十.世界を総べるための認識と制御するための最小単位
わたしは榛嘩さんに死ぬように命じられた。
「世界中であたしと仲間だけが魔術を知っている状態にしておかないといけないので、一緒に魔術研究しないなら死んでください。今のあたしなら人一人殺すことくらい造作もないですよ」
わたしは返答することが出来なかった。
「また明日、来ます。そのときまでに、考えておいてください」
榛嘩さんは立ち上がって、帰っていった。
榛嘩さんが帰った後、わたしは空を見つめていた。考え事をしているようなしていような心持ちで時間を潰していた。
気づいたら、母がわたしを呼んでいた。夕食の時間だった。わたしの退院祝いということでやたらと豪勢な食事だった。
わたしはもしゃもしゃとステーキを食べながら考える。
榛嘩さんは「一緒に魔術研究しないなら死んでください」と言った。普通に考えてこれは脅迫ではないか。「そのときまでに、考えておいてください」なんて言っていたけれど、実質選択肢なんて一つしかない。生きるためには榛嘩さんの条件を呑むしかない。
榛嘩さんのことである。あの頭脳と魔法があれば完全犯罪の一つや二つ余裕で創りあげてしまえるだろう。榛嘩さんは全く危険なく損なくわたしを殺せるだろう。
警察に相談したら身辺警護をしてくれるのではないだろうか。いや身辺警護どころか江本榛嘩を拘束してくれるだろう。一応、魔術という不可思議な方法ではあるけれど阿久津藍を殺しているし。
しかし榛嘩さんのことである。ノーベル賞クラスの物理学者である。わたしが警察やその他の機関に依頼するなんて初歩的な発想など、既に対策済に違いない。
「まぁ、いいか」
わたしは落ち着いてサラダを食べた。
思えばわたしも図太くなったものだ。阿久津さんに誘拐されて色々なことを経験してきた結果、こんな事態にも冷静に対処出来るようになった。一月前ならこんな風に落ち着いて対処することなんて出来なかった。
そしてこれは好機だった。棚から牡丹餅とも思えるくらいの幸運だ。
「ちょっと頑張ってみますか」
相手は天才とはいえ、年下の女の子だ。こちらが完全に手籠めにされるのも面白くない。
順当な女子高生としては「魔術研究するから生かしてください」とお願いするところなんだろうけれど。
わたしには楽しい未来しか見えてこなかった。
次の日は曇り空だった。風は無いけれど、夏なのに涼しい。
わたしは昼下がりに庭に出てみた。なにせ部屋に一人で居てもすることが無い。両親は仕事に出てしまっていない。本来ならわたしも学校に行かないといけない日ではあるのだけれど、いきなり車いす生活になった身として、もう少し自宅療養することになった。区切りとしては、もう少しで一学期が終わるから二学期から登校で丁度良い。受験を控えた高校三年生としては、少しでも多く登校すべきなんだろうけれど、あんまり勉強に身が入るような状態でもない。
「まったく、どうしよっかな?」 わたしは車いすの上で大きく伸びをした。
「随分余裕ね」 突然、江本榛嘩が現れて独り言に反応してくれた。
「こんにちは」 わたしは落ち着いて挨拶した。
「どうも」 榛嘩さんは軽くお辞儀をした。
「いい天気ね」 わたしは適当に言った。
「そうね。夏なのに涼しいし」 榛嘩さんも適当に答えた。
榛嘩さんはわたしの正面に立った。
「考えはまとまったかしら? 魔術研究、手伝ってもらえるわよね?」
「ええ、もちろんよ。ただ条件があるわ」
「条件?」
「ええ、条件よ」
わたしは昨日から用意していた言葉を告げる。
「織彦くんをちょうだい」
榛嘩さんは呆れた顔をしていた。しかし、わたしは大真面目である。
「織彦くんが好きなの。妹のあなたに許可をもらえないかな、と思って」
「却下よ。織彦はあたしのものだから」
榛嘩さんの言葉には怒りが籠っていた。
「それじゃあ、実力行使させてもらおうかしら」
わたしは榛嘩さんに向けて火の魔術を放つ。
「んっ」
榛嘩さんはわたしの魔術を打ち消す。
「榛嘩さんって魔力は見えないんじゃなかったっけ?」
織彦くんと阿久津さんは魔力が見えていた。しかしわたしには魔力が見えない。魔力が生み出した結果の火なら見えるけれど、魔力が見えないわたしには相手の魔術をタイミングよく打ち消すなんて出来ない。
「ええ、見えないわよ。でもあなたが何かするんじゃないかと思って。予めあたしの周囲の空気に
“魔力を打ち消せ”っていう命令をしておいたの」
わたしの行動が読まれていたようだ。でも構わない。わたしの策はまだこれからだ。
「こうしましょう。魔術で勝負して勝った方が相手の条件を呑む」
わたしは挑戦的な眼で微笑んだ。
「あなた意外と好戦的なのね。織彦に聞いていた話と随分違う気がするけれど。
それにしても、あたしに魔術で勝負なんて、勝てる気でいるの? どう考えてもあたしの勝ちが見えているんだけど」
魔術が使えるかどうかはその人の知識に依存している。わたしが持っている知識は「魔術基礎Ⅰ」の一冊分でしかない。対して江本榛嘩は一晩で二十冊は読んだ才女だ。あの一晩で二十冊分の知識はあって、今はそれ以上の魔術が使えるようになっているのだろう。
それだけ比較してみれば、わたしが圧倒的に不利だ。
「大丈夫よ。わたしはあなたが知らない魔術もいっぱい知っているから」
「嘘でしょ?」 榛嘩さんは淡々と訊いてきた。
「嘘よ」 わたしは堂々と答えた。
もちろん、嘘だ。魔術に付いて榛嘩さん以上に知っている人なんていそうもない。榛嘩さんを油断させるために見栄を張ってみたけれど、あまり意味がなかった。
「まぁ、何でもいいわ。あなたに勝てばすべて解決するのなら、そうしましょう」
そう言った榛嘩さんは背負っていたリュックサックからサバイバルナイフを取り出した。
「いつもそんな物を持ち歩いているの?」 わたしは気になって訊いてみる。
「最近、こういう武力闘争が多くてね。今日もこんな展開になるんじゃないかと思って、リュックに入れておいたのよ」
榛嘩さんはわたしが喧嘩を吹っ掛けるのも予想済みだったらしい。
榛嘩さんはわたしに向けてサバイバルナイフを投げつけた。
大丈夫。きちんと見えている。このくらい魔術で防げる。
そう思った瞬間、ナイフがわたしの視界から消えた。
「え?」
そして、わたしのすぐ後ろでナイフが燃えた。厳密にはナイフが燃えるわけではなく、ナイフの周囲の可燃物が燃えたのだろう。燃えた勢いでナイフは地面に落ちる。おかげでナイフがわたしに命中することはなかったが、わたしが仕掛けていた罠がばれてしまった。
「あっ」「やっぱり」
わたしは予想していた。榛嘩さんがわたしに攻撃するなら、四次元移動を使ってわたしの背後を取るだろうと思っていた。だから、わたしの背後の酸素に「物体が触れたら化合せよ」と命令していた。もし榛嘩さん本人がわたしの背後に四次元移動していたら、榛嘩さんが燃えていた。
「そんな準備をしているかと思ったわよ」
榛嘩さんもそんなわたしの行動を予想していたらしく、ナイフをわたしの背後に四次元移動させて、わたしの魔術を反応させた。見事にわたしの罠が破られてしまった。
「はい。それじゃあ、策も見破ったことだし終わらせますか」
榛嘩さんはリュックから警棒を取り出した。
「なんでそんな物を持っているのよ」
「趣味よ」
榛嘩さんは警棒を構えて、わたしに向かって走ってきた。
車いすのわたしには避けようがない。
車いすのわたしには避けようがないから。
「よっと」
わたしは車いすから立ち上がって、榛嘩さんに向かって走っていく。
その速さは推定秒速10m。今なら100mを10秒で走れる気がする。
「なっ?」
榛嘩さんがわたしの予想以上の速さにひるむ。そもそもわたしが車いすから立ち上がることから想定外だ。榛嘩さんはあっけにとられて隙だらけだった。
わたしの頭には、魔術基礎の記述。
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九.身体に関する魔術
生命は魔力によって生命として存在している。
魔力が無ければ生命としての存在を維持出来ない。
逆に魔力が多ければ多い程、生命としての機能が高いことになる。
よって人間に魔力を多量に与えれば、より強い機能を持った人間となることが出来る。
しかし、肉体に保持出来る魔力には限界がある。
過剰な魔力をその身に抱えようとすると、身体が拒否反応を示す。
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「もらった」
わたしは車いすの座席に隠し持っていた「魔術精製Ⅰ」で榛嘩さんの腹部を抉りこむようにして撃つ。
本当なら榛嘩さんのように警棒とかを持っていたらよかったのだけど、手元にあった固いものがこの「魔術精製Ⅰ」だけだった。
「くうぅふっ」 榛嘩さんが腹を押さえて倒れこむ。
わたしは榛嘩さんが落とした警棒を拾った。
警棒を倒した榛嘩さんの眼前に付きつけて宣言した。
「勝った!」
一ケ月経って、織彦くんが退院した。
日差しの強い中、研究室に退院した織彦くんがやってきた。
「いらっしゃい、織彦くん、久し振りだね」
わたしは明るく元気に織彦くんを迎える。車いすの生活にも慣れて、即座の方向転換もお手のものである。
「あ、うん。別木さん、久し振りだ、ね?」
織彦くんは、ここにわたしが居たことに疑問を持ったらしく、戸惑っていた。
「とりあえず、座れ。入口に立たれると邪魔だ」
榛嘩ちゃんが織彦くんを押して研究室に入ってくる。
榛嘩ちゃんは織彦くんをこの研究室に案内してきたのだけれど、わたしの事とかは説明していなかったようだ。
榛嘩ちゃんは織彦くんに椅子を持ってくる。織彦くんは戸惑いつつもその椅子に座った。榛嘩ちゃんも自分の椅子を寄せて座る。わたしは車いすのまま二人に近寄る。榛嘩ちゃんはわたしが近寄ってきたことに対してあからさまに嫌な顔をした。しかし、わたしはそんな榛嘩ちゃんを黙殺した。
そして榛嘩ちゃんが織彦くんに今までの説明をしてくれる。
ここは榛嘩ちゃんが作った魔法研究室。榛嘩ちゃんは、魔法の研究をしていた阿久津さんの家族に交渉してこの場所と施設を勝ち取ったそうだ。榛嘩ちゃんは言葉にしなかったけれど、おそらく恐喝というか脅迫というか非合法で非合理なやりとりがあったのだろう。その辺はなんとなくということで濁された。
「そういえば阿久津さんは、死んだんだったね」 織彦くんが口を開く。
「死んでないわよ」 阿久津さんが口を開く。
「え?」 織彦くんが驚く。
机の向こうで作業をしていた阿久津さんがこちらへやってくる。
「あれ? 阿久津さん?」
「そうよ、あなたに剣で殴られた阿久津藍よ。その後、妹に殺されかけた阿久津藍よ」
正真正銘、生きた阿久津さんがわたしたちの鼎談に混ざる。
「榛嘩が殺さなかったの?」 織彦くんが榛嘩さんに訊く。
「ええ、殺さなかったわ。あのまま殺すことも出来たけど、やめておいたわ。今から魔法研究をしようってときに、魔法の使える人間を殺すのは惜しいもの」
榛嘩が答える。
「おかげであたしはこの娘の従僕としてこの研究室で働いているのよ」
阿久津さんが苦々しい顔で吐き捨てる。
「まぁ、でも。織彦くんが来てくれたから、まだ楽しめるかもね」
阿久津さんが座っている織彦くんに急激に近寄る。黒い手袋をした手を伸ばして、織彦くんの顔を触ろうとする。
「あたしの織彦に触んな」
榛嘩ちゃんが阿久津さんを織彦くんから引き離す。阿久津さんは渋々、自分の席に戻る。
「という訳で、この三人で魔法の研究をしているのよ。今日からおまえも入れて四人で研究な」
「あ、うん」 榛嘩ちゃんの言葉に織彦くんは頷いた。
それからもうしばらく榛嘩ちゃんによる説明が続いた。
「というわけで、わたしたちで世界を征服するわよ」 榛嘩さんが宣言した。
「そんな怖いことしないわよ」 わたしが止める。
「そういえば、藍は使いたい魔法があるって言ってたっけ?」
榛嘩ちゃんは、わたしを無視して机の向こうの阿久津さんに話しかけた。
「ああ、うん。魔法でこの左手が人間の手にならないかなぁと思って」
阿久津さんはこちらに向けて左手を振る。黒い手袋をしていて見えないけれど、あの左手は義手なのだ。
「衣智香もその足を治したい?」
榛嘩ちゃんは続いてわたしにも訊いてきた。
この一ケ月でわたしたち三人は仲良くなった。榛嘩ちゃんはわたしのことを「衣智香」とした名前で呼ぶようになった。それにわたしや阿久津さんに敬語を使わなくなった。
「治るなら治したいよ。魔術で一時的に走れるようにはなれるけど、常に魔術を使うのは大変だしね」
わたしが答えると、榛嘩ちゃんが天井を見上げて考え出した。
「やっぱり魔法の研究の目標はひとまず医療転用にしておこうかしら。上手にやれば国から金をふんだくれそうね」
やっぱり榛嘩ちゃんの発想は常任より大規模で恐ろしい。
「織彦もそういう研究好きでしょ?」
「うん。まぁ」
榛嘩ちゃんが織彦くんに訊く。織彦くんは頷く。
「というわけで、よろしくね。織彦くん」
わたしは織彦くんに近付いて、織彦くんの手を握る。
「あたしの織彦に触んな」
榛嘩ちゃんがわたしの手を払おうとする。しかしそれは受け付けられない。
「良いじゃない。わたしが勝ったんだし」
「ちっ」
榛嘩さんは上手に舌打ちを決める。織彦くんはそんなわたしたちの様子を見て不思議そうに首を傾げていた。
研究所内の階層構造は完璧に固定されていた。頭脳で言えば圧倒的に榛嘩さんが上だし、対外的にも研究所の所長は江本榛嘩となっている。けれども、わたしは榛嘩さんに勝ったおかげでわたしの我儘が通るようになっている。
「あんな不意打ちなんて、次あったら絶対あたしが勝つのに」
「うん。わたしも次やったら絶対負けると思う」
もし、次にわたしと榛嘩ちゃんで戦ったらまず勝てない。世界レベルの頭脳に勝てるチャンスなんて不意打ち一回限りだ。だからもう二度とやりたくない。
でも、あのとき勝ったのはわたしなので。
多少の我儘は許してもらおう。
「お・り・ひ・こ・く・ん」
わたしは車いすを離れて織彦くんに抱きついた。
織彦くんは、急なわたしの行動になんとか対応して、わたしを受け止めてくれた。
「ちょっと、衣智香!」
榛嘩ちゃんは大声を出して静止しようとしたけれど、幸せ気分のわたしは聞こえていなかった。
こんな感じで。
ありきたりな言い方ではあるけれど。
今日も、わたしの世界は平和です。




