4.初夜 ~決意表明しました~
異世界に来てから初めての夜。
この顔がヴェノスである以上、感情が顕著にそのまま出てしまう前の世界の俺とは違い、意識的にがんばらないと表情は普通の人ほど変わらないことをさっき知った。
簡単に言えば、表情が固いと言われた。オーバーリアクションっぽい顔もできない訳じゃないが、基本的にはクールな顔つきらしい。黙っていればイケメン、という類だ。
しかし、そんな俺が、いつも以上に顔をこわばらせている……どころか、むしろ無表情になってしまうほどの気まずいシチュエーションが立ちはだかっていた。
「どうしたメル、寝ないのか?」
本に囲まれた書斎のような部屋。部屋全体も机も整ってはいるが、紙……いや、書類の束が積み重なっている場所もある。
博士がいそうな、俺にとっては頭が痛くなりそうな図書館的空間にある、ひとつのベッド。そこに大賢者のエリシアさんが何気ない顔で座っている。ネグリジェ姿で。
17世紀頃の欧州の就寝服だとは、さすが異世界と言ったところか――いやそういうことじゃなくて。
「いや、その、床で寝ます」
「馬鹿言うな、床で寝たら風邪ひくだろう。ここで一緒に寝るぞ」
呆れつつ、当たり前のように言ったエリシアさんはポンポンと腰掛けているベッドの上に手を置く。
あー、えっと。
ネグリジェだと体のラインが実にわかりやすいな。シンプルな分、随分とまぁ……胸元の実りに実ったふくらみの破壊力が絶大だ。エリシアさんを見下ろす形だから、アングルが素晴らしいことになっている。
「……」
俺もエリシアさんも黙ったまま、時間が流れる。すると、「あのなぁ」とエリシアさんは視線を落とし、呆れたような眼で上目遣いしてこちらを見る。そのさりげなさは、これ狙ってるよねと誤魔化したいほどの可愛さだった。
なんだこれ、色仕掛けか? 俺が「ハイ喜んで!」とダイブした瞬間にベッドの下からフェミルの槍が突き出てくる罠かこれは。
「少しは何か言ってくれ。私だってこういうことしてなにも思わない訳ないだろう」
「ですよね……」
顔が熱くなる。エリシアさんも頬を赤くし、耳は真っ赤だった。
あ、色仕掛けできないタイプだこの人。恥ずかしいなら別のところで寝かせればいいのにと思うが、ソファとかで寝かせるのはかわいそうだと思っての行動だろう。その優しさ故のこのおいしい展開、ごちそうさまです。いやまだいただいてない。まだ俺、マヌケみたいに突っ立ってるだけだ。
「……こういうのは私も慣れてないが、メルが嫌なら私が床で――」
「嫌じゃないです! 一緒に寝ましょうか! はい!」
むしろご褒美だ。こんなスタイル抜群の巨乳美少女と添い寝できるなんて夢のまた夢だった。まさか自己犠牲的発言までしてベッドに寝かせようとは思いもしなかったけど。風邪どんだけ心配してんだよ。ここの世界の風邪は鳥インフルエンザ並みか。
「じゃあ……失礼します」
思わず喉をごくりと飲み込んだ俺は靴と靴下を脱ぎ、既に枕に頭をうずめているエリシアさんの入っている布団に足を滑り込ませる。布団の中は温かく、それが彼女の体温だと思うと、心臓が余計に鼓動を増してきた。
「誘っておいてなんだが、初めてだから、その、やさしくして――」
「一緒に寝るだけなんですよね!? 何をお手柔らかにするんですか!」
「あっ、やっ、違っ! あまり変なことは考えるんじゃないって意味だ! 例えば……えと、その……~~っ」
「例え言わなくていいですって! 自分で言って勝手に恥ずかしがらないでくださいよ」
「あ、あぁ、そうだな」
なんなんだよ本当に。こっちはただでさえ理性保つので精一杯なのに、天然で色仕掛けするなよ上級者か。
「……」
噴き出すように上がってきた照れくささの行き場がわからないまま、最初天井を見つめていた俺はそのままごろりと横になり、彼女に背中を向ける形になってしまった。
ああ俺のバカ野郎、向かい合えばチャンスはあったのに。いや、その勇気はまだ俺にはない。寄り添って寝るだけでもすごい成長だと思うぞ。
しかし、このままぐっすり寝れるかと言うと、全然眠れなかったという答えに至る。
緊張しすぎて息苦しいし、身体が強張っている。妙に汗が出てくる。何もしないのが逆に気まずい。
……。
疲れてきた。
寝相を仰向けにし、首をエリシアさんの寝ている方へ向けてみる。
「……起きてたんですね」
びくりと驚いたエリシアさんに対し、俺は冷静に対応したが、心臓はバクバクだった。鼻先数センチもあるかないか、眼前にエリシアさんの顔があった。互いの息が当たっている。左腕に当たっている柔らかい感触はまさかとは思うが、考えた瞬間思考がショートしそうなので敢えて意識しないようにした。
「や、やっぱり、寝れないよな」
目を逸らしながらエリシアさんは話す。「何か話でもするか」とすぐに切り出しては天井を見た。俺も天井を見、気を紛らわすために木目を数える。
「この世界に来るまえ、メルはどんな世界にいたんだ?」
「前にいた世界ですか……」
今日の出来事が騒々しかった分、前世の世界の思い出がかなり昔の頃だと思ってしまった。
前の世界……俺が死んだあと、どうなったのかな。
才能無しで努力すらしないニートまっしぐらのバカ学生だった俺。そんな俺のことを目の上の瘤みたいに扱っていた家族はどう思っているのだろうか。悲しんではいるだろうな。軽蔑はしてたけどなんやかんや育ててくれたし、本当に嫌いなら家を追い出してるよ。人が死んで喜ぶ奴はいない。
研究室にいたみんな……そこまで仲が良くない奴や、仲の良かった友達は俺の死んだ瞬間を見てしまったわけだから、相当トラウマになるだろうな。嫌なモン見せちまった。
それでも、元の世界に戻りたいかと思えば、そうでもない。あのままいたって、ろくな生活が送れるとは限らない。あの世界に馴染めないと、小学校のころから考えてきていた。どこにいっても場違いで、人と関わってはいてもどこか仲間はずれな感じがあって……。
「ここの文化とは全然違う感じでしたよ。なんというか、術式がなくて、その代わり機械技術や科学が発達していて、まぁ俺の住んでた国は戦争や飢餓もない、豊かで平和なとこでした」
「術式がないのか、そりゃ知らない訳だ」
「ただ、人や機械が多すぎてこの世界よりは汚れてますけど」
「そうか……」
「だからどちらに住みたいと聞かれれば、俺はこの世界を選びますね。空気は綺麗だし、景色もきれいで、なにより綺麗な人がたくさんいるので」
「はは、そう言ってくれると嬉しいな」
「エリシアさんも綺麗ですよ」
「……馬鹿、そういう文句は気軽に使うもんじゃない」
そう言いながらもまんざらでもない様子。俺だって女性にこういうこと言うの初めてだよ。
「メルは前の世界では何をしていたんだ?」
「学生ですね。化学科……あぁ、化学を研究していましたね」
「学園生徒みたいなものか。それとも大学校の方で専門的な勉強を?」
「あ、大学校の方でしたね」
「へぇ、そっちでも学校というのはあるんだな。科学のどんなことを研究しているんだ?」
「気になりますか?」
「賢者だからな、学者として気になる」
「ええとですね……」
こんな会話がどれほど続いただろうか。案外話せるもんだなと自分に感心しつつ、段々と返事がとろけるように小さくなっているエリシアさんをちらりと見る。それもつかの間、すぐに寝付いてしまったようだ。
異世界転生初日にして散々なことが起きたが、こんな綺麗な美少女と添い寝して、いろいろふたりで話し合ったし、おあいこどころかそれ以上のご褒美を得ていると俺は思う。
布団の中の彼女の温もり。彼女や布団から香るいいにおい。聞こえてくる小動物めいた静かな寝息。
見れば見る程、美人だ。
顔も小さければ、長い睫毛も整っている。肌が滑らかで、やわらかそう。
「ん――」
小さく唸ると、身体を動かし、俺の方へ寄り添ってくる。思わず声が出そうになったが、堪える。
一瞬眉を寄せたが、すぐに穏やかな寝顔に戻った。
嬉し恥ずかしいというか、これは反則だ。下心を晒け出すことが愚かだと思ってしまうほど。
なにより、勇者の娘――現帝国の王女で大賢者というすごい人だというのに、誰にも見せないであろうこの無防備さを俺は見ている。なんて幸せな展開だ。
ああ、至高の至福です。ありがとうございます。
「おやすみなさい」と囁いてから、俺は彼女に背を向ける。
ここまで楽しく話したのは久しぶりかもしれない。エリシアさんの話も面白かったし。
「……」
この世界に来た理由、か。
俺がこの世界に転生た意味は必ずあるはずだ。なにか理由があるはずだ。
その意味を知り、叶える。そのためにはまず、この肉体の汚名を返上する必要がある。この町の人々だけでなく、他の町や国の人々に対しても、だ。
俺は世間一般の間で嫌われている。人間にも、精霊にも、魔族にも。だけど、それがなんだ。誤解を解くという話ではないが、これから努力してひとつずつ解決していくしかない。
生まれ変わった以上、俺自身も変わらなければならない。努力を怠り、無気力に生き続けた結果が、あの様だった。その罪悪感も嫌と言うほど味わった。だからこそ、再び命を授かったチャンスを無駄にするわけにはいかない。この奇跡ともいえる転機を活かさないでいつ活かす。
「……やってやるか」
高望みはしない。まずは、一歩前へ進むことから始めよう。口だけではなく、確実に一歩前へ進むという行動を起こそう。前世の俺は、言うだけ言って、でも面倒だから言い訳して逃げていた。
生まれ変わった今、力がある今、ゼロから1へ進むその事実を創り上げよう。
そろそろ眠たくなってきた。目を瞑っては、深く息を吸う。
異世界に到来し波乱の末、ようやく一日を終えた。