八.不確定な理論と不確実な実践
部屋の扉をそっと開ける。この探索の目的は織彦の荷物の回収。及び織彦の生存状況を確認すること。重要度はそこまで高くない。危険だと感じたらすぐに戻ればいいだろう。十五分だけ探索して何もなかったら、すぐに戻ろう。
発信機で見た位置情報と目の前の建物の構造を比べる。どうやらかなり近くに織彦の鞄などが置いてある。発信機の反応が有る方へ、そろりそろりと歩みを進める。
廊下は静かだ。この建物には最低二人、阿久津彰斗と阿久津藍がいる。もっとたくさん人がいるかもしれないが、この静けさからするとそんなに多くの人はいなさそうだ。物音を殺して潜んでいたら分からないが、廊下をうろうろしている人はいないだろう。
廊下の左右には同じような扉がずらりと続く。さっきいたところのような客室がいくつかあるのだろう。その中心の絨毯の上を、足音を殺して歩く。
階段横の客室の前で足を止める。発信機によると、ここに織彦の鞄、携帯、筆箱がある。
ドアノブに手を掛ける。このドアに防犯ブザーが掛けられていたらどうしようもないけれど、鳴ったら鳴ったでなんとかなるだろう。阿久津兄妹に見つかったときの言い訳を考えておこう。
ドアに鍵はかかっておらず、すんなり開いた。部屋の中は暗い。どうやらあたしが案内された部屋と同じ造りをした部屋だ。
あたしは部屋の電灯を点ける。そこには学生鞄が四つ置かれていた。御園高校指定の学生鞄が四つ。そこに織彦の鞄もあった。
「よっと」
織彦の鞄を手に取る。他の鞄と並んでいても織彦の鞄はすぐに分かる。横に付けてある紐飾り。あたしが織彦に命令して付けさせた紐飾りだ。織彦は知らないけれど、ここに発信機が付けてある。
「そこで何をしているの?」
後ろから呼びかけられた。びくんっと身体が反応する。はずみで持っていた織彦の鞄を床に落とす
振り返ると、阿久津藍がいた。やっぱり制服姿である。
「ごめんなさい。なんだか眠れないから、歩きたかったの」
あたしは用意していた言い訳を使う。
「勝手に部屋に入らないでよね。見られたら困るものもいっぱいあるのに」
そう言って阿久津藍は右手であたしの右手を取る。
「ごめんなさい」
あたしが謝るのと同時に、阿久津藍はあたしの手を引っ張る
「おいで。寝るまでの時間潰しをしてあげる」
あたしは阿久津藍に連れられて部屋を出る。
探索は中止。織彦の鞄を見つけられたから半分成功といったところかな。
阿久津藍に連れられて、一階の部屋に入る。客室よりも大き目の部屋だった。部屋の中央にパソコンが二台あり、あたしは一つのモニターの前に座らせられた。モニターにはスクリーンセーバーとして幾何学模様が浮かんでは消えていた。
「実は明日、うちでゲーム大会をするの。もしよかったら、試しにやってみてくれない?」
阿久津藍はあたしの向かい側に腰かける。二つのモニターを挟んで向かい合う形になる。
「ゲーム大会?」
「うん。謎解き脱出ゲームって言えば伝わるかな? うちの兄貴が作ったゲームよ」
あたしの目の前のモニターがゲーム画面を表示する。個人が作ったものとは思えないほどのよく出来たゲーム画面だった。阿久津彰斗は最先端科学技術を利用した工業製品の開発をしているらしいが、ゲーム開発もしていたのか。
「基本的にキーボード操作で進めていけばいいからね。これが操作表だよ。分からなくなったら言って頂戴。ヒントをあげるね」
操作表によると、Zキーで「決定」Xキーで「メニュー」Cキーで「キャンセル」方向キーで「移動」と書かれていた。
「はい」
あたしは乗り気ではなかったが、不満は顔には出さずゲームをすることにした。
ゲームをするなんて何年振りだろう。小学四年生くらいのときに、織彦が出来なかったステージをクリアしてやったことがあったくらいか。シューティングやアクションは無理でもミステリーやパズルならゲーム経験が無くても攻略出来るだろう。ましてやあたしは江本榛嘩である。おっと今は江川晴魅だったか。ともかく、あたしに論理系のパズルなら出来ないはずがない。
ゲームをスタートする。最初に趣旨説明のテロップが流れる。
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このゲームはダンジョンからの脱出を目的としています。プレイヤーはダンジョンに閉じ込められた状態から始まります。プレイヤーは様々なパズルに挑戦してダンジョンから脱出してください
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ゲームが始まると、ゲーム内のキャラクターは牢屋のような部屋にいた。この小さな部屋にあるのはベッドと洋式のトイレと洗面台。窓はなく金属製のドアが一つある。どうやらここから脱出してくようだ。
あたしは部屋の中を調べて回る。ドアの前で「決定」ボタンを押すと張り紙が表示された。
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ゲームスタート プレイヤーナンバー 38‐0 ゲスト
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もう一度「決定」ボタンを押すと、パズル画面に移行した。
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600mlのコップと400mlのコップで500mlの水を測れ
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画面にはコップが二つ表示されていた。大きい方が600mlで小さい方が400mlなのだろう。二つとも真っ直ぐした透明なガラスのコップである。画面上方には水を汲むボタンと水を捨てるボタンがある。これで500mlの水を測ればよいのだろう。
しかし、これだけでは500mlの水を測れない。600mlのコップと400mlのコップではどんなに水を汲んで捨ててを繰り返しても500mlの水を測ることは出来ない。ここに表示されている道具では不十分だ。
試しに「メニュー」キーを押してみる。道具の中にティッシュがあった。
「これは使えるかしら」
テュッシュにカーソルを合わせ「決定」ボタンを押す。すると600mlのコップと400mlのコップにそれぞれ半分ずつの水が汲まれた。
「やるじゃない」
阿久津藍が褒めてくれた。どうやら向かいのモニターであたしのプレイの様子を見ているようだ。
「どうも」 あたしは適当に返事をした。
ゲーム開始から20分。あたしはノーミスでゲームをクリアしようとしていた。
「すごいわね」 阿久津藍がモニターの向こうで目を丸くしていた。
普通の論理パズルとは違って、目の前の問題以外の場所からもアイテムを使う必要があるという、意地の悪いゲームだった。それでもヒントは随所にあるから解けないことはない。あたしにとっては簡単過ぎるくらいの謎解きゲームだった。
「これで、終わりね」
五つの南京錠を外し、ダンジョンから脱出する。
盛大なエンディングムービーが流れる。自分が解いてきた謎の解答と、失敗したときのペナルティが表示される。601号室で足場が崩れて転落死。503号室でケースを割ると毒死。419号室で剣を抜いて感電死。307号室で天井から落ちてきた針に刺されて出血死。211号室でランプの爆発に巻き込まれて焼死。エンディングムービーなのにすっきりしない映像だ。
「おめでとう。こんなに早く、しかもノーミスでクリア出来るなんて思わなかったわよ。今までプレイした人の中で最速よ」
阿久津藍が拍手する。あたしは嬉しくもなく当然の結果だと感じてはいるものの、顔だけは喜んでおいた。
「それじゃ、そろそろ寝ますね」
あたしは自分の部屋に戻ろうとした。今度こそ隙を見て織彦自身を探したい。
「あ、ちょっと待って。もう一つやってもらいたいゲームがあるんだ」
そう言って阿久津藍がエンターキーを押すと、画面にステータス画面が現れた。
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プレイヤーナンバー 38-1 名前:A
学年:高三 誕生日:九月九日 性別:女 血液型:AB型
身長:162cm 体重:58kg 趣味:占い
学業成績(5段階) 国:4 社:4 数:4 理:5 英:5
運動成績(5段階) 走力:4 跳躍:4 投力:4 持久:5 柔軟:5
プレイヤーナンバー 38-2 名前:B
学年:高三 誕生日:七月七日 性別:女 血液型:O型
身長:152cm 体重:49kg 趣味:卓球
学業成績(5段階) 国:5 社:4 数:4 理:3 英:5
運動成績(5段階) 走力:4 跳躍:4 投力:4 持久:3 柔軟:5
プレイヤーナンバー 38-3 名前:C
学年:高三 誕生日:五月五日 性別:男 血液型:B型
身長:178cm 体重:76kg 趣味:ロッククライミング
学業成績(5段階) 国:3 社:4 数:4 理:3 英:2
運動成績(5段階) 走力:5 跳躍:5 投力:5 持久:5 柔軟:5
プレイヤーナンバー 38-4 名前:D
学年:高三 誕生日:三月三日 性別:女 血液型:A型
身長:165cm 体重:59kg 趣味:犬
学業成績(5段階) 国:5 社:4 数:4 理:3 英:5
運動成績(5段階) 走力:4 跳躍:4 投力:3 持久:3 柔軟:5
プレイヤーナンバー 38-5 名前:E
学年:高三 誕生日:十一月十一日 性別:男 血液型:O型
身長:169cm 体重:61kg 趣味:パズル
学業成績(5段階) 国:4 社:3 数:5 理:5 英:4
運動成績(5段階) 走力:4 跳躍:4 投力:4 持久:4 柔軟:4
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「これは何かしら?」
阿久津藍が挑戦的な笑みを浮かべる。
「これはね。ここにいる五人にさっきやってもらったゲームを、リアルに体験してもらうのよ」
「?」 あたしは首を傾げた。
「ここの近くに、建物がもう一つあってね。さっきやってもらったゲームが実際に体験出来るようになっているの。実際のコップで水を測ったり、熱いスライディングブロックパズルを解いたり、銅像の頭を投げたり、消火器でケースを割ったり、カーテンで剣を引っ張ったり鍵をとったり、ランプに火を着けたりするのよ」
「実際に?」 あたしが訊く。
「実際に」 阿久津藍が頷く。
「これ、失敗したら大怪我しますよね。601号室で転落したり、503号室で毒をあびたり、419号室で感電したり、307号室で針に刺されたり、211号室で爆発に巻き込まれたり」
阿久津藍はくすっと笑う。
「大怪我どころか、確実に死ぬように出来てるわよ」
「え?」
「失敗したら死ぬわよ。死ぬ様子を見て楽しむゲームでもあるから」
あたしの脳が血液を一気に吸収していく。これはまずい。目の前の阿久津藍はかなり危険な相手だ。今までは呑気にこの後の織彦奪還作戦をどうするか考えていたけれど、この阿久津藍の対処に集中しないといけない。こいつは、あたしも危ない状況にあるのかもしれない。
「このゲームをやるプレイヤーが五人いる。そのゲームを見ている人がたくさんいるの。高校生が命懸けの脱出ゲームに挑むの。映画になりそうな良い題材の見世物だと思わない?」
「……思わないですよ。趣味が悪いと感じるだけです」
あたしは正直な感想を述べた。人が苦しんでいるのを楽しむなんて、悪い趣味に決まっている。あたしだって織彦に悪戯するのは好きだし、悪戯されるのも好きだけれど。こんな命を懸けて何の成果も無いようなゲームなんて味が悪くて仕方無い。
「まぁ、あたしも趣味が悪いと思う」 阿久津藍が溜息を吐く。
「それなら、どうしてこんなゲームをやるんです?」
「一言で言うなら、金のため。金を稼ぐためよ。あたしとしてはこんな趣味の悪いゲームなんてやりたくないんだけどね。うちの家族が金を稼ごうと思ってこんなゲームを企画したの」
理由は意外と分かりやすかった。てっきり変態的な悪趣味理論を並べて、さも自分達が神であるかのような高説を聞けるものだと思っていた。
「このゲームで金を稼ぐの?」
「そう。ゲームの様子をビデオにして売ったり賭けをしたりするの。賭けは賭けでまた別のゲームになっているわね。ゲームを見ている人がどのプレイヤーが生き残るのかを当てるの。例えば、
A○ B× C○ D× E○ みたいにね。正解すれば高額の賞金が出るわ。人の生死で賭けをしようなんて本当に趣味の悪いゲームよね。」
阿久津藍が画面にレート表を出した。
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五人それぞれの生死を予想せよ。
五人的中 ……… 32倍 四人的中 ……… 6.4倍
生き残る人数が的中(上記を除く) ……… 5倍
それ以外 ……… 0倍
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大雑把ではあるけれど、確率論に基づいた適正なレートである。当てる側はゲームをしてから、さっきみたプレイヤーのステータス画面を見て、生死を判断するのだろう。
「さあ、はるみちゃんも予想してみて。誰が生き残るのか」
どうやら、この趣味の悪い賭けに強制参加させられたらしい。
「あたし、お金持ってないですよ」
「お金はいらないわ。予想するだけでいいわよ。賭け金が百万円からだから、あなたに払わせるつもりはないわよ。参考までにどんな予想をするのか聞きたいのよ」
予想以上の大金が動く賭博だった。阿久津藍が「金を稼ぐ」と言った意味が分かった。
「何人がこの賭けに参加しているの? 賭けになるほど人が集まらないんじゃない?」
こんな非人道的で趣味の悪いゲームに参加する金持ちが大勢いるとは思えない。というか警察に捕まらないのだろうか。今から110番通報しようかしら。
「現在の参加者は二百人ぐらいよ。うちの家系は代々続けて魔術の研究をしているおかげで、魔術業界の有力者でね。そっちの業界には顔が効くの。そっちの業界から趣味の悪い金持ちの物好き達に呼びかけて、二百人集まったのよ」
二百人集まったこともびっくりだし、魔術業界なんてものがあることにもびっくりだ。一度に複数の突っ込みどころを作らないで欲しい。
「というわけで、はるみちゃんはどう予想する?」
あたしは思考を巡らせる。この賭けはどうでもいい。当てても得がないし、外れても損が無い。どうでもいいけれど、この賭けを使って何か面白いことが出来ないだろうか。
「藍さん。予想するので、全部的中したらご褒美をください」
「ん。いいわよ。何が欲しいの?」
「魔法の使い方を教えて欲しいです」
すると、阿久津藍は一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに笑顔に戻った。
「いいわよ。ただし外れたときには、魔術研究の手伝いをしてくれる?」
あたしは、すぐに頷いた。阿久津藍の要求が魔術研究の手伝いならば、あたしは賭けに勝とうと負けようと魔法について知ることが出来る。願ったり叶ったりの条件だ。あたしはすでに当初の目的である織彦のことを忘れて、魔法に興味が出て来た。
「それじゃあ、現在の賭けられている状況を教えてもらえますか? どの組み合わせにいくら賭けているのか詳細にお願いします」
あたしは阿久津藍に要求する。
「あら、それは見せられないことになっているわ」
拒否された。しかし、そこを譲るわけにはいかない。
「一番人気の組み合わせだけでも良いのですけど」
「それも駄目。公正な賭けにならないもの」
あたしは内心、鼻で笑った。この賭けは公正なものではない。
「それじゃあ、賭けは出来ませんね。あなたは賭けられている状況を見て結果を変えることが出来ますから」
阿久津藍の表情が固まった。あたしはにやりと微笑む。
「この【プレイヤーナンバー 38-1 名前:A】って藍さんのことですよね? プレイヤーに賭けの状況を知っている人がいるのは不正な賭博です。賭けの状況を知っている人がいるのなら、自分に得になるように結果を変えればよいのだから」
阿久津藍はしばらく沈黙していたが、やがて観念したような表情を見せた。
「これがあたしだなんて、よく分かったわね」
「学年、性別、身長、体重でおおまかには絞れますし、なにより38っていう数字が怪しいです。これって阿久津藍という名前の総画数ですよね」
阿久津藍はあたしの言葉に感心していた。
「その通りよ。まさかそこで気付かれるとはね」
そこだけで【プレイヤーナンバー 38-1 名前:A】が阿久津藍であることを確信することは出来ない。全然知らない別の誰かである可能性がある。しかし、このゲームは阿久津家が金を稼ぐためのゲームである。それならば確実に阿久津家が儲かるための仕掛けがあるはずだと考えれば、自然とこのプレイヤーが阿久津藍であることに気付く。
「よく気づいたわね。あたしの負けよ」 阿久津藍が降参した。
阿久津藍からしたら賭けられている状況を見せることは出来ない。見せたら答えが絞れてしまう。それならば見せる前に降参するほうが賢い判断だ。
こうして、あたしは阿久津藍との賭けに勝利した。
そして、賭けより気になることが出来ていた。
あたしは気付いていた。【プレイヤーナンバー 38-5 名前:E】はどう考えても織彦だ。学年、誕生日、性別、血液型、身長、体重、趣味、学業成績、運動成績が全て一致するから間違い無い。
織彦も面倒なことに巻き込まれたものだ。
あたしは思わず溜息をついた。
そして、この日はこれでお開きとなった。
せっかく賭けに勝ったあたしだけれども、阿久津藍が明日の準備をするからと言って、魔法についての話はゲームの後ですることとなった。
あたしは、自分の部屋に戻った。本棚には魔法関係の本がいっぱい。
「これは読むしかないでしょう」
あたしはここにある本を片っ端から読むことにした。阿久津の家系による魔術研究の成果がここに記されている。阿久津藍に聞いたところによると、阿久津の家系は四百年以上も魔術研究をしているらしい。科学的な理論に適っているかどうかは置いておいて、四百年以上も続くほど、多くの人が研究を続けるほど、魅力的な研究に違いない。
幸い、あたしは字を読むのが速い。朝までにかなりの量が読めるだろう。今日は夜を寝ずに朝を待とう。普段から夜型の生活をしているあたしにとっては自然なことだ。
自分の水筒のお茶を飲む。水分さえあれば夜を越すのに問題は無い。阿久津藍からもお茶を貰ったけれど、何が入っているのか分からず怖いから一口も飲まずに置いてある。
織彦の救出はゲーム開始の直前に行くことにした。ゲームが開始すれば阿久津藍はここにはいない。阿久津彰斗はこの建物からカメラの映像でゲームの様子を見るらしい。あたしも阿久津彰斗と一緒にゲームの様子を見て良いと言われた。
だから阿久津彰斗とゲームを見る振りをして、隙を見て織彦を救出に向かう作戦だ。ゲーム開始は明日の九時頃だから、それに合わせて起きることにする。
時計は一時を回っている。ここにある本を全部読めば、朝までに魔法が使えるようになるだろうか。いや、本を読んだだけで魔法が使えるようになるなら、世界中の誰もが使えるようになっているはずだ。
そんなことを考えながら、あたしは黙々と本を読み続けた。
「使えちゃったよ……」
あたしの手にはティッシュ。ティッシュの先には火が着いていた。
もう夜が明けようとする頃、あたしは魔術が使えるようになっていた。読んだ本は二十冊。「魔術基礎」から始まり「基礎魔術理論」「魔法全書」「魔術の理」「魔法の歴史」などなど読んでみたところ、いつの間にか使えるようになっていた。まったくもって信じ難い現象ではあるのだけれど、使えてしまった。
「なんだこれ」
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生物を構成する原子は意志を持つ。その意志は他の原子に伝えることが出来る。その意志こそが魔力である。
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無茶苦茶な理論だ。無茶苦茶ではあるけれど、使えてしまったのだ。使えるものは仕方がない。それなりの理屈を付けて納得してしまおう。
時計によると、現在七時。阿久津彰斗が部屋に迎えに来た。
「おはよう」
「おはようございます」
あたしが魔術を使えることは黙っておくことにする。いざというときまで大事にとっておこう。
阿久津彰斗に連れられて、大き目の部屋に入る。壁にはたくさんのモニター。床には所狭しと配線が組まれている。今からここのモニターにゲームの様子を映すようだ。
阿久津彰斗から菓子パンとパックの牛乳をもらう。
「藍さんはいないんですか?」
「もうゲームの会場にいったよ」
「ゲームの会場ってどこですか?」
「ここから北へ1kmくらいだ。藍はさっき歩いていったよ」
どうやら発信機の情報通りだ。織彦の制服に付いている発信機はきちんと正確に動作しているようだ。隙を見て織彦を迎えに行きたいのだけれど、結構距離がある。北へ1km行ってから、ここに戻って、更に山を下りないといけない。阿久津彰斗の自動車を盗めないかな。
そういえば、さっき読んだ本の中に空間転移の魔法について書いてあったっけ。
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人間の認識では世界は三次元で構成されている。しかし、それは飽くまで人間の認識の範囲内である。実際にはもっと高次元の空間が折りたたまれていると考えることができる。
二次元の平面を移動することを考える。人間が歩いているとき、進行方向に岩があったときどうするか。二次元的な移動であれば迂回することを考える。しかし三次元で考えた場合、岩を飛び越すという選択肢が生まれる。
三次元空間での移動でも同様の行動を考える。四次元方向に移動することで三次元空間内にある物体を飛び越すことが出来る。
そのためには、まず四次元空間が有ることを認識することが必要となる。また三次元空間での跳躍が歩くよりも多くのエネルギーが必要となるように、四次元空間内の移動も多くのエネルギーが必要となる。
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よくあるSFの理論である。いつもなら話半分にして流すような話である。しかし魔術で火が起こせた今なら、何だって試してみたくなる。
やってみるか。身体中の神経を研ぎ澄ます。全身の魔力を感じる。横に阿久津彰斗が座っているが気にせずにやってみよう。
三次元空間にある自分の身体を四次元方向に動かす。魔力を使って身体を構成する原子を無理矢理に移動させる。
「えいっ」
身体中に負荷がかかるのを感じる。いかにも跳びそうな感覚だ。じょじょにゆっくりと負荷が大きくなる。
「あ、まずい」
予想以上に負荷が大きくなり過ぎた。呼吸がか細くなる。身体中に激痛が走る。意識が混濁する。
急いで中止しないといけない。慌てて魔力を抑え込む。駄目だ。負荷に脳が耐えられない。意識が飛ぶ。飛ぶ。飛ぶ。
がたりと音を立てて、あたしの身体が椅子から落ちる。
魔法に失敗して気を失うなんて、どんだけ間抜けなんだ。
あたしは眠るように床に転がった。