三.生命の存在証明と悪魔の不在証明
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僕には小さいときに死にかけてから、生命の生死が判断出来るようになった。
僕と妹の榛嘩は母親の死に際に立ち会ったことがある。榛嘩は見ることが出来ないけれど、僕には生きているもの全てに緑の靄が見える。人間に限らず、動物や植物、昆虫まで、生きているものには必ず緑色の靄が見える。
母親の死に際はよく印象に残っている。母親を纏っている緑の靄が段々と段々と薄れていき、こと切れると同時に靄が四散して、母親は生物から無生物へと変わっていった。
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503号室の奥で海が倒れているのが見える。向こうを向いて横向きに倒れているから顔は見えないけれど、制服と体つきは間違いないなく海だ。
海からは緑の靄が見えない。海は死んだのだ。この503号室で海は死んでいる。
僕は自分の顔が熱くなるのを感じた。落ち着け、落ち着け。落ち着かなければ、と自分に言い聞かせる。しかし、自分は言い聞かせるまでもなく冷静だった。友人の死に動揺し、悲しみ、怒り、悔やみ涙してもいい場面なのに、異常な程思考回路は正常だった。僕の理性が完全に身体を制御している。人間、動揺しすぎると一周回って冷静になれるらしい。
目の前のドアから出て来た別木さんを見る。別木さんは手に鍵を持っていた。鍵を入手したことでこの503号室のドアを開けることができたのだろう。
「一旦、ここから離れよう」 僕は提案する。
別木さんは泣き腫らした顔で頷く。僕はそんな別木さんの手を引いて一階に向かう。
一階に到着するまで、二人とも何も喋らなかった。別木さんは苦しいのだろう。ときどきしゃくりあげる声がする。
一階にあったソファに別木さんを座らせる。毒ガスを吸って苦しいはず。泣き止んで落ち着くまでしばらく待った。
その間、別木さんが持っていた鍵で出口の南京錠を開けた。これで二つの南京錠が開いた。残りの南京錠は三つ。
その後、別木さんが落ち着いてから503号室の中で何があったのかを聞いた。
堂本さんが503号室のドアを閉じた後。ドアが閉じたことに驚いた別木さんはドアを開けようとした。しかし鍵がかかっているようでドアは開かなかった。外側から開けてもらえることを期待してドアを叩いていたが、いつまでたっても開かないから叩くのを諦めた。
その間、海が天秤で1kgの粘土玉を作って机の穴に入れると、箱から鍵が出て来た。そのとき、妙な匂いがすると感じた別木さんはハンカチを口に当てた。海は天秤で粘土を測っていたから、何かを口に当てる余裕はなく、ガスを全部吸い込んだのだろう。鍵が出て来たと同時に倒れた。
別木さんは出て来た鍵を持って503号室のドアを開け、僕達の前に現れたのだった。
ソファで別木さんを安静にさせる。
「この状態で休んでいてね。別木さんも少なからず毒ガスを吸い込んでいるはずだから」
「うん」別木さんは頷く。
別木さんが生きていて良かったと思うと同時に、海の事が悔やまれてならない。それと同時に堂本さんが恨めしくて仕方がない。本当に憎むべきはこのゲームの犯人なのだろうけれど、目先の堂本さんも憎らしい。一体どれだけ僕らの足を引っ張れば気が済むのだろうか。
一発殴ってどれほどの気が済むのだろうか。一発殴ると二発三発と殴りたくなるだろう。生産的でない。こうして無理矢理、合理的な理由を付けて冷静になろうと自分に言い聞かせる。いや、言い聞かせるまでもなく冷静だ。これだけ頭が回るなら充分冷静だ。
「別木さんはここで待っていて。419号室には僕と堂本さんで言ってくる。一人だと心細いかもしれないけれど、すぐに戻ってくるから」
「うん」別木さんは大きく頷いた。
「私は行かないわよ」
堂本さんが僕を拒否する。海が死んだというのに、実質自分が殺したようなものなのに、そのとりすました態度に変わりは無かった。
「行くよ」
僕は堂本さんの手を強く握った。跡が残るくらい強く。このまま握りつぶせないかなと考えてみる。考えるだけだけど。
「痛い痛い痛い」
堂本さんが抗議の声を上げる。僕はその抗議を無視して堂本さんを引っ張る。死んだ海はもっと痛かった、なんてありきたりの台詞を吐く気は無い。このゲームをクリアするために、とことん役に立ってもらう。それが海に対する弔いだ。
堂本さんを強引に引っ張って419号室に着いた。419号室の張り紙はいつもに増して不気味だった。
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次の素数のうち、割った余りで分類したときの仲間外れはどれか
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どうやら、数学の問題らしい。
素数。1と自分自身以外で割り切ることが出来ない数。小さい方から2、3、5、7、11……と無限に続いていく。自然数の中に不規則に表れる素数は様々な研究がなされているが、今でも分かっていないことが多い。
419号室に堂本さんを投げ入れる。その後から僕も続く。
部屋の中央には剣が五本、床に刺さっていた。五本とも西洋風の両刃の剣で、柄の部分にタグが付いていた。
タグを一つ一つ確認していく。タグには三桁の数字が書かれている。
211 307 419 503 601。
全て素数だ。この中から仲間外れを見つけないといけない。数を分析して、仲間外れの剣を抜けば良いのだろう。
「これ全部、鍵のある部屋番号と同じね」 堂本さんが自慢顔で呟く。
「本当だね」 適当に相槌を打つ。
確かに鍵のある部屋番号と同じだが、おそらく関係が無い。今は純粋に数学の問題だ。とりあえずこれらの数を何かで割っていこう。何で割るかは書いていないけれど、小さい方から割っていけばよいだろう。
2で割った余りは全部1になる
3で割った余りと4で割った余りを並べてみると
211÷3=70 余り1 211÷4=52 余り3
307÷3=102 余り2 307÷4=76 余り3
419÷3=139 余り2 419÷4=104 余り3
503÷3=167 余り2 503÷4=125 余り3
601÷3=200 余り1 601÷4=150 余り1
「4で割ったっとき601だけ余りが1だ」
僕は計算を終えて、結果を口にする。この結果が数学的に意味があるのかどうかは、僕には分からない。しかしこの問題に対する答えは601が答えで良いのだろう。
「じゃあ、これを抜けば良いのね」
堂本さんが601の剣を手にする。そして躊躇うことなく引き抜こうとする。
「ちょっと待って」 僕は、反射的に堂本さんを止めようとした
しかし、遅かった。
「おあがあごぉおぁあああごがぁかぁぁあああああ!!」
堂本さんの絶叫が耳に刺さる。
堂本さんが剣を引き抜こうとした途端、剣の周囲1m四方が沈み込み、堂本さんの下半身が床下に埋まった。身動きが出来ない堂本さんに電流が流れる。
「ががぁああぉごごぉおおおおお!」
空気中にも常時火花が見えるほどの高圧電流だ。間違いなく人間が死ぬような電圧がかかっているだろう。
ややあって、電流が治まった。肉体の焼け焦げる匂いが鼻をつく。白い首輪が痛々しさを増して見せている。
堂本さんからは緑色の靄が消えていた。死んだのだ。無残な姿をして死んだ。その姿は形容するのも憚りたくなる残酷な処刑後だった。死ぬときに人の姿でいられることは、幸せなのかもしれない、なんて的外れな感想を抱いた。
堂本さんが死んだという事実に対して僕は異様なほど冷静だった。堂本さんが堂本さんだから、惜しい人を亡くしたと悔やむことは無い。皆無だ。しかしだからといって、ざまあみろとあざけりののしる気にはならない。
そもそも今までの問題も、張り紙に書かれた問題を解いてからが本当の問題だったのだ。剣を抜いたら死ぬような罠がある可能性は充分に予測出来た。それに気付かない堂本さんはやっぱり堂本さんであったということだ。死んだ。ただそれだけ。
沈んでいた部分の床がせり上がる。どうやら考えないといけない問題はこれらしい。引き抜こうとすると、死ぬ程度の電気の流れる剣を抜かないといけない。
さて、どうするか。僕はその場で座って考える。堂本さんの焼け崩れた顔を見ながら。
ロープでもあれば、剣に括り付けて引っ張るのだけれど。生憎ロープなんて都合の良い物は持っていないし、落ちてもいなかった。何かロープの代わりになるような物は無いだろうか。
部屋を見回す。すると一目で見つけることが出来た。ロープの代わりになる物。それは窓に掛けられたカーテン。
「よし」
僕はカーテンを外す。
その際、外の様子を見ようとしたが、黒いスプレーで窓ガラスが塗りつぶされていた。窓をあけようとしたが、接着剤か何かで固定されているようで、びくとも動かなかった。外の様子が分かれば、鍵を集めなくてもここから脱出出来るのではないかと期待したが、期待通りにはいかない。さすがにこの辺りにもぬかりのない犯人だった。
外したカーテンを使って、剣を抜く。少し警戒していたが、それ以上の罠は無かった。無事に剣を抜くと、抜いた跡から鍵が転がって来た。これでこの部屋の問題は解決した。次の部屋に進もう。
419号室から離れる。堂本さんの死体を置いて。緑色の靄が見えない堂本さんの身体。痛々しい焦げ跡の残る制服。人であったことを忘れるかのような異臭。
「さようなら」
堂本さんが死んだことに対しては本当に何の感慨もないけれど、頭の隅に追いやっていた阿久津さんのことを思い出した。
阿久津さんは601号室から落ちたから、601号室にいる訳ではない。阿久津さんがいるとしたら真下にある101号室になるだろう。
南京錠を開けにロビーに向かう前に101号室に向かった。阿久津さんの見るも無残な死体を見たい訳ではない。生きていることを期待している。しかしやはりというべきか101号室には鍵がかかっていた。
そして何故か脳裏に阿久津さんの黒い手袋が思い浮かんだ。
玄関に戻り、三つ目の鍵を開ける。これで残り二つ。残りの人数も二人。僕こと江本織彦と別木衣智香さん。今度こそ今度こそ誰も死なせずに鍵を手に入れてみせる。
「もう一人は?」
ソファで寝ていた別木さんが、ロビーに戻った僕を見て訊いてくる。
「死んだよ」
「そう」
お互いに、自分とは関係無い事務連絡のような確認だった。
「もう、休憩は充分だよ。次は一緒に行こう」
別木さんはソファから立ち上がって大きく伸びをした。
僕と別木さんは二人で次の307号室に行った。ドアに張られた問題は
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鍵を取れ
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至ってシンプルだった。
部屋に入ると、天井に鍵が吊るされていた。
「猿の知能テストみたいだね」
部屋の天井にバナナが吊るしてあって、それを取る知能テスト。バナナは猿がジャンプしても届かない位置にある。バナナを取るためには部屋に散らばっている積木を重ねて足場にして、さらに長い棒を使って取ればよい。
この部屋に吊るされている鍵も、僕がジャンプしたくらいでは届かないような高さに吊るされている。
「何か踏み台になる物があるかな?」
別木さんと部屋の中を見回すけれど、殺風景な部屋にあるのは、高さが30cmくらいのテーブルがある。ちょうど鍵の真下に固定されているが、これに乗ったところで届かない。あとは、ベッドも無ければ椅子も無かった。
「何も無さそうだね」
「二人で肩車すれば届くんじゃないかな?」僕が提案する。
「そうだね。そうしよう」別木さんが了承する。
この命が懸かっている状況で異性に触れる抵抗がどうとか言っていられない。
「えっと。江本くんが下でいいんだよね?」
「あ、うん。それはそれでいいんだけど、ちょっと待ってね」
「どうかしたの?」
「罠があるんじゃないかと思って」
鍵を取るだけなら、肩車で良い。けれども今までの傾向から罠が仕掛けられていることは間違いない。
考えよう。素直に鍵を取るとどんな罠に嵌められるのだろうか。
その場で座り込んで考えること十五分。別木さんが口を開く。
「さっきの部屋はどういう問題だったの?」
「計算問題だったよ。五つの剣から仲間外れを選んで引っこ抜く。そのまま剣を抜こうとすると、電流を浴びちゃうから、カーテンを巻きつけて引っこ抜いた」
「じゃあ、今回もカーテンを巻きつけて鍵を引っ張れば良いんじゃない?」
「それだ」 僕は感嘆の声を上げた。
どんな罠が仕掛けられるか分からない。鍵を引っ張れば、床が抜けるかもしれないし、毒ガスが噴射されるかもしれないし、電流を浴びるかもしれない。鍵を取るために真下にあるテーブルに乗らないといけないが、あのテーブルにどんな罠が仕掛けられているのか分かったものではない。でも、鍵にカーテンを巻きつけて部屋の外から引っ張れば、罠に当たることはない。
「419号室に行ってくる。カーテンと剣を取ってくる」
この部屋のカーテンを使っても良いが、どうせなら剣を使って適度な長さに切って使いたい。419号室に戻るのが得策だ。
「わたしも行くよ」
「いや、ここで待っていて。419号室には死体もあるから見ない方が良いと思う」
「う、うん。分かった」
僕は一人で419号室に行った。419号室のドアは開けっ放しにしておいたのでそのまま入ることが出来た。
419号室に入った僕は驚きの余り静止した。
「どこに行った?」
そこには、堂本絵里子の死体は無かった。堂本さんは確かに死んだはず。電流に焼け焦げて見るも無残な身体になってしまったし、緑色の靄も見えなかった。でも、ここにはいない。
「誰かが、死体を運んだ?」
そう考えるのが自然だ。しかし、このホテルに誰がいるのか。分かっているのは五人。このうち二人は死んでいる。蝶名林海、堂本絵里子。不明なのが阿久津藍。生きているのは、別木衣智香、江本織彦。
別木さんに堂本さんの死体を動かせるタイミングは無いから、動かしたのは別の人。阿久津さんがもし動けたら、一も二もなく僕達に合流するはずだから、阿久津さんではない。僕達とこのホテルの中に六人目がいる。それは恐らく犯人だ。僕達五人をこのホテルに連れてきた犯人。
「ようやくしっぽを見せてくれたな」
どういった意図で堂本さんの死体を動かしたのかは分からないが、僕達の知らない誰かがいることは確かだ。それが分かっただけでも大きな収穫だ。いざとなったら、そいつを探し出して脅してでもこのホテルから脱出すれば良い。
「しまった!」
そこまで考えて、墓穴を掘ったことに気付いた。このホテルに僕達以外の人間がいるのならば、犯人がいるのならば、僕と別木さんが別々になってはいけなかった。二人一緒に行動しないといけなかった。一人でいると犯人に強襲されたとき対応出来ない。
僕は急いでカーテンと剣を持って307号室に走った。別木さんが危ない。
「別木さん!」
307号室に入ると同時に大声を出した。
「ど、どうしたの?」
別木さんは僕の必死の剣幕に驚く。別木さんの身体に異常は見られない。良かった。無事だったようだ。
「無事ならいいんだ」
僕は別木さんに、堂本さんの死体が無くなっていたことを話した。そして、僕達以外の誰かがいる可能性があることも説明した。
「これからは二人一緒に行動した方が良いと思う」
「そうだね」
それだけ確認してから、鍵を取る作業を始めた。カーテンを細く切って、繋げてロープにする。別木さんを肩車して鍵に結びつける。そして部屋の外に出てからロープを引っ張る。
鍵を引っ張ると、天井から大量の針が落ちてきた。ドリルのような大きな針が部屋中に落ちてくる。どかどかっと針が床に刺さる。部屋の外にいた僕達には当たらないが、当たったら確実に死んだだろう。
しばらくして、針が天井に上がっていった。穴だらけになった床に鍵が落ちていた。
「これで四つ目だね」
僕は部屋に入って鍵を拾った。初めて、誰も死なずに手に入れた鍵だ。
別木さんも笑顔だった。
最後の鍵の部屋は211号室。二人で一緒に向かった。
最後の部屋の張り紙は
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火をつけろ
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やっぱりシンプルだった。
「入るね」
「うん」
僕は別木さんに確認してからドアを開けた。
洋風の部屋の中央にはテーブルがあった。テーブルの上にはランプ。何やら機械仕掛けの多い、現代的なランプだった。現代的とはいっても現代でランプを日常的に使う人は稀だろう。せいぜい電気の通っていない山奥くらいだ。当然、僕も使ったことは無い。
ランプの横にはライターがあった。このライターでランプに火を付ければ良いのだろう。よくある100円ライターである。しかし、このライターにはオイルが入っていなかった。このままでは火は付けられない。オイルを詰め替えようとしても詰め替えられるような構造はしていない。
「どうするの?」
別木さんが心配して僕に訊く。
「とりあえず、この部屋の中を調べてみよう。何か火の付けれそうな物があるかもしれない」
この211号室には、他の部屋と違って色々な物があった。テーブルにはイスもあるし、テレビに本棚まである。マッチがあれば一番良いのだけれどさすがにそこまで甘くはないだろう。
僕は本棚を見てみた。本棚といっても小さな三段のボックスだ。分厚い本が20冊程とファイルが10冊程立てられている。それだけなら普通の本棚なのだけれど、立てられている本は普通ではなかった。
「基礎魔術理論」「魔法全書」「魔術の理」「魔法の歴史」その他に何冊かあったが、すべて魔法関連の本だった。
その中に付箋の付けられた本があった。本の題名は「魔術基礎Ⅰ」である。この本棚には「魔術基礎Ⅰ」から「魔術基礎Ⅴ」まである。まるで「物理基礎Ⅰ」のように参考書にありそうな題名である。この本を手に取って、付箋の貼ってある頁を開く。そこは火を起こす魔術について書かれていた。
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三.火の魔術
火とは物質の急激な酸化に伴って起こる現象である。
生体内でブドウ糖が酸素と緩やかに化合する現象も燃焼と呼ぶが火が起きる訳ではない。火とは酸素と急激に化合することを差す。
化学的に、物質が燃焼するために次の要素が必要となる。
・燃焼する物質 ・酸素 ・温度
これらの要素の内、ある程度を魔力で代替することが可能である。
マッチは燃えやすいリンを摩擦の高い物体と擦り合わせることで燃焼を起こす。市販のマッチは燃焼しやすくするために様々な物質を混ぜ合わせるが、大まかな仕組みはリンの温度を上げるのみである。温度が上がれば酸素が物質と化合し燃焼を起こす。
つまり燃えやすい物質さえあれば、温度を上げることで物質に酸素が化合し燃焼が起こるのである。
しかし温度を上げなくても、酸素を直接化合させれば燃焼を起こすことができる。
[魔術3.1] 燃えやすい物質を魔力によって燃やせ。
準備物:紙、布、蝋燭などの燃えやすい物質。理想的にはリン。
手順 :酸素に対して燃えやすい物質に化合するように命令する。
おそらく、簡単に火を付けることが出来ただろう。
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僕は本をそっと閉じた。
「って、出来るわけないだろ!」
叫ぶと同時に「魔術基礎Ⅰ」を床に叩きつけた。
「だ、大丈夫」急に叫びだした僕を心配する別木さん。
「あ、うん。ごめんね、取り乱して」
「何かヒントがあったの?」
「いや、全くあてにならなかった」
途中まで期待して読んでいたのに。魔術なんて眉唾物の胡散臭い題名の割に、きちんと科学的な事が書かれているから、もしかしたらと思ったのに。肝心な火の起こし方が「酸素に命令する」とか、ふざけている。
別木さんが床に落ちた「魔術基礎Ⅰ」を拾い上げる。そして付箋の貼ってある頁を開く。そこに書いてある事をじっくりと読み進める別木さん。やがて静かに本を閉じる。
「ヒントあるじゃない」別木さんは笑顔で言う。
「え? 別木さんは魔法が使えるの?」
「そんな訳ないよ。もし魔法が使えたらこんなゲームからとっくに逃げてるわよ」
「そうだよね。じゃあ一体どんなヒントがあったの?」
「これだよ」
別木さんは「魔術基礎Ⅰ」を開いて該当の部分を指差す。
「燃えやすい物質さえあれば、温度を上げることで燃焼が起こる」
「そう。燃えやすい物があれば良いのよ」
「ライターにオイルは無いよ」
「ライターに無くても、ランプの中にはオイルがあるわよ」
別木さんがランプをゆらゆらと揺らして見せる。オイルの表示は確かに残量有りを差していた。
「このライターだと詰め替えは出来ないよ?」
「詰め替えなくても良いのよ。オイルが充分に気化していれば、ライターの着火装置だけで火が付くはずよ」
別木さんが言っていることが理解出来た。燃えやすい物があるならライターの着火装置で温度を上げれば火が付く。理論的には出来るはずだ。しかしそう上手くいくのだろうか。ランプの中のオイルが良い具合に気化していないといけないし、ライターの着火装置で充分な温度かどうかも分からない。正直、不安要素でいっぱいだ。しかし別木さんはよく気付いたと思う。このゲームが始まってからもう何度も別木さんの発言に助けられている。
「試してみるね」
別木さんがライターを手に取る。
「ちょっと待って。罠の事も考えよう」
「あ、そうだね」
ライターで着火することでどんな罠が作動するかも考えないといけない。307号室のように遠距離から操作出来るなら安全だ。しかし、部屋の外からライターを操作するのは難しい。というか道具も何もない状態では不可能だ。マジックハンドがあっても上手くいくかどうか分からない。
やはり魔法を使うしかないのか。いやいや、そんな笑い話みたいなことはないだろう。
「このランプ、持ち運べるよね」
別木さんがランプを高々と持ち上げる。
「どこに持っていくの?」
「この部屋の外に持っていったら安全じゃない?」 確かにそれは一理ある。しかし
「ランプ自体が爆発するかもよ」 罠は部屋だけに仕掛けられているとは限らない。
「その前にランプを投げ捨てれば?」
「ライターで着火してから爆発するまでに投げ捨てる時間があるかな?」
しばらく時間をかけて考えてみた。不安は残るがそれしかない気がする。他に良い策が思い付かないのだ。これでいくしかなさそうだ。
「よし、いこう」
「うん」
僕がランプに火を着けて投げることにした。廊下でランプを着けて、着いた瞬間に211号室に投げ込む。別木さんの予想通り、オイルの無いライターでもランプに火を灯すことが出来た。僕自身は半信半疑だったけれど無事に着火できた。
僕がランプを211号室に投げ入れるのと同時に別木さんがドアを閉める。もしランプが爆発してもある程度は防げるはず。案の定、部屋の中から爆発音がした。予想通りランプに爆発する仕掛けがあったのだ。
「予想が大当たりだったね」
「最初からこれくらい予想出来ていたら誰も死ななかったのかな」
別木さんが残念そうに言う。確かに二人も死んだ。一人も死んだかもしれない。でもこんな理不尽なゲームで最初から罠の存在を予想するなんて無理な話だ。三人のことを嘆くよりもここで二人が生き残ったことを賞賛すべきだ。そして恨むべきは自分達の能力の低さではなく、こんな非道なゲームを仕組んだ犯人だ。
211号室のドアを開ける。床には爆発で飛び散ったランプの破片と鍵が落ちていた。
「これで、最後の鍵だね」
別木さんが鍵を拾う。
「行こうか」
「うん」
これで、ゲームが終わる。