「俺って誰だっけ」という事態になっていなくて安心した。
しかし、ついさっきの出来事がまるで覚えていない。
確か家にはいなくて……大学に行って、研究室寄って……どうなったんだっけ。いまいち思い出せない。
しかし、どこか身体が激しく痛んだような感覚が残っている気もしない訳ではない。微妙に火傷のピリピリと痛む感覚や麻痺したような感覚もほんのわずかにある。
まさか爆発事故とかあったんじゃ……リア充は爆発するということわざもあることだし。じゃあ非リア充の俺はなんで爆発したんだよ。
『気がついたか』
後ろを振り返ってみる。こんな何も聴こえない場所だと、その小さく聞こえたはずの声はやけに鮮明に響いたように感じる。
そこにいたのは何かの老木の根元に座り込んでいる老人。長めの髪も顎含む口周りの髭も、そして眉毛も真っ白であり、繋がっているが無精ではない、どこか清潔感のあるそれだった。
しかし、その瞳だけは黒く、着ている布一枚だけのような簡素な服もまた、黒かった。
「……あなたは? あの、ここがどこだか知っていますか」
見上げれば真っ暗な空に億万もの色鮮やかな星々――銀の河が流れているかのように覆っている。俺が理系だからだろうか、何故かその空が脳の中枢神経の構造に似ていた気がした。
足元の地面一面には柔らかそうな草が茂り、奥を見渡せば半ば夜の色に染まった雲海が見える。どこかの高山の頂上だろうかと思わせる。その割には息苦しくも寒さもない。風すら感じなかった。
『授かった肉体の無い私に、名乗るものなどないよ。そっちも今はまだ名を覚えているようだけど、次第に忘れていくはずだ。もう一度眠れば、自身の証明である名を思い出せなくなるだろう』
いきなり危ないこと言ってきた。ろくでもなさそうな宗教かなんかに没頭しているのか。
老木に背を預け、休んでいるように座っている老人。まさかその老木の精霊だとか宿り神だとか言わないだろうなと変な心配をし始める。
「……? あの、これは一体どういう状況なんですか。気がついたらここにいて……さっきまでは車の中にいたんですけど」
『言うとすれば、死後の世界。今在るこの時間と空間は一瞬のものだ。瞬く間に過ぎ去る電気信号と考えればいい。私とこうして話していることも、すぐに忘れてしまうだろうな』
「……」
夢だろうか。うん、夢だな。というか夢にさせてください。俺まだ童貞だし彼女も作れたことないし、夢であってください。
……と祈っても目の前の景色はちっとも変わらない。
まぁどっちにしろ、この状況を否定しても醒めない限りどうにもならないだろう。受け入れてみれば、そのうちなんとかなるはずだ。
「んー、ということは……あなたは神様、みたいな存在で受け取っていいんすよね。服装も黒いけど顔とかそれっぽいですし」
実際、俺が読んだことのあるネット小説で、死後の世界に神様のようなポジションの案内人がいる話があった。それで、何かしらのゲームに似た能力や反則的な力を授かって、別の世界に行くという展開。
最初は馬鹿馬鹿しく思っていたが、この似たような状況を前にすると、信じざるを得ないだろう。普通有り得ないだろうけど。
『……まぁ何とでも呼んでいい。受け入れが早いようで、こちらとしても助かる』
そう神様らしき老人は気乗りではない様子で後頭部を掻く。
その際、ぽつりと言葉を吐いた。
『……はぁ、まさかこんなことになるとはね。いや、結果として成功したから良しとしよう』
「……成功? なんか知っているんですか?」
『いや、こっちの話だ。こうなってしまった以上、そっちに身を任せるしかないか』
勝手にそっちで納得して話を進めるなよ。自分の世界に入り浸らないでくれ御老人。いや、失礼だが認知症だと考えれば仕方がないのかもしれない。
……神様にも認知症ってあるのか?
「あの、すいませんが俺にもわかるように――」
『幸運なことに、そっちは未だに記憶を忘却することなく存在し続けている』
「シカトかこの野郎」
『刹那だが、これも何かの縁だ。賭けてみる価値はある』
「すんません、賭けられる筋合いはないんですが」
駄目だ、完全にこっちの言葉は右から左だ。受け流すどころかそのまま流している。
ぶつくさと呟いている神様は細い首を上げ、こちらへ顔を向ける。改めて見るとどこかしっかりしたような顔だな。若い頃はさぞかしイケメンだったんだろうな、畜生。
ただ、嫌な予感しかしないのはなんでだ。
『なぁ、私の代わりに救ってくれないか?』
「えーと、何をですか」
目的語を言えよ。遠回しだな。
悪い予感だけは的中したようだ。まさか世界だとか言わないだろうな。RPGの勇者じゃあるまいし。勇者みたいな英雄になりたいとは一生に一度は考えたことはあったけども、こんな堕落男にできることは怠けることくらいだぞ。
『……そのー、なんだ。世界を変えるってだけでもいい』
案の定世界でした。
簡単に言うなよジジイ。時代とか歴史変えるのどれだけツラいか知らねぇのか。
「世界って……え?」
『あのままじゃ、あの世界は永く持たん。革命でも起こさぬ限り、未来の希望はない』
随分と重たいことを言われた。意味深だが、さっぱりだ。
「えっと、なんかあるんですか、そこに」
『いろいろ』
「雑すぎるだろ」
『とにかく頼んだ。私はこの通りだから、な』
「な」じゃねーよ。なにがどうこの通りだよ。神だから直接干渉できませんってか。じゃあ仕方ねーな。
「ちょ、あの、かなり厳しいというか俺がですか? えっと、それがどれだけ大変かわかって言ってます? 俺ただの一般市民ですよ。凡人の下の底辺っすよ俺」
自分で言って悲しくなってくる。
ほんのわずかな苛立ちが声として出ていたかもしれない。しかし、このような訳も分からない状況を前に、まともな説明もないどころか、いきなり無茶な頼み事である。コミュ障の俺でも流石に反論の口が出そうにもなる。
しかし神様はさわり心地よさそうな髭をさすりながら、
『勿論、それなりに知っているさ。そっちも書物程度の知識で語ってほしくはないが、とにかく時間はない。この頼み事も忘れてしまうだろうけど、一応言っておいたぞ』
じゃ、あとは任せた。といわんばかりのノリで世界を俺に託しちゃったよこの老いぼれ。
もう無責任過ぎんだろ。てかどこいくんだよおい。「よっこいしょ」すら言わずに膝を立てて軽々と立ち上がっちゃったよ。絶対中身老人じゃないでしょ。
「え、ちょっと! どこ行くん――いや俺はどうすればいいんですか!」
『なんとかなる』
「なんとかなるって……」
あっさり言ったなぁ。というか本当にどこ行くんだ。その先、雲しかないぞ。
『また会う時があれば、世の神々が好む絶世の酒でも交わそう』
そうちょっとかっこいい感じで言い残して去れると思ったら大間違いだぞ。といいたいが、不器用な口に出る言葉は自身としてもベタで、情けない感じがした。
「ちょ、ちょっと待ってくださいって! まだ聞きてぇことが――」
『ああ、そうだ。そっちが辿り着いたときには既に私の"傑作"……ああ、"身体"は用意してあるし、完成しておる。その使い方さえ忘れなければ……まぁなんとかなるわい』
読んでいただきありがとうございます。