六.理論の発見と仮説の実証
阿久津さんを覆う火が一層激しくなる。
「行こう」 別木さんが落ちていた剣を拾って走り出す。
「う、うん」 僕は別木さんに続く。
二人で森の中を走っていく。木々に囲まれた細い道を進んで行く。細いとはいっても車は走れそうな幅はある。一本道ではあるから迷うことはない。このまま走っていけばいつかは山から下りられるはずだ。
しばらく山道を走っていたが、やがて疲れて歩き始めた。
「結構走ったよね?」 別木さんが息を整えながら話しかけてきた。
「そうだね。1kmは走ったと思う。阿久津さんとも随分距離が取れたと思うよ」
このまま山を下りて町に出てしまえば逃げ切れる。無事に家に帰れる。しかし、そう都合良くはいかないだろう。
「このまま、逃げ切れるかな?」 別木さんが僕に訊く。
「多分、無理だろうね。最初にあのホテルに僕達を運んで来られたっていうことは、何らかの輸送手段があるはず。さすがに僕達四人を徒歩で町からホテルまで運んで行ったとは思えない。車があるのか、ヘリポートがあるのかは分からないけれど、このまま僕達が逃げても追いつく手段があるか、先回りできる手段があるに違いない」
「そっか。まだ安心出来ないんだね」
もうすぐ、日が暮れる。そうなったら山の中を歩くのは危険だ。どこか安全な場所で夜が明けるのを待ちたい。とはいうものの、この首輪が有る限りこちらの位置は把握されている。下手に休むことすら許されない。
「こいつ、壊せないかな?」 別木さんが自分の首に手を当てる。
「剣で叩く?」
今、こちらにある武器は剣だけだ。
「怖いからやめておこう」
剣で首輪を斬ろうとすると。少し剣先がずれただけで首を刎ねそうだ。
あとの武器といえば二人とも火が起こせる。そう。別木さんも火を起こせた。
「別木さんも魔術が使えたんだね」
「そうだね。自分でもびっくりしたよ。魔術基礎に書いてあったことを思い出しながら“燃えろ”って思ったら燃えたんだよね」
僕もそんな感じで火の魔術が使えた。
「この首輪も燃やしてみようか」 別木さんが提案する。
「電気回路の中に燃えやすい物質は無いと思うよ」
「ちょっとだけ燃えれば回路が壊れないかな?」
そのとき、僕の頭の中で良いものが思い浮かんだ。
「それだったら燃やすより良い魔術がある」
僕は自分の首輪に手を当てる。思い浮かべるのは電流の魔術。書斎で少しだけ見た魔術基礎の中身を思い浮かべる。
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七.電流の魔術
電気とは電荷の移動や相互作用によって発生する。原子は陽子、電子、中性子などから成り立っているが、電子の移動によって電気を発生させることが出来る。人間の体の中にも微弱な電気が流れており、生体電流と呼ぶ。これを魔力によって模倣することにより、電流を発生させるのである。血液やリンパの流れや、脳や心臓もこの生体電流が動かしており、人間が生きていく上で欠かすことのできないものである。まずは、簡単な電気回路を作り電気を流してみせよ
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この首輪は発信機とか、盗聴器とか、脈拍測定器とか、小型カメラとか、脳波測定器とかいろいろの詰まった精密機械だ。内部から異常な電流を流せば壊れるはず。
首輪からばちりと音がする。
どうやら上手くいったようだ。これで首輪の中の機器は故障しているはずだ。別木さんの首輪も同様に壊す。これで正確に追尾されることはなくなった。一息つけそうだ。
「今のは?」
「電気の魔術だよ。書斎で魔術基礎を読んだときに見つけたんだ」
「首輪を壊せたの?」
「おそらく壊せたと思う。これで休憩出来そうだ。どこかに休める場所はないかな?」
「あそこに洞窟があるわよ」
別木さんが道外れに休めそうな場所を見つける。覗いてみると洞窟はかなり深くまで続いていた。人が二人以上並んで歩ける大きな洞窟だった。これなら、少し入ったところで休むことが出来そうだ。
僕と別木さんは洞窟に10mくらい入った地点で腰を下ろした。それと同時に大きな疲労が襲ってきた。ここまでずっと気を張ってきたのだ。疲れてもういつ眠りに落ちても不思議ではない。更に言えば飲み水が欲しかった。
そんな僕とは対称的に別木さんは元気そうだった。地面に剣を刺して一息ついていた。今までの事を振り返ると僕以上に疲労しているはずなのに。毒ガスを吸い込んでいるし、阿久津さんに数メートルの高さから落とされて、下手をしたら死んでいたにも関わらず元気だった。
「なんで、そんなに元気なの?」
「あれ? 江本くんが怪我を直してくれたんじゃないの?」
「え?」「え?」
お互い訳も分からず顔を見合わせた。
「阿久津さんに飛ばされた後、本当に死ぬかと思ったよ。背中を打ったのに身体中が痛いし、呼吸が出来ないし、頭ががくがく揺れているし、もう駄目かと思った。江本くんが駆け寄ってくれたじゃない? その後、身体がすぐに楽になったんだよ」
「僕は声を掛けただけだよ」
「てっきり江本くんの魔法かと思ったんだけど」
「いや、魔力は使って……」
いや、待てよ。無意識の内に魔力を使っていたのかもしれない。魔力は生命の意志によって動く。僕の「死んじゃ駄目だ。生きて」という意志が魔力を動かし別木さんに伝わったのかもしれない。211号室のときと同じだ。211号室では魔力を使おうとしなくても、僕の「火を着ける」という意志が魔力を動かした。今回もそんな状況だったのか。
そういえば、書斎で魔術基礎Ⅰを読んだ時に、回復の魔術の項目を目にしていた。
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九.身体に関する魔術
生命は魔力によって生命として存在している。魔力が無ければ生命としての存在を維持出来ない。逆に魔力が多ければ多い程、生命としての機能が高いことになる。よって人間に魔力を多量に与えれば、より強い機能を持った人間となることが出来る。しかし、肉体に保持出来る魔力には限界がある。過剰な魔力をその身に抱えようとすると、身体が拒否反応を示す。
そこで、まずは魔力の低下した生命に対して魔力を与えてみよう。一般に心身の機能と魔力は正の相関関係にある。心身の機能が低下、もしくは損傷している人間に対して魔力を与えることで心身の機能を回復することが出来る。
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「江本くんは火を起こす魔術だけでなくて、電気や体力回復の魔術まで使えるんだね」
「そうかもしれない。でも、別木さんも火の魔術が使えたんだ。他にも出来るかもしれない」
「あれは魔術基礎に書いてある事を思い浮かべて、江本くんの真似したら出来ちゃったんだ」
「別木さんも魔力が見えるの?」
「え? 魔力って見えるの?」
「ん?」「ん?」
齟齬が発生したので、僕達はお互いの持っている情報を整理することにした。
僕は魔力が見えること。生命の証だと思っていたものが、魔力として使えること。魔術基礎を読んだら、火を起こせたこと。電気を流せたこと。体力を回復させたこと。
別木さんも魔術基礎を読んでいる。別木さんは魔力が見えない。見えないけれど、僕が火を起こす様子を見て意識したら火が着いたということ。
「魔術って魔力が見えなくても使えるんだね」
「見えなくても有るって分かっていれば、使えることもあるわよ。ガソリンが見えなくても、アクセル踏めば自動車は走るんだから」
妙な例えだった。ともかく別木さんも魔術が使えることが分かった。これは大きな武器となるだろう。
「別木さん。僕の体力を回復出来る?」
「うん。やってみる」
別木さんは僕の額に手を当てる。目を閉じて集中している。
そのままの状態で数分経ったけれど、魔力の変化はないし、僕の体調に変化はなかった。
「ごめん。出来ないみたい」
「いや、仕方ないよ。僕でも確実に出来るとは限らないし」
そもそも回復の魔術は僕も意識して出した訳でもない。魔術がどんな条件で成功するのか、僕達はきちんと理解している訳ではない。魔力を利用することは分かっていても、どうやったら利用出来るか分かっていない。生命の意志で動くとは分かっているが具体性に欠ける。火の魔術のときも「酸素に命令する」と書いてあったけれど、どうすれば、どう念じれば、どう意識すれば命令できるのかよく分からない。たまたま数回成功しているから、次も成功しそうではあるが外れる可能性だって充分ある。
「ごめん、そろそろ体力が限界だ」
僕は疲労で今にも眠りそうだった。
「自分に、体力回復の魔術は使えないの?」
「やれるかもしれないけれど、もう集中力が持たないや。このまま寝ていいかい?」
「寝ていていいよ。わたしが見張りをしているから」 別木さんは元気に言った。
「ありがと」
空はもう暗くなっていた。暗い夜に阿久津さんが襲ってくる可能性は低いだろう。この洞窟の中で夜の間だけでも休めそうだ。
「何かあったら起こしてね」
「うん」
僕は制服の上着を脱いで枕にしようとした。
「あ、膝を貸してあげるよ」
別木さんは足を伸ばして、自分の太ももをぽんぽんと叩いた。
「え、あ、うん」
ものすごく嬉しい状況ではあるけれど、眠気が強烈で流されるまま何も思うことなく戸惑うことなく、頭を別木さんの太ももの上に乗せた。別木さんの太ももが柔らかくて気持ち良くてもっと堪能したかったけれど、あっという間に眠りに落ちた。
夢を見た。ぼんやりとしか覚えていないけれど、僕が魔法を使っていたような気がする。なんだか大規模な魔法で、世界が平和になったような感じだった。
「江本くん、江本くん」
別木さんのひっそりとした声がする。僕は眠い頭をむりやり起こして、目を開く。
「江本くん、起きて」
別木さんが僕の肩を揺らす。
「ん」
僕は瞼に力を入れてなんとかこじ開ける。目の前には別木さんの顔があった。頭の裏には別木さんの上着が丸めて置いてあった。別木さんが枕代わりに置いてくれたのだろう。
「阿久津さんが動き出したみたい」
僕は起き上がって別木さんの傍に寄る。洞窟から頭を出して外を見る。
外には灯りが見える。懐中電灯くらいの大きさの灯りだった。かなり近い。
「僕はどのくらい寝ていたの?」
「時計がないから分からないけれど、二時間くらいだと思う」
「その間、ずっと膝枕していてくれたの?」
「うん。江本くんの顔をずっと眺めてたよ」
なんだか恥ずかしくなった。僕は地面に刺さった剣を抜いて、気分を紛らわした。
「暗いけど、外を歩いて逃げる?」
「外はやめた方が良いと思う。阿久津さんは道に慣れているからあんな小さな灯りで歩けるけれど、僕達は危険だと思う。この洞窟のもっと奥に入って阿久津さんをやり過ごそう」
「うん」
僕達は足音を殺して洞窟の奥深くに入っていく。足元が見えないからすり足で少しずつ危険が無いか確かめながら進む。急に足場が無くなるのを警戒して、二人で手を繋いでいく。
そういえば四人で同じことをしたっけ。ホテルの503号室で床が崩れるのを警戒して、四人で手を繋いで入って行った。あの部屋で海は死んだんだ。つい数時間前のことなのに随分昔のことのように思える。
「この辺で良いかな」
僕達は洞窟の深さ二十メートルくらいの所で足を止める。そこに二人でしゃがみ込んだ。
「もし、阿久津さんが入ってきたらどうするの?」
「阿久津さんの持っている懐中電灯を奪って逃げよう」
「そんな上手くいくかな?」
「暗いから奇襲は成功すると思う。懐中電灯は奪えなくても逃げ出す時間が作れれば良いから。阿久津さんを転ばすかどうにかして、なんとか逃げ出すことを考えよう」
「了解」 別木さんは恐らく頷いたのだろうが暗くて見えない。
魔力も暗いと見えない。あの緑色の靄は僕の視界と同じ範囲でしか現れないから、暗くても存在が分かるなんて都合の良いものではない。でも逆に考えると阿久津さんも僕達の魔力を感知することは出来ないはず。
そのとき、洞窟の奥から微かな機械音が聞こえた。
「誰だ?」
僕は洞窟の奥に向かって呼びかけた。予想とは反対側からの音に対して焦る。
焦ってはいたけれど、ティッシュを取り出して火を着けた。とっさの判断で行った魔術だけれど何とか成功した。周囲が明るくなる。ティッシュを地面に投げ捨てると、そこに一人の男の姿が見えた。
「あら、ばれたか」
顔は暗視ゴーグルを着けているから判断出来ない。しかし、背格好と声で阿久津彰斗だと分かる。
阿久津彰斗は両腕にプロテクターのような物を着けていた。阿久津彰斗が腕を動かす度に微かに機械音がする。電動の強化プロテクターだろうか。
「なんで、あんたが洞窟の奥から出てくるんだ?」
「お前達を追ってきたに決まっているだろ。この洞窟はあのホテルに繋がっているんだ。そこから歩いて来ただけだ」
これはまずい。今日何度目か絶体絶命だ。阿久津彰斗から逃げられる気がしない。阿久津さんが追ってきたら奇襲をかけて切り抜けようと思っていたけれど、こうやって対峙されると逃げようがない。ティッシュの火が消えたら、僕達は視界が零になるが阿久津彰斗は暗視ゴーグルで容赦無く襲ってくるはず。
僕は剣を阿久津彰斗に剣を向けて構える。
「さっきみたいな不覚はとらないよ。君に殴られた頭は藍に治癒してもらったが、まだくらくらする。この恨みはなかなか深いよ。さっきまでは出来れば生かして捕まえようと考えていたけれども、もう容赦はしない。確実に殺すよ」
ティッシュの灯に照らされている目が血走っていた。
「それで、その腕のプロテクターですか」
「このパワードアームは俺特製の一品だ。電動式で人間の関節の補強や筋肉の強化を行って、最大握力は200kgにも達する。このアームと関節や筋肉に直接電気信号を送受信することで、本来人間が持っている力を100%以上に引き出すことが出来る。火薬なども利用していないから君に誘爆させられる危険もない。耐久力もかなりのものだ。カーボンを利用した耐久素材で、剣で斬りかかってこられても真っ向から受け止めることが出来る優れものだ。それに………」
長々と語り出した。それは最早、癖なのだろう。
ティッシュの灯が消える。迷っている暇は無い。こちらから仕掛けなければ負ける。
周囲が完全に暗くなる前に阿久津彰斗に剣を投げつける。
「おや」 阿久津彰斗は飛んできた剣を叩き落とす。
僕はその隙に阿久津彰斗に詰め寄る。
ティッシュの火は完全に消えた。ここからは手探りだ。手探りかつ博打だ。成功率は限りなく低いけれど、成功させないと生き残れない。
「おりゃぁあ」 僕は阿久津彰斗にタックルをする。
当然、阿久津彰斗は反応して手で受け止める。僕の身体を正面からパワードアームで抑え込む。
僕の身体がパワードアームに触れる。僕の頭の中には魔術基礎Ⅰの内容が思い浮かぶ。
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七.電流の魔術
電気とは電荷の移動や相互作用によって発生する。原子は陽子、電子、中性子などから成り立っているが、電子の移動によって電気を発生させることが出来る。人間の体の中にも微弱な電気が流れており、生体電流と呼ぶ。これを魔力によって模倣することにより、電流を発生させるのである。血液やリンパの流れや、脳や心臓もこの生体電流が動かしており、人間が生きていく上で欠かすことのできないものである。まずは、簡単な電気回路を作り電気を流してみせよ
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僕は魔力を使ってパワードアームに電気を流す。
「がぁあぐああぁあああぁあああああ」
阿久津彰斗が腕をぶらりと下げて、もだえ苦しむ。堂本さんが死んだときのような即死するような電気を流した訳ではない。行き当たりばったりで初めて使った僕がそんな強力な魔術を使えるはずがない。恐らく本当にちょっとした電気だったと思う。少量ではあるけれど、関節や筋肉を補強するような精密機械だ。電気信号が狂えば、関節や筋肉に悪影響を及ぼす。少しの悪電流で関節をあらぬ方向に曲げたり筋肉をひしゃげたりすることになる。
別木さんがティッシュで火を着ける。僕の視界確保の為の援護だ。別木さんも二回目の魔術だけれどきちんと成功した。
僕は阿久津彰斗の頭から暗視ゴーグルを剥ぎ取った。これでこいつはもう暗闇の中で何かを見ることは出来ない。阿久津彰斗は僕達みたいに火は起こせない。逃れようも無く詰みとなった。
僕は、剣を拾って阿久津彰斗の頭にむけて全力で振り下ろした。
「うぐっぅあ」 阿久津彰斗は短い悲鳴を上げて倒れた。
やっぱり、刃で斬ることは出来なかった。無意識に剣の腹で叩いてしまった。
「行こう!」
別木さんは僕の手を取って走り出す。
僕はとどめを刺したかったのだが、別木さんに連れられてしまう。ここで確実に殺しておかないと、また僕達を追跡しかねない。
しかし別木さんが僕の手を引いてすごい勢いで走るから、とどめは刺せなかった。
僕は暗視ゴーグルを着けて、別木さんの手を取る。右手には剣を持つ。
もう残りの手段では走って逃げるしかないだろう。
「江本くん、今の魔術は?」
「電気だよ。あの腕が故障するように電気を流したんだ」
「上手くいったんだね」
「一か八かだったけどね。上手くいって良かった」
僕は別木さんの手を引いて洞窟の外に出る。このまま逃げ切ろう。
阿久津さんが追いかけて来る灯りが見える。こちらには暗視ゴーグルが有るから、灯りが無くても先に進める。贅沢を言えば暗視ゴーグルが僕と別木さんの分が有ればよかったけれど、一つしかないなら仕方が無い。僕が足場を確認して別木さんを先導するしかない。
阿久津さんから逃げる方向に山道を進む。こちらからは阿久津さんの灯りが見える。しかし阿久津さんからは僕達の位置は特定出来ないはず。これは僕達にとって有利な点となるはずだ。
阿久津さんとの距離は優に300mはある。速度もそんなに速くない。このペースで逃げ切って下山出来れば、僕達の勝ちだ。
「逃げ切れるかな?」 別木さんが心配して訊いてくる。
「あとは体力が尽きる前に山を下りれば、僕達の勝ちだ」
いざとなれば、別木さんは僕の魔術で体力を回復出来る。残念ながら別木さんが僕の体力を回復することは出来ない。最悪の場合、別木さんだけで逃げることになる。そんなことを考えついたけれど口には出さないでおいた。
「下山するにはどのくらい歩けばいいのかな?」 別木さんが僕に訊く。
「想像も付かないよ。ひたすら進むしかない」 僕は応える。
「このペースで歩けば、30分もあれば下りられるわよ」 阿久津さんが答える。
僕と別木さんの身体が固まる。
阿久津さんが僕達の前に立っていた。阿久津さんは魔術で光を灯す。辺り一面が蛍光灯で照らされたように明るくなる。
眩しさに目を細める。紛れも無く阿久津さんの姿がそこにあった。
「いつの間に追いついたの?」 別木さんが阿久津さんに話しかける。
「あの灯りはダミーよ。魔術の灯りを自動で動くように仕掛けただけ。あたしは灯りより先に進んでいただけのことよ」
阿久津さんは暗視ゴーグルを手にしていた。それを着けて歩いていたのだろう。あの灯りは僕達を油断させる囮だったのだ。
「魔術って本当に便利ね」 別木さんが皮肉を込めて言う。
「そう。本当に便利なのよ。その便利な魔術を使える人間があたしの他に二人も出て来た」
「……………………」
「あなた達は必ず捕まえる。あたしには使いたい魔法があるの」
「使いたい魔法?」 僕は思わず聞き返す。
「あなた達が捕まった後でゆっくりと説明させてもらうわ。とりあえず大人しく捕まってくれる?」
「嫌だね」
別木さんが声を発すると同時に、阿久津さんに向かって魔術が放たれる。それは火の魔術。緑色の靄が阿久津さんに近付いていく。その速度はあまり速くない。秒速1mといったところだ。
「えい」
阿久津さんの気の籠らない掛け声と共に、別木さんの魔術が掻き消される。
「すごいわね。もう火の魔術をそんなに使いこなせるのね」
阿久津さんは素直に感心していた。
「魔術って掻き消せるのね」
別木さんは別木さんで阿久津さんに感心していた。
「江本くん、手伝って」
別木さんは火の魔術を連射した。秒間3発の勢いで20以上の火の魔術が阿久津さんに向かう。僕も別木さんに合わせて火の魔術を使う。合計して40発の火の魔術が阿久津さんを襲う。緑色の靄が鮮やかな線となって阿久津さんに収束していく。
「ふふふ」
阿久津さんは笑いながら、全ての魔術を打ち消す。
「これでも駄目なの」 別木さんは悔しそうに言う。
阿久津さんは楽しげに笑う。
「残念だけど、二人の魔術ではあたしに攻撃することは出来ないよ。魔術に関する年季が違うもの」
「一体どんな理屈で、魔術を打ち消せるのよ?」
「そのくらいは説明してあげようかな」
阿久津さんは、こほんと咳払いをした。
「魔術というのは、原子に意志を持たせる術なの。火の魔術だったら、酸素に化合するような意志を与えるの。だから、それを打ち消すには、酸素に“化合するな”という命令を与えれば良い。原子はより強い魔力の命令に従うから、魔力の使用量が少ない二人の魔術では、あたしには敵わないの」
ファンタジー色が強くなりすぎて、簡単には理解できなくなってきた。
「成程ね」 別木さんは納得したらしい。
別木さんは火の魔術を周囲の樹に向けて放った。周囲の数本の木が燃え上がる。
「え?」「うわっ」
阿久津さんが驚くと共に、僕も驚いた。別木さんがそんな行動をとるとは思わなかった。阿久津さんに何らかの攻撃がしたいのだろうが、これでは自分達の退路を無くしているだけだ。
「何のつもりかしら? 自分達の逃げ場を無くしただけじゃない。背水の陣とでも言うつもり?」
「さっきから気になっていたことがあるの」
別木さんは、ぽつぽつと話し始めた。
「わたしと江本くんの魔術に関する知識はほとんど変わらない。二人とも魔術基礎を少し読んだだけ。でも、江本くんが使えた電気の魔術や回復の魔術がわたしには使えない。その違いは何か?
その答えは恐らく、読んだ頁が違うことなのよ」
別木さんは、再び魔術を放つ。周囲の燃えている木々に緑の靄が向かう。
「魔術が使えるかどうかはその人の才能や能力に依存しているわけじゃない。知識に依存しているのよ。魔術を行うための仕組みに関する知識が必要なの」
周囲の燃えている木々に緑の靄が当たると、火が一瞬で消えた。
「必要なのは知識なのよ。これで火を消す魔術が使えるようになった。理屈を教えてくれてありがとう、阿久津さん。あなたのおかげで理解したわ」
阿久津さんが火を消す魔術の仕組みを説明したことで、別木さんもその魔術が使えるようになったのだ。そして、おそらく同じ説明を聞いた僕も使えるようになっているのだろう。
「なるほどね。あなた達って面白いわね。
それで、どうするの? 木を燃やして消火しただけで、あなた達の状況は全く変わっていないのよ。依然として、あたしに追い詰められたままなんだけど。あたしから逃げられる方法でもあるのかしら」
別木さんはふふふと、自信満々に笑った。
「もう一つ、面白いことが分かったの」
「面白いこと?」 阿久津さんが思わず聞き返す。
「わたしと江本くんが魔術を使えて、阿久津さんの祖先に魔術が使えなかった理由」
阿久津さんの身体が、ぴくんっと動いた。
別木さんは、にやりとした。
「阿久津さんが一番知りたいのはそこだよね。祖先の誰も使えなかった魔術を、わたしや江本くんが使えた理由。この違いは何なのか。わたしには分かったのよ」
阿久津さんの顔が一気に険しくなった。
「教えなさい。何故、あなた達が魔術を使えるのか」
阿久津さんは冷静であろうと努めているのだろうが、声が震えていた。
「交換条件よ」
「交換条件?」
別木さんは咳払いをする。
そう、落ち着いて。ゆっくりでいい。ここからの交渉で僕達の生死が決まる。ここからの一言一句が勝敗の分け目となる。
「理由を教えてあげる。ただし一週間後にね。今この場は、わたし達を見逃しなさい」
しばらく沈黙が流れる。阿久津さんは暗い夜空を見上げて考えていた。僕と別木さんは警戒したまま阿久津さんの動きを見ていた。
それにしても、別木さんは本当に理由を知っているのか。僕には、別木さんが魔術を使えた理由が分からない。僕は以前から魔力が見えていたから、使いやすいような環境ではあった。しかし別木さんは、唐突に火の魔術を使った。何の前触れも無く使えた。一体、何故か。
僕の心配をよそに、別木さんの表情は硬いながらも自信に満ちていた。
阿久津さんは、その別木さんの自信を砕きに来た。
「その提案は却下よ。魔術が使える理由なら、あなた達を捕まえたあとで拷問すればいいわ。ここであなた達を逃がす意味は無いわ」
「それなら、こうするわ」
別木さんは僕の手にあった剣を奪い取った。そして剣の刃を自分の首筋に当てる。
「ここで逃がしてくれないと、わたしは死ぬわよ」
別木さんは、これで交渉になると思ったのだろう。逃がしてもらえると思ったのだろう。理由を知りたい阿久津さんにとって、別木さんに死なれるのは困るはず。しかし、阿久津さんはびくとも動揺していなかった。
「じゃあ、死ねばいいんじゃない?」
その言葉で、別木さんの顔が暗くなった。どうやら別木さんの交渉は失敗のようだ。
「あなたが死んでも別に困らないから。確かにうちの祖先が魔術を使えなかった理由は知りたい。けれども、ここであなた達を逃がすことの方が危険なのよ。うちが作ったゲームであなた達を誘拐しているし、二人も死んじゃっているし。警察やマスコミにそのことを伝えられると大変だからね。うちの力で揉み消せないことはないだろうけれど、大変は大変だもの。
それに何より、あなた達は魔術が使える。そんな危険なあなた達を野放しになんて出来ない。捕らえられないくらいならいっそ死んでもらった方がましよ」
別木さんの剣を持つ手が震えていた。もう持ち得る手段がないようだ。頭の中が絶望に染まっているのだろう。
でも、大丈夫。それならば、次は僕の番だ。
「江本くん?」
僕は別木さんの手から剣を取り返した。
「いくよ、阿久津さん」
剣を構えて阿久津さんを睨みつける。
僕は剣の先を阿久津さんに向ける。
「どういうつもり? そんな剣一本であたしを倒すつもりなのかしら?」
僕は大きく頷く。
「勿論、倒すつもりさ。幸いなことに、魔術自体はそんなに速くない。さっき見た魔術もそこまで速くない。きちんと見えていれば充分に避けられる速さだった。
それなら阿久津さんの魔術を全部躱して、斬りつければいい。それで僕の勝ちだ」
実際のところ、阿久津さんは魔術が使えるといっても戦い慣れている訳ではない。今まで研究の為に魔術を使ってきたはず。しかし、だからといって魔術の戦闘なんて経験がある訳ではない。それなら基礎体力で阿久津さんに勝手しまえば良い。魔術が万能の力であっても、生身の身体能力が魔術に勝てないと決まった訳ではない。
「成程ね」 阿久津さんは妙に納得していた。
「じゃあ、いくよ」
僕は、地面を蹴って阿久津さんに斬りかかった。
その速さは推定秒速20m。今なら100mを5秒で走れる気がする。
「え?」 別木さんの口から驚きの声が漏れる。
「なっ?」 阿久津さんが僕の予想以上の速さに驚く。
僕の振った剣の腹が、阿久津さんの腹を叩く。
阿久津さんの身体が宙を舞う。その顔は驚きに満ちていた。
「勝った」
僕はその場に倒れこむ。無理に身体を動かした反動だ。全身が痺れていく。
僕の頭には、魔術基礎の記述。
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九.身体に関する魔術
生命は魔力によって生命として存在している。魔力が無ければ生命としての存在を維持出来ない。逆に魔力が多ければ多い程、生命としての機能が高いことになる。よって人間に魔力を多量に与えれば、より強い機能を持った人間となることが出来る。しかし、肉体に保持出来る魔力には限界がある。過剰な魔力をその身に抱えようとすると、身体が拒否反応を示す。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
魔力を多量に身体に与えることで、身体の機能を高めることが出来る。拒否反応なんて無視して身体中のありったけの魔力を足に込めた。よって推定秒速20mで斬りかかることが出来た。一か八かの魔術だったけれど無事成功した。いや、理屈はしっかりしていたから博打ではなかったのか。成功率の高い魔術だったのだ。
阿久津さんの身体が地に落ちる。背中から落ちた阿久津さんは、それ以上動く様子がなかった。しかし、身体から緑の靄が消えていないから死んではいない。気絶しているだけだろう。
阿久津さんにとっては予想外なことこの上なかったに違いない。阿久津さんは僕が身体強化の魔術を使えるなんて知らない。それに、僕は阿久津さんの魔術を全部躱すと豪語したのだ。まさか僕が先手を取って魔術も放たせず攻撃してくるとは思わなかっただろう。完全に裏をかくことが出来た。
僕の勝ちだ。
僕は一度倒れた自分の身体に力を振り絞って、起き上がる。
とどめを刺さないといけない。なんでさっきは剣の腹で叩いたのだろう。きちんと刃で斬っておかないといけなかった。
殺さないといけない。海と堂本さんの敵だ。
殺さなきゃ。
僕は阿久津さんに向けて剣を振りかぶる。
「死んで、阿久津さん」
とどめを刺そうとしたそのとき、僕の身体に違和感が走った。
魔力によって無理矢理に身体を動かした反動が僕を襲う。身体中に激痛を感じる。筋肉が引きちぎれ、関節が外れる感覚がする。血流が不規則になり、意識が混濁する。
あ、駄目だ。そう思った瞬間、意識が飛んだ。
意識が飛ぶ寸前、僕が持っていた剣が落ちる音が聞こえた。