九.他者を構成してきた過去と自己を構築していく未来
気付いたらベッドの上にいた。この部屋とベッドには見覚えがある。阿久津家の客室であたしの部屋だ。ベッドの下にはあたしの荷物もある。
空間転移の魔法に失敗して気を失ったのだ。なんて間抜けなことをしたのだろう。織彦には絶対に黙っておかないといけない。どれだけ馬鹿にされることやら。
気を失っている間に阿久津彰斗がここまで運んできてくれたのだろう。時計を見ると、八時過ぎだった。気を失っていた時間は意外と短かったようだ。せいぜい三十分といったところか。
身体を動かそうとするも、節々に痛みが走る。空間転移の魔法は身体に相当なダメージを残していった。そもそもあのまま続けたとして空間転移の魔法が成功したとは限らない。下手したら移動した瞬間に身体が砕け散ったかもしれない。
自分の身体ではなくて、他の壊れてもいいもので試すべきだった。どうにも冷静さを欠いた行動だった。魔術で火を起こせたぐらいで浮足立っていた。落ち着こう。
落ち着こう。落ち着こう。落ち着こう。落ち着こう。
落ち着いた。落ち着いて日付をみたら、丸一日経過していることに気付いた。
「しまった!」
気を失ってから経過した時間は三十分ではなく、二十四時間と三十分だった。
「まずい!」
あたしは慌てて荷物を探る。織彦のゲームはとっくに始まって終わっている。織彦は無事に生きているのか。
発信機モニターを見る。織彦の制服に付いている発信機はここから西へ5kmの位置を指している。
「こんなに離れている?」
ゲーム会場とも違う場所だ。いつの間にか移動している。いや、まだ移動を続けている。少しずつ、山を降りようとしているのか。
とすると織彦が制服を脱いでいなければ、生きているのだろう。ひとまず胸を撫で下ろす。
「追いかけるか」
あたしは荷物を背負って、織彦を追いかける。阿久津藍や阿久津彰斗がどうなったのか気になるところではあるが、無視して織彦を追いかけることに集中する。
駆け足で洋館を出る。幸い阿久津彰斗や阿久津藍の姿は見えない。長距離は苦手なのだけれど、5kmくらい走る心づもりで走ろう。三十分くらい走れば追いつけるはずだ。
背中のリュックの紐をきつく締める。ペースを保って砂利道を走る。朝の陽ざしが身体を熱していく。
走って二十分くらい経った地点で人が倒れていた。制服姿の阿久津藍だった。阿久津藍が空を見上げて倒れている。
「藍さん? 大丈夫ですか?」 阿久津藍の肩を持って揺らしてみる。
「あ、はるみちゃん?」 阿久津藍は弱弱しい声であたしの呼びかけに応える。
「どうしたんですか? 救急車呼びましょうか?」
「いや、もうちょっとで回復するから、大丈夫」
阿久津藍は大丈夫と言っているが、大丈夫には見えない。顔色は悪いし、身体に力が入っているようには見えない。
「一体、何があったんですか?」
重傷の人間に喋らせるのは酷かもしれないが、織彦の行方が気になるから勘弁してもらおう。
「魔術で戦闘になって、負けちゃった」
阿久津藍とあたしの他にも魔術が使える人間がいたのか。しかもこの状況から察するにゲームのプレイヤーの中に魔術の使える人間がいたようだ。
「ゲームはどうなったんですか? 藍さん以外に残ったのは、その魔術が使えた人ですか?」
「いや、生き残ったのは、プレイヤーナンバー 38-1、38-2、38-5 の三人よ。あたしの他に二人。その二人が二人とも魔術が使えるようになったのよ。おかげでまんまと逃げられちゃった」
あたしは胸を大きく撫で下ろした。やはり織彦はきちんと生きて逃げたようだ。そうすると、心に余裕が出て来た。
ちょっと欲張ってみたくなる。織彦が生きているなら遠慮はいらない。
「あの、こんなときにするのも変な話なんですけれど、昨日の賭けの話覚えてます?」
昨日、誰が生き残るか賭けをして、あたしは勝ったのだ。報酬として魔法について教えてもらう約束を取り付けたのだ。
「魔法について教えてもらうのはやめにします。それより、その身体をあたしにください」
「え?」
あたしは昨日読んだ「魔術基礎Ⅴ」の内容を思い浮かべる。
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五十.生命活動の停止
魔力は生きる力である。ただの原子の配列だけでは生命は産まれない。生命を構成する原子に魔力が宿っているため、生命が生命として維持されるのである。生命を構成する原子には「生命活動を維持せよ」という命令が常に掛かっている。
逆に生命から魔力を奪い取れば、その生命は生命活動を停止する。生命を構成する原子に「生命活動を停止せよ」という命令を与えれば、その生命活動は停止する。
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「あたしも魔術が使えるようになったから、いろいろ試してみたいのです」
あたしは、ポケットの中からティッシュを出す。そして一枚取り出して、魔術で火を着けた。
「え?」
「一晩で二十冊の本を読んだわ。その中の魔術をいくつか試してみたいんだけど、いいですか?」
あたしは阿久津藍の顔に手を添えようとした。
しかし、阿久津藍は危機を感じてあたしから遠ざかった。
「あ、あなたも魔術が使えるの?」
「昨日、本を読んだら使えるようになりました」
阿久津藍は苦虫を噛み潰すような顔をした。ただでさえゲームの参加者二人が魔術を使えたのに、偶然本を読んだだけのあたしが魔術を使えるようになったのだ。阿久津藍にとって予想しなかった展開だろう。
「まったく、次から次へと、何なのよ、もう」
阿久津藍は地面に転がっていた剣を拾って構えた。しかし、体力が回復していないらしく、左右にゆらゆらと揺れていて重心が安定していない。
「魔術で体力を即座に回復することは出来ないんですか?」
あたしは気になったから訊いてみた。
「魔術はそんなに便利じゃないわよ。あたしの魔術だと、疲労を回復した気になれるってだけ。本当に身体の治療をしようと思ったら、身体の原子配列を全て正確に配置して機能させないといけないの。
身体を構成する原子なんて多すぎていくつあるか分からないのに、そんなことはやっていられないわよ」
阿久津藍が教えてくれる。確かに今までで分かった魔術の理論からすると納得いく話だ。体重60キロの人をつくるために、酸素45キロ、炭素10キロ、水素6キロ、窒素2キロ、カルシウム1キロと細かな原子が必要となる。酸素原子だけでも1800000000000000000000000000個は存在している。そんな原子一つ一つに化合、還元を命令するなんて緻密な作業は、人間の脳の許容量を超えている。
超えているけれども。あたしには出来ないけれども。織彦なら近いことは出来るかも。
「まぁ、いいわ」
今は早く織彦に会いたい。阿久津藍をさっさと倒してしまおう。
あたしは背負っていたリュックの中から拳銃を取り出した。
「なんで、そんなもの持っているのよ」
阿久津藍は明らかに怖がっていた。
「趣味よ」
あたしはきっぱりと言い切った。阿久津藍は呆れた顔をしていた。
「燃えなさい!」
阿久津藍が叫ぶ。物質の燃焼は簡単な魔術だ。燃えやすい物質に向けて「酸素よ、化合しろ」と命令すれば良い。燃焼の魔術を拳銃に向けて放てば、火薬が誘爆する。
しかし、阿久津藍の魔術は失敗した。あたしの拳銃には何も起こらない。
「ど、どうして?」
阿久津藍のうろたえ振りにあたしは思わず笑い出す。
「本物の拳銃なんて持っている訳ないじゃない。エアガンよ。エアガン」
あたしは阿久津藍に向けてエアガンを連射する。BB弾が阿久津藍の腕に腹に胸に顔に命中する。剣を構えていようが関係無い。何発ものBB弾が阿久津藍に命中する。このエアガンがそこまで威力はないから、命中しても痛いだけだ。せいぜい皮膚が赤くなる程度である。
しかしあたしが撃った弾によって、阿久津藍は疲弊していく。あっという間に地面に膝をついた。
「な、なにこれ? どんどん体力が奪われていく」
「ええ、そうよ。このBB弾は生命活動停止の魔力が込められているわ。BB弾があなたに当たる度に、あなたから魔力を削っていく。魔力は生命が生きる力。BB弾一個一個の削る魔力は少なくてもこれだけ当てれば、どんどん死に近付いていくわ」
ただでさえ阿久津藍は体力の無い状態だ。そこから魔力を削っていけば、もう阿久津藍は瀕死の状態となる。
「これで終わりね」
あたしは弾の切れた拳銃をしまって、阿久津藍に近付く。阿久津藍は剣を下ろし、四つん這いとなっている。
「それじゃあ、死んでください」
あたしは生命活動停止の魔術を使おうとする。
しかし、急に阿久津藍が起き上がった。剣をあたしに向けて振るう。
「あっぶなっ!」
あたしはとっさに飛び跳ねて、阿久津藍から距離をとる。
阿久津藍は再び、剣を構えてあたしを睨みつける。
「残念。今のは完全に斬れたと思ったのに」
「よく体力残っていたわね」
あたしは、軽い口調で言ってみた。しかし内心ではかなり冷や汗ものだ。絶対に勝ったもの油断していた。あたしの動体視力が悪かったら胴体から内臓が飛び出していたかもしれない。
「あなたがベラベラ喋るからよ。BB弾に魔力を削る魔術をかけているのなら、あたしは命中するBB弾に魔力を削らないよう魔術をかけるだけ。さっきは魔力が削られている振りをしていたのよ」
あたしは、思わず唇を噛んだ。身体的なダメージは無いけれど、一杯喰わされた精神的ダメージは大きい。
「あぁー、もう」何だか、苛々してきた。この女、さっさと殺そう。
あたしはリュックの中からスタンガンを出す。持ちやすい軽量で最大電圧は180万ボルト。当たり所が悪ければ死ぬようなスタンガンだ。
「よっと」
「え?」
その瞬間、阿久津藍の視界からあたしの姿が消える。
消えると同時に阿久津藍の背後に現れる。
「嘘?」
阿久津藍は慌てて振り向こうとするが、その前にあたしがスタンガンを当てる。
「きゃああぁああああああああぁ!!!!!!!!」
阿久津藍がスタンガンを受けてその場に倒れこむ。
「あーあー。これ、疲れるなぁ」
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人間の認識では世界は三次元で構成されている。しかし、それは飽くまで人間の認識の範囲内である。実際にはもっと高次元の空間が折りたたまれていると考えることができる。
二次元の平面を移動することを考える。人間が歩いているとき、進行方向に岩があったときどうするか。二次元的な移動であれば迂回することを考える。しかし三次元で考えた場合、岩を飛び越すという選択肢が生まれる。
三次元空間での移動でも同様の行動を考える。四次元方向に移動することで三次元空間内にある物体を飛び越すことが出来る。
そのためには、まず四次元空間が有ることを認識することが必要となる。また三次元空間での跳躍が歩くよりも多くのエネルギーが必要となるように、四次元空間内の移動も多くのエネルギーが必要となる。
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昨日、この四次元移動の魔術は失敗した。失敗して丸一日も寝込んでしまった。失敗した原因は四次元空間を移動させようとすると身体に異様な負荷がかかったからだ。だから魔術で身体を強化してみた。
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五.身体に関する魔術
生命は魔力によって生命として存在している。魔力が無ければ生命としての存在を維持出来ない。逆に魔力が多ければ多い程、生命としての機能が高いことになる。よって人間に魔力を過剰に与えれば、より強い機能を持った人間となることが出来る。
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身体の魔力を増加させて、自分の身体を強化させることで四次元空間内での移動を可能にした。ただ疲労もかなりのものになった。
「これだけ、手間かけさせたんだから、せいぜい華々しく散ってください。あたしの織彦を殺そうとしたのだから、死んでも不満はないよね?」
あたしの笑顔が阿久津藍の顔を恐怖に歪める。
「あ、あたしの?」
「そう、あたしの。江川晴魅は偽名よ。本名は江本榛嘩。そして江本織彦はあたしの兄よ。人の兄を殺そうとしておいて、何の恨みも買わないとは思わないでね」
あたしの身体に纏っている魔力が阿久津藍に向かう。
「それじゃあ。魔術という素敵な力を教えてくれてありがとうございます」
「きぃいいやあああぁぁぁぁぁぁあああぁあああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」
阿久津藍の絶叫がこだました。
わたしの名前は別木衣智香。
四日ほど前に謎のホテルに連行されて、命を懸けたゲームに参加させられる。クラスメイトの阿久津藍、蝶名林海、堂本絵里子、江本織彦と一緒に様々なパズルを解いていく。
阿久津藍、蝶名林海、堂本絵里子の犠牲を乗り越え、江本織彦と一緒にホテルを脱出する。脱出した先に待ち受けていたのは、この事件の首謀者の阿久津藍だった。
わたしと江本織彦は再び阿久津藍に捕らえられた。しかし魔術の力を行使して阿久津彰斗、藍を振り切り、撃退した。
命からがら逃げ切ったわたしと江本織彦は重傷を負っていた。あたしは背中を強く打った衝撃で下半身が上手く動かなくなっていた。今は胴体にギプスを填めている。感覚はあるし、全く動かない訳ではないが、医者の話によれば一生車いす生活だという。背中を打ってからも阿久津さんから逃げ回ったのに、あのとき走れたのは嘘のように、今では足で自分の身体を支えることは不可能だった。
この三日はかなり落ち込んだ。親や友人が見舞いに来てくれるけれど、元気に歩いている人を見ているだけで気分が沈んでいく。何でこんなことになったのか。これからどうやって生きていけばよいのか。思考を巡らせているようで、何も考えていない。無為な時間が三日続いた。
お医者さんに織彦くんの容体を聞いた。織彦くんはまだ意識を取り戻さないらしい。心配だ。とても心配だ。自分の容体よりも気にかかる。
心配していたそのとき、わたしの病室に一人の女の子が現れた。面会時間ももう終わる頃になってから訪れた女の子は白いワンピースを着ていて、わたしより少し年下に見える。
「傷は痛まないですか?」
女の子は丁寧な物腰で話しかけてきた。
「えっと、どちら様?」 わたしは見知らぬ相手に恐る恐る尋ねる。
「江本榛嘩。15歳。江本織彦の妹です。あなたが別木衣智香さんですよね?」
わたしは、こくんと頷く。織彦くんの妹とは。そう言われてみれば、顔の雰囲気が似ている気がする。
「織彦くんの妹さんがどうしたの?」
「お届け物です」
榛嘩さんは、わたしの枕元にスクールバックを置く。
「これは、わたしの?」
「ええ、そうですよ。中の保険証を確認させてもらったので、間違いないです」
「一体どこにあったの?」
わたしは驚きの余り、身を乗り出して訊いた。といっても胴体のギプスのせいで、あまり大きくは動けない。ベッドの上からちょっと身体を傾けるだけだ。
「順を追って説明します。あのホテルでのゲームの裏側も含めて」
「織彦くんから聞いたの? というか、織彦くんは?」
「隣の病室にいますよ。後で会いに行ってあげてください」
榛嘩さんは何故か苦々しい顔をしていた。
「それじゃあ、説明しますね。話は四日前になります」
「わたし達があのホテルに連行されたときね」
「夜になっても兄が帰ってこないので、兄の鞄に付いている発信機を使って迎えに行くことにしました」
「…………」
この子、いきなりとんでもないことを発言した。兄の鞄に発信機をつけているなんて、どこかおかしい。兄妹というのも信じていいのだろうか。
榛嘩さんは、こほんっと息を入れて仕切り直した。
それから四日前の出来事を全て把握した。榛嘩さんの話が終わる頃にはすっかり日も暮れていた。ドアの傍に立っていた榛嘩さんが電灯のスイッチを入れる。
「というわけで、あなたの身はこれで晴れて安全となったのです。阿久津藍が再び襲ってくることはありません」
「そっか」
なんだか実感の籠らない内容の話だった。わたしとしては、過ぎたことは気にしていなくて、これからどうやって生きて行こうか悩んでいるところだ。それもほとんど動いていない頭を動かしているものだから、再び阿久津藍が襲ってくるなど予想もしなかった。
「あたしからの報告は終わり。いくつか質問があるから答えてもらえるかしら?」
榛嘩さんはあたしの目をじっと見て言った。よく考えればこの子は魔術で人を殺した人間だ。わたしはもっと恐怖を感じても良いのに、不思議とわたしの心は平然としていた。この三日で人間らしい感情も無くしていっているのかもしれない。
「もう、面会時間を過ぎているけど、大丈夫?」
「ああ。それもそうですね。じゃあ、また今度来ます。これをお渡ししておきます」
榛嘩さんはそう言って、一冊の本を手渡してきた。本の題名は「魔術基礎Ⅰ」今まで何回か手にしたことのある本だ。
「気が向いたら読んでください」
そういって江本榛嘩さんは病室を出て行った。
わたしはしばらくぼぅっとしていたけれど、することもないからやがて「魔術基礎Ⅰ」を読み始めた。
それから一週間程でわたしは退院した。
その間、織彦くんに会うことは出来なかった。織彦くんの意識は回復して命に別状はないものの、家族以外とは面会謝絶状態とういことだった。それでも一ケ月以内に退院出来る見込みらしい。
わたしは慣れない車いすを動かして病院を出る。これからはずっと車いすで移動するのだ。早く慣れないといけない。
迎えに来てくれた両親の車に乗り移る。自分の足で乗っていた頃とは大違いで、一挙手一挙手に凄く気を使うし、体力もいる。
家に着く。両親の手助けを借りて、車から降りる。わたしが車いす生活になると分かって一週間あったおかげで、両親はある程度準備ができたようだ。家が車いすでも何とか動けるようにリフォームされていた。リフォームといってもそこまで大がかりなものではなく、少し道幅が大きくなり、段差がなくなった程度である。まだリフォーム完成ではなく途中段階ではあるけれど、ひとまずわたしが生活できるようにはできたようだ。
わたしは、自分のベッドに横たわる。何日か振りの自分のベッドだ。病院のベッドよりは固いけれど自分の匂いで安心できる。
「ふぅ」 言うことを聞かない足では寝返りを打つのも一苦労だ。
枕元においてあったティッシュが目に入った。そういえばわたしは魔術が使えるようになったのだった。やろうと思えばあのティッシュを燃やすことだって出来るはず。
入院したとき、お医者さんにも家族にも警察にも、あのホテルであったことを包み隠さず説明した。しかし魔法のことは誰も信じてくれなかった。あのホテルでひどい目にあって、記憶が錯乱しているのだろうという結論になった。わたしは何度も何度も説明したけれど、両親ですらも困った顔をするだけだった。仕方が無いから実際に魔法を見せてみようとも思ったけれども、やめておいた。わたしに出来ることは火を起こすことぐらいだ。それだけだと手品だと言われるかもしれない。それなら織彦くんが回復してから一緒に説明してもらった方が良い。織彦くんなら電気を流したり体力を回復したり出来る。それに一人より二人の方が説得力が多分にある。警察やお医者さんにはともかく、両親くらいにはわたしが本当に体験したということを知っておいてもらいたい。
織彦くんに連絡がしたいな。と思って自分の携帯のアドレス帳を見ても目当ての番号はない。元々そんなに仲の良い間柄ではない。いくつかのアプリを見てみても織彦くんの連絡先は見当たらない。
「織彦くんにいつ会えるかな?」 天井に向かって一人呟く。
ピンポーン
玄関のベルが鳴る。母親がスリッパをぱたぱたと鳴らして玄関に向かう。
ややあって、母親がわたしを呼びに来た。
わたしは車いすに乗って玄関に出る。来客は織彦くんの妹、江本榛嘩だった。
「どうもどうも」 榛嘩さんは丁寧に頭を下げる。
「榛嘩さん、どうしたの? よくうちの場所を知っていたね?」
「ええ。色々お話ししたいことがあるので調べました」
わたしは榛嘩さんを自分の部屋に案内する。
「退院おめでとうございます」 榛嘩さんはわたしにお菓子をくれた。
「ありがとう」 あたしは受け取って、テーブルの上においた。
榛嘩さんは部屋の椅子に腰掛けた。わたしは向かい側に車いすに腰掛けている。
「身体のお加減はどうです? 車いすでも生活出来そうですか?」
「うん、まぁ、家に帰ってきたばかりだけど、なんとかなりそうだよ」
わたしは頷く。それから逆に質問する。
「織彦くんは、どう?」
「あたしが会っている感じだと元気ですよ。ただ魔法がどうのこうのと言っているせいで、お医者さんには脳に異常があると思われています。でもそろそろ面会謝絶がなくなると思います」
織彦くんも魔法のせいで周囲からは異常だと思われていたのか。
「榛嘩さんに訊くのも変な話だけど、わたしって魔術を使えたんだよね?」
なんか、あのホテルでの出来事が全て夢であるような錯覚が起こる。わたしがこうして車いすである以上、現実であるはずなのだけれど。
「あたしはその現場を見ていないので何とも言えません。けれど、今から使ってみればいいんじゃないですか?」
そう言われて、わたしは部屋の中を見回す。
「燃えてもいいものがないから、やめておくね」
それに自分の部屋でボヤ騒ぎになるのも遠慮したい。
「あたしが四次元移動を見せてあげてもいいんですけどね」
「そう、それ」 あたしは割って居るように言葉を挟んだ。
「ん、どれ? 四次元移動?」
「そう。四次元移動。榛嘩さんはなんでそんな高度な魔法が使えたの?」
榛嘩さんの話を聞いた時から疑問だった。四次元移動の理屈はこうだ。
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三次元空間での移動でも同様の行動を考える。四次元方向に移動することで三次元空間内にある物体を飛び越すことが出来る。
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つまり四次元空間での移動により三次元上の物体を飛び越えることができる。
「なんで四次元空間での移動なんて出来たの?」
藪から棒に四次元空間なんて言われても理解出来ない。わたしはSFをあまり見ないし、物理が得意なわけでもないから余計にさっぱり分からない。
「あたしは特殊な眼をしているのです。特殊な脳でもあるんですけど。
普通の人は世界を三次元として認識していますが、あたしは世界が四次元に見えるんです」
「世界が四次元に見える?」 わたしは首を傾げた。
「ええ。あたしと兄は小さい頃にうちの親から虐待を受けました。そのとき頭を強く叩かれまして」
いきなり話が重たくなった。それに織彦くんも関係してきた。
「あたしも兄も脳にダメージを受けました。運が悪ければ死ぬような叩かれ方だったんですが、運よく二人とも生きていました。それで後遺症として、謎の症状が残りました。兄は生命の証、つまりは魔力が見えるようになりました。あたしの場合は世界が四次元に見えるようになりました」
わたしはなんとなく納得した。そういった脳に障害があって他の人に見えないものが見えるようになる話は聞いたことがある。
阿久津さんから逃げている途中、織彦くんは昔から命の証、魔力が見えると言っていた。それにはこんな理由があったのか。
「身体の方にもダメージが残っているのですけどね。兄は消化系が一部やられています。食べ物の味が分かりません。それに食べても消化しにくいので、週に一回は点滴しないといけません」
わたしが想像しているよりもはるかに重病だった。
「あたしは四次元が見えるようになって、最初はすごく大変でした。今までと物の見方が全然違いますからね。そもそも見えていたものが四次元であることに気付くまでに一年以上かかりました。それまではただ単に世界が歪んで見えているようにしか思えませんでしたからね」
それは遥かに苦痛な期間であったのだろう。今見えているものが全て四次元の物体に見えるなんて、どんな世界か想像もつかない。
「ただ、あたしの場合は運が良かったんです。そうして四次元の世界に慣れてしまうと、普通の人が理解出来ないような難解な理論が理解出来るようになってしまいまして。今では物理の学者にまでなってしまいました」
「え?」 わたしは驚きの声を出した。
「あたしは今、アメリカの大学で物理の研究をしているんです。飛び級ってやつです。今は丁度夏休みをもらって日本に帰ってきているんです。あたしの名前でネット検索をかけると、物理学の論文がいくつか出てきますよ」
「榛嘩さんって十五歳だったよね?」
「はい。順当に学年を重ねれば、今年高校一年生でした」
本物の天才だった。榛嘩さんの話の端々に「この娘、頭良いなぁ」と思う場面はあったけれど、ここまでとは思わなかった。
「そこまで優秀な日本人がいたらニュースにならないの?」
「残念ながら理論物理学は日本ではマイナーな分野ですので、日本の記者は注目しないと思います。でもあと四年もあればノーベル賞クラスの論文が仕上がる予定なので、そうしたら日本でも注目されるかもしれないです」
「す、すごい」
わたしはびっくりし過ぎて、まともな感想が言えなかった。世界レベルの学者さんが今こうしてわたしの部屋にいて、一緒に喋っているなんて。
「別木さんにも、そのお手伝いをしてもらえませんか?」
「え?」 余りに唐突な申し出に、わたしの表情は固まった。
「せっかくこうして魔法が使えるようになったのです。今やっている研究は中断して、魔術の研究をしようかと思いまして。
それで、魔術の使える別木さんにも手伝ってもらおうかと思いまして」
わたしはしばらくの間、ぽかんとしていた。
「今まで認知されていなかった魔術という万能の力についての研究ですからね。ちょっと研究して理論が完成すれば、すぐ世界が引っくり返るような事態になりますよ」
「そ、そうだね」 わたしは榛嘩さんの勢いにつられて返事をする。
「これを利用して世界を牛耳ることだってできます。あたしの頭の中では、あたしが世界を征服するまでの筋書きも出来ています」
榛嘩さんはなんか恐いことを言い出した。
「今のところ魔術が使える人間は限られていますからね。他の人が使えない力を持っているということは大きな強みです。どうです? 一緒に世界征服しませんか?」
「いや、そんな大それたことはしたくないかな…」
「世界中の人達が自分の言う通りに動くんですよ。楽しそうじゃないですか」
「わたしみたいな凡人がそんな権力持ちたくないよ」
「七夕の短冊に“世界平和”って書くくらいだから興味あるかと思ってたんだけど」
「なんで、わたしが短冊に書いた内容を知っているのよっ?」
わたしは恥ずかしくなって思わず声を荒げた。あの短冊を書くときは勢いで「世界平和」なんて書いたけれど、今振り返ると幼稚で恥ずかしくなってくる。
榛嘩さんは、えへへっと可愛く笑って誤魔化していた。
わたしは焦ってきた。この娘、危ないんじゃないのか。いや、疑問に挙げるまでもなく確実に危ない。今まで聞いてきた話を振り返るだけでも、相当に危険な娘だ。織彦くんに発信器をつけて追跡していたりエアガンを乱射したりスタンガンを振り回していたりした娘だ。織彦くんの妹だからどこか安心していたけれど、もしかしたらわたしの身も危険にさらされるかもしれない。
「ともかく、わたしは世界を征服しようなんて思わないから。だから魔術の研究は手伝いません」
わたしは勢いで断った。
「そっか」
榛嘩さんはわたしと目線をきっちり合わせて言った。
「じゃあ、死んでください」




