二.理想空間における問題解決と現実場面における適応行動
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
現代の科学で確認されている力は四種類。重力、電磁気力、原子に関わる弱い力と強い力。現在、これらの四つの力を統一する理論を確立する研究が成されている。
しかし、生命が意志を持つことはこれらの力だけで説明することが出来ない。樹は何故、地球の重力と違う向きに伸びようとすることが出来るのか。虫は何故、風に逆らって飛ぼうとすることが出来るのか。人は何故、前に向かって歩こうとすることが出来るのか。
その意志はどこから生じるものなのか。
その意志は生命を構成する原子そのものから生じるものではないのだろうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「出来た!」
結局、パズルを解き終わるまで一時間近く時間がかかった。学ラン越しに動かしたり水をかけたりことで熱さを少しずつ軽減していったとはいえ、熱いものは熱い。手にかかる負担は無視できるものでなく、少しずつ少しずつ休み休みでブロックを動かしていった。
最後のブロックを動かすと、ドアの向こうから小さくカチリッと音がした。
「開いた!」僕が苦労の末の歓声をあげた。熱さで痛む手をぐっと握りしめる。
「どきなさい」
ドアの前で座り込んでいた僕を、堂本さんが突き飛ばす。堂本さんはかなりの勢いでドアの向こうへ走っていった。
堂本さんが走って行った後、僕達四人は顔を見合わせていた。
「行こうか」
しばらくの間の後、阿久津さんが切り出した。
「うん」僕達は頷いて堂本さんを追いかけた。
ドアをくぐると階段となっていた。下りの階段はなく、昇り階段のみだった。階段の表示はG1と1となっていた。やはりここは地下だったようだ。
薄暗い明かりのなかで階段を一歩一歩昇っていく。全員、体力はともかく精神的に疲れている。楽しく談笑しながら昇るような雰囲気ではない。このまま無事に帰れるなんて楽観している人はいない。次に何が起こるのか不安に思いながら階段を昇る。
階段を昇り切ると、そこはホテルのロビーのような広間だった。赤黒い絨毯に豪華な照明。ホテルの受付カウンターがあり、テーブルとソファがセットでいくつかある。しかし人は誰もいない。光量を絞っているのか薄暗い照明のせいで不気味な空気が充満している。
玄関らしき大きな扉の前に堂本さんがいた。
「この、この、なんで開かないのよ!」
堂本さんは木製の扉に何度も蹴りを入れていた。本人は本気で力を入れて扉を蹴破るつもりなのだろうが、傍目には小鳥がつついているようにしか見えない。女の子だから蹴り慣れてないのは仕方ないけれど、もうちょっとまともに蹴られないのだろうか。
全員が堂本さんの後ろに追いつく。五人揃って扉の前に立つ。
扉にはまた、張り紙がしてある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以下の部屋から鍵を手に入れろ。
211 307 419 503 601
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
玄関の扉には南京錠が五つかけられていた。どうやら、この南京錠の鍵を探しに行かないといけないようだ。部屋の番号から推測すると、このホテルは最低でも六階分はあるらしい。部屋がいくつもあるのだろう。その部屋から鍵を取って来ないといけないらしい。この誘拐犯は何が目的なのか、さっぱり分からないが、僕達はまだまだ帰れないようだ。
「もう、なんなのよ、一体! 早くこんな所から出しなさいよ」
堂本さんが悪態を吐く。
「どうする?」海が僕と目線を合わせる。
「鍵を集めに行くしかないだろうね」僕は応える。
このフロアに窓でもあれば、このホテルから出られそうなのに、生憎というか当然というか、出られそうな場所は一切ない。
「早く行きなさいよ。私は早く帰りたいのよ」堂本さんが僕達を睨みつける。
僕達四人は呆れた顔でうなだれる。早く帰りたいのは全員一緒だ。聞くだけで疲れるようなことを言わないで欲しい。あと、早く帰りたいなら、不満を漏らさず協力して欲しい。
僕は頭を切り替えて、状況を整理する。
「周囲にある物を確認しよう。この先のパズルを解くのに必要な物があるかもしれない」
「そうだな」海が頷く。
僕と海と阿久津さんと別木さんの四人はロビーに使える物が無いのか探す。探すとはいっても大して物がある訳ではない。せいぜい消火器ぐらいだ。
堂本さんはロビーの中央にある像を眺めていた。ロビーの中央には何故か女の人をかたどった銅像がある。両手を広げた女の人の像だ。
ロビーの中央に像の置いてあるホテルなんて、高級感があるというか、場違い感があるというか、自分の知っているホテルとは違い過ぎる。一体ここはどこなんだ。さすがに日本だとは思うけれど、その保障は無い。
そして奇妙なことに、その女の人の像には、首輪が付いていた。僕達に付いている首輪と同じ白い首輪。そういえばこの首輪は何なのだろうか。白い金属製の首輪。犬や猫に着けるようなデザインの物ではなく、現代的なメカニックなデザインだ。正体不明である。
「まったく」堂本さんは悪態をついて、銅像を蹴り飛ばす。
その瞬間、銅像の首輪が爆発した。
「あら」「ひっ!」「え?」「きゃっ!」「うっ」
突然の爆発に五人が五人とも身を竦める。爆発自体はそこまで大きなものではない。一番近くにいた堂本さんも爆発には巻き込まれなかった。爆発の影響による怪我はない。しかし、爆発音が鼓膜を緊張させる。焦げ臭さがロビーに充満する。皮膚が熱を感じて発汗する。そして僕達を恐怖させる。
「な、なんだ?」海が最初に声を出す。
像の首が焼け焦げて、頭が床の絨毯に転がる。
「な、なんなの?」堂本さんが腰を抜かして、その場にへたれこむ。
阿久津さんは僕達四人と違って、驚いても怖がってもいなくて、逆に楽しそうだった。転がっている銅像の頭を拾いに行く。女型の頭を右手で鷲掴みした。まるでバレーボールのように、ぽんぽんと上に軽く投げて遊んでいる。良い笑顔なのだけれど怖くないのだろうか。
「阿久津さん?」 僕は、阿久津さんに恐る恐る声をかけた。
「おそらく犯人からのメッセージでしょうね。“逆らったらこうなるぞ”っていうことなのでしょう」
僕は自分の首輪に手を当てた。今まで意識しなかったけれど、僕達はこんな恐ろしいものを首に付けていたのだ。
「それじゃあ、鍵を探しにいきましょうか」
阿久津さんは歌うように軽やかに言った。残りの四人は首輪爆弾の恐怖が抜けきらず、呆然としていた。
全員が落ち着くまで、かなりの時間をかけることになった。特に堂本さんは全く動こうとしなかった。
「ほら、いくぞ」
床にへたり込んでいた堂本さんを、海が腕を掴んで引っ張り上げようとする。
「何よ? あんたたちだけでさっさと鍵を集めに行けばいいでしょ? 私を巻き込まないでよ」
「おまえが助かるためにおまえが動けよ」
「なんで私が…」
僕は海を助ける形で口を挟んだ。
「海、四人で行こう」
正直、堂本さんを連れて行っても、足手纏いにしかならない。
「あ、ああ。そうだな」
海は不服そうな顔をしていたが、僕についてきてくれた。
こうして、僕と海、阿久津さんと別木さんの四人で鍵を集めに行くことにした。堂本さんは爆発した銅像の近くで座り込んだままだった。
「このエレベーターは動きそうね」
阿久津さんがエレベーターのスイッチを構っていた。
「どの階から行く?」阿久津さんが僕に訊いてきた。
鍵がある部屋は 211 307 419 503 601 の六つ。どの部屋から行ったらいいかなんて、判断材料がまったくない僕達には決めようがない。勘と気分で決めるしかない。
「どこから行っても良いけど」
「じゃあ上から行こうぜ。後から高い所に昇るのは大変だろ」
海が提案してくれる。
「階段じゃなくてエレベーターで昇るから、先でも後でもあんまり変わらないよ」
「確かに。でもまぁ、いいじゃねぇか。上から行こうぜ」
ただの気分で決めていた。
「はい、それじゃあ行きましょうか。601だね」
阿久津さんがエレベーターのスイッチを押す。行動に迷いがなく、まるで予め練習していたかのような手さばきだった。
エレベーターの中で四人が正方形を描いて立っている。
「あ、あの。阿久津さんは、こ、怖くないの?」別木さんが震える声で阿久津さんに話しかける。
「ん。怖い事なんてないよ。すぐに殺されるわけでもないし」
阿久津さんはあっけらかんとしている。
「別木さんは怖いの? 今の状況が。どこだか分からない建物に監禁されて、爆発するかもしれない首輪を付けられて、パズルを解かされている現状が、怖い?」
「う、うん」
すると阿久津さんは別木さんの頭に手を伸ばして、ふわふわと撫でた。
「大丈夫よ。あなた可愛い顔しているから、そう簡単に死なないわよ」
「顔が何の関係あるの?」
「主演が早々といなくなるドラマなんて無いでしょ? いなくなったら主演って言わないもの。
顔が良い娘は生き残るのよ。ドラマでもリアルでも」
「あ、ありがと」
なんだか言いくるめられただけのような感じではあるけれど、別木さんの表情が少し和らいだ気がする。
そんな別木さんを見て阿久津さんが微笑んだ。それは和む光景なのかもしれないけれど、僕には不安を感じさせる微笑みだった。
四人揃って601号室の前に来た。例によって601号室のドアには張り紙があった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
スイッチを押せ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
至って端的な指示だった。
阿久津さんが先陣を斬って601号室のドアを開ける。
「あらら」 阿久津さんが小さ目の声で驚く。
601号室は奇妙な造りをしていた。薄暗い明かりに照らされた床は幅が20cmしかない。狭い床の両側は落ちたら、どこまで落ちるか分からないくらい暗闇だ。落ちたらどうなるかなんて想像もつかない。落ちても大した高さがなくて無事なのかもしれないし、針の山があって確実に死ぬのかもしれない。
「この狭い道を通っていくのか?」海が部屋を覗き込む。
狭い道の先、部屋の奥にはスイッチらしきものが見える。この道を歩いて、あのスイッチを押せば良いのだろう。スイッチまでの距離は10mくらいだ。
「行けそう?」 別木さんが僕達を覗くように尋ねる。
この20cmという道幅は、片足を置くだけなら余裕のある道幅だ。道路中央の白線というと想像しやすい。何も危険が無ければ、自然に歩けるような道幅である。しかし万が一にも落ちてはいけないというこの状況で、10mも歩くのはかなりの恐怖になる。
「この狭い道を無理して歩かなくても、猿みたいにしがみつきながら進めば、落ちないでしょ」
阿久津さんが答える。
「しがみつくより、跨ってから手の力で進んだ方が安全だと思う」
僕が提案する。
「そうだね。さすが江本くん」阿久津さんが僕を褒める。
「それじゃあ、俺が行こうか。運動神経が一番良いのは俺だろうし」
海が意気揚々と声を出す。
「いや、あたしが行くわ。蝶名林くんは体力を温存しておいて。この先まだ四つも鍵があるから、力仕事があるかもしれない。それまで無駄に体力を消費することはやめておいて」
阿久津さんが海を止める。
「あたしが行くわ」
「お、おう」
阿久津さんは滑らかな動作で601号室に入って行った。幅20cmの床に跨る。
「あっ」 阿久津さんが短く声を上げる。
「ど、どうしたの?」 別木さんが心配して声をかける。
「ごめん。一度引っ張って、そっちに引き上げてくれない?」
「う、うん」 僕が返事をする。
僕と海が阿久津さんの腕を一本ずつ掴む。合図をかけて、座っている阿久津さんを601号室から廊下に引き上げる。
「ありがと」
僕と海に引き上げられた阿久津さんは、廊下におしりから着地した。
「何か問題でもあった?」 僕が阿久津さんに訊く。
「うん。跨って進もうとしたら、スカートが邪魔だった」
「あっ」 僕は思わず声をもらした。スカートのことなんて完全に想定外だった。
「はい。持ってて」
阿久津さんは、僕にスカートを渡した。
「え?」
あまりに自然に渡されたから、ついそのまま受け取ってしまった。が、しかしスカートである。本来、人から手渡されるようなものではない。
阿久津さんはいつの間にか、自分のスカートを脱いでいた。上半身はセーラー服で下半身はレギンスという奇妙な恰好だ。奇妙というかいかがわしいというか判断に困るところである。阿久津さんはそんな奇妙な恰好でいることなど、意にも介していないようだった。
「それじゃあ行ってくるね」
阿久津さんは再度601号室に入って行った。幅20cmの床に跨る。
「よし」
阿久津さんは腕の力を使ってゆっくりと進んで行った。ゆっくりと慎重に安全に。
「いいよ。その調子で。ゆっくりでいいからね」 僕が声を掛ける。
「了解」 阿久津さんが応える。
「気を付けて」 別木さんも声を掛ける。
「うん」
阿久津さんは少し進むたびに間を置きながら進む。10mの距離だけれどもやけに長く感じる。
「ふう」
床のちょうど真ん中、5m辺りのところで阿久津さんが一息吐く。
「阿久津。今中間地点だぞ。行けそうか?」 海が声をかける。
「うん。余裕余裕」 阿久津さんは背中の僕達に向かって返事をする。
そして再び進みだそうとした。
「え?」
そのとき阿久津さんが手を置いた床が崩れた。
「きゃあああぁぁ!」阿久津さんの悲鳴が耳を刺す。
20cmあった床は崩壊し、阿久津さんは暗闇の中へ落ちて行った。
「阿久津さん!」
僕はとっさに名前を呼ぶ。しかし阿久津さんからの返事は無く、下の方から、どすんっ、という音が代わりに返事をした。
僕と海と別木さんの間に沈黙が流れる。いや沈黙している場合ではない。
「阿久津さん!」 僕は阿久津さんの落ちた方へ向かって声をかける。
しかし返事は無い。自分の声が微かに反響してくるぐらいだ。
別木さんはがくがくと震えている。海は茫然としている。
これまでのパズルの傾向からいっても一筋縄ではいかないことは予測しておくべきだった。皆の服を繋いで命綱を作るくらいのことはしないといけなかった。しかし今更振り返っても遅い。
阿久津さんが返事ないということは、高い所から落ちた衝撃で気を失っているか、既にこと切れているか。一目見るだけで生命の生死が判断できる僕の眼でも、人間自体が見れないと判断できない。
気持ちを切り替えよう。阿久津さんの救出をするか、スイッチを押すか。
僕は目を閉じて少し考える。そして僕は海と別木さんの二人に言った。
「ちょっと待ってて」 僕は海と別木さんの二人に言った。
それから僕は一人でエレベーターを使って一階に降りた。首の落ちた銅像に向かう。
そこには堂本さんがいた。所在ない感じで銅像を見ていた。
「何をしているの?」
僕は堂本さんに声を掛けた。堂本さんが何をしているか興味があるわけではなかったけれども、無言で通り過ぎるわけにもいかないだろう。
「鍵は持ってきたの?」
堂本さんは僕の姿を確認すると、僕の質問には答えず僕に質問してきた。
「まだ一つも集まってないよ」
「一体何をしてたのよ! 早く持ってきなさいよ」
「はいはい」 僕は適当に返事をしておいた。
そんな堂本さんはさておいて、僕は銅像の頭を拾った。そういえば阿久津さんはこの頭をぽんぽん投げて遊んでいたっけ。
「そんなもの何に使うのよ?」 堂本さんが苛立たしげに僕に聞く。
「投げるんだよ」 僕はおざなりに答えておいた。
「これを投げてスイッチを押そう」
601号室の前に戻った僕は、海と別木さんの二人に提案した。この銅像の頭を投げてスイッチに当てる。銅像とはいえ女の人の頭を投げるのは抵抗があるのだけれどそんなことを言ってはいられない。
「じゃあ、俺が投げよう」 海が手を挙げた。
「任せた」
2kgはありそうな頭を10m先の的に当てるなんて芸当は、僕にも別木さんにも出来そうにない。ここは一番運動神経の良い海に任せるべきだろう。
それから海は廊下で四回ほど投球練習をした。
「よし」
海はうまい投げ方を掴んだらしく、意気込んだ。
「それじゃ投げるぞ」
「うん」
海が投げた頭は驚くほどあっさりとスイッチに当たった。
かちりっと音がして601号室のドアノブが外れた。ドアノブが廊下に落ちると同時に中から鍵が転がり出てきた。
「お、やったな」 海が鍵を拾って喜ぶ。
「やったね」 別木さんも合わせて喜ぶ。
僕は鍵を入手できて安堵したと同時に阿久津さんのことが頭によぎった。ロープでもあれば救出に向かえたかもしれない。しかしこの状態ではそれは叶わない。
心苦しくはあるけれど、阿久津さんのことは一旦置いておこう。このホテルから出るために鍵を集める方を優先しよう。
「次に行こうか」 僕は重くなった口を開く。
鍵はあと三つ。
阿久津さん、また後でね。
僕と海と別木さんは一旦一階に降りて、正面の扉に向かった。南京錠を一つ開錠することができた。
「よし。次に行くか」 海が張り切って声を出す。
「次は503号室だね」
床に座り込んでいる堂本さんを横目に、僕達三人は次の503号室に向かった。
僕達は三人で503号室に着いた。
いつものようにドアには張り紙がしてあった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
粘土1kgを測れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「それじゃあ、ドアを開けるよ」
僕が海と別木さんの二人に呼びかける。二人は頷く。
僕はドアを勢いよく開ける。しかし中には入らない。罠があることを警戒してすぐに入らず、まずは様子を見る。
開けたドア越しに部屋の奥を覗く。廊下からでも部屋の奥まで充分見ることができる。今度は床が20cmしかないなんてことはなく、普通の部屋の様相をしていた。
部屋の奥にある机の上に上皿天秤が置いてある。その横には粘土の塊が置いてある。机の中心に穴が空いていて「←1kg」と書かれている。上皿天秤で1kgの粘土を測って入れれば良いのだろう。
「部屋に入る?」 別木さんが尋ねる。
「そうだね」 僕が頷く。
僕達三人は手を繋いで一緒に入ることにした。これなら途中で床が抜けても、他の二人が引き上げてくれる。もっとも部屋の床全部が一気に抜けたら三人まとめて落ちるから、意味が無いかもしれない。しかし部屋に入らない訳にもいかないので、こうして手を繋いで入ることにした。
三人で一歩一歩踏みしめて進んでいく。
いつ床が抜けるのではないかと冷や冷やしていたけれど、結局そのまま上皿天秤のもとに辿り着いた。
「この粘土、透明なプラスチックで覆われているな」
海が粘土に触ろうとしたらプラスチックに阻まれた。
「本当だ」 別木さんがこんこんっとプラスチックを叩く。
「海、叩いて割れそう?」 僕が海に訊く。
「そうだな。多分割れるとは思うけれど、硬い棒かなんかあった方が嬉しい」
僕はこのホテルでの道中を振り返る。硬い棒があったかどうか。
「一階に消火器があったけど、あれが使えないかな」 別木さんが提案する。
「それいいな。使えるかも。持って来よう」 海が了承した。
「海、消火器を取りに行く前に、ちょっと待って」
僕が部屋から出て行こうとする海を止めた。
「どうした?」
「この上皿天秤、天秤はあっても分銅がない」
そう。上皿天秤は台はかりと違って直接何kgかを測ることが出来ない。普通は分銅があって、分銅で重さを釣り合うまで調節して測るものである。実際、手間がかかるから実生活で使う場面はほとんどない。せいぜいパズルゲームに出てくるぐらいだ。
「どうやって1kgを測るんだ?」 海が僕に訊く。
「他に丁度1kgになるものがあれば良いのだけれど」
「目分量じゃだめか? 普段1kgのパワーアンクルを身に着けて生活しているから、丁度1kgを測るのには自信があるぞ」 海が提案するが却下だ。
「もうちょっと正確に測れる方法があると思うんだけど」
「なんか最初に水を測ったときみたいだね」 別木さんが口にする。
「それだ!」
最初の問題は
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
600mlのコップと400mlのコップで500mlの水を測れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
だった。使った道具は600mlのコップと400mlのコップだ。つまり水を合計1000ml測ることが出来る。水1000mlは丁度1kgだ。これを使えば1kgの粘土も測ることが出来る。
考えがまとまったところで、一旦戻ることにした。消火器とコップを取りにいかないといけない。
僕達三人は503号を出た。エレベーターを降りて一階に戻る。
「それじゃあ海は消火器を持って行って。僕と別木さんは地下に降りてコップに水を汲んで来よう」
それぞれ必要な物を持っていく途中、僕は堂本さんに話しかけられた。
「今、何号室の問題を解いているの?」
「503号室だけど?」 僕は答えた。
「そう」
堂本さんはそれだけ言うと、僕から離れていった。質問の意図は不明だった。その表情が、にやついているのが気にかかった。
海は消火器を持ち、僕と別木さんは水の入れたコップを持ち、再び503号室についた。
「よし、測ろうか」 僕が号令をかけて手順を説明する。
600mlのコップと400mlのコップを水いっぱいにして右の皿に乗せる。左の皿に空のコップを置いて重さを調節する。これで丁度1kgを測ることが出来る。
そのとき、エレベーターの方から音が聞こえた。
「ん?」
気になった僕は503号室の外に出た。そこには堂本さんがいた。堂本さん一人でエレベーターを昇ってきたようだ。
「堂本さん、どうしたの?」
「あなたたちが心配で見にきたのよ」
堂本さんはやっぱりにやついていた。その表情は言葉の裏があるようにしか思えない。
「織彦、このプラスチックケースを割るぞ」 部屋の中から海が声を掛けてくる。
「うん。いいよ」 僕が大きな声を出して返事をする。
その瞬間、堂本さんが503号室のドアを勢いよく閉めた。
「何をしているの?」 僕が堂本さんに訊く。
「あのプラスチックケースを割ると毒ガスが出るのよ」
堂本さんが事も無げに答える。あまりの唐突な言葉に僕の思考回路が停止する。
「あのプラスチックケースを割ると中に毒ガスが入っていて、粘土を使おうとする人間を殺すのよ」
堂本さんがにやついた顔で説明する。
「プラスチックケースを割るとこのドアにロックがかかって外からも中からも開けられなくなるのよ」
503号室のドアから、どんどんっと音がする。中から海か別木さんがドアを叩いているのだろう。
「本当は、あんたも閉じ込めて殺せればよかったんだけどね。プラスチックケースを割ってしまったら早いことドアを閉めないとこっちまで死んでしまうし」
僕は堂本さんの胸元を掴んで、廊下の壁に押し付けた。
「ちょっと、何をするのよ。離しなさい!」
堂本さんは抵抗するけれど、僕はそれに負けないような力で押し付ける。
「なんで、この部屋の罠を知っている?」
「なんでもいいじゃない。早くその手を離しなさいよ」
そのとき堂本さんの目線が胸ポケットに動くのを、僕は見逃さなかった。
僕は堂本さんの胸ポケットに手を突っ込み、中から紙片を取り出した。
「ちょっと、返しなさい!」
堂本さんは僕からその紙片を奪い返そうとするが、僕は難なく遮った。
紙片には「ボーナスゲーム」の内容が書かれていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ボーナスゲーム:503号室の罠を利用して他の全プレイヤーを殺せ。
503号室には、プラスチックケースがある。503号室の問題を解くにはこのプラスチックケースを割らなければならないが、このプラスチックケースを割ると503号室のドアがロックされ毒ガスが発生する。これを利用して他の全プレイヤーを殺せ。
成功報酬:南京錠の鍵三本
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
紙片は長文に渡り、この後にも僕達を罠にかけるための詳細が書かれている。
「これをどこで手に入れた?」
「玄関の扉の前に落ちていたのよ。
でも、あんたが死ななかったから失敗ね。もういいわ。残りの鍵はあんたが手に入れてよね」
堂本さんはそれだけ言い捨てて、エレベーターの方へ歩いて行った。
「くっそ」 僕が悪態を吐く。
そのとき503号室のドアが開いた。
「別木さん!」
503号室の中から別木さんが出てきた。顔面は蒼白している。ゆらゆらと身体を揺らしながら倒れこんできた。僕はそんな別木さんの身体を受け止める。
「…………え、…江本くん……………、これ……………」
別木さんは毒ガスにやられたのだろう。生命の証である緑の靄も薄れてきている。
別木さんは息も絶え絶えになりながら僕に鍵を渡した。僕はそれを受け取って、別木さんの手を握る。
「海は?」
僕が訊くと、別木さんは首を横に振った。
503号室の奥を見ると、海が倒れていた。