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 五.意識の収束と能力の発散



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 これまでで分かったこと。

 生物を形成する原子は意志を持つ。

 意志を持つ原子は他の原子に意志を伝えることが出来る。

 この原子の意志を魔力と呼ぶ。

 僕は魔術が使える。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



僕はひとしきり笑い終えた後、魔術基礎Ⅰを開いた。

こんなに簡単に魔術が使えるなんて夢にも思わなかった。こんなにもあっさりと万能の力が手に入るなんて。この本の理論からすれば、僕は魔術が使える。魔術が使えればここから脱出するなんて容易いはずだ。僕は魔術理論Ⅰの内容を斜め読みする。何か使える魔術はないか。

そのとき、天井から声がした。阿久津さんがスピーカー越しに話しかけてくる。

「江本くん、あなた今、一体何をしたの?」

 この部屋の隠しカメラから僕達の様子を見ていたのだろう。僕が突然ティッシュを発火させて、驚いていて放送してきたようだ。

「さあね」

僕は天井のスピーカーに向かって白を斬った。もしかしたらこれはここから出るための交渉材料になるかもしれない。向こうは魔術の研究がしたくて僕達を連行してきたのだ。実際に魔術の使える人間を無為に殺すような真似はしないだろう。今はハッタリでもいいから、これを切り札にして相手と交渉することを考えよう。

「江本くん。あなた、魔術が使えるの?」

スピーカー越しにも阿久津さんの声が震えているのが分かる。無理も無い。自分が今まで散々絵空事だと蔑んできた魔術が実存していたかもしれないのだから。

「答える必要はないね。阿久津さんは何が起こったのか分からなかったのかい?」

僕の作戦はひとまず時間を稼ぐことだ。阿久津さんになるべくたくさん喋らせて、交渉の材料になりそうなカードを探す。

「一つ、気になっていたことが有るの」

阿久津さんがか細い声で話し始めた。

「211号室で、空のライターを使ってランプに火を着けたでしょ?」

 211号室の問題は「 火をつけろ 」だった。ライターの着火装置を使って、ランプに火を着けるのが正解だった。ヒントとして魔術基礎Ⅰが置いてあった。そこに「燃えやすい物質さえあれば、温度を上げることで燃焼が起こる」という記述があった。つまりライターにオイルが無くても、ランプのオイルを利用して火を着けることが出来た。

 阿久津さんもそのときの様子を隠しカメラで見ていたはずだ。

「あれで、江本くんはライターをランプに突っ込んで着火させたけど、あの方法だと火が付くはずないのよ」

「え?」 驚きの声が漏れた。

「ランプの中に気化したガスが充満しているなら、あの方法で着火出来るわよ。でもあのランプにあったオイルはそんなに多く気化するタイプじゃないのよ。211号室にランプを設置する前にうちの兄が実験してみたけれど、江本くんの方法じゃあ火なんて全く着かなかったわよ」

「でも僕がやったとき、火は着いたよね」

「そう。普通にやったら火は着くはずがなかった。本当はもっと違う方法で火を着ける方法があった。」でもあの方法で着いた。それは江本くんが普通でない事をしたから」

つまり、あのとき火が着いたのは。僕が、魔力を使って火を着けたから、なのか?

僕が無意識に魔術を使ったというのか。僕が火を着けたいと意志を持って行動した結果、本来は火の着かない状態でも、魔力によって火が着いたのか。僕の意志を汲み取った僕の魔力が、僕の意図を超えて火を着けたのか。

「答えて、江本くん。あなたは魔術を使ったのね?」

「ああ、そうだよ。この本に書いてある通りに実行したら出来たんだ」

僕は正直に答えた。

「そんな簡単に魔術が使える訳ないじゃない。一体どうしてそうなったの?」

「僕にも分からないさ。ただ本に書いてあった通りのことをしたまでさ」

僕には以前から魔力が見えていた。見えていたものが魔力だと理解したのはつい今さっきだ。そのことがきっかけとなって今、魔術が使えるようになったのだろう。しかし急展開過ぎて、自分でも何が起きているのか把握しきれていない。今は余計なことを喋るのは避けておきたい。

しばらく間があった後、阿久津さんは怒ったような声で喋りだした。

「仕方が無いわ。ボーナスゲームは終わりよ、江本くん。後はあなたの身体に直接訊くわ。なんであなたが魔術を使えるのか。脅迫なり拷問なり解剖なり、ありとあらゆる手を使って教えてもらうわよ」

身体中に悪寒が走る。もうこれ以上の時間稼ぎは出来そうにない。交渉の余地は始めから無かったということだ。

 放送が終わった。おそらく、すぐにでも僕を捕らえに誰かが来る。

ピンチである。しかし、逆にチャンスでもある。誰かが来るということは、この部屋の扉が開くということ。それはここから脱出が出来るチャンスでもある。

 考えよう。阿久津さんはここにどうやって来るのか。どうやって僕を捕らえに来るのか。そこに僕達が逃げ出すチャンスが無いか。

「どうする? 阿久津さんが来るよ」 別木さんが心配して声を掛ける。

「どうしようか?」

まずい。打開策が何も思い付かない。この状況、かなり絶望的だ。どうあがいても助かる気がしない。

「拳銃でも持って来るかな?」

「有りえそうだね」

もう何があってもおかしくない状況だ。拳銃を持って来られても、日本刀を持って来られても驚かない自信がある。対して、こちらには剣が一本有るだけだ。火を起こせる魔術は有るけれど、殺傷能力があるほどじゃない。この火だけで相手を脅せるほどのものではない。それに偶然にも二連続で火を起こすことに成功しているけれど、次も成功する保障はない。

 僕は本棚の本を片端から床に落としていった。かなりの本の量があるから、床が埋め尽くされるぐらいに本を撒けた。

「どうしたの?」 僕の行動の訳が分からない別木さんが僕に訊く。

「火を起こしたとき、燃え広がりやすいようにしているんだよ」

「成程。でも自分達にも燃え移らない?」

「うん。巻き込まれるかもしれない。でも自爆覚悟でもしないと、ここから出られないからね」

正直、自爆覚悟で部屋中を火だらけにしても、僕達に脱出出来るチャンスが生まれるかどうかは分からない。やらないよりはましだというくらいの気で床中を本だらけにしている。

 僕は剣を手に取った。阿久津さんがこの部屋に入ってきた瞬間にこの剣を叩きつけるのが有効かもしれない。いや、阿久津さんもそのくらいの予想はして、対策しているだろう。無防備に扉を開けて入ってくるとは思えない。

「別木さんは、奥のシャワールームに入っていて」

「江本くんは?」

「阿久津さんの狙いは僕だから、僕が死ぬような攻撃はしてこないはず。僕が阿久津さんと対峙するから、別木さんは隙を見て、逃げてね」

「でも、」

「大丈夫だよ。二人で生きて帰ろう」

僕は気休めを言う。別木さんはそれに必死で頷く。

 僕は、扉の脇で剣を構えた。扉を開けた瞬間の奇襲なんて相手も警戒しているに決まっている。それでもやるしかない。

 別木さんがシャワールームに入る。僕は息を殺して耳を澄ませる。扉の向こうから、かすかに足音らしき音が聞こえる。

 来る。阿久津さんが来る。

 足音が止まる。

 今。剣を振り上げる。

ドドギャガベシャ!!

奇怪な音を立てて扉が壊れて、破片が吹っ飛んでいった。

「え?」

予想外のことが起こって、僕の思考回路が停止した。てっきり扉を開いて阿久津さんが入ってくるものだと思っていた。そこに隙が出来るから斬りかかろうとしたのに、実際には扉をぶち壊して入ってきた。こんなことでは隙なんてあったものじゃない。

「ふうっ。思ったより威力あったな」

扉の向こうから出て来たのは阿久津さんではなかった。

「おや、剣を構えても無駄だよ。俺の銃の方が速いからね」

そう言って、男は僕に銃を向けた。二十代くらいの男だった。背は高い。180cmくらい。細い身体をしている。見たことの無い人だった。

 僕は剣を床に落として両手を挙げた。

「お利口だね。下手な事はしない方が身のためだよ。こいつの威力を見ただろう?扉がこんなにバラバラに砕け散るんだ。人の身体なんてひとたまりもないだろうさ」

「あなたは誰ですか?」

見知らぬ男はにやりと笑った。

「俺の名前は阿久津彰斗。藍の兄だ」

そういえば阿久津さんが言っていたっけ。魔法研究に呆れを感じて科学の世界にのめりこんで行った兄がいるって。日本有数の工学技術者の兄。その右手に持っている銃も自分で作ったのだろうか。見たことの無いデザインの銃は、ずっと僕に照準を定めている。

「ゲームクリアおめでとう。俺の作ったホテルでの問題はいかがだったかな?」

不意に感想を求められた。

「あなたが、あのゲームの問題を作ったんですか?」

「ああ、そうだ。すごいだろう。問題を考えて必要な物は自分で作った。やたら熱いスライディングブロックパズルだったり、爆発する銅像だったり、即死出来る毒ガスだったり、引き抜いたら電撃が流れる剣だったり、火を着けたら爆発するランプだったり。今、君達の首に着いている首輪も俺の作品さ」

相当な技術者だった。そして、海と堂本さんの敵だった。

 僕は明確な敵意を向けた。

「あなたは、なんでこんなゲームに加担したんですか? 魔法なんて信じてないんでしょう? どうして、こんな無駄に人が死ぬようなゲームに協力したんですか?」

「いやぁ、生きた人間を実験に使える機会なんて滅多に無いからね。喜んで即死出来る罠を作らせてもらったよ。特に503号室の毒ガスは人間相手に是非とも試してみたかったんだ。魔法なんてくだらないものの研究しているうちの家族には呆れたものだけれど、俺がやりたいことをやらせてもらえるから、有り難く利用させてもらうさ」

「人を殺しているのに、よく平然としていられますね」

「科学の発展に犠牲は付き物だよ」

ありきたりな言葉によって、僕の中で何かのスイッチが入った。

コイツハコロソウ。

「おっと、妙な真似はしないでもらおうか。藍から君を生きて連れて来るように言われているんだ。君が余計な事をすると、殺さないといけなくなる」

僕の心境を察したのか、阿久津彰斗は僕に銃を突きつけ直す。その人の命を何とも思っていない感じのする言葉使いが、僕を更に苛立たせた。

「その銃、珍しい形ですね。自分で造ったんですか?」

自分でもびっくりするくらい低い声が出た。阿久津彰斗はそんな僕の事情は意に介さず答えた。

「そうだよ。俺が造った。基本的な射出装置は電磁砲、高校でも習う電磁誘導を利用したものだ。電磁砲の良い点は無反動な点だ。普通の拳銃だと、小さな弾丸でも高速で射出するので、自分の腕に反動が来てしまう。しかし電磁砲は物理的な反動は少ない。俺みたいに身体を鍛えていない人間でも簡単に照準を定めて、撃つことが出来る。

 加えて、こいつが射出するのはただの伝導体ではなく爆発燃料入りの弾丸だ。少量ではあるが、この爆発燃料の影響で弾丸が何かに当たった途端に爆発を起こす。威力はさっき扉を破壊した通りだ。小型ながら、かなりの……」

阿久津彰斗は語り出した。研究者らしく自分の作品について恍惚の表情で語っている。僕に向けて喋っているというよりは、自分が喋りたいから喋っている感じだ。もう、僕が聞いていないことにも気付いていない。

 僕が聞きたいことは全て聞けた。その銃の弾丸には、爆発する燃料があるということ。それだけ聞ければ充分だ。僕達がここから脱出する必要条件は全て揃った。

「ねぇ、阿久津彰斗さん」

「ん、ああ、なんだい?」

阿久津彰斗は、まだ自作の電磁砲について語りたかったようだが、遮らせてもらった。

「あなたは魔術基礎を読んだことありますか?」

僕は床に散らばっている本に目配せをする。

「中学生までは家の言いつけを守って真面目に読んでたかな。だんだんと馬鹿らしくなって読まなくなったけど」

「そうですか」

僕はさっきも見た「魔術基礎Ⅰ」の内容を思い出す。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 [魔術3.1] 燃えやすい物質を魔力によって燃やせ。

  準備物:紙、布、蝋燭などの燃えやすい物質。理想的にはリン。

  手順 :酸素に対して燃えやすい物質に化合するように命令する。     

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕は211号室で、空のライターを使ってランプに火を着けた。さっきはティッシュに火を着けた。重要なのは燃えやすい物質があること。そこに大量の酸素を化合させること。

「ん?」 違和感を持った阿久津彰斗は電磁砲を見た。

バンッッ!!

電磁砲が爆発した。

「あっつ!」

阿久津彰斗が燃えている電磁砲を手放す。

 火を起こす魔術は燃えやすい物質に魔力を高速で当てるだけだ。予備動作なんて必要ない。過去二回はライターを使ったりティッシュを振ったりといった、分かりやすい動作があった。でも実際に魔力を動かすだけなら、動かすという意志を持つだけで良い。僕が動けと念じるだけで魔力としてその意志が原子に伝わり、化学反応を起こす。

 距離も関係無い。僕がそこにある物を燃やしたいと思えば魔力が伝わり燃える。おそらく練習すれば、どんな遠距離でも出来るようになるだろう。

 正直、成功するかどうかは賭けだった。こんな試したことのない魔術を突如、実践してみるのは無謀とも言える。でも無謀でもやるしか思いつかなかった。

 しかし、成功した。僕の魔術は成功した。僕達は脱出するチャンスを手に入れた。

 僕は床に落ちている剣を拾う。何が起きているのか分からず混乱している阿久津彰斗に向けて剣を振り下ろす。

「うおりゃぁぁああ!」

気合一発。阿久津彰斗の脳天に剣を当てる。

「うぐっぅあ」

阿久津彰斗が悶絶して倒れる。

剣の刃で当てれば即死だったのだろうけれど、剣の腹で当ててしまったから死んではいないだろう。剣の握りが甘かったのだろう。本気で殺す気だったのに殺せなかった。僕の無意識が人を殺すことに抵抗を感じて握りが甘くなったのか。

 ともかく、ここから脱出しよう。

「別木さん。行こう」

「うん」 別木さんはシャワールームから出てきた。

僕は右手に剣を持ち、左手で別木さんの手を引いて、壊れた扉から部屋を駆け出た。


 僕は別木さんの手を引いて、洋館の出口に向かう。壺や甲冑などの調度品を横目に、赤い絨毯の上を走る。

「江本くんは、あの魔術基礎を読んだだけで火が起こせるようになったの?」

走りながら別木さんが僕に訊く。

「いや。元からちょっとした能力を持っててね。でも魔術が使えるとは思わなかった。実際に使えると分かったのも、使ってみたのも今日が初めてだよ。

 ちょっと長くなるから、この話は後にしよう。ここを無事に出てからゆっくりとしよう」

「うん!」

さっきまで、脱出出来る望みはかなり薄かった。空元気な面もあった。でも今は生きて帰る未来が目前に迫っている。

「出口だ!」

洋館の扉を大きく開け放つ。日は傾いてきていて、あと一時間もすれば沈むだろう。

そんな夕日の様子を阿久津藍が眺めていた。阿久津さんは黒い手袋をした手で髪をかき上げる。

「阿久津さん……」 何か声を掛けようかと思ったが、続く言葉が思い浮かばなかった。

阿久津さんは丸腰だった。僕を捕まえに来たはずなのに何も持っていなかった。

「何で魔術なんか使うのよ」

阿久津さんが不満げに喋る。

「僕も魔法が使えるとは、思わなかったよ」

 すると別木さんが口をはさんだ。

「魔法と魔術って違うの?」

そういえば、僕は意識せずに使っていたな。僕が火を起こしていたのは「魔術精製」に書かれた内容だから魔法ではなく魔術にあたるはずだ。

「魔法と魔術は厳密には別物よ。魔術は科学でできそうなもので、魔法は科学でできそうにないものっていう決まりはあるわ。だけど昔の人が適当に決めた定義だから気にしなくてもいいわよ。」

「そうなの?」

「ええ。あたしはあまり気にしていないわ。言葉なんて曖昧なものだもの」

別木さんが一歩前に出て、阿久津さんに寄る。

「ねぇ、阿久津さん。他に訊きたいことが有るけどいいかしら?」

「どうぞ。別に時間が無くて焦っている訳じゃないから」

「どうして、わたし達をゲームに選んだの? 別に誰でも良かったんでしょ? 阿久津さんとの接点は同じクラスってことしか無いよね。仮に同じクラスに限定したとして、わたし達をどうやって選んだの? クラスの中でくじ引きでもしたの?」

阿久津さんは空を見上げて考え出した。

「氏名の画数が同じだったのよ」

「「は?」」 僕も別木さんも予想外の答えに呆然とした。

「阿久津藍、別木衣智香、蝶名林海、堂本絵里子、江本織彦。この五人は漢字の総画数が全員38画なのよ」

僕は、頭の中で全員の画数を数えてみた。


阿久津藍     8+3+9+18    =38

別木衣智香    7+4+6+12+9  =38

蝶名林海     15+6+8+9    =38

堂本絵里子    11+5+12+7+3 =38

江本織彦     6+5+18+9    =38

 

確かに全員38画だった。そういえば、ホテルに最初に連れて来られたときの張り紙に

「 ゲームスタート  プレーヤーナンバー 38‐5 江本織彦 」と書いてあった。あの38という数は漢字の総画数だったのか。

「ねぇ、阿久津さん。わたし達はそんなくだらない理由で、こんな酷いゲームに参加させられたの?」

別木さんは唇を噛みしめて言った。

「えぇ、それだけよ。深い意味なんてないわ。あなた達はその程度で選ばれて、その程度で命を左右されて遊ばれるような存在ってことよ」

阿久津さんは吐き捨てるように言った。

「そう」

別木さんはそれだけ言うと、僕から剣を奪い取った。

「別木さん?」

「借りるね」

別木さんは阿久津さんに向けて剣を構えた。

「阿久津さん。死んで」

別木さんの構えた剣が夕日に反射して光る。

「一つ良い事教えてあげる。今、この洋館の辺りに居るのは、あたしと兄だけ。他の家族は監視カメラを通して、遠くから高みの見物を決め込んでいるわ」

「つまり阿久津さんを殺せば、わたし達は無事に家に帰れるわけね」

「物騒な言い方だけど、そういうことね」

別木さんは剣をぎゅっと握った。

別木さんはこれをチャンスと思ったようだ。しかし、僕には怪しく思えた。こんな大がかりなゲームの裏方に実働人数が二人とは信じ難い。そんな少人数で対応しきれるとは思えない。今だって実際に僕が急に魔術を使ったから、捕まえようとしている。

ここに阿久津兄妹しかいないというのが嘘なのか。それとも阿久津兄妹だけで大丈夫という判断なのか。

「ええあああぁ!」

別木さんが気合とともに阿久津さんに斬りかかった。

 それと同時に阿久津さんが謎の球体を放った。空気の歪みのような球体は、別木さんに向かっていって直撃した

そして別木さんの身体が宙を舞った。

「え?」

僕は思わず、身を固めた。

「かふぅっ」

別木さんは数メートルの高さの宙を舞って、背中から地面に落ちた。身体が地面に落ちる音と剣が地面に刺さる音が僕の耳に届く。

「別木さん!」

僕は別木さんに駆け寄る。

「んふっ…………、かふっ、こふっ、………、はぁ、はぁ、んぐっ」

別木さんはなんとか息をしていた。絶え絶えながらも生きている。緑の靄はきちんと見える。薄れてもいない。背中を強く打ったのだ。脊髄に損傷が有れば身体機能に著しい影響が及ぶが、幸いまだ生きている。

「別木さん、息を整えて! 大丈夫、致命傷じゃない。大きく息をすると内臓に響くから、ゆっくり息をして! 死んじゃ駄目だ」

僕は何とかして別木さんを落ち着かせる。

「剣で斬りかかるなんて、そんな危ないことをしちゃ駄目じゃない」

阿久津さんは幼児を諭す母親のようだった。そんな阿久津さんの掌の上には緑の靄が大きく渦巻いていた。黒い手袋がいつもより一層不気味に見える。

「阿久津さん、何をしたの?」

「風の魔術よ。空気を構成する原子に対象物を吹き飛ばすように命令をあたえたの。空気が別木さんを吹き飛ばしたの。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 [魔術5.1] 空気を使って物体を動かせ。

  準備物:ボール等の質量の小さい物質。

  手順 :空気を構成する分子に対して対象物に衝突するように命令する。     

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

俄かに信じられない言葉だった。

「阿久津さん、言っていたよね。魔術を四百年以上研究していたけれど“誰も使えなかった”って。あの言葉は嘘だったの?」

阿久津さんは首を横に振った。

「正確には“先祖の誰も使えなかった”よ。今まで四百年以上、誰も使えなかった魔術を、あたしは使えるのよ」 阿久津さんは、にやりと僕を蔑む笑顔を見せる。

「先祖の誰も使えなかったし、勿論家族の誰も使えなかった。でも、あたしは物心ついたときから魔力が見えた。小さい頃からあたしが死にそうになるほどの人体実験を繰り返していたみたいね」

阿久津さんは黒い手袋を噛んで、地面に落とした。阿久津さんの指があらわになる。白くて細くて長い指だった。指の本数はきちんと左右五本ずつだった。しかし左手の形はどこか歪だった。

 異様なのは、手の甲に描かれた模様だった。模様というより傷痕だった。縫跡もあるし青痣もあるし火傷のような痕もある。

「手袋をいつもしていたのは、それを隠すため?」

「そうよ。こんなものを見ていたら気持ち悪いでしょ? ちなみに左手は義手なのよ」

僕は否定できなかった。

阿久津さんは解放された指を喜ばすように、右手の五指をわきわきと動かして見せる。

「こんな人体実験のおかげでね、あたしは魔術が使えるようになったの。当時家族は、それはそれは喜んだそうよ。なにせ、先祖代々伝わる研究の成果がようやく実践出来るようになったのだからね。あたしは唯一の魔術を使える人間として期待されて、いろいろと実験に付き合わされたわよ。周りの人達の期待に応えるため、更に死ぬような思いも何度もしたわ。

 一番初めに使えたのは、あなたと同じ火を起こす魔術だったわ。そしてその後は、今まで書かれた本の内容を一つ一つ実践していったわ。文字通り血を吐くようなときもあった。産まれたときからそんなことばかりしていたから、今ではかなり数の魔術を使いこなせるわ」

完全に騙された。この場で魔術を使えるのは僕だけだと思っていた。僕だけであることが唯一で最大の優越点だと思っていたのに。僕達にとって優位な点など無かった。

あと一人、丸腰の阿久津さんを越えることが出来れば、僕達の勝利だった。平和な家に帰ることが出来るのに。魔術が使える阿久津さんを前にしては、僕達の命など崖に投げ捨てられたようなものだ。

「うちの兄は魔術とは縁を切っていたから、あたしの魔術の実験にはあまり参加しなかったわ。兄が江本くんに負けて死んだ原因はこれね。少しでも魔術の知識があるなら、電磁砲なんて危なっかしい武器を持っていかなかったでしょうに。魔術の使える相手に中途半端な武器は自殺行為になるわ」

阿久津さんは洋館の方を見た。

「お兄さんは多分まだ生きているよ」 僕はどうでもよい付け加えをした。

「じゃあ、後で迎えに行かないとね」

阿久津さんは、淡々と返答した。兄が生きていることを喜ぶでもなく、面倒がるでもなく、駅でもらうティッシュを受け取るように自然な流れの返答だった。

そのとき、阿久津さんの手から風の魔術が放たれた。さっきよりもかなり速い速度で近くの樹に当たる。10m近い樹は中央からぼきりと折れた。

「げっ」 僕は思わず声を漏らした。

「あら、避けられたんだ。やっぱりきちんと魔力が見えるようね」

「あ、うん」 僕は反射的に頷いた。もう誤魔化してももう無駄だろう。

「という訳でね、江本くん。大人しく捕まってくれる? 追い詰められたことは理解出来たでしょう? あたしからは逃げられないわよ。大人しく実験台になってもらうわよ。なんで魔術が使えたのか、徹底的にその身体を調べさせてもらうわよ。あたしみたいにあたし以上にその身体に傷痕を残してあげる」

阿久津さんが僕との距離を一歩詰める。

僕は阿久津さんとの距離を一歩あける。

絶体絶命とはこの状況のことだった。全力で走って逃げても、阿久津さんのさっきの風の魔術で狙撃されるだろう。

「よし分かった。大人しく捕まるよ」

僕は両手を挙げて降参の意志を示した。もう万事窮すである。

「あら、良いわね。聞き分けの良い人は好きよ」

阿久津さんはそう言って、自分の制服のリボンをほどいた

「何をする気?」

阿久津さんは僕に歩み寄ってくる。

「抵抗の意志が無い事は分かったけれど、手ぐらいは縛らせて頂戴。

ああ、こんなことになるなら荷造り紐ぐらい持ってきておけば良かった。うちの兄がきちんと捕まえてくれると思って油断していたわ」

こんな大がかりなゲームの裏方が阿久津兄妹二人だけなのは、二人がとても有能であるからなのだろう。他の家族からの信頼も厚いに違いない。兄は万能科学技術者。妹は多くの魔術を操る魔女。こんな二人が揃っていれば、大抵のことは問題無く進行出来るだろう。

しかし、阿久津彰斗は敗れた。僕が魔術を使えるという不測の事態によって。魔術の知識がきちんと有るならば。油断せずそれなりの装備をしていれば、負けることは無かったのに。

「いっけぇ!」

「え?」

そのとき、阿久津さんの着ていた服が燃えた。阿久津さんは勿論の事、僕も驚く。

「きゃぁあああああ」

阿久津さんの服は一気に燃え上がる。阿久津さんは熱さに耐えかねて尻餅を着く。

そして、倒れていた別木さんが立ち上がる。

「別木さん?」

「わたしが魔法を使ったのよ。魔術だっけ? まぁどっちでもいいか」

阿久津さんを中心に立ち上がる火柱を横目に、別木さんは笑顔になった。




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