2.好感度プラマイ0 ~ハイエルフに殺されかけた件~
「ここが私の家だ」
坂を登った先。登っている途中から既に見えてはいたのだが、そこには町にあった家より少し大きめの一風変わったL字型の木造建築があった。一人で暮らすには広すぎるだろうが、別荘と言うにはあまり機能的な感じはしない。
真っ先に思い浮かんだ単語が口から出てくる。
「学校、か……?」
「そうだな。家の軒と繋がっている。ほかの町にあるような学校に比べたらちっぽけだけど、ちゃんと教室も図書室みたいな書斎もある」
そう説明してくれたエリシアさんの表情は、どこか嬉しそうだった。町の人と協力して造ったのだろうか。
しかし校舎、というには簡易学校に近いだろう。建物の大きさから、とても数クラス分の教室があるとは思えない。生徒数もそれ相応だろう。
「さ、上がって」
玄関、とでも呼べばいいのだろうか、学校の少し大きめの入り口とは別に家の入り口が正面にあった。家と教室が一緒な感じが、またいい雰囲気を醸し出している。
ドアを開けてくれたエリシアさんに「おじゃまします」と言ったときだった。
「――っ、あっぶね!」
眼前にまで迫ってきた鉄色の鋭利なもの。反射的にそれを右手で掴み取り、間一髪、眉間を貫かれずに済んだ。
「槍……?」
風を感じるまでの一突き。それは 殺気以外の何物でもなかった。
右手の血管に沿って電流が走り、掴んでいた鉄製の槍頭をぐしゅっと握りつぶしては粉々にさせる。強制的に結合エネルギーを解離させたのだろう。クーロン力の結びが解けるようなイメージが勝手に頭に浮かんだ。
「えっ――!?」
槍を持っていたのは中途半端に鎧をまとっていた誰か。信じられないとでも言いたげな声を出したが、その声はなんとも透き通っており、女性のきれいな声だった。
よく見れば、兜から長い金色に混じるかのように緑を帯びた、まるで黄金色の日の光を浴びた新緑の髪が確認できる。それは思わず見とれてしまうほど。
女性だとわかった途端、不意打ち故に半ばキレそうになっていた俺の感情が一気に静まる。女の子の力ってとってもすごい。
鉄兜と上半身のみの青っぽい鎧を装っていた女性は、数十センチの槍頭の失った棒を強く握りしめ、その引き締まった細い脚を再び踏み込んだ。
「はい、そこまで。もうやめなさいな」
ノックするように、すっと出したエリシアさんの左手の甲が鎧兜にぶつかった途端、魔法らしき放電が発生する。
ゴィン、と鈍く響いた金属音と「はぅあ!」と間の抜けた鎧の女性の声が同時に聞こえた。玄関奥にしりもちをついた女性はぐわんぐわん響いている頭に手を当てつつ、エリシアさんを睨んだ――ように見えた。
鎧兜を目深に被っているので、どのような顔かわからないが、とりあえずしりもち体勢から拝める生足とその先の神秘には敬意を示そう。感謝する。
そもそも、この世界にもミニスカート的な衣装はあるんだなと意外な気持ちになった。
「……っ」
「あの、まさかと思うけどこの人すか同居者って」
「そう。……いきなりの無礼を申し訳ない。フェミル、謝るんだ」
しかし、フェミルと呼ばれた女の子はジッとこちらを見つめている……のだろうか。口を開こうとはしなかった。
エリシアさんは溜息をつく。その困惑した表情もまた絵になりますなぁ。
「言いたいことはわかる。けど、フェミルもあの場で見ただろう。メルストには、人間側にも魔族側にも、そして亜人族や精霊族側にもない、特別な力を持っている」
「そう、ですけど……だからといって家に連れてこなくても……」
口を尖らすフェミル。やっぱり納得がいっていないのか。
そういえばこの娘、俺が磔にされていたときエリシアさんといっしょにいたような。きれいな声して恐ろしいこと言ってた鎧姿のあの娘か。
「それはまぁ、仕方ないことだ。フェミルが男苦手なのは承知しているが、なんであろうと先入観に囚われないことだ。フェミルもそれで辛い記憶があるだろう」
「……先生、仕方ないとか言いながら、この男のこと気に入って……ますよね」
「あ、ああー。けほん、とにかくだ!」
少し顔を赤くし戸惑ったエリシアさんはフェミルという女の子に手を差しだし、起きあがらせる。
身内話はよくわからないというか、あまり首を突っ込まないようにしよう。それはさておき、特別な力を持っていると言われたことに嬉しさを感じる。そのあたり、俺はまだ中二病から脱却できていないようだ。
「私は賭けている。いや、この男――メルストを信じてみることにした。それでいいだろ、な?」
両手を合わせ、おねがいするようにエリシアさんは頼み込む。カッコいいこと言っていたが、まるで妻におねだりする残念な夫に見えるのは俺だけだろうか。
「……むー」
「ラール街のアイスキャンディー、奮発するから」
うつむいていた顔が急に前を向いた。
「せ、先生がそこまでいうなら……私は従い、ます……」
「ありがとう。わがまま言ってすまないな」
餌で釣りやがったこの先生。しかもアイスって、子どもか。
「いえ、とんでも……。お夕飯、作ってきます」
ちらりと俺を見てはとっさにうつむき、家の奥へそそくさと去っていった。
「メル、すまなかったな。あとで彼女にも謝らせておく」
いやそれで済まされないでしょうよ。無事だったから良いものの、殺されかけたからね。謝って済むなら警察も懺悔室もいらないんだよ。
「ああ、いえ、はい、大丈夫です」
そんなことを言えるはずもなく、俺は人見知りみたいな生返事をすることしかできなかった。その表情も、無表情だったのかもしれない。いや、ここはポジティブにクールな顔、とでも言っておこうか。
*
フェミルという女性が用意してくれた夕食は、とても美味しく、今までファストフードや牛丼などのチェーン店、カップ麺ぐらいしか食べていなかった俺にとっては贅沢以外のなにものでもなかった。食の恵みが直にわかるような、深い味。あのとき食べたエリシアさんの料理とはまた違ったものがあった。
ただ、3人で食べたのだが、一切会話はなく。フェミルから発していた警戒心MAXオーラが、俺の口を封じさせた。さすがのエリシアさんも気まずそうだった。
夕食後、腹を満たしたことで緩みかけた緊迫を突き、エリシアさんは話を切り出してくれた。正直、俺にそんな勇気はなかったが。
「――それじゃあ、改めて紹介する。この娘はフェミル・ネフィア。精霊族のハイエルフだ」
「……」
しかし、無言。出来の悪い生徒でも見るような、少し困惑した顔で、エリシアさんはもう一声かける。
「ほら、挨拶」
「……よろしく、おねがい、します……」
少し不機嫌そうだ。一瞥してあいさつをし、また視線を逸らした。
ここでも鎧兜を帽子代わりに深く被っている彼女の顔はすっとした鼻から下以外あまり見えなかったが、ちらちら見える金の瞳が、これがまた宝石のように綺麗で、見とれてしまうほどだった。兜を取れば相当な美少女だろうと思うが、すごい不愛想だ。
いや、それよりも今言ったこと、まじっすか。
ゲームでしか見たことなかったエルフ族。その派生種にして上位種のハイエルフが今、目の前にいる。というかこの世界ってファンタジーゲームに近似しすぎでしょ。今更だけど、これ夢なんじゃないの?
頬をつねる。痛いだけだった。
それを違う風にとらえたのか、エリシアさんは、
「まぁ、夢だと思ってもおかしくはない。妖精界にしか生きないハイエルフは滅多に会えないからな」
「そりゃまぁ、そうですよね」
「その上、緑の髪は人間や精霊問わず、ほとんど見られない。私もいろいろな国へ行ってきたが、緑の髪の娘はフェミルしか見ていないからな」
緑とはいっても、金髪と新緑が混ざった色に見えなくもない。ただ、きれいに混じっているなとは思った。これがエルフの神秘かと一種の芸術美を思わせる。
少し自慢げに話している気もしないではない。それが不服だったのか、あまり自分のことを話してほしくなかったのか、ジト目でエリシアさんの方を横目で見ては、
「先生……もういい、でしょ」
「ああすまない、すこし話が過ぎたか」
それじゃあ、と俺の方をみる。自分の口から言えってか。まぁ、現時点での友好度は0下回ってマイナスになってるからな。少しでもこちらから話していかなければならないのは分かり切っていた。
「あぁ、えっとー、俺はメルスト・ヘルメス。メルって呼んで――」
「……」
すごい。ここまで「慣れ合うつもりはない」と言いたげな目をする人は生まれて初めてだ。前世でもなかったよ、ここまで露骨に嫌う人。逆に清々しいわ。
「ま、まぁよろしくっつーことで、あはは……つっても、メルストって名前はエリシアさんに名付けてもらっただけなんだけどな」
「……っ」
急に顔の色が変わる。驚いたようなそれから、またじろりと睨むような目つきへ戻る。それでも、表情が薄い。わかりづらいが、これは嫉妬しているのか?
「……ずるい」
彼女の口から、確かにそうつぶやいたのが聞き取れた。
「ど、どういうこと?」
一応だが聞いてみるも、なんでもない、と素っ気なく返された。エリシアさんの方へ目を向けると、ただ苦笑するだけ。まぁ、こんな感じだ、と肩をすくめる。