1.ルーアンの町 ~賢者の家に住みます~
この小さな町の名前はルーアンというらしい。
魔族国(あくまで人間側の蔑称)こと帝国オストロノームの刺客との一件の後、ここルーアンの町を救った俺はこの町から追放されることなく、一応この町の要ともいえる勇者の娘かつ元大賢者のエリシアの許可の元、ここにいさせてもらっている。
顔の怖いロダン町長も俺の戦いぶりに感服したのか、あっさりと受け入れてくれた。しかし、なんともまぁ都合のいい男だと思ってしまう。利用価値がある奴だと思ったのだろう。
とりあえず、この町の要には受け入れてもらえた。
しかし、問題は一部の町民。エリシアさん同様、俺のことを賞賛して感謝している人もいれば、当然といえば当然、その反対派もいる。
相変わらず俺のことをヴェノスという魔王の息子にして時代遅れのマッド錬金術師だと思いこんでいる。仕方ないこととはいえ、こちらとしては少々居づらい気もないわけではない。寛容さに定評のある俺でも、この避けられている感は精神的にちょっとツラいものがあった。
「ムリムリムリムリ! 絶対ムリですぅ!」
そんな中でも特にショックだったのが、酒場と宿屋を経営しているお店の双子看板娘「セレナ」と「エレナ」の言葉である。
ふたりとも齢12辺りにみえつつも、身長と愛らしい顔つきの割に発育が暴走している。何より、彼女らの頭には狐のような耳がついており、話す度ピコピコと動いているので、本物のケモ耳だということがわかったときの俺の心の顔はとんでもないことになっていただろう。
だが、受け入れが1秒級の感受性と寛容力を持つ俺は、顔を合わせた時点で小動物をみるような顔かつ下心を露呈してしまったかもしれない。言ってしまえば鼻の下を伸ばしていたと同義だ。
それにもかかわらず、このいかにも泣きそう、いや、すでに涙ぐんで訴えている妹セレナと、いかにも「近寄らないで変態」とでもいいたげな目をしている姉「エレナ」。もっふりとした茶色いケモ耳と、抱きしめたいほどやわらかそうで、ふんわりといい匂いがするこんなかわいい双子にこんな顔をされてしまっては、俺はもうこの先、生きていける自信がない。
エリシアさんの言っていることには納得してくれてはいたけど、それでも怖いのだろう。大丈夫だから、俺奥手だから。
いや、そもそも魔族(親族だけど)を撃退したことで、普通英雄扱いされるだろう。もっとこう、ちやほやされてもいいでしょうよ。目の前のこういうかわいい女の子たちにキャーキャーいわれてもいいでしょうよ。みんな素直になろうよ。恥ずかしくないからさ。
「エリシア先生の頼みでも、怖いものは怖いんですぅ! 絶対嫌なんですーっ!」
嗚呼、小柄でかわいらしい女の子に涙目で拒絶されてる気持ちって、こんな風になるんだね。ひとつ学んだよ。
「私からも言っておく。これは無理」
セレナの元気あふれる雰囲気とは真逆ともいえる、つんと冷たい静けさを漂わせるエレナ。見上げられているのに見下されているような冷たい目で「コレは無理」と言われて喜ぶマゾヒズムな輩は限られているだろう。
少なくとも、俺は違う。嬉しすぎて血反吐と血涙が出そうだ。まったく、最高だよ。
「しかし、そこをどうにか……いや、無理強いはしない」
セレナが鼻とケモ耳をひくひくさせ、ぽろぽろと涙の粒を流している様子を見て、エリシアさんも申し訳なくなったのだろう、言葉を噤んでは「大丈夫、もう怖くないからね」とセレナを抱きしめては頭を撫でた。
「……」
ていうか泣きたいのはこっちだ畜生! なんで転生してまで幼女にここまで嫌われなきゃならねぇんだよ! ガラスのハートがブロークンダウンだよ!
俺だってエリシアさんにむにゅむにゅ抱きしめられて頭をなでなでされてやさしい声で慰めてもらいたいよ。そこ代われよ。
あとこっち見んなそこの娘。君だよエレナちゃん。どうしてと聞くまでもないだろうけど、とりあえずチベットスナギツネみたいな顔をしないでくれ。
深いため息をつく。
そのあとも、数件泊まれそうな物件や空き部屋に訪ねてみたものの、家主にことごとく断られていった。
*
「予想通りだとはいえ、ちょっとこれは深刻だなぁ」
エリシアさんが腕を組み、鼻でため息をつく。腕を組むという仕草で彼女の胸部の豊かさが一目瞭然だが、今はそんなしょうもないこと考えてる場合ではない。
結局、この町で俺の居住を心から完全に認めているのはエリシアさんのみ。有力者にして実力者が味方に付いているのは強みだけれども、多数決の強さも甘くみれない。
いや、全員が全員断固反対ではない。ちゃんとこの町の居住を認めてくれる心優しい人もいた。ただ、割合的に反対派の方が多かった。
「なんというか、すまないな。みんな人が悪いわけではないんだ。その、今回ばかりは特例というか……」
「まぁ、そうですよね」
それはそうだ、魔族でさえ抵抗あるかもしれないのに、魔王の血族だからな。それに悪い意味で名前が知れ渡っている。分かりやすい話、生き返った切り裂きジャックをこの町に住まわせてほしいという話となれば、俺だって断る。
そう考えたところで、心が和らぐはずもなく。
「エリシアさん……俺、ちょっとツラいです。なぐさめてください」
「……まぁ、同情はしよう」
同情で済むならスナックバーはいらないんですよ。
畜生、転生するなら10才児がよかった。というか赤ん坊から始めたかった。好きなだけ甘えて、好きなだけ吸えたかもしれないのに。
「ありがとうございます」と小声で俺は返した。それを横目に、エリシアさんはまた申し訳なさげな顔になる。
「それにしても、住まわせてもらえる場所がないとなれば、どうしたものか」
「まさか町の外で野宿ですか」
「そういうわけにもいかないだろう。風邪ひいては困るし、さすがにかわいそうだ」
当たり前の発言だとわかっているのに、この人がすごく天使に見える。いや、スタイル的に女神寄りか。
というか風邪引くからダメって、天使か。いやアガペー溢れる女神か。
「そうだな、しばらく私の家に住むってのはどうだ」
「……え?」
今すごい朗報が耳小骨に響いたのですが。ため息混じりで聞き捨てならないことおっしゃいましたよ。
「ん、聞いてたか? 住める場所ができるまで、私と同居してもいいかと言ったんだ」
「ほ、本当ですか?」
「本当もなにも、それ以外いい方法ないだろう。それにだ、そのーあれだ、君を監視するのにも都合がいい。そう、それだ」
よっしゃー! と俺は小さくガッツポーズをした。声は出していないが表情は出ていそうだ。
「ありがとうございます! 最高です!」
「……? まぁ、礼を言われるほどではない。期待はするなよ」
どの意味でそう仰ったのかは判別できなかったが、とりあえず純粋なエリシアさんのことだ、心地いい生活の保障はできないという意味だろう。いやいや、あなた様がいるだけでもう衣食住不要ですよ。
「ちなみにエリシアさんのお宅って、ほかに誰か住んでたりとかはー……」
一人暮らしを期待した俺。しかし、その下心満載の予想は斜め上の結果となった。
「ああ、ひとり女の子がいるよ。私が王国――あぁ、アコード帝国王都にいたときからの親しい友人だ」
「友達ですか……」
なんだ。ふたりきりじゃないのか。でもエリシアさんの友達、しかも女の子となれば、俺のボルテージが上がっていくばかりだ。両手に花とは正にこのこと。
別に花持てるほどの関わりは未だないけど。
「ただな、内気というか、あの娘けっこうな人見知りなんだ。無口ではないんだが、私以外だと素っ気なくなるんだ。特に男の前だと……そもそも、君のことをどう思うか」
なるほど、内気で男嫌いですか。攻略し甲斐がありますな。……そう心から思えるほどの前向きさが欲しかった。
友好度高そうなセレナとエレナであれだったからな、そんな人見知りの娘だったら、もっとひどい結果になり得るかもしれない。
「あー……」
それは嫌だな。一瞬浮かれてた気持ちが一気に重たくなった。風船に5キロダンベルくくりつけて急降下したぐらいのテンション変動だ。床に穴が空くよ。
「とりあえず、会ってからの話だなそれは」
そう言いつつ、町の小さな木製の門を開けては外に出る。石畳の道から土の道へと変わり、辺り一面草花が揺れる丘で広がっていた。見上げた空には大きく白い満月が草原と道を照らしてくれる。
「エリシアさんの家って町の外れにあるんすか?」
じゃあ、俺が目を覚ましたあの部屋は宿屋の一室だったのだろうか。
「そう、だな。ここに住み始めたときは町の中だったが、学校作った時を境に、住む場所はここになったな」
「へぇ」と俺は右側の山峰の高くそびえる崖を見上げ、反対方向の丘の向こうで切り立っている渓谷へ目を向ける。一応、柵はあるが万が一落ちたらひとたまりもないだろう。左側の谷底から風が吹き抜ける音が聞こえてくる。直接その絶壁を見たわけでもないのに、なんとも怖さを煽らせる。
少しなだらかな坂を登る。向こう側から夜の涼しい風が服と黒い髪を揺らす。エリシアさんの長くてきれいな髪も揺らめき、思わずため息が出る。人の髪でここまで感嘆できたのは生まれて初めてかもしれない。